異邦人と大迷宮~現代ダンジョンシーカーは、スキルと知恵で異世界迷宮の果てを目指す~   作:九泉

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第1章 邂逅と覚悟
第6話 天井のある街


 意識は、深く澱んだ水の底からゆっくりと浮上するように覚醒した。

 最初に感じたのは匂いだった。湿った土の匂いと、嗅いだことのない香辛料、そして獣の体臭が混じり合った、むせ返るような生活の匂い。次に聴覚が戻ってくる。多くの人々が行き交うざわめき、どこか遠くで響く金属を打つ音、そして日本語ではない、未知の言語の響き。最後に、全身を打つ鈍い痛みと、背中に感じる硬く冷たい石畳の感触が、彼に現実を突きつけた。

 

(……生きて、いるのか……?)

 

 神谷蒼介は、重い瞼をゆっくりと押し上げた。

 視界に飛び込んできたのは、青い空ではなかった。どこまでも続く、ごつごつとした岩盤。それが、彼の頭上を覆う「天井」だった。天然の洞窟というには、あまりにも広大すぎる空間。発光する苔や、壁に埋め込まれた水晶のような鉱石が、あたりをぼんやりと照らし出している。

 その光景が意味するものを、蒼介の脳はすぐには理解できなかった。「エリア・アクア」の、さらに深層なのだろうか。いや、違う。全身を包んでいたはずの水の感覚がない。酸素供給装置付きのマスクも、ウェットスーツ型のアンダースーツも、いつの間にか失われていた。代わりに身に付けているのは、ダンジョン探索用に改造した、いつものタクティカルスーツだけだ。

 

「……っ!」

 

 蒼介は呻き声を上げながら、ゆっくりと体を起こした。激流に揉まれた体は、まるで大型トラックにでも轢かれたかのように節々が痛む。だが、骨が折れているような致命的な感覚はない。ナノマシンの【自己修復(リペア)】機能が、意識を失っている間に最低限の治療を終えてくれたのだろう。

 

 彼は改めて、自分がいる場所を見渡した。

 そこは、巨大な地下空洞に築かれた、一つの都市だった。

 石や木で組まれた、見たこともない様式の建物が雑然と立ち並んでいる。道行く人々の服装は、まるで中世ヨーロッパの映画から抜け出してきたかのようだ。そして何より蒼介を混乱させたのは、その人々の姿だった。

 屈強な体つきに鋭い角を持つ、牛のような頭部の男。しなやかな体躯に、狐のような耳と尻尾を生やした少女。背は低いが、がっしりとした体つきで長い髭をたくわえた老人。見慣れた人間もいるにはいるが、その多くは「亜人」と呼ばれるにふさわしい、異形の姿をしていた。

 

(なんだ、ここは……? コスプレ会場か? いや、それにしては……生活感がありすぎる)

 

 道端の露店では、見たこともない色の果物や、グロテスクな見た目の干し肉が売られている。人々は奇妙な形の硬貨をやり取りし、活気に満ちた表情で談笑していた。ここは、まぎれもない現実の街だった。

「エリア・アクア」でも、日本でもない、全く未知の場所。

 あの結晶体に触れた瞬間、空間が歪む感覚があった。まさか、転移したとでもいうのか。SFやファンタジーで語られる、陳腐な現象。だが、目の前の光景は、それ以外の結論を許さなかった。

 

 隣で気を失っていたはずの、田中の姿がない。あの後、彼だけは無事に地上へ戻れたのだろうか。それとも、自分と同じようにこの世界へ? いや、今は他人の心配をしている場合ではない。

 蒼介はシーカーとしての本能から、まず自身の状況確認を最優先した。

 腰のホルダーに差したショートソード。ブーツに仕込んだコンバットナイフ。太腿のポーチに入っている、最低限の回復薬と携帯食料。幸い、主な武装とサバイバルキットは残っている。失ったのは、エリア・アクア用の特殊装備だけのようだ。

 そして、最も重要な生命線。

 彼は意識を集中させ、体内のナノマシンにアクセスする。

 

(――システム、オールグリーン。スキル使用、問題なし)

 

 脳内に、機械的な自己診断の結果が流れる。蒼介は、誰にも気づかれないよう、安堵の息を深く吐いた。スキルが使える。ナノマシンは正常に機能している。それさえあれば、たとえどんな場所であろうと、生き残る術はある。この超科学の産物が、このファンタジーゲームのような場所で、どれだけ通用するかは未知数だが、丸腰よりは遥かにマシだった。

 

 ひとまず、これ以上人目につく場所で寝転んでいるのは危険だと判断し、蒼介は壁際まで移動すると、往来を観察しながら今後の行動方針を練り始めた。

 

 第一に、情報収集。ここがどこで、どんな法則で動いている世界なのかを知らなければ、生き残ることも、元の世界へ帰る方法を探すこともできない。

 第二に、生活基盤の確保。日本の金が使えるとは思えない。今日の食料と、安全に眠れる場所を確保するのが急務だ。

 第三に、目立たないこと。この街の住人とは明らかに違う自分の服装や装備は、面倒事を引き寄せる原因になりかねない。

 

(それにしても……言葉がわかるのは、どういう理屈だ?)

 

 先程から聞こえてくる人々の会話は、間違いなく未知の言語だ。それなのに、まるで脳内で自動的に翻訳されているかのように、その意味を正確に理解することができた。

 蒼介は、ある可能性に行き着く。

 ナノマシンだ。シーカー協会がどこからか入手したという、オーパーツ的な技術。その中には、未知の言語に対する翻訳機能が組み込まれていても不思議ではない。実際に、ダンジョン内で発見される古代文明の遺物に刻まれた文字なども、ナノマシンを介することで解読できるケースがあった。便利だから使っているだけで、その全機能など誰も把握していないのだ。

 

(だとしたら、都合がいい)

 

 コミュニケーションが取れるのなら、情報収集のハードルは格段に下がる。

 蒼介は立ち上がり、まるで以前からこの街に住んでいたかのような自然な足取りで、雑踏の中へと紛れ込んだ。彼はまず、この街の全体像を把握するため、ひたすらに歩き続けた。

 街は、巨大なすり鉢状の盆地の底に広がっているようだった。中央には、一際大きな広場があり、そこには巨大な井戸を思わせる、ぽっかりと口を開けた大穴があった。人々はその穴の周囲に集い、何やら祈りを捧げている者もいれば、中へと降りていく武装した者たち、そして中から疲弊した様子で帰還する者たちの姿も見られる。

 あの穴が、この街の、そしてこの世界の中心なのかもしれない。

 

 建物の多くは、周囲の岩盤を直接削り出して造られており、街全体が巨大な彫刻作品のようにも見えた。光源は発光性の苔や鉱石が主だが、裕福そうな家や店では、オイルランプのようなものや、輝いている不思議な宝珠が使われている。

 文明レベルは、中世程度。だが、時折見かける武具や装飾品には、現代日本の技術でも再現が難しいほどの精巧な細工が施されており、科学とは異なる、別の技術体系の存在を色濃く感じさせた。

 

 蒼介は、一軒の酒場らしき店の前で足を止めた。木の扉からは、陽気な音楽と人々の笑い声が漏れ聞こえてくる。こういう場所は、情報が集まりやすい。彼は意を決して、その扉を押した。

 店内は、昼間だというのに多くの客で賑わっていた。屈強な戦士風の男たち、ローブを纏った魔術師のような女、小柄で身軽そうな斥候らしき若者。彼らの会話に、蒼介はさりげなく耳を澄ませる。

 

「おい聞いたか? 『銀の(たてがみ)』の連中が、ワイバーンの群れにやられたらしいぜ」

「馬鹿な連中だ。今の時期はあいつらの繁殖期だって、ギルドも注意喚起してただろうに」

「それより、銅級の新人どもがゴブリンにすら苦戦してるって話の方が問題だろ。最近の冒険者は根性が足りねえ」

「稼ぎはどうだ?」

「ああ、まあまあだな。今日は『狂い花の蜜』が手に入ったから、そこそこの値にはなるだろうよ」

 

 断片的な会話から、蒼介はいくつかの重要なキーワードを拾い上げた。

 冒険者。ギルド。階層。

 やはり、あの広場の大穴は、ダンジョンのようなものらしい。そして、この街の住人の多くは、そこに潜り、モンスターを討伐したり、素材を採取したりすることで生計を立てている。「冒険者」という職業が、ここでは確立されているのだ。

 それは、蒼介にとって僥倖だった。シーカーとして培ってきた戦闘技術やダンジョン探索のノウハウが、この世界でも通用する可能性が高い。

 

(なるほどな。やることは、日本にいた時と大して変わらないわけか)

 

 彼は少しだけ口の端を吊り上げた。元の世界へ帰る方法は皆目見当もつかないが、少なくとも、この世界で「生きる」ための道筋は見えた。

 蒼介はカウンターへ向かい、無愛想な顔でグラスを磨いている店主に声をかけた。

 

「すまない、一杯もらいたいんだが、あいにくこの世界の金を持っていない。代わりに、これで払えないか?」

 

 そう言って、彼はポーチから小型の水筒(スキットル)を取り出した。中には蒸留酒。体温維持や、待機中の「お楽しみ」として持っていたものだった。

 店主は怪訝そうな顔でそれを受け取ると、匂いを嗅ぎ、少しだけ指先に付けて舐めた。そして、目を見開く。

 

「……ほう。こいつは上物だな。これ一本で、エールと煮込み料理くらいなら食わせてやってもいいぜ」

「助かる」

 

 蒼介は差し出されたエールを一口飲む。日本のビールとは違う、フルーティーで濃厚な味わいが口の中に広がった。

 彼は店主に、さりげなく尋ねる。

 

「見ての通り、旅の者なんだが、この街は初めてでな。いくつか教えてほしいことがあるんだが」

「あん? まあ、お代わりだ。答えられることならな」

 

 店主はぶっきらぼうに言いながらも、話を聞く体勢になった。

 

「冒険者、というのをやりたいんだが、どうすればなれる?」

「冒険者だと? あんたみたいな細っこいのが。……まあいい。それなら、まずはギルドへ行くこった。この通りを真っ直ぐ行った先にある、一番でかい建物がそうだ。そこで登録試験を受けりゃ、誰でも冒険者になれる。もっとも、生き残れるかどうかは別だがな」

「試験があるのか」

「当たり前だ。何の力もない奴を迷宮に送り込んで、無駄死にさせるわけにもいかねえからな。実技試験で、試験官を納得させられりゃ合格だ」

 

 ギルド。登録試験。シーカー協会とよく似たシステムだ。蒼介は内心で頷きながら、さらに質問を続けた。

 

「この街について教えてくれないか。何ていう名前で、何のためにこんな場所にあるんだ?」

「あんた、本当に何も知らねえんだな……」

 

 店主は呆れたようにため息をついたが、それでも語り始めた。

 

「ここは『始まりの街テルス』。その名の通り、全ての冒険が始まる場所だ。俺たちが住んでるこの場所はな、遥か昔から存在する『大迷宮』の第一階層なんだとよ。最深部に辿り着いた者は、どんな願いも叶うって言い伝えがある。だから、俺たちみたいな連中が、一攫千金や名声を夢見て、あるいは何かを失って、この場所に流れ着くのさ」

 

 大迷宮。願いが叶う。

 その言葉に、蒼介の心臓がわずかに跳ねた。

 元の世界に、帰る。

 それは、どんな願いよりも切実な、今の彼にとって唯一の目標だった。もし、その言い伝えが本当ならば、大迷宮を攻略することが、その唯一の手段になるのかもしれない。

 

(……面倒なことになった、とは思ったが、俄然、やる気が出てきたな)

 

 彼は、自嘲気味に笑みを浮かべた。日本にいた頃は、上昇志向など捨てたつもりでいた。最低限の金を稼ぎ、平穏に生きられればそれでいいと。だが、状況が変われば、人間も変わらざるを得ない。生きるため、そして帰るために、彼は再び、ダンジョンの深淵を目指す覚悟を決めた。

 

「詳しい話、感謝する」

 

 蒼介は残りのエールを飲み干すと、席を立った。店主は「死ぬんじゃねえぞ」とだけ、ぶっきらぼうに声をかけた。

 天井に覆われたこの街で、彼の新たな戦いが、今、始まろうとしていた。

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