異邦人と大迷宮~現代ダンジョンシーカーは、スキルと知恵で異世界迷宮の果てを目指す~   作:九泉

53 / 111
第53話 霧が晴れる時

 セレスの放った『テンペスト・バースト』が、世界を覆っていた白濁の帳を根こそぎ吹き飛ばした。

 視界が開ける。

 そこには、これまで見えざる死神として蒼介たちを死の淵まで追い詰めていた怪物の姿が、無残なまでに晒されていた。

 

 全長五メートルを超える巨大なカマキリ。

 半透明だった体表は、衝撃波のダメージで制御を失い、不快な緑と茶色のまだら模様を浮かび上がらせている。

 複眼からは青黒い体液が垂れ、感覚器官である触角は千切れ飛び、自慢の二対の鎌も痙攣するように震えていた。

 聴覚と振動感知を頼りにしていた捕食者が、至近距離での爆音と衝撃波によって感覚を焼き切られ、完全なるパニックに陥っていたのだ。

 

「ギ……ギッ、ギチチ……ッ!」

 

 怪物は苦悶の声を漏らしながら、よろめくように後退する。

 その動きには、先ほどまでの優雅で冷徹な殺し屋の面影は微塵もない。

 だが、腐っても階層主。

 生存本能が働いたのか、怪物は残った力を振り絞り、体表の色を変化させ始めた。

 周囲の石壁の色に溶け込み、再び姿を隠そうとしているのだ。

 この期に及んで、まだ逃げ延びようというのか。

 

「――逃がすかよッ!」

 

 蒼介は吼えた。

 ボロボロのナイフを逆手に持ち直し、腰のポーチからある物を取り出す。

 それは、発光苔の抽出液を封入したガラス管だった。

 本来は暗闇での目印に使うものだが、今はこれが最大の武器になる。

 

 蒼介はガラス管を砕き、中の粘り気のある発光液をナイフの刃にたっぷりと塗りたくった。

 青白く、毒々しいほどの光を放つ刃ができあがる。

 

「セレス、合わせろ!」

「承知!」

 

 蒼介は【迅速(ブースト)】を発動させる。

 全身の筋肉が軋みを上げて悲鳴を上げるが、ナノマシンが強制的に痛覚信号を遮断する。

 地面を蹴り、石壁と同化しかけている怪物へと肉薄する。

 

 怪物は蒼介の接近に気づき、反射的に鎌を振るう。

 だが、感覚を失った今の攻撃は、あまりにも大振りで雑だった。

 風圧だけで軌道が読める。

 

「遅えんだよ!」

 

 蒼介は鎌の軌道を最小限の動きで見切り、懐へと滑り込む。

 そして、発光液を塗ったナイフを、怪物の胸部の隙間――関節の繋ぎ目めがけて思い切り投げつけた。

 

 ザシュッ!

 

 ナイフが深々と突き刺さる。

 同時に、傷口から溢れ出した発光液が、怪物の体表に飛び散った。

 

「ギアアアアッ!?」

 

 怪物が悲鳴を上げる。

 どれだけ体色を変化させようとも、突き刺さったナイフと、その周囲に広がる青白い蛍光塗料の輝きまでは消せない。

 薄暗い回廊の中で、その光は敵の位置を指し示す的となった。

 もはや、霧も迷彩も通用しない。可視化された獲物がそこにいた。

 

「そこかッ!」

 

 セレスが動く。

 彼女の碧眼が、蒼介の作り出した一点の光を捉えて離さない。

 槍に魔力を込める。

 これまでの鬱憤を晴らすかのような、雷光を纏った穂先が唸りを上げて空気を切り裂く。

 

「我が一撃は雷! 闇を裂き、悪を穿て!」

 

 セレスの突きは、怪物の右腕――巨大な鎌の付け根にある関節部へ吸い込まれるように突き刺さった。

 硬い甲殻に覆われた胴体ではない。

 可動域を確保するために装甲が薄くなっている、その一点。

 

 バヂヂヂヂッ!

 

 槍から放たれた雷撃が、関節内部の神経と筋肉を焼き尽くす。

 嫌な肉の焼ける臭いと共に、怪物の右腕がぐらりと傾き――そして、自重に耐えきれずにボトリと地面に落ちた。

 

「ギ……ギッ……!?」

 

 最大の武器を失った怪物が、信じられないものを見るように、失った腕の断面を見下ろす。

 だが、蒼介たちはそんな感傷に浸る隙など与えない。

 

「畳み掛けるぞ、セレス!」

「おおおッ!」

 

 ここからは、一方的な蹂躙だった。

 蒼介は怪物の背後に回り込み、膝裏の関節を別のナイフで切り裂いて機動力を奪う。

 体勢を崩して倒れ込んだところへ、セレスの容赦ない追撃が入る。

 

「ハァッ!」

 

 裂帛の気合いと共に、左の鎌も雷撃を纏った斬撃によって切断された。

 六本の脚のうち攻撃を担う二本がへし折られ、後脚の一本も機能不全。もはや怪物は芋虫のように地面を這いずるしかない。

 かつて多くの冒険者を恐怖のどん底に叩き落とした音なき捕食者の無様な末路。

 大鎌を失った死神など、ただの巨大な虫ケラに過ぎない。

 

「これで……終わりだ」

 

 セレスが槍を高く掲げる。

 その穂先に、残った魔力の全てを収束させる。

 

「砕け、散れッ!!」

 

 落雷のような一撃が、怪物の頭部を貫いた。

 断末魔の叫びすら上げることなく、怪物の動きがピタリと止まる。

 数秒の静寂の後、その巨体は光の粒子となって崩れ去り、後には巨大な魔石と、鎌の一部であった鋭利な素材だけが残された。

 

 ハァ……ハァ……ハァ……。

 

 荒い息遣いだけが、回廊に響く。

 蒼介はその場にへたり込み、セレスは槍を杖にして体を支えた。

 心臓が早鐘を打っている。

 全身から噴き出る汗が、冷たい空気の中で湯気となって立ち上る。

 

「……やったな」

 

 蒼介の声は掠れていた。

 

「ああ……終わった」

 

 セレスが汗に濡れた前髪を払いながら、疲労と安堵の入り混じった笑みを浮かべる。

 蒼介もまた、全身の力が抜けていくのを感じた。

 ナノマシンの【自己修復(リペア)】が限界を超えて稼働しており、身体中が熱を持って痛む。

 勝った。

 だが、紙一重だった。

 もしセレスの魔法が少しでも遅れていれば。もし蒼介の賭けが外れていれば。

 今頃、首を失くして地面に転がっているのは自分たちの方だっただろう。

 

「……慢心は、死に直結するな」

「全くだ。格上相手に、情報の優位性まで取られていてはな」

 

 二人は顔を見合わせ、苦い笑みを浮かべた。

 この勝利は誇れるものではない。

 

 泥臭く、不格好で、運に助けられた辛勝だ。

 だが、生き残った。今はそれだけで十分だ。

 

「……そうだ、エリーズ!」

 

 蒼介は弾かれたように顔を上げた。

 あの石柱の空洞に隠した生存者のことを思い出したのだ。

 先ほどの衝撃波は、方向こそ調整したが、かなりの余波があったはずだ。

 崩落していなければいいが。

 

「行こう、セレス」

「ああ」

 

 二人は痛む体を引きずり、瓦礫の山となった空洞へと急いだ。

 入り口の石柱は先ほどの戦闘で吹き飛んでいたが、奥の狭い隙間は奇跡的に無事だった。

 

「おい、エリーズ! 終わったぞ! 出てきていい!」

 

 蒼介が声をかけるが、返事はない。

 ただ、静寂だけが返ってくる。

 まさか。

 嫌な予感が脳裏をよぎり、蒼介は瓦礫を乗り越えて奥へと進んだ。

 【探知(サーチ)】を向ける。生体反応はある。だが、微弱だ。

 

 薄暗い隙間の最奥。

 そこに、エリーズはいた。

 膝を抱え、小さく丸まったまま動かない。

 ローブは埃まみれで、その体は小刻みに震えているようにも見えた。

 

「エリーズ!」

 

 蒼介が駆け寄り、肩に手を置く。

 反応がない。

 慌てて首筋に指を当て、脈を確認する。

 ……トクン、トクン。

 弱々しいが、確かに脈打っている。外傷が増えた様子もない。

 

「……気を失っているだけだ。極度の緊張と恐怖で、限界だったんだろう」

 

 蒼介の言葉に、背後から覗き込んでいたセレスが長く息を吐いた。

 その場に崩れ落ちそうなほどの安堵が、彼女の表情を緩ませる。

 

「よかった……。彼女まで失っては、我々の勝利も虚しいものになるところだった」

「全くだ。……こいつは、俺が運ぶ」

 

 蒼介はエリーズの背中に手を回し、抱え上げようとした。

 だが、疲労困憊の身体には、華奢な女性一人とはいえ重労働だ。

 よろめいた蒼介を、セレスが支える。

 

「無理をするな。私も手を貸そう」

「いや、お前は周囲の警戒を頼む。まだ他の魔物がいないとも限らない」

「しかし……」

「それに、ポータルまではそう遠くないはずだ。……リリア、道案内を頼めるか?」

 

 腰のペンダントに問いかけると、リリアの優しい声が返ってきた。

 

『ええ、お任せください。魔力の流れを感じますわ。この回廊を抜けた先に、地上へ繋がる転移門の反応があります。……お二人とも、本当によく頑張りましたわね』

「お褒めに預かり光栄だよ、王女様」

 

 蒼介はエリーズを背負い直すと、一歩一歩、確かめるように歩き出した。

 背中の温かさが、彼らに「守りきった」という実感を与えてくれる。

 ズシリと重い命の重さ。

 だが、それは『銀の翼』の他のメンバーが背負うはずだった重さでもある。

 自分たちだけが生きて帰る罪悪感が、胸の奥でチクリと痛んだ。

 

 帰り道、二人の会話は少なかった。

 ただ、瓦礫を踏みしめる足音だけが響く。

 霧の晴れた回廊は、皮肉なほど静かで、古代遺跡特有の荘厳な美しさを湛えていた。

 先ほどまで死闘を繰り広げていた場所とは、とても思えない。

 

「……なぁ、セレス」

 

 沈黙を破ったのは、蒼介だった。

 

「なんだ」

「あの時、よく俺の無茶苦茶な作戦に乗ってくれたな。正直、断られるかと思ったぞ」

 

 至近距離での範囲魔法ぶっ放し作戦のことだ。

 一歩間違えれば自爆しかねない、狂気の沙汰だった。

 騎士としての矜持を持つ彼女なら、もっと正攻法を望むかと思ったのだ。

 

 セレスは歩きながら、ふっと小さく笑った。

 横顔に、信頼の色が浮かぶ。

 

「断るわけがないだろう。貴様はいつだって、口では減らず口を叩きながらも、最善の道を示してきた」

「買いかぶりすぎだ」

「いいや。私は貴様のその邪道と、泥臭い覚悟を信頼している。……相棒としてな」

 

 セレスの真っ直ぐな言葉に、蒼介は気恥ずかしくなって鼻を鳴らした。

 

「……へいへい。そいつは光栄だね、騎士様」

 

 照れ隠しの軽口。

 だが、その口元が緩んでいるのを、セレスは見逃さなかっただろう。

 リリアもまた、ペンダントの中で微笑ましげに二人のやり取りを見守っている気配がした。

 

『ふふっ。お二人とも、素直じゃありませんこと』

「うるせえ、装飾品」

「黙って道案内をしろ、幽霊」

 

 三人の間に、柔らかな空気が流れる。

 死線を潜り抜けた者同士にしか分からない、奇妙な連帯感。

 それが、疲れ切った身体を前へと突き動かす原動力となっていた。

 

 やがて、回廊の先に、淡い青色の光が見えてきた。

 転移門だ。

 地上へ、安全な場所へと繋がる、希望の光。

 

「着いたな……」

 

 蒼介は足を止め、眩しそうに目を細めた。

 背中のエリーズは、まだ規則正しい寝息を立てている。

 この光をくぐれば、もう戦わなくていい。

 泥のような眠りと、温かい食事が待っている。

 

「帰ろうぜ」

「ああ」

 

 セレスが頷く。

 蒼介はエリーズを背負い直す。

 その一歩を踏み出す。

 

 青白い光が、三人の体を包み込んでいく。

 重力がふわりと消え、景色が歪む。

 第21層【濃霧と幻影の回廊】。

 多くの冒険者を飲み込んだ死の階層から、彼らは生きて帰還したのだ。

 

 意識が光の中に溶けていく寸前、蒼介は最後にもう一度だけ、振り返りたくなった。

 だが、振り返らない。

 後ろには死者の無念しかない。

 俺たちは、生きている者のために前へ進む。

 

 光の奔流が、彼らを地上へと運び去っていった。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。