異邦人と大迷宮~現代ダンジョンシーカーは、スキルと知恵で異世界迷宮の果てを目指す~ 作:九泉
冒険者という生き物は、安息よりも先にまず腹を満たし、喉を潤さなければ気が済まない因果な商売だった。
「……乾杯」
「乾杯だ!」
木のジョッキがぶつかり合い、琥珀色の液体が波打つ。
冒険者ギルドに併設された酒場は、今日も今日とて荒くれ者たちの熱気でむせ返るようだった。
あちこちで武勇伝が語られ、明日への不安を掻き消すように笑い声が響く。
そんな喧騒の中、隅のテーブル席で、蒼介とセレスは向かい合っていた。
「ぷはっ! やはり仕事の後のエールは格別だな!」
セレスが豪快にジョッキの半分を一息で煽り、満足げに息を吐く。
銀色の鎧は宿に置いてきており、今は動きやすいチュニック姿だ。それでも、隠しきれない気品と、戦士特有の引き締まった空気が彼女を際立たせている。
周囲の視線がちらちらとこちらに向くのは、彼女の美貌だけでなく、二人の胸元に輝く真新しい銀色のタグのせいだろう。
「お前、本当に飲むよな……」
「何を言う。今日は『銀級』としての任務を無事に終えた祝いだ。飲まずにいられるか」
蒼介は苦笑しながら、自分のジョッキをちびりと舐める。
【濃霧と幻影の回廊】での死闘。
姿の見えない処刑人とのギリギリの戦い。
そして、銀級になってからのギルドの依頼。
思い出すだけで胃が痛くなるような経験だったが、終わってみればそれも酒の肴だ。
「それにしても、銀級か……」
蒼介は掌にある銀のタグを指先で弾いた。
澄んだ金属音が、喧騒の中に微かに響く。
「実感が湧かんか?」
「まあな。俺にとっちゃ、ランクなんて飾りみたいなもんだと思ってたからな」
「飾り、か。だが、その飾りが持つ意味は重いぞ。特にこれからはな」
セレスの表情が、ふと真面目なものに変わる。
彼女はフォークで皿の上の肉料理――雌鶏の香草焼き――を突きながら、声を潜めた。
「私たちは第30層まで攻略を進めた。だが、次の第31層からは世界が変わる。『中層』だ」
「ああ。浅層とは隔絶した難易度になるって話だな」
大迷宮は10階層ごとに様相を変える。
第1層からの洞窟、第11層からの大樹、第21層からの霧。
そして、第31層。
未だ多くの冒険者を拒み続ける、魔の領域。
「情報屋から軽くさわりだけ聞いた話じゃ、環境そのものが殺しに来る場所らしいな」
「適応能力が問われるということか。単純な剣技や魔法の威力だけでは通じない、と」
「俺はあの霧以上ってのがにわかに信じられんがね」
「そうだな……」
セレスが眉間に皺を寄せる。
彼女は真っ向勝負を得意とする騎士だ。絡め手や、理不尽な環境ギミックは苦手な部類に入るだろう。
だが、今の彼女には蒼介がいる。
「ま、なんとかなるさ。今までだって、泥臭く生き残ってきたんだ」
「ふふ、そうだな。お前の泥臭い知恵には、何度も助けられている」
セレスが珍しく素直に微笑む。
その笑顔に、蒼介は少しだけ居心地の悪さを感じて視線を逸らした。
『あら、ソウスケさん。照れてますの?』
脳内に直接響くリリアの声。
腰のポーチに入れたペンダントから、彼女もまた会話に参加していた。
「照れてねえよ。事実を言っただけだ」
『ふふっ。でも、セレスさんの言う通りですわ。第31層……私の記憶が確かなら、そこはあの大迷宮の中でも特に異質な場所。心してかからねばなりません』
リリアの声色が少し沈む。
彼女の故郷、アルストロメリア王国。
500年前に滅びたその国が、第31層に関係しているかもしれないという話は、以前から聞いていた。
「リリア。お前の記憶、少しは戻ったか?」
「?」
小声で腰に話しかける蒼介を、セレスが不思議そうに見る。
蒼介は「リリアと話してる」とジェスチャーで伝えた。
『……まだ、断片的ですわ。でも、水の音……冷たくて、静かな水の底……そんなイメージが、頭から離れないのです』
(水、か……)
蒼介は無意識に、現代日本でのシーカー時代を思い出していた。
彼が巻き込まれた現代ダンジョン『エリア・アクア』。
そこもまた、水に支配された迷宮だった。
「……水中戦の準備が必要になるかもな」
「水中? 第31層がか?」
「ああ。リリアの記憶と、俺の勘だ。水没した都市……そんな場所かもしれん」
セレスは唸り声を上げた。
重い鎧を纏う彼女にとって、水は天敵と言っていい。
「水中か……。私の鎧では沈むだけだな」
「装備の見直しが必要だ。呼吸をどう確保するか、水中での機動力をどうするか。課題は山積みだぞ」
「金がかかりそうだな」
「報酬、たんまり貰っただろ? 散財の時間だ」
蒼介がにやりと笑うと、セレスもつられて笑った。
不安はある。未知への恐怖もある。
だが、それ以上に「攻略してやる」という冒険者としての昂揚感が、今の二人にはあった。
「よし、明日は市場調査だ。とことん準備して、万全の状態で挑むぞ」
「承知した。……だが、その前に」
セレスが空になったジョッキを掲げる。
「もう一杯、付き合え」
「……へいへい。お手柔らかにな」
夜は更けていく。
酒場の灯りは暖かく、仲間の笑顔は眩しい。
この時間が続けばいいと、心のどこかで願いながら、蒼介はグラスを傾けた。
*
宿に戻ったのは、日付が変わる頃だった。
セレスは千鳥足になりながらも、騎士の威厳を保とうと背筋を伸ばして自室へと消えていった。
蒼介も自分の部屋に入り、ベッドに倒れ込む。
アルコールが回り、思考が心地よく鈍麻している。
『飲みすぎですわよ、ソウスケさん』
サイドテーブルに置いたペンダントから、呆れたような声がする。
「……たまにはいいだろ。生きてる実感を得るためなんだ」
『そうですけど……。あまり無理はなさらないでくださいね』
リリアの優しさが、酔った頭に染み渡る。
蒼介は天井を見上げた。
木の節穴が、暗闇の中で目のように見える。
(銀級、か……)
ランクが上がれば、期待される役割も大きくなる。
責任も増える。
失敗は許されなくなる。
それは、かつて現代日本で感じていたプレッシャーと同じ種類のものだった。
(……やめよう。今は寝るんだ)
嫌な思考を振り払うように、蒼介は目を閉じた。
ナノマシンがアルコールを分解し始めているのか、急速に眠気が襲ってくる。
意識が深淵へと沈んでいく。
その微睡みの中で、ふと、懐かしい匂いがした気がした。
火薬と、オイルと、安っぽいタバコの混じった匂い。
そして、聞き慣れた、今はもう聞くことのできない声。
――よう、神谷。またシケた面してんのか?
懐かしい夢の入り口だった。
◆ ◆ ◆
目が覚めると、そこは灰色の空の下だった。
見慣れた高層ビル群。アスファルトの匂い。遠くで聞こえる電車の走行音。
現代日本。東京の、とある一角。
蒼介は、ボロボロの雑居ビルの屋上に立っていた。
いや、立っているのは「今の」蒼介ではない。
少し若く、目つきも今ほど鋭くなく、どこか希望に満ちた顔をした、過去の神谷蒼介だ。
「おい、神谷! 遅いぞっ!」
元気な声が背中を叩く。
振り返ると、そこにはショートカットの女性が立っていた。
タンクトップの上にタクティカルベストを羽織り、腰には二丁の大型拳銃を下げている。
勝気そうな瞳と、健康的な小麦色の肌。
「……
無意識に名前を呼んでいた。
彼女は、
蒼介がまだ
「なんだよ、人の顔見てボケっとして。まさかビビってんのか?」
「馬鹿言え。イメージトレーニングしてたんだよ」
「はいはい、インテリぶるのは神谷の悪い癖だぞー」
ケラケラと笑う皐月の横から、ぬっと巨大な影が現れる。
身長2メートル近い巨漢。
全身を重厚なプロテクターで固め、背中には身の丈ほどもある大盾を背負っている。
「まあ待て、皐月。神谷なりに気合を入れてるんだろ」
野太いが、温かみのある声。
パーティのリーダーであり、守りの要であるタンク、
「杜野さん……」
「おう。準備はいいか? 今日はいよいよ、本番だぞ」
杜野がニカっと白い歯を見せて笑う。
そうだ。
今日は、ただの探索じゃない。
俺たちにとって、運命の分かれ道となる日だ。
「B-ランク昇格試験……。長かったな」
「ああ。C級でくすぶってた俺たちが、やっとここまで来たんだ」
当時、現代ダンジョンのシーカーランクは厳格だった。
Eから始まり、D、Cと上がっていくが、CとBの間には巨大な壁がある。
B級以上は「プロ中のプロ」として認められ、報酬も待遇も桁違いになる。
だが、その昇格試験は過酷で、死亡率も高いことで知られていた。
「へへっ、アタシらがB級になったら、まずは何する? アタシは新しい銃を買うね! あの最新式の魔導ライフル!」
「俺は……実家のリフォームかな。親父の腰が悪くてな」
「杜野は相変わらず所帯じみてるなぁ。神谷は?」
二人の視線が集まる。
夢の中の蒼介は、少し照れくさそうに鼻を擦った。
「俺は……まあ、美味いもんでも食いに行くよ。三人で」
「しっけてるー! でもまあ、悪くないか!」
皐月がバンと背中を叩く。
痛いが、心地よい痛みだ。
この三人なら、どこまでも行ける気がした。
杜野の鉄壁の守り、皐月の爆発的な火力、そして俺の索敵と遊撃。
バランスの取れた、最高のパーティだという自負があった。
「よし、そろそろ時間だ。行くぞ」
杜野の号令で、三人はビルの屋上から、眼下に広がる封鎖区域――ダンジョンの入り口へと向かう。
空はどんよりと曇っていたが、俺たちの心は晴れやかだった。
今回の試験会場となるダンジョンは、コードネーム『鉄錆』。
かつての地下鉄網と地下街がダンジョン化し、複雑に入り組んだ金属とコンクリートの迷路と化している場所だ。
ターゲットは、最深部に巣食うボスモンスターの討伐。
湿っぽい風が吹き抜ける地下通路を、三人は慎重に進んでいた。
「【
「了解。皐月、やれるか?」
「任せなッ!」
蒼介の報告を受け、皐月が飛び出す。
彼女は壁を蹴って跳躍し、空中で二丁拳銃を構えた。
瓦礫の陰から飛び出してきたのは、金属質の皮膚を持つ「スクラップ・ラット」。
小型だが、その牙は鉄骨すら噛み砕く。
――ダァン! ダァン!
乾いた銃声が二発、ほぼ同時に響く。
ラットの眉間に正確に風穴が開き、二匹は同時に絶命した。
「ヒューッ! さすがだな」
「これくらい朝飯前よ!」
着地した皐月が、銃をくるくると回してホルスターに収める。
無駄のない動き。
日々の訓練と、数え切れないほどの実戦が培った技だ。
「油断するなよ。奥に行くほど敵は強くなる」
「わかってるって、杜野。神谷がいる限り、不意打ちは食らわないしね」
信頼されている。
その事実が、蒼介の背中を押す。
シーカーは皆、ナノマシンを体内に取り入れている。
そのためシーカーであれば同じスキルを使えるのだが、やはり人間得手不得手がある。
俺の場合【
だが俺の【
俺が誰よりも早く敵を見つけ、杜野が受け止め、皐月が撃ち抜く。
この黄金パターンがある限り、俺たちは負けない。
「順調だな。このペースなら、予定より早くボス部屋に着きそうだ」
「ああ。だが、慢心は禁物だ。最後まで気を抜くな」
杜野が戒めるが、その声にも自信が滲んでいた。
事実、俺たちは強かった。
C級シーカーの中では頭一つ抜けた実力を持っていたし、これまでの実績も十分だ。
今日の試験は、その確認作業のようなものだとすら思っていた。
地下鉄の線路跡を進む。
錆びついた電車が放置され、蜘蛛の巣のような蔦が絡みついている。
不気味な光景だが、恐怖はない。
隣には頼れる仲間がいる。
「神谷、右の通路はどうなってる?」
「待ってくれ……【
「よし、左だ。先導頼む」
「了解」
的確な判断。スムーズな進行。
何もかもが上手くいっていた。
上手くいきすぎていたのかもしれない。
数時間の探索の末、三人はついに最深部への扉の前に到達した。
巨大な防火扉のような鉄の門。
その隙間からは、熱気と、焦げ臭い匂いが漏れ出している。
「……ボス部屋だな」
「ああ。データによれば、ここのボスは『火炎狒々』。パワーと炎の範囲攻撃が厄介な相手だ」
事前のブリーフィング通りだ。
対策は練ってある。
杜野が耐熱シールドで炎を防ぎ、俺が撹乱して隙を作り、皐月が冷却魔弾を叩き込む。
シミュレーションは完璧だった。
「みんな、準備はいいか?」
杜野が振り返り、俺と皐月の顔を見る。
俺たちは力強く頷いた。
「いつでもいけるぜ」
「さっさと片付けて、祝杯あげようじゃないか!」
皐月がニッと笑い、親指を立てる。
その笑顔が、ひどく眩しく見えた。
「よし。行くぞ!」
杜野が重い鉄扉を押し開ける。
ギギギ、と錆びついた蝶番が悲鳴を上げ、視界が開ける。
中は、かつての地下変電所のような広大な空間だった。
あちこちでパイプが破裂し、炎が噴き出している。
その中央に、そいつはいた。
体長3メートルを超える、赤毛の巨猿。
四本の腕を持ち、それぞれの手に炎を纏っている。
『火炎狒々』。俺たちの、B級への最後の壁。
「グルルルルゥゥゥ……ッ!!」
侵入者に気づいたボスが、鼓膜を破るような咆哮を上げる。
熱波が肌を焼く。
だが、俺たちは怯まない。
「散開ッ!」
杜野の指示で、三人が弾けるように左右へ走る。
ボスが跳躍し、杜野のいた場所に炎の拳を叩きつける。
爆音と衝撃。
だが、杜野は大盾を構え、その衝撃を真正面から受け止めていた。
「ぐぅ……ッ! 重いな!」
「杜野! そのまま耐えろ!」
皐月が走りながら射撃を開始する。
冷却魔弾がボスの背中に着弾し、白い蒸気を上げる。
「ギャッ!」
ボスが痛みに顔を歪め、ターゲットを皐月に変えようとする。
そこへ、俺が滑り込む。
「こっちだ、デカブツ!」
【
加速した世界で、俺はボスの足元を駆け抜け、膝の裏の腱をナイフで切りつける。
浅いが、注意を引くには十分だ。
「グガァッ!?」
ボスが混乱し、四本の腕を滅茶苦茶に振り回す。
その隙に、杜野が体勢を立て直し、スキル【
完璧な連携。
ボスの攻撃は杜野が防ぎ、俺と皐月が削る。
体力ゲージがあるなら、着実に減っているはずだ。
「いける……! いけるぞ!」
俺の心に、確信めいた高揚感が湧き上がる。
このままいけば勝てる。
そして明日からは、俺たちはB級シーカーだ。
皐月が弾倉を交換しながら、俺にウィンクしてみせた。
杜野が汗だくになりながらも、頼もしい背中を見せている。
最高の瞬間だった。
俺の人生の、絶頂期だったのかもしれない。
――だが。
俺は知っている。
この先に待っている結末を。
これは夢だ。
変えることのできない、残酷な記憶の再生だ。
ボスの動きが変わる。
追い詰められた魔物が、最後の力を振り絞る予兆。
身体が赤熱し、周囲の温度が急激に上昇する。
(やめろ……)
夢の中の、今の俺が叫ぶ。
その先を見るな。
そこで目を覚ませ。
だが、夢の再生は止まらない。
ボスが、自らの命を燃やし尽くす自爆攻撃の構えを取る。
そのエネルギー量は、事前のデータを遥かに超えていた。
ダンジョンの、この階層全体を支える支柱すらも破壊しかねないほどの熱量。
「なっ……なんだ、今の反応は!?」
夢の中の俺が、【
「おい、まずいぞ! こいつ、自爆する気だ!」
「自爆だと!? シールドが保つか……!?」
杜野が盾を構え直す。
だが、遅い。
熱量は臨界点を超えようとしていた。
「神谷! 皐月! 俺の後ろに隠れろッ!!」
杜野の絶叫。
視界が真っ白に染まる。
(ああ、またこれだ)
光の中で、俺は立ち尽くす。
これから起こる惨劇を、ただ見ていることしかできない観客として。
希望が絶望に変わる、その瞬間を。
光が収束し、世界が崩壊を始める。
轟音。
悲鳴。
そして、別れ。
悪夢は、ここからが本番だ。