異邦人と大迷宮~現代ダンジョンシーカーは、スキルと知恵で異世界迷宮の果てを目指す~   作:九泉

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第63話 外の迷宮

 翌朝、テルスの街は眩しいほどの陽光に包まれていた。

 窓から差し込む光が、部屋の空気を白く染め上げる。昨晩の重苦しい、けれど絆を深めた誓いの夜が嘘のように、朝は平等に、そして淡々と訪れる。

 

 蒼介はベッドから身を起こし、凝り固まった首を回した。

 セレスの部屋を訪ねると、すでに起き出し、入念に剣の手入れをしていた。彼女の横顔には、昨晩見せた涙の跡はない。あるのは、これから戦場へ向かう騎士の凛とした表情だけだ。

 腰元のペンダント――リリアも、静かに覚醒している気配がある。

 

「おはよう、ソウスケ。よく眠れたか?」

「ああ、おかげさんでな。……そっちはどうだ? 昨日はだいぶ熱くなってたけどよ」

 

 蒼介がからかうように言うと、セレスは少しだけ頬を染め、コホンと咳払いをした。

 

「茶化すなと言っただろう。……だが、不思議と気分は悪くない。霧が晴れたようだ」

『おはようございます、ソウスケさん。セレスさんも、とても良いお顔ですわ』

 

 リリアの明るい声が響く。

 湿っぽいのは昨日の夜で終わりだ。今日は、現実的な攻略のための準備の日である。

 

「さて、と。飯食ったら出かけるぞ。まずは買い物だ」

「買い物? 物資の補充か?」

「それもあるが、もっと根本的なもんだ。……水中対策だよ」

 

 蒼介は真剣な眼差しで二人を見渡した。

 

「第31層は水没都市だ。足場があるとはいえ、基本は水中戦も想定しなきゃならない。今の俺たちの装備じゃ、水の中に入った瞬間、ただの重りだ。息も続かねえし、まともに動けもしねえ」

「以前も言っていたな。お前がそこまで言うからには、相当なものなのだろうな……」

『魔法で空気の層を作ることはできますが、戦闘中の激しい動きの中で維持し続けるのは、少し不安ですわね……』

 

 リリアの懸念はもっともだ。戦闘中、魔法の集中が途切れて溺死、なんて笑えない結末は避けたい。

 必要なのは、魔法に頼りすぎない確実な生存手段。

 

「だから、魔道具(アーティファクト)に頼る。銀級昇格の報酬、派手に使うことになると思うけど、文句はなしだぜ?」

「もちろんだ。命あっての物種だからな」

 

 蒼介たちは宿を出て、テルスの目抜き通りへと繰り出した。

 

 冒険者ギルドが管理する中央広場から一本入った路地裏に、その店はあった。

 表通りの華やかな武器屋とは違い、怪しげな紫煙が漂う店内には、所狭しと古びた道具や巻物が並べられている。

 

「いらっしゃい……。おや、今日は珍しい客が来たねぇ」

 

 カウンターの奥から現れたのは、片目に片眼鏡(モノクル)をかけた老婆だった。シーカーの勘が告げている。この婆さん、タダモノじゃない。

 

「水中で呼吸ができる魔道具を探してる。性能が良くて、戦闘の邪魔にならないやつだ」

 

 蒼介が単刀直入に切り出すと、老婆はニヤリと笑い、棚の奥から小箱を取り出した。

 埃を被った箱が開けられると、そこには青い鱗を加工して作られた、美しい首飾りが二つ収められていた。

 

「『人魚の護符(マーメイド・アミュレット)』だよ。南方諸島の迷宮産でね。こいつを身に着けていれば、水の中でも地上と同じように呼吸ができる。おまけに水圧の影響も軽減してくれる優れものさ」

 

 蒼介は【物質分析(アナライズ)】を発動させる。

 ――未知の構造が多用されているようだが、逆に言えば【物質分析(アナライズ)】で分からない構造が含まれているということだ。青銅や銀でそれっぽく造っただけの贋作ではこうはいかない。

 

「いいな。……で、いくらだ?」

「一つ、金貨50枚だね」

 

 セレスが息を呑む気配がした。

 金貨50枚。日本円の感覚で言えば、数百万クラスの買い物だ。二つで一千万近い。

 先日、銀級に昇格した際にギルドから支給された報奨金と、ここまでのドロップ品の売却益。その大半が吹き飛ぶ計算になる。

 

「高いな……」

「命の値段だよ、坊や。水中で息ができずに溺れる苦しみを考えれば、安いもんじゃないかい?」

 

 老婆の言葉は商売文句だが、真理を突いている。

 蒼介はちらりとセレスを見た。彼女は一瞬渋い顔をしたが、すぐに力強く頷いた。

 

「買おう、ソウスケ。金はまた稼げばいい。だが、命を失うわけにはいかない」

「……だな。決まりだ」

 

 蒼介は革袋から重たい金貨を取り出し、カウンターに積み上げた。

 老婆は満足そうに頷き、護符を渡してくる。

 手に取ると、ひんやりとした冷たさが伝わってきた。これを首にかけるだけで、水中という死の世界が活動領域に変わる。

 

「毎度あり。……ついでに、こんなのもどうだい?」

 

 上機嫌になった老婆が、さらにいくつかのアイテムを勧めてきた。

 

 一つは、流線型の形状をした奇妙な短剣。

『流水の短剣』。刀身に微弱な水流操作の魔術が込められており、水中で振るうとその抵抗を推進力に変えることができるという。

 もう一つは、握り拳大の青白い石。『雷光石』。

 使い捨ての魔道具で、水中に投げ込むと周囲一帯に強力な電撃を放つ。

 

「水中での剣劇は、水の抵抗で威力が半減する。だが、この短剣なら逆に加速する。騎士のお嬢ちゃんにはうってつけだね」

「なるほど……。私の槍も、水中では取り回しが悪そうだと思っていたところだ。予備の武装として持っておくのは悪くない」

 

 セレスが短剣を手に取り、感触を確かめる。

 さらに蒼介は『雷光石』を数個購入した。

 

「セレスの雷魔法は強力だが、水中だと俺たちまで感電するリスクがある。こいつなら投擲して離れた場所で起爆できるから、制御がしやすい」

『便利な道具があるものですわね。私の時代には、すべて術者の技量でカバーしていましたのに』

 

 リリアが感心したように呟く。

 五百年の技術進歩は馬鹿にできない。

 

 店を出る頃には、二人の財布はすっかり軽くなっていた。

 だが、その代わりに得た装備は、これからの激戦を生き抜くための命綱となるはずだ。

 

「俺はちょっと寄るとこがあるから、先に宿に戻っててくれ」

「ああ、わかった。……それはもしや例のやつか?」

 

 セレスの質問に、蒼介はにやりと口の端を曲げるのだった。

 

 

 *

 

 

 時間差で宿に戻った二人は、さっそく購入した装備を広げていた。

 セレスは『人魚の護符』を首にかけ、新しい短剣を腰帯に差してみる。蒼介も護符を装着し、足には機動性を確保するための簡易的な水かき付きのブーツ (これは別の雑貨屋で見つけた)を履いてみた。

 

「……どうだ、セレス。動けそうか?」

「悪くない。護符から常に清涼な空気が送られてくる感覚がある。これなら水中でも息が続きそうだ。だが……」

 

 セレスはその場で軽くステップを踏み、短剣を抜く動作をしてみせる。

 空気中での動きは鋭いが、彼女は眉を寄せていた。

 

「やはり、感覚が掴めないな。装備がいくら良くても、実際に水の中でどう動けるか……。頭では分かっていても、身体がついていくかどうか」

 

 蒼介も同感だった。

 陸上でのシミュレーションには限界がある。

 水の中は三次元的な空間だ。上下左右、あらゆる方向から敵が来るし、自分たちも浮力を利用して動かなければならない。

 さらに、水の抵抗は想像以上に体力を奪う。ナノマシンによる【迅速(ブースト)】も、水中では負荷が変わりすぎて制御が難しくなるだろう。

 

(……いきなり第31層に突っ込むのは、博打が過ぎるか)

 

 第31層は未知の領域だ。敵の強さも、環境の過酷さも、行ってみなければ分からない。

 そんな場所で、使い慣れていない装備と、経験のない水中連携を試す?

 それは勇気ではなく蛮勇だ。死に急ぐ奴のやることだ。

 

 蒼介は腕を組み、記憶の糸を手繰り寄せた。

 以前、酒場で出会った大盾使いの冒険者、ジークの言葉が蘇る。

 

 ――『この街の外には、森も山も、他の国だって広がってるんだぜ。竜峰の迷宮だの、嘆きの沼だの、この大迷宮以外にも、迷宮は世界中に点在してる』

 

 そうだ。

 この世界には、大迷宮以外にも小規模なダンジョンが点在している。

 それらは大迷宮ほど深くはなく、難易度もピンキリだが、特定の環境に特化したものが多いと聞いていた。

 

「……なあ、セレス。提案がある」

「なんだ?」

「第31層に行く前に、予行演習(リハーサル)をやらないか」

 

 蒼介は地図を広げた。テルスの街の周辺地図だ。

 その一角、街から馬車で半日ほどの距離にある森の中に、ひとつの印がつけられている。

 

「『水蟇(みずがま)の泉』。……ギルドの資料室で見たことがある。全5層程度の小規模迷宮だが、名前の通り、内部は水没した洞窟になってるらしい」

 

 セレスが地図を覗き込む。

 

「『水蟇の泉』か……。聞いたことはある。確か、初心者から中級者向けの、素材採取を目的とした迷宮だったか」

「ああ。出現する魔物も、巨大なカエルや水棲昆虫程度で、そこまで強くはないはずだ。だが、環境は第31層に近い」

 

 蒼介は指でトントンと地図を叩いた。

 

「ここで、新しい装備の慣らし運転をする。装備に異常はないか、水中でどれくらい動けるか、魔法の威力がどう変わるか、そして俺とお前の連携が通用するか。……それを確認してからでも、遅くはないはずだ」

 

 セレスは少し考え込み、やがて力強く頷いた。

 

「賛成だ。……正直に言えば、不安があったのだ。王国の謎を解きたいという逸る気持ちはあるが、そのせいで足元を掬われては元も子もない」

『私も賛成ですわ!』

 

 ペンダントが揺れる。

 

『お父様もよく仰っていました。「急いでいるときこそ立ち止まって考えろ」と。……それに、久しぶりに外の空気を吸うのも悪くありませんわね』

「よし、決まりだな」

 

 蒼介はニヤリと笑った。

 慎重さは臆病ではない。生き残るための最大の武器だ。

 それに、外の迷宮というのは、現代ダンジョンしか知らなかった蒼介にとっても興味深い対象だった。大迷宮とは異なる、外のダンジョンがどういうものなのか。

 

「善は急げだ。今日はこのまま装備の調整をして、明日の朝一で出発しよう」

「承知した。馬車の手配は私がしておこう」

「頼む。俺は食料と、他に役立ちそうな魔道具がないか、もう一度市場を見てくる」

 

 二人は手分けして準備に取り掛かることになった。

 部屋を出て行くセレスの背中は、朝よりも少しだけ軽やかに見えた。

 目的が決まり、そのための道筋が見えたからだろう。

 

(水中の洞窟、か……)

 

 蒼介は一人、部屋に残って新しいブーツの紐を締め直した。

 ナノマシンが、微かに警告音のようなものを鳴らしている気がした。

 油断は禁物だ。

 難易度は高くないとは聞いているが、とはいえそこは魔物の巣窟。

 何が起きるか分からないのが、ダンジョンという場所なのだから。

 

 だが、今の彼らには、それを乗り越えるだけの準備と、覚悟がある。

 蒼介は立ち上がり、窓の外に広がる青空を見上げた。

 

 第31層への挑戦権を得るための、小さな遠征。

 それは、彼らにとって新たな戦術を確立するための、重要なステップとなるはずだった。

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