異邦人と大迷宮~現代ダンジョンシーカーは、スキルと知恵で異世界迷宮の果てを目指す~   作:九泉

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第58話 悪夢・後

 視界が真っ白に染まる。

 それは比喩でもなんでもなく、溢れた光の奔流によるものだった。

 ボスの『火炎狒々』が自らの命脈を絶ち、その心臓たる魔石を暴走させた瞬間に発生した熱量は、Cランクが挑むダンジョンボスが放つ攻撃としてはあまりに規格外だった。

 

「神谷! 皐月! 俺の後ろに隠れろッ!!」

 

 杜野の絶叫が鼓膜を打つ。

 普段の温厚な彼からは想像もつかない、喉が裂けんばかりの怒声だった。

 その声に弾かれたように、蒼介の身体は動いた。思考するよりも早く、ナノマシンが生存本能に従って彼を杜野の背後へと押しやる。

 皐月もまた、蒼介の腕に引かれるようにして巨大な盾の陰へと滑り込んだ。

 

「杜野さん!」

「構うな! 伏せろ!」

 

 直後、世界が爆ぜた。

 轟音という言葉すら生温い。空気が圧縮され、炸裂する衝撃波が、俺たちのいる空間そのものを歪ませるように襲いかかった。

 杜野が展開した防御スキル【城壁(フォートレス)】の淡い光が、暴力的な紅蓮の炎と激突する。

 耐熱コーティングされた合金製の大盾が、瞬く間に赤熱し、溶解していく嫌な音が聞こえた。

 

「ぐ、お、おおおおおおおおおおおおおッ!!」

 

 杜野が苦悶の声を上げながら、両足で地面を踏みしめる。

 コンクリートの床が、彼の重みと圧力で蜘蛛の巣状に砕け散る。

 

「杜野さん! 無理だ、逃げよう!」

 

 蒼介が叫ぶが、自分の声が遠く聞こえる。

 逃げる場所などない。この広大な変電所跡のすべてが、今や灼熱の地獄と化している。

 炎の奔流は数十秒にも感じられたが、実際には数瞬の出来事だっただろう。

 

 だが、本当の悪夢は、爆発そのものではなかった。

 その衝撃が引き金となった、崩落だ。

 

 地下空間を支えていた鉄骨が飴細工のように曲がり、天井の岩盤に亀裂が走る。

 パラパラと小石が落ちてきたかと思った次の瞬間、頭上を覆っていた世界そのものが落下してきた。

 

「――ッ!!」

 

 杜野が顔を上げた。

 彼の顔半分は火傷で焼け爛れ、自慢のプロテクターも溶解している。

 だが、その瞳だけは、まだ死んではいなかった。

 

「……走れ!」

 

 杜野が呟いた。

 そして、崩れ落ちてくる数トンもの巨大な瓦礫の塊を、溶解しかけた盾ごと、その身一つで受け止めようと立ち上がった。

 

「杜野!!」

「行けぇぇぇぇッ!!」

 

 ドゴォォォォォォン!!

 巨大なコンクリート塊が杜野を直撃する。

 だが、彼は倒れない。膝を折り、全身の骨が軋む音を響かせながらも、その背中で俺たちが逃げるためのわずかな隙間を確保していた。

 盾など、もうない。

 彼自身が、最後の盾となっていた。

 

「皐月! 神谷! 逃げろ! ここを抜けろ!!」

 

 血を吐きながらの絶叫。

 それが、リーダーからの最期の命令だった。

 杜野の姿が、土砂と瓦礫に呑み込まれていく。

 伸ばしかけた蒼介の手は、空を切った。

 

「くそっ、くそぉぉぉッ!!」

 

 蒼介は皐月の腕を掴み、走り出した。

 泣いている暇などない。立ち止まれば、杜野の覚悟が無駄になる。

 崩落は連鎖していた。

 まるでダンジョンそのものが、侵入者という異物を排除し、咀嚼しようとしているかのようだった。

 

「ハァッ、ハァッ、ハァッ!」

 

 視界が揺れる。熱気で肺が焼けるようだ。

探知(サーチ)】が狂ったように警報を鳴らし続けている。

 うるさい。わかってる。わかってるんだよ!

 

「神谷! 右よ! 右の通路ならまだ!」

 

 皐月が叫び、先導する。

 彼女の自慢の動体視力と反射神経が、降り注ぐ瓦礫の雨をかいくぐっていく。

 だが、運命は残酷だった。

 出口へと続く通路の手前、かつて線路が敷かれていた場所を横切ろうとした時だ。

 地盤そのものが、大きく傾いた。

 

「きゃあッ!?」

 

 皐月の足場が崩れ去った。

 彼女の身体が、暗い亀裂の中へと滑り落ちていく。

 

「皐月ッ!!」

 

 蒼介は反射的に【迅速(ブースト)】を発動させた。

 限界を超えた加速。筋肉が断裂する音を無視して、地面に身を投げ出し、落下する彼女の手へと指を伸ばす。

 ガシッ。

 指先がかかった。

 蒼介は片手で亀裂の縁にしがみつき、もう片方の手で皐月の手首を掴んでいた。

 

「ぐ、うぅぅ……ッ!!」

 

 重い。

 皐月の身体の重みだけではない。彼女の下半身は、崩れてきた鉄骨と瓦礫に挟まれ、引きずり込まれようとしていた。

 蒼介の腕に、二人分の体重と、瓦礫の圧力がかかる。

 肩の関節が外れそうな激痛。

 

「離すなよ……! 絶対に、引き上げてやる……!」

 

 蒼介は歯を食いしばり、必死に腕を引き寄せようとする。

 だが、ビクともしない。

 それどころか、足場の亀裂はさらに広がり、蒼介自身の身体もずり落ちていく。

 

「……っ、神谷、放して」

 

 下から、皐月の苦しげな声が聞こえた。

 彼女は見上げていた。

 その顔は煤と血で汚れ、いつもの勝気な笑みは消えていた。

 あるのは、覚悟だけ。

 

「何を、言って……! 俺は、お前も、杜野さんも……!」

「無理よ。アンタの【探知(サーチ)】なら、わかってるでしょ?」

 

 ドキリとした。

 そうだ。ナノマシンは冷酷な現実を告げていた。

 皐月の下半身は完全に潰されている。そして、この亀裂の崩落は止まらない。

 今すぐ手を離して、背後の通路へ飛び込まなければ、数秒後には蒼介もろとも圧死する。

 生存確率は、二人なら0%。一人なら50%。

 

「……ふざけんな。ふざけんなよ!」

「バカね。アンタはいつもそう。……優柔不断で、甘ちゃんで」

 

 皐月が、ふっと笑った。

 いつものように、俺をからかう時の顔で。

 彼女の空いている方の手が、腰のホルスターに伸びる。

 

「やめろ……皐月、やめろォォォッ!!」

 

 彼女が何をしようとしているのか、察してしまった。

 蒼介の叫びも虚しく、彼女は愛用の大型拳銃『ブラックホーク』を引き抜き、銃のグリップで俺の手を強打した。

 

 ガツンッ!

 

 激痛に、一瞬だけ力が緩む。

 その隙を、彼女は見逃さなかった。

 自ら、俺の手を振りほどいたのだ。

 

「来るなッ!!」

 

 突き放すような絶叫。

 離れた指先。

 重力に従って遠ざかっていく彼女の姿。

 

「アンタは生きなさい! 生きて、こんなクソみたいな場所、抜け出してやるのよ!」

 

 それが、彼女の最期の言葉だった。

 直後、上層から落下してきた巨大な天井盤が、亀裂を完全に塞いだ。

 

「皐月ぃいいいぃいいいいいいいいいいい!!!!」

 

 蒼介の絶叫は、轟音にかき消された。

 手を伸ばした先には、冷たいコンクリートの壁しかなかった。

 

 その後、どうやって地上へ戻ったのか。

 記憶はひどく曖昧だ。

 ただ、ナノマシンが勝手に身体を動かし、生存ルートを選び取り、泥と血に塗れて這いずり回ったことだけは覚えている。

 泣き叫び、喉が枯れ、それでも死ねなかった。

 仲間二人の命と引き換えに、俺だけが生き残った。

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

「はっ……!?」

 

 蒼介は弾かれたように身体を起こした。

 心臓が早鐘を打っている。

 全身がびっしょりと汗で濡れ、寝間着が肌に張り付いて気持ち悪い。

 荒い呼吸を繰り返しながら、彼は周囲を見渡した。

 

 粗末な木の壁。月明かりが差し込む窓。

 ここは現代日本の安アパートでも、崩壊するダンジョンの中でもない。

 異世界の街、テルスにある宿屋の一室だ。

 

「……またかよ」

 

 掠れた声が出た。

 喉が焼けつくように渇いている。

 蒼介は震える手でサイドテーブルの水差しを掴み、コップに注ぐのももどかしく、そのままラッパ飲みした。

 ぬるい水が食道を流れ落ち、ようやく現実感が戻ってくる。

 

 ――生きなさい。

 

 夢の中で聞いた皐月の最期の言葉が、耳の奥にこびりついて離れない。

 

 あの後、地上へ生還した蒼介を待っていたのは、皮肉な現実だった。

 ボスの討伐認定。

 あの崩壊寸前、ボスの自爆は「討伐」としてカウントされており、その証拠となる素材の一部が、這いずり回った蒼介の装備に偶然付着していたのだ。

 そして、単独での生還。

 協会はそれを「困難な状況下での生存能力」と評価し、神谷蒼介をB-ランクシーカーへと昇格させた。

 

 仲間を捨てて得た、銀色のライセンスカード。

 それを手にした時の吐き気を、今でも鮮明に思い出せる。

 

 一週間後。

 ランク昇格の手続きもそこそこに、蒼介は再びあのダンジョンへと潜った。

 もちろん、二人を探すためだ。

 

 生存の可能性など万に一つもないことは理解していた。

 それでも、せめて遺体だけでも、遺品の一つだけでも連れて帰りたかった。

 

 だが、ダンジョンは変貌していた。

 崩落したエリアはダンジョンの自己修復機能によって取り込まれ、新たな迷路へと書き換えられていた。

 

 かつて仲間が眠ったはずの場所は、ただの冷たい壁になっていた。

 杜野の盾も、皐月の銃も、何一つ残っていなかった。

 彼らはダンジョンの一部となり、文字通り、骨の髄まで消化されてしまったのだ。

 

「……ははっ」

 

 乾いた笑いが漏れる。

 あの時からだ。俺が上昇志向を捨てたのは。

 上を目指せば、また何かを失う。

 身の丈に合わない願いを持てば、代償を払わされる。

 だから、適当に、死なない程度に、のらりくらりと生きていこうと決めた。

 

 はずだったのに。

 

「……何やってんだかな、俺は」

 

 蒼介は膝を抱え、窓の外に広がる異世界の月を見上げた。

 また、誰かとパーティを組んでいる。

 それも、今度は異世界で。

 お姫様の幽霊と、生真面目な女騎士と。

 

 また失うのが怖い。

 夢を見るたびに、その恐怖が胸を締め付ける。

 それでも、一人でいる時の寒さよりは、騒がしい隣人がいる温かさの方を選んでしまっている自分がいる。

 

(俺は、何も変わっちゃいねえな……)

 

 自嘲気味に呟き、蒼介は汗を拭った。

 再び眠れる気はしなかったが、横にならなければ明日の探索に響く。

 リリアやセレスに、寝不足の顔を見せるわけにはいかない。

 

 彼は深く息を吐き、重い頭を枕に沈めた。

 瞼の裏にはまだ、あの日の炎の赤が焼き付いていた。

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