異邦人と大迷宮~現代ダンジョンシーカーは、スキルと知恵で異世界迷宮の果てを目指す~   作:九泉

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第52話 乱れる連携

 石柱の空洞から飛び出した蒼介とセレスを待っていたのは、視界を奪う濃霧。その奥に潜む、姿なき死神。

 蒼介は【探知(サーチ)】の感度を極限まで高め、神経を研ぎ澄ませた。

 だが、この「サイレント・ストーカー」という魔物は、その名の通りあまりにも静かすぎた。

 

「……来るぞ、右だ!」

 

 蒼介が叫ぶと同時に、右側の霧が不自然に揺らぐ。

 セレスが反射的に槍を突き出す。雷光を纏った鋭い一撃が霧を貫く。

 しかし、手応えはない。

 

「くっ……!」

 

 直後、セレスの頭上から、風を切る音もなく巨大な鎌が時間差で振り下ろされる。

 蒼介が体当たりするようにセレスを突き飛ばした。

 二人がいた場所のアスファルトのような硬い地面が、音もなく十字に切り裂かれる。

 

「速ぇ……! それに、気配が霧と同化してやがる!」

 

 蒼介は舌打ちをして体勢を立て直す。

 通常、どんな魔物であれ、動けば空気を揺らし、殺気を放つ。

 だが、こいつは違う。

 まるで霧そのものが意思を持って襲いかかってくるようだ。

 【探知(サーチ)】が捉えるのは、攻撃が放たれた瞬間の、ごく僅かなゆらぎだけ。

 それでは遅すぎるのだ。

 

「そこかッ!」

 

 セレスが勘を頼りに薙ぎ払う。

 空を切る音だけが虚しく響く。

 焦りが、二人の呼吸を乱していく。

 

(まずいな……。長期戦になれば、こっちが先に消耗する)

 

 蒼介は額の汗を拭った。

 足の傷は塞がったとはいえ、失った血液は戻らない。

 貧血特有のめまいが、視界をチカチカと明滅させる。

 セレスも同様だ。

 見えない敵に対する極度の緊張と、空振りを続ける徒労感が、彼女の精神を削り取っている。

 

「ソウスケ、次はどっちだ!? 指示をくれ!」

「わからねえ! 反応が消えたり現れたりしてやがる!」

「貴様のスキルでも捉えきれんのか!?」

「俺だって万能じゃねえんだよ!」

 

 怒鳴り合いながら、二人は背中合わせに立つ。

 連携が、噛み合わない。

 本来なら、蒼介が敵の位置を正確に特定し、セレスが打撃を与えるのが彼らの必勝パターンだ。

 だが、その前提となる索敵が機能しない今、二人は暗闇で手探りをするような無力感に苛まれていた。

 

 ギチギチ……。

 

 嘲笑うような顎の音が、霧のあちこちから反響して聞こえる。

 どこにいる?

 前か、後ろか、あるいは頭上か。

 

「ええい、出て来い卑怯者め!」

 

 セレスが痺れを切らし、闇雲に魔法を放つ。

 放たれた雷撃が霧を散らすが、敵の影すら捉えられない。

 それどころか、魔法の光が霧に乱反射し、一瞬だけ二人の視界をホワイトアウトさせた。

 

「馬鹿野郎、視界を悪くしてどうする!」

「じっとしていられるか! このままではなぶり殺しだ!」

 

 二人の声が重なった瞬間、殺気が膨れ上がった。

 蒼介の背筋が凍りつく。

 死角。

 セレスの放った魔法の光が消え、瞳孔が開いて暗闇に目が慣れていない、その一瞬の隙。

 

「伏せろッ!」

 

 蒼介は考えるよりも早く、セレスの襟首を掴んで地面に引き倒した。

 ヒュンッ、と頭上を何かが通り過ぎる。

 数本の髪の毛が、ふわりと宙を舞った。

 セレスの美しい金髪が、見えない刃によって切り落とされたのだ。

 

「……ッ!」

 

 セレスが息を呑む。

 地面に這いつくばったまま、彼女は青ざめた顔で自分の髪を見つめた。

 あと数センチ深く刃が入っていれば、首が飛んでいた。

 

「……すまない、ソウスケ。私が冷静さを欠いた」

「謝ってる場合か。立つぞ」

 

 蒼介はセレスの手を引いて立ち上がらせるが、その手も微かに震えている。

 限界が近い。

 このままでは、ジリ貧どころか、次の一撃で終わる。

 何か、手はないのか。

 この見えない、聞こえない状況を打開する、起死回生の一手が。

 

(探知も効かない、目視もできない……。どうすりゃいい?)

 

 蒼介が必死に思考を巡らせていた時、腰のペンダントが微かに熱を帯びた。

 リリアの声が、脳内に響く。

 

『ソウスケさん、落ち着いてくださいまし』

「落ち着いて死ねってか? こっちは手詰まりなんだよ」

『いいえ。敵の習性を考えるのです。あの魔物は、昆虫のような姿をしていましたわね?』

「ああ、巨大なカマキリだ。それがどうした」

 

 リリアの冷静な声が、パニックになりかけた蒼介の思考を現実に引き戻す。

 彼女は続ける。

 

『昆虫型の魔物は、視覚よりも触角……空気の微かな振動に敏感なはずですわ。特に、霧の中という視界の悪い環境に適応した個体なら、尚更その傾向が強いはず』

「振動……?」

『ええ。貴方たちが動く際の空気の流れ、衣擦れの音、心音……それらを敏感に感じ取って、位置を把握しているのですわ』

 

 蒼介はハッとした。

 そういえば、さっきセレスが魔法を放った直後、敵は正確にその隙を突いてきた。

 あれは魔法の光を見ていたのではない。

 魔法が発動する際の魔力の奔流、その振動を感知し、発生源を特定したのではないか。

 

(【探知(サーチ)】みてえなもんか。向こうも、こっちの動きを「音」や「振動」で見ている)

 

 ならば、それを逆手に取れるかもしれない。

 

(閃光と、爆音……。いや、もっと単純な「衝撃」だ)

 

 この濃霧ごと吹き飛ばすような、巨大な衝撃波。

 それがあれば、敵の鋭敏すぎる感覚器官を破壊し、同時にこの厄介な霧を晴らせるかもしれない。

 

「セレス、聞け」

 

 蒼介は視線を巡らせながら、早口で告げた。

 敵はまだ様子を窺っている。次の攻撃が来るまでの数秒が勝負だ。

 

「一か八かの賭けをする」

「賭けだと? どのような?」

「お前の持っている最大火力の範囲魔法……それを、ここでぶっ放す」

「なっ!?」

 

 セレスが驚愕に目を見開く。

 

「正気か!? 範囲魔法など、詠唱に時間がかかる! その間、私は無防備になるぞ! それにこんな至近距離で放てば、私たち自身も巻き込まれる!」

「詠唱の間は俺が守る。巻き添えに関しては……まあ、うまく耐えろ」

「無茶苦茶だ!」

「他に手があるか!? このままじわじわ削られて死ぬのを待つか、それとも勝率の低い賭けに乗るか、どっちだ!」

 

 蒼介の怒号に、セレスが口をつぐむ。

 彼女は一瞬だけ悔しげに顔を歪め、すぐに覚悟を決めた戦士の顔に戻った。

 

「……わかった。貴様のその悪知恵に、命を預けよう」

「よし。狙う必要はねえ。全方位に衝撃波を撒き散らすイメージだ。風属性の魔法で、霧を吹き飛ばしつつ、爆音を轟かせろ!」

「注文が多いな……! だが、やってやる!」

 

 セレスが槍を地面に突き立て、両手を広げた。

 彼女の周囲に、凄まじい密度の魔力が渦巻き始める。

 

「我は求め訴える……!」

 

 朗々とした詠唱が始まる。

 それは、彼女が使える最上位の風魔法の詠唱だ。

 周囲の霧が、魔力の奔流に巻き込まれて渦を巻き始める。

 

 ギチギチギチッ!!

 

 敵が反応した。

 当然だ。これほど巨大な魔力を、あの敏感な捕食者が見逃すはずがない。

 獲物が大きな隙を晒している。

 奴にとっては絶好の狩りの好機。

 

「来たぞッ!」

 

 蒼介は【探知(サーチ)】のアラートが鳴り響く方向へ、迷わず身体を向けた。

 右斜め前方。

 霧が裂け、透明な何かが砲弾のような勢いで突っ込んでくる。

 

(速ええッ!)

 

 先ほどまでの慎重な動きとは段違いだ。

 一撃でセレスを葬り去るつもりだ。

 姿は見えない。だが、殺気が肌を刺す。

 

「させるかよォッ!」

 

 蒼介は【迅速(ブースト)】を発動した。

 脳内麻薬が駆け巡り、世界がスローモーションになる。

 迫り来る死の凶刃。

 その軌道を予測し、蒼介は自らの身体を盾にするように割り込んだ。

 

 ガギィィィンッ!

 

 金属音が火花を散らす。

 蒼介のナイフと、見えない巨大な鎌が激突したのだ。

 重い。

 まるでダンプカーに正面衝突されたような衝撃が、腕から肩、そして背骨へと抜ける。

 

「ぐぅぅッ……!」

 

 踏ん張った足元の石畳が砕ける。

 ナイフに亀裂が走る。

 力負けしている。このままでは押し切られる。

 

(まだだ……まだ詠唱は終わってねえ……!)

 

 蒼介は歯を食いしばり、にじり寄ってくる死神の圧力を全身で受け止めた。

 傷口が開いたのか、包帯から血が滲む。

 だが、一歩も退かない。

 背後では、セレスが命懸けで詠唱を続けている。

 彼女は蒼介を信じ、防御を捨てて魔力を練り上げているのだ。

 その信頼に応えなくて、何が相棒か。

 

「……大気の精霊よ、その荒ぶる怒りを束ね、我が敵を薙ぎ払え……!」

 

 セレスの声がクライマックスに近づく。

 魔力が臨界点に達し、彼女の髪が逆立つ。

 

 ギチッ!?

 

 眼前の透明な怪物が、本能的な恐怖を感じたのか、僅かに圧力を緩めた。

 逃げようとしている。

 この異常なエネルギーの塊が炸裂する前に。

 

「逃がすかよ……!」

 

 蒼介はニヤリと笑い、逆に前に出た。

 ナイフを絡め、敵の鎌をロックする。

 逃げられないように。

 道連れにするように。

 

「セレス、やれえええええッ!」

「吹き荒れろ! 『テンペスト・バースト』ッ!!」

 

 セレスの絶叫と共に、圧縮された暴風が炸裂した。

 

 ドォォォォォォォォンッ!!

 

 視界が白く染まる。

 鼓膜を叩く轟音。

 そして、暴風と衝撃波が、中心点であるセレスから全方位へと解き放たれた。

 

「うぐぁッ!」

 

 至近距離にいた蒼介もまた、木の葉のように吹き飛ばされる。

 だが、彼は空中で身体を丸め、衝撃を受け流すことに集中した。

 ナノマシンの【自己修復(リペア)】がフル稼働し、衝撃による内臓へのダメージを最小限に抑える。

 

 数秒後。

 蒼介は地面に転がり、咳き込みながら顔を上げた。

 土煙が舞っている。

 だが、あのまとわりつくような濃霧は、跡形もなく消し飛んでいた。

 

 視界はクリアだ。

 そして、その開けた視界の先。

 空洞の入り口付近に、一匹の異形の怪物が蹲っていた。

 

 全長五メートルはあるだろうか。

 半透明だった体色は、衝撃によるダメージで迷彩が解け、どす黒い緑色の甲殻を露わにしている。

 巨大なカマキリ。

 だが、その複眼からは体液が流れ出し、触角は千切れ飛び、自慢の鎌も痙攣している。

 リリアの読み通り、爆音と衝撃波によって感覚器官にダメージを受け、方向感覚を失っているのだ。

 

「……はっ、ざまあみろ」

 

 蒼介は血の味のする唾を吐き捨て、ふらつく足で立ち上がった。

 ナイフを握り直す。

 亀裂の入ったナイフだが、あと一回くらいなら持つだろう。

 

「セレス、生きてるか?」

「……誰に向かって言っている。貴様こそ大丈夫なのだろうな」

 

 背後から、荒い息遣いと共に力強い声が返ってきた。

 振り返ると、セレスが槍を杖代わりにして立ち上がるところだった。

 服はボロボロで、髪も乱れているが、その碧眼は勝気を宿して輝いている。

 

「私の魔法で死ぬような間抜けな相棒を持った覚えはない」

「そりゃどうも。……仕上げといこうぜ」

「ああ。あの不愉快な虫ケラを、今度こそ地獄へ送ってやる」

 

 二人は視線を合わせ、頷き合う。

 もはや言葉はいらない。

 蒼介が【迅速(ブースト)】の構えを取る。

 セレスが槍に最後の魔力を込める。

 

 霧は晴れた。

 反撃の時だ。

 

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