異邦人と大迷宮~現代ダンジョンシーカーは、スキルと知恵で異世界迷宮の果てを目指す~   作:九泉

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第62話 騎士の誓い、新たに

 リリアの慟哭が静まり、部屋には重い沈黙が横たわっていた。

 だが、それは息苦しいものではなく、嵐が過ぎ去った後のような、どこか澄んだ静けさだった。

 

 蒼介は、テーブルの上の魔石ランプの光量を指先で調整し、少しだけ部屋を暗くした。揺らめく光と影が、古びた宿の壁に淡い模様を描き出す。

 彼はあえて何も言わず、ただソファに深く沈み込み、天井を見上げた。

 慰めの言葉など、今のリリアには不要だろう。彼女が必要としていたのは、吐露された悲しみを、ただ黙って受け止めてくれる存在だったはずだ。

 

 サイドテーブルには、明日の探索に備えて整備された武具や道具が並んでいる。

 だが、今の蒼介の意識はそこにはない。

 彼の視線は、部屋の窓辺に佇む一人の騎士に向けられていた。

 

 セレスティーナ・エッケハルト。

 彼女は窓枠に手をかけ、カーテンの隙間から差し込む二つの月の光を全身に浴びていた。

 その背中は、いつもの凛とした強さを保っているようでいて、どこか微かに震えているようにも見えた。彼女の腰に佩かれた剣――エッケハルト家に代々伝わる白銀の剣が、月光を反射して冷ややかに輝いている。

 

(セレスの奴、さっきから一言も発さねえな)

 

 蒼介は心の中で呟く。

 リリアが故郷の滅亡と自身の死について語っている間、セレスは石像のように動かず、ただじっとその言葉を噛み締めていた。

 彼女の家系が「大迷宮攻略」に執着していることは知っていた。だが、その理由は「騎士の名誉」だとか「武功」だとか、そういった類のものだと思っていた。

 しかし、今の彼女が纏っている空気は、そんな単純なものではない。もっと重く、暗く、そして熱い何かが、彼女の胸中で渦巻いているのが感じ取れた。

 

「……リリア」

 

 長い沈黙を破り、最初に口を開いたのはセレスだった。

 彼女はゆっくりと振り返る。逆光の中、その碧眼だけが強い意志の光を宿して、テーブルの上のペンダントを射抜いていた。

 

『はい、セレスさん』

 

 リリアの声はまだ少し潤んでいたが、落ち着きを取り戻していた。

 

「先ほど、貴女は口にしたな。我が先祖、騎士団長のことを」

 

 セレスは一歩、また一歩とテーブルに近づいてくる。その足取りは重く、まるで儀式の場へ向かうかのように厳粛だ。

 

『ええ、覚えていますわ。幼い頃の記憶ですが……とても背が高くて、厳格で、でも笑うと目尻に皺が寄る、優しい方でした。お父様が最も信頼を置いていた騎士様だと伺っております』

 

 リリアの言葉を聞き、セレスは痛ましげに目を細めた。

 彼女は腰の剣を鞘ごと外し、両手で捧げ持つようにして、ソファに腰を下ろした。

 鞘に刻まれた意匠――剣と百合が絡み合う紋章を、愛おしむように親指でなぞる。

 

「……我が家系、エッケハルト家には、代々伝えられている『呪い』にも似た教えがある」

 

 セレスの声は低く、部屋の空気を振動させる。

 

「『決して忘れるな。我らは守れなかった者である』と」

 

 蒼介は眉をひそめた。

 守れなかった者。その言葉の響きが、自身の古傷を刺激する。

 

「五百年前、あの日……アルストロメリア王国が黒い水に飲み込まれた日、騎士団長レオンハルトは王都にはいなかった」

 

 セレスは静かに、だが噛み締めるように語り始めた。

 

「彼は王命を受け、外交の使者として近隣の同盟国へ向かっていたのだ。精鋭の騎士たちを引き連れてな。……それが、彼の運命を分けた」

 

 窓の外から、風の音が微かに聞こえる。

 まるで、五百年前の嘆きを運んでくるかのように。

 

「帰路の途中、彼らは空が不吉な紫色に染まるのを見たそうだ。胸騒ぎを覚え、馬を潰す勢いで王都へと急いだ。だが、彼らが丘の上から見たものは……美しい白亜の都ではなく、すべてを飲み込み、渦を巻く巨大な濁流だった」

 

 蒼介の脳裏に、リリアが語った光景と、セレスの語る光景が重なる。

 内側から滅びを体験した少女と、外側から滅びを目撃した騎士。

 

「レオンハルトは狂ったように叫び、濁流へ飛び込もうとしたという。だが、部下たちに必死に止められた。『今飛び込んでも犬死にするだけです』と。……彼は、ただ見ていることしかできなかったのだ。主君である王も、王妃も、そして民たちも。自身が守ると誓ったすべてが、黒い水底へと消えていくのを」

 

 セレスの手が、剣の鞘を強く握りしめる。関節が白く浮き上がるほどに。

 

「以来、生き残った彼は、その生涯のすべてを『贖罪』に捧げた。散り散りになった民を保護し、新たな定住の地を探し、そして……いつか水が引いた暁には、必ず主君の遺骨を拾い上げると誓って」

 

 それが、エッケハルト家の始まり。

 名門騎士の家系という華々しい看板の裏に隠された、血の滲むような悔恨の歴史。

 

「だが、水は引かなかった。そこは魔物が跋扈する迷宮となり、人の立ち入れぬ魔境と化した。レオンハルトは死の床で、子らに遺言を残した。『我が無念を晴らせ。主君の魂を救い出すまで、エッケハルトの剣を置くことまかりならん』……と」

 

 セレスは顔を上げ、濡れた瞳でペンダントを見つめた。

 

「父も、祖父も、曾祖父も……皆、その言葉に縛られ、大迷宮に挑み、そして夢半ばで散っていった。私は幼い頃、その重圧が恐ろしかった。『顔も知らない王家のために、なぜ我々は死ななければならないのか』と、運命を呪った夜もあった」

 

 彼女の独白は、蒼介の胸にも重く響いた。

 生まれた時から背負わされた使命。個人の幸福よりも優先されるべき一族の悲願。それは、現代日本で生きてきた蒼介には想像もつかないほどの重圧だったろう。

 

「だが……」

 

 セレスの表情が変わった。

 迷いや恐れが消え、代わりに、澄み切った決意が浮かび上がる。

 

「今は違う。……私は今、運命に感謝している」

 

『セレス、さん……?』

 

「リリア。貴女に出会えたからだ」

 

 セレスは剣を脇に置き、ペンダントに向かって手を伸ばした。

 その指先は、宝石に触れるか触れないかの距離で止まる。

 

「これまで私にとっての『アルストロメリア王家』とは、歴史書の中の存在であり、顔のない概念でしかなかった。守るべき対象というよりも、果たさねばならない義務の象徴だったのだ」

 

 彼女は優しく微笑んだ。それは、蒼介が見たこともないほど柔らかく、慈愛に満ちた表情だった。

 

「だが、貴女は違った。……貴女は笑い、怒り、悲しみ、そして私たちと共に歩んでくれた。貴女は『歴史』ではなく、今を生きる『友人』となった」

 

 セレスの声が熱を帯びる。

 

「リリア。貴女が先ほど涙を流した時、私は自分の血が沸騰するのを感じたのだ。五百年の因縁など関係ない。ただ、友を泣かせた理不尽が許せなかった。貴女からすべてを奪った何かが、憎くてたまらなかった」

 

 それは、騎士としての義憤ではない。

 もっと根源的な、人間としての感情の発露だった。

 

「だからこそ、私は今、自分の意志で剣を取る」

 

 セレスは立ち上がり、椅子を引いた。

 そして、床に片膝をつき、剣を胸の前で構えた。

 最敬礼。騎士が主君に対して行う、絶対の忠誠を示す姿勢。

 だが、その眼差しは主従のそれを超えていた。

 

「リリアーナ・エル・アルストロメリア殿下。……いいえ、我が友、リリアよ」

 

 凛とした声が、静寂を切り裂く。

 

「エッケハルトが末裔、セレスティーナ。ここに新たな誓いを立てる」

 

 彼女は剣の柄頭の紋章に口づけ、そして真っ直ぐにペンダントを見据えた。

 

「私は貴女を、必ず故郷へ連れて帰る。深淵の底だろうと、地獄の果てだろうと、必ず送り届けてみせる。そして――貴女の涙の理由となったすべての謎を解き明かし、その無念を晴らしてみせる」

 

『セレスさん、頭を上げてください……! 私のために、そんな……』

 

 リリアの慌てた声が響く。だが、セレスは動かない。

 

「これは私の我儘だ。家門のためでも、過去のためでもない。……私が、貴女の笑顔を見たいからだ。貴女が心の底から笑える日が来るまで、この剣は貴女の盾となり、矛となろう」

 

 セレスの言葉には、一片の迷いもなかった。

 それは呪いが、誓いへと昇華された瞬間だった。

 先祖代々受け継がれてきた重荷を、彼女は自らの翼に変えたのだ。

 

(……やれやれ。本当にかっこいい女だぜ)

 

 蒼介は、膝をつくセレスの姿を眩しく見つめた。

 自分には、こんな真似はできない。

 自分はどこまでいっても、泥臭く這いずり回るシーカー崩れだ。騎士のような高潔さもなければ、大義名分もない。

 だが、だからこそ。

 彼女のような人間が、その高潔さを折られることなく輝けるように支えることはできる。

 

「……リリア。受け取ってやれよ」

 

 蒼介は口を開いた。

 

「そいつは一度言い出したら聞かない頑固者だ。お前が頷くまで、朝まででもそのままだぞ?」

 

 軽口を叩いてみるが、声が少し優しくなってしまうのは止められなかった。

 

『……っ、はい。……はいっ!』

 

 ペンダントが、淡く、温かな光を放つ。

 

『セレスさん。……貴女の剣、ありがたくお受けします。私の……魂をお預けしますわ』

「ああ。……任せておけ」

 

 セレスが顔を上げ、破顔した。

 涙で濡れた瞳が、月光を受けて宝石のように輝いている。

 

 彼女はゆっくりと立ち上がり、剣を鞘に納めた。

 カチリ、という澄んだ音が、契約の完了を告げる鐘のように響いた。

 

「さて……」

 

 一通りの儀式が終わり、セレスが少し照れくさそうに頬を掻いた。

 蒼介はニヤリと笑い、彼女に水を差し出した。

 

「喉、渇いただろ。熱弁だったしな」

「……茶化すな。自分でも驚くほど、素直な言葉が出たのだ」

 

 セレスはコップを受け取り、一気に飲み干した。

 その横顔には、憑き物が落ちたような清々しさがあった。

 もう、彼女の中に過去への恐れはない。あるのは、友を救うという明確な目的と、それを成し遂げるための闘志だけだ。

 

「しかし、五百年前か……」

 

 蒼介は呟き、窓の外の月を見上げた。

 リリアの語った「空が紫色に染まり、黒い水が溢れ出した」という現象。

 そして、セレスの先祖が見たという「すべての始まり」。

 

 異世界のことはまだよくわからないが、一都市が丸々、それも突如水没するほどの出来事だ。単なる自然災害とは思えない。

 何者かの意図。あるいは、『大迷宮』というもののシステムが関わっている……気がする。

 水底に沈んだ都市には、その答えが眠っているはずだ。

 

「なあ、セレス」

「なんだ?」

「お前の先祖……レオンハルトさんは、きっと悔しかっただろうな」

 

 蒼介の言葉に、セレスはハッとしたように顔を向けた。

 

「だがよ、俺はこうも思うんだ。彼が生きててくれてよかった、ってな」

「……なに?」

「だってそうだろ? 彼が生きて、血を繋いでくれたからこそ、今ここにお前がいる。お前がいるから、リリアは一人じゃない。五百年越しに、アルストロメリアの騎士が王女の元に帰ってきたんだ」

 

 蒼介はペンダントを指差した。

 

「レオンハルトさんが生きていたことは、決して無駄じゃなかった。……お前が証明したんだよ、今夜」

 

 セレスの瞳が大きく見開かれ、やがてじわりと涙が滲んだ。

 彼女はずっと、先祖の「逃げた」という(そし)りを恥じていたのかもしれない。だが、それは逃走ではなく、未来へのバトンだったのだ。

 

「……貴様は、時々ずるいことを言うな」

「事実を言っただけだ」

「……ありがとう。その言葉で、胸のつかえが完全に取れた気がする」

 

 セレスは深く息を吐き、穏やかな表情で蒼介を見つめた。

 信頼と、それ以上の親愛が込められた眼差し。

 蒼介は少し居心地が悪くなり、わざとらしくあくびをした。

 

「ふあ……っと。そろそろいい時間だろ。明日に備えて寝ねえとな」

「む、そうだな。睡眠不足は大敵だ」

『ふふっ、お二人とも、おやすみなさいませ。……今日は、本当にありがとうございました』

 

 リリアの嬉しそうな声を聞きながら、蒼介は自室のベッドに潜り込んだ。

 魔石ランプの灯りが落とされ、部屋は青白い月光だけに包まれる。

 

 静かだ。

 だが、数時間前の、不安と悲しみに満ちた静寂とは違う。

 明日への希望と、強固な絆に結ばれた温かい静寂。

 

 セレスもまた、今夜は良い夢を見られるだろう。

 蒼介は目を閉じ、意識を体内へと向けた。

 ナノマシンが順調に稼働している。近い未来の過酷な環境に備え、体調を整えているのだ。

 

(水没都市……か)

 

 リリアの故郷。セレスの誓いの場所。

 そして俺にとっては――この異世界の謎に迫るための、重要な通過点。

 簡単な道のりではないだろう。未知の魔物、水中という極限環境。

 だが、今のこのパーティなら。

 蒼介は暗闇の中で、小さく拳を握りしめた。

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