異邦人と大迷宮~現代ダンジョンシーカーは、スキルと知恵で異世界迷宮の果てを目指す~ 作:九泉
一夜明けて、テルスの街には穏やかな朝の光が降り注いでいた。
宿の窓から差し込む日差しに目を細めながら、蒼介は重い身体を起こした。
昨夜の祝勝会――という名の、ただのやけ食いと深酒――の代償が、頭の芯に残る鈍い痛みとして主張している。
だが、それ以上に心地よい疲労感があった。
生きて朝を迎えられたという事実が、何よりも尊い。
(……さてと。行くか)
顔を洗い、装備を整える。
鏡に映る自分は、相変わらず冴えない東洋人の顔つきだが、その瞳には以前のような諦観だけでなく、微かな光が宿っているように見えた。
今日はギルドからの呼び出しがある。
昨日の今日だ。報告の追加確認か、あるいは報酬の受け渡しか。
いずれにせよ、あの地獄のような霧の回廊での出来事に、一区切りをつける時だった。
宿の一階に降りると、既にセレスが待っていた。
彼女はいつもの銀の鎧ではなく、ラフな麻のシャツと革のズボンという軽装だった。
それでも、凛とした立ち姿からは騎士特有の気品が滲み出ている。
「おはよう、ソウスケ。顔色が悪いぞ」
「飲みすぎたんだよ。お前こそ、随分とさっぱりしてるな」
「私は嗜む程度しか飲まんからな。それに、今日は大事な日になるかもしれん」
セレスは意味深に微笑むと、先に立って歩き出した。
腰のペンダントが小さく揺れ、リリアの声が脳内に響く。
『おはようございます、ソウスケさん。昨夜の寝言、面白かったですわよ。「肉……もっと肉を……」って』
(……聞かなかったことにしてくれ)
軽口を叩きながら、三人は冒険者ギルドへと向かった。
朝のギルドは、これから迷宮へ潜る冒険者たちでごった返していた。
装備の点検をする音、パーティメンバーを探す声、依頼書の条件を確認する真剣な眼差し。
熱気と活気に満ちたその空間に入った瞬間、周囲の視線が一斉に蒼介たちに集まった。
「おい、あれだろ……」
「ああ、『霧殺し』の二人組だ」
「30層の主を狩ったって……」
ひそひそとした囁き声が、さざ波のように広がっていく。
これまでは「魔法が使えない奇妙な男」という、色物扱いだった視線が、今は畏敬と好奇心を含んだものに変わっている。
居心地が悪いような、少し誇らしいような、複雑な気分だ。
「カミヤ様、セレスティーナ様。ギルドマスターがお待ちです。奥の応接室へどうぞ」
受付嬢が恭しく頭を下げ、カウンターの奥へと案内する。
通されたのは、昨日は入れなかったギルドの深部にある重厚な扉の前だった。
中に入ると、執務机の向こうでギルドマスターが書類に目を通していた。
彼は顔を上げると、ニヤリと笑みを浮かべた。
「来たか。待っていたぞ」
「呼び出しとは穏やかじゃねえな。昨日の報告に不備でもあったか?」
蒼介が尋ねると、ギルドマスターは首を振って立ち上がった。
「いや、報告は完璧だ。『銀の翼』の件も、生存者の証言と一致している。今日呼んだのは、別の用件だ」
彼は机の引き出しから、二つの小さな包みを取り出した。
そして、それを蒼介とセレスの前に滑らせる。
「開けてみろ」
促されるまま、蒼介は包みを開いた。
中に入っていたのは、新しい認識票だった。
これまで首から下げていた鈍い銅色のものではない。
照明の光を反射して、鋭く輝く銀色の金属板。
「こいつは……」
「昇格だ。おめでとう、二人とも」
ギルドマスターが厳かに告げた。
「本日付で、君たちを『銀級』冒険者として認定する」
銀級。
それは、このテルスの街で一人前として認められた証であり、中層以降の攻略を許可される資格でもある。
「マジかよ……。手続きとか試験とか、あるんじゃないのか?」
「通常ならな。だが、君たちの実績は既に試験のレベルを超えている」
ギルドマスターは指を折りながら数え上げた。
「第10層の主、『大鎧百足』の討伐。第20層の主、『古の森の守護者』の討伐。そして今回、第30層の主、『サイレント・ストーカー』の討伐」
「……立て続けだな、こうして聞くと」
「全くだ。ギルドの歴史を見ても、これほど短期間で三体の階層主を、それも二人だけで討伐した例はない。実力は疑いようもない」
蒼介は古い銅のタグを外し、銀のタグを首にかけた。
冷たい金属の感触が、新たな責任と共に胸元に収まる。
「さて、手続き上、古いタグは回収させてもらうぞ」
ギルドマスターが手を差し出す。
蒼介は外した銅のタグを渡した。
続いて、セレスも自分のタグを外して渡そうとする。
「……ん?」
蒼介の目が、セレスの手元にあるタグに釘付けになった。
思わず、間の抜けた声が出た。
セレスが持っていたのは、自分と同じ、鈍い輝きを放つ銅色のプレートだったのだ。
「……おい、セレス」
「なんだ?」
「お前……今まで『銅級』だったのか?」
蒼介の問いに、セレスはきょとんとした顔で首を傾げた。
「そうだが? 何か問題があるか?」
「大ありだよッ! お前、めちゃくちゃ強いじゃねえか! 剣も魔法も使えて、身体能力も高くて、実戦経験もある! なんで銅級なんだよ!?」
蒼介はてっきり、彼女は元々銀級の実力者で、何らかの理由でソロ活動をしていたのだと思っていた。
あのオーガを瞬殺した剣技。
迷宮内での立ち回り。
どれをとっても、初心者の域ではない。
「……ああ、それか」
セレスは少し決まりが悪そうに視線を逸らした。
「実力には自信があったが……私は実戦経験が騎士団でのものだったからな。冒険者としては登録したばかりだったのだ」
だが、それにしても実力とランクが乖離しすぎている。
蒼介は頭を抱えた。
(待てよ……。こいつが銅級ってことは……)
冷静に考えてみる。
セレスの戦闘能力は、現代のシーカー基準で言えば、間違いなくAランクに近い。
少なくとも、B+はある。
その彼女が、この世界では「銅級」という底辺に近い枠に収まっていた。
ということは。
(金級、ましてや白金級ってのは……一体どれだけ化け物揃いなんだ?)
背筋に冷たいものが走った。
もし、ランクの基準がセレスの実力をベースに設定されているとしたら、上位の冒険者は現代のS級シーカーすら凌駕する可能性がある。
S級といえば、国家戦略級の戦力として扱われるような連中だ。
そんなのがゴロゴロいる世界なのか、ここは。
『ふふっ。ソウスケさん、顔が引きつってますわよ』
リリアが面白そうに茶化してくる。
(笑い事じゃねえよ。俺、とんでもない魔境に放り込まれたんじゃないか?)
自信満々だった「B-ランク」という肩書きが、急にちっぽけなものに思えてきた。
魔法という理不尽な力が支配するこの世界で、現代兵器も魔法も持たない自分が、どこまで通用するのか。
銀級への昇格は嬉しいが、それは同時に、より深い絶望への入り口に立っただけなのかもしれない。
「どうした、ソウスケ? そんなに青い顔をして」
「……いや、なんでもない。ただ、上には上がいるんだなって痛感しただけだ」
蒼介は力なく笑った。
慢心するなとはよく言ったものだ。
自分の立ち位置を見誤れば、次は間違いなく死ぬ。
改めて気を引き締め直す必要があった。
そんな蒼介の内心を知ってか知らずか、二人に銀色のタグを渡すギルドマスター。
セレスが感極まったように、銀のタグを握りしめた。
その手が震えている。
「銀級……。ついに、ここまで……」
「嬉しそうだな、セレス」
「当然だ! これはエッケハルト家の名誉を取り戻すための、第一歩なのだからな」
彼女にとって、冒険者としてのランクは家名の復興に直結する重要な要素なのだ。
これまでの苦労が報われた瞬間なのだろう。
蒼介もまた、新しいタグの重みを感じていた。
元の世界ではB-ランクだった。
こちらの世界で屈辱を感じなかったと言えば嘘になる。
だが、自分のやり方で、知恵とスキルで、ここまで這い上がってきた。
その証明が、この銀色の輝きだ。
「……ありがたく受け取っておくよ」
「ま、何はともあれ銀級だ。これで依頼の幅も広がるし、報酬も上がる」
ギルドマスターが明るい声で空気を変えた。
「君たちには期待している。特に、この大迷宮の攻略において、君たちは希望の星だ。頼んだぞ」
「へいへい。プレッシャーかけないでくれよ」
蒼介は肩をすくめ、セレスと共に応接室を後にした。
ホールに戻ると、再び視線が集まった。
だが今度は、二人の胸元に輝く銀色のタグに注目が集まっているのがわかった。
「おい見ろ、銀だぞ」
「昇格したのか! すげえ……」
「もう銀かよ。やるなぁ」
感嘆の声が上がる。
セレスはこれ見よがしに胸を張り、金髪を揺らして堂々と歩いている。
その表情は晴れやかで、自信に満ち溢れていた。
エッケハルト家の誇りを取り戻しつつある彼女の姿は、素直に美しいと思えた。
「……目立つな」
「良いことではないか。実力が正当に評価されたのだ。胸を張れ、ソウスケ」
「俺は目立つの嫌いなんだよ。面倒事も増えるしな」
そうぼやきながらも、蒼介の口元も緩んでいた。
認められるというのは、やはり悪い気分ではない。
この異世界に来て、右も左もわからず、孤独と恐怖に震えていた日々。
それが今、確かな形となって報われたのだ。
「……そういえば、報酬の査定も終わっていると言っていたな」
「ああ、受付で受け取ってくれとのことだ」
二人はカウンターへ向かった。
受付嬢が満面の笑みで迎えてくれる。
「おめでとうございます、お二人とも! こちらが今回の報酬と、昇格祝いの特別手当です!」
渡された革袋はずっしりと重かった。
中を確認すると、金貨が何枚も入っている。
これまでの日銭を稼ぐような依頼とは桁が違う。
「……すげえ額だな」
「階層主の素材と魔石が高値で売れましたからね。それに、『銀の翼』の捜索依頼の達成報酬も上乗せされています」
金の重みは、命の重みだ。
これを使って、装備を整え、消耗品を補充し、また死地へと向かう。
冒険者という稼業のサイクルを、蒼介は改めて実感した。
「さあ、ソウスケ。これで美味いものでも食べに行こう。昨日は飲みすぎたと言っていたが、祝い酒は別腹だろう?」
「お前なぁ……まあ、いいか。今日は奢ってやるよ」
「本当か! では、一番高いステーキを頼んでもいいか?」
「……手加減しろよ」
はしゃぐセレスを見ながら、蒼介は苦笑した。
この日常を守るために、戦っているのかもしれない。
ギルドを出ようとした時、ふと掲示板に目が留まった。
そこには、銀級以上の冒険者向けの高難度依頼が張り出されている。
『第31層以降の環境調査』
『スタンピードの予兆観測』
『新種モンスターの討伐』
どれも一筋縄ではいかない、危険な匂いのする依頼ばかりだ。
(……銅級からの卒業、か)
それは、守られる立場から、守る立場への変化を意味している。
これからは、自分たちが先頭に立って、この未踏の大迷宮を切り拓いていかなければならない。
その責任の重さに、武者震いがした。
『ソウスケさん。私たちなら、きっとどこまででも行けますわ』
リリアの言葉が、背中を押してくれる。
そうだ。一人じゃない。
頼れる相棒たちがいる。
「……ああ」
蒼介は掲示板から視線を外し、眩しい太陽の下へと歩き出した。
銀色のタグが、陽光を反射してきらりと光る。
しかし、彼らはまだ知らない。
銀級への昇格が、単なる名誉ではなく、より過酷な運命への招待状であることを。
第31層から始まる「中層」。
そこは、浅層とは比較にならない絶望と、世界の根幹に関わる秘密が眠る領域だ。
今はただ、束の間の勝利と栄光を噛み締めよう。
次なる戦いの幕が上がる、その時まで。