異邦人と大迷宮~現代ダンジョンシーカーは、スキルと知恵で異世界迷宮の果てを目指す~   作:九泉

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第64話 水練

 テルスの街から馬車に揺られること半日。

 鬱蒼とした森を抜けた先に、目的の場所はあった。

 

「ここが『水蟇(みずがま)の泉』か……。外見はただの美しい湖だな」

 

 馬車を降りた蒼介は、目の前に広がる光景に目を細めた。

 木漏れ日が水面を宝石のように輝かせ、風が吹くたびにさざ波が立つ。どこか幻想的ですらある風景は、ここが魔物の巣窟であることなど忘れさせるほどだ。だが、シーカーとしての感覚、そして体内のナノマシンが微かな警告を発している。

 美しい花には棘があるように、美しい泉には牙が潜んでいる。

 

「水深はかなりありそうだな。透明度は高いが、底が見えない」

 

 セレスが泉の畔(ほとり)に立ち、覗き込むようにして言った。彼女の腰には、昨日購入したばかりの流水の短剣が差され、首元には人魚の護符が揺れている。

 蒼介も同様の装備に加え、足元には奇妙な形状のブーツ――足ひれのような機構がついた特注品――を履いていた。

 

「ああ。資料によれば、ここはすり鉢状の構造になっていて、中心部は地下洞窟へと繋がっているらしい。今日の訓練場所としてはおあつらえ向きだ」

 

 蒼介は屈伸運動をしながら、自身の身体の調子を確かめる。

 昨晩の決意を経て、精神状態は悪くない。だが、これから挑むのは未知の領域だ。

 

「……そういえばソウスケ。お前が鍛冶屋に頼んでいたという、あの奇妙な図面の道具はどうしたのだ?」

「あれはまだ試作段階で、今日の出発には間に合わなかったんだよ。親父さん、『こんなワケのわからんもん、すぐに作れるか!』って怒ってたしな。構造としては単純だと思うんだが」

 

 蒼介は肩をすくめた。

 

「だが、好都合だとも言えるぞ。まずは小細工なしの身一つで、水中という環境がどれだけ厄介かを知っておく必要がある。便利な道具に頼るのは、不便さを骨身に染み込ませてからでも遅くない」

「ふむ、一理あるな。基礎ができていなければ、応用も利かないということか」

『お二人の心がけ、素晴らしいですわ。慢心こそが最大の敵。お父様もそう仰っていました』

 

 リリアの声援を受け、二人は視線を交わす。

 準備はいいか、と目で問いかけ合い、同時に頷いた。

 

「よし、行くぞ。護符起動」

 

 蒼介が魔力を流し込むと、首元の『人魚の護符』が淡い青光を放ち始めた。同時に、首の周りにひんやりとした薄膜のようなものが形成される感覚がある。

 二人は意を決し、泉へとその身を躍らせた。

 

 ドボン、という音と共に、世界が一変する。

 

 冷たい水が全身を包み込む。だが、息苦しさはない。

 護符の効果により、肺には新鮮な酸素が供給され続けている。まるで陸上にいるかのように自然な呼吸ができることに、蒼介はまず感嘆した。

 

(すげぇな、これ。本当に息ができる。水圧も……ほとんど感じない)

 

 目を開けると、そこには青と緑が混じり合った神秘的な空間が広がっていた。

 水面から差し込む陽光がカーテンのように揺らめき、小魚の群れが銀色の軌跡を描いて泳ぎ去っていく。

 隣を見ると、セレスも驚いたように自らの手を見つめ、髪を水中でなびかせている。

 

『聞こえますか、ソウスケさん、セレスさん』

「ああ、バッチリだ。水中でも念話は通じるみたいだな」

「不思議な感覚だ……。水の中にいるのに、まるで風のない草原に立っているような」

 

 セレスが言葉を発するが、口から気泡が出ることはない。護符が口元の空間を制御しているのだろう。

 だが、問題はここからだ。

 

「移動してみよう。セレス、ついてきてくれ」

 

 蒼介は水を掻き、前方へと進もうとした。

 ――重い。

 腕を前に出すだけで、まるで泥の中にいるような抵抗を感じる。

 足ひれ付きのブーツのおかげで推進力はあるものの、陸上の歩行とは全く勝手が違う。慣性が働き、止まろうと思っても身体が流される。

 

「くっ……思うように進まん!」

 

 背後でセレスが悪戦苦闘している気配がした。振り返ると、彼女は手足をバタつかせ、身体がくるくると回転してしまっている。重装備の騎士鎧は脱いできた軽装スタイルだが、それでも背負った槍や剣が水の抵抗を受け、バランスを崩しているようだ。

 

「無駄な動きが多いぞ、セレス。力で水を叩くんじゃなくて、水を掴んで後ろに流すイメージだ。力を抜いて、流線型を意識しろ」

「りゅ、流線型……? 言うは易しだが……!」

 

 身体能力に優れた彼女でも、環境が変われば赤子同然か。

 蒼介自身も、ナノマシンの身体制御機能がなければ似たようなものだっただろう。脳内のシミュレーションと現実のズレを、ナノマシンがリアルタイムで補正しているからこそ、かろうじて泳げているに過ぎない。

 

(こりゃ、戦闘どころか移動だけで日が暮れそうだな……)

 

 そう思った矢先だった。

 蒼介の視界に赤い警告表示が点滅する。

 【探知(サーチ)】が敵影を捉えた。

 

「敵だ! セレス、構えろ!」

「なっ、もうか!?」

 

 水底の岩陰から飛び出してきたのは、体長一メートルほどの巨大なゲンゴロウのような魔物だった。

『キラーダイバー』。鋭い牙と、鎌のような前脚を持つ水棲昆虫だ。

 数は三体。水中を矢のような速度で直進してくる。

 

「速いッ!」

 

 蒼介は腰の剣を抜こうとするが、水の抵抗が腕の動きを阻む。

 普段なら一瞬で終わる抜刀動作が、スローモーションのように感じられるもどかしさ。

 その隙に、先頭のキラーダイバーが蒼介の喉元に迫る。

 

(チッ、間に合わねえ……!)

 

 蒼介はとっさに身体を捻り、紙一重で鎌の一撃を回避した。

 だが、回避行動の反動で身体が浮き上がり、体勢が崩れる。

 陸上なら足を踏ん張って次の動作に移れるが、ここには踏ん張る地面がない。

 

「はぁッ!」

 

 横合いからセレスが槍を突き出す。

 鋭い刺突――のはずだった。

 しかし、水の中を進む槍の穂先は、目に見えて減速していた。水という粘性の高い流体が、凶器の威力を殺してしまったのだ。

 キラーダイバーはそれを難なく躱し、あざ笑うかのようにセレスの周囲を旋回する。

 

「な……!? 遅い、あまりにも動きが鈍い!」

「焦るな! 斬撃や打撃は水の抵抗をもろに受ける! 最小限の動きで点を狙え!」

 

 蒼介は叫びながら、ナノマシンに指令を送る。

 

(【迅速(ブースト)】起動! 出力10%、四肢のバランサー制御へ!)

 

 これまでの【迅速(ブースト)】は、全開にして超高速移動を行うためのものだった。

 だが、水中でそれをやれば制御不能の魚雷と化す。

 必要なのは速度ではない。姿勢制御だ。

 指先、足先、身体の細かな筋肉を瞬間的に加速させ、水の抵抗に逆らって無理やり体勢を整える。

 

 蒼介は空中で足場を作るかのように水を蹴り、強引に身体を反転させた。

 キラーダイバーの死角へ回り込む。

 大きく振りかぶるのではなく、脇を締め、短剣を逆手に持ち、すれ違いざまに身体ごとぶつかるように刃を走らせる。

 

 ズプッ。

 鈍い手応えと共に、硬い甲殻の隙間に刃が吸い込まれた。

 

「ギチチッ!?」

 

 魔物が苦悶の泡を吐き出し、緑色の体液を撒き散らして沈んでいく。

 

「よし、一匹! だが……」

 

 疲労感が酷い。

 たかだか一撃入れただけで、全力疾走した後のような息切れがする。

 水圧と抵抗の中で動くということが、これほどエネルギーを消費するとは。

 

 残る二体は、仲間がやられたことに憤慨したのか、動きを活発化させた。

 一体がセレスへ向かう。

 セレスは槍を引き戻し、再度突きを放とうとするが、やはり遅い。魔物は槍の柄に足をかけ、そのままセレスの懐へと潜り込もうとする。

 

「くっ、離れろ!」

 

 セレスは左手をかざし、魔法の詠唱なしに魔力を練り上げる。

 雷撃魔法――彼女の得意とする攻撃だ。

 

「やめろセレス! ここは水中だ!」

 

 蒼介の制止が間に合ったのか、セレスはハッとして手を止めた。

 水中で雷を使えば、導電性によって自分たちまで感電する。自殺行為だ。

 

『セレスさん、魔法を放つのではなく、纏うのです!』

 

 リリアの声が響く。

 

『放てば水に拡散して威力が落ちます。ですが、刃そのものに魔力を循環させれば……!』

「纏う……そうか!」

 

 セレスの迷いが消えた。

 彼女は迫りくる魔物の牙を、長槍の柄で受け止める。

 ガチリ、と硬質な音が響く。

 拮抗状態。力比べなら人間の方が上だが、水中では足場がないため押し負ける。セレスの身体が後方へ押されていく。

 

 だが、彼女の瞳には理知的な光が宿っていた。

 槍の穂先に、青白い電光がジジジと収束していく。放つのではなく、刃に留める高度な魔力操作。

 

「これなら……いけるッ!」

 

 セレスは魔物の勢いを利用し、あえて後方へ下がりながら身体を丸めた。

 そして、バネのように身体を伸ばし、至近距離から槍を突き出す。

 水の抵抗を減らすため、槍を回転させながらの螺旋突き。

 さらに、纏わせた雷撃が、水との接触面に微小な蒸気爆発を起こし、推力を生む。

 

 ズドォォン!!

 水中とは思えない破裂音と共に、キラーダイバーの上半身が吹き飛んだ。

 

「はぁ、はぁ……やった」

「ナイスだセレス! 残り一体!」

 

 最後の一体は蒼介が始末した。

 セレスの攻撃に気を取られている隙に背後から近づき、首の関節を正確にねじ切ったのだ。

 

 周囲に静寂が戻る。

 濁った水がゆっくりと澄んでいく中、二人は顔を見合わせた。

 

「……酷い有様だな」

 

 蒼介が苦笑すると、セレスも肩で息をしながら頷いた。

 

「ああ。たかだか下級の魔物相手に、これほど苦戦するとは……。剣や槍の重さが、これほど疎ましいと思ったのは初めてだ」

『でも、コツは掴めたのではありませんか?』

「そうだな。……力任せは通じない。流れを読むこと。そして、魔法の使いどころ」

 

 蒼介は自分の手を見つめた。

迅速(ブースト)】の新しい使い道が見えた気がする。

 移動のためではなく、姿勢制御のためのブースト。

 宇宙空間でスラスターを吹かして姿勢を変える宇宙船のようなイメージだ。

 

「よし、少し休憩したら奥へ進むぞ。まだ入口だ」

「承知した。……しかしソウスケ、その足のヒレ、意外と馬鹿にならんな。私も買っておけばよかったか」

「だろ? 見た目は悪いが機能性は抜群だ」

 

 

 *

 

 

 泉の最深部、地下洞窟への入り口付近。

 そこは太陽の光が届かず、青白い苔の発光だけが頼りの薄暗い世界だった。

 

探知(サーチ)】が、前方に巨大な生体反応を捉えた。

 

「来るぞ。……このエリアの主だ」

 

 蒼介が短剣を構え、セレスが槍を脇に抱える。

 闇の奥から、ズズズ……と重苦しい水流が押し寄せてきた。

 

 現れたのは、巨大なヒキガエルだった。

 だが、そのサイズは軽自動車ほどもあり、背中には無数のイボから毒々しい紫色の液体が漏れ出している。

 『沢の王(トード・ロード)』。この小規模迷宮の主である。

 

「ゲェロロロロ……」

 

 喉を鳴らす音が、水を伝わって不快な振動として鼓膜を揺らす。

 

「毒持ちか。厄介だな」

「水流で拡散されたら逃げ場がないぞ」

「短期決戦だ。俺が引き付ける。セレスはその隙に懐へ飛び込んで、あいつの柔らかい腹を狙え」

 

 作戦確認は一瞬。

 トード・ロードが大きく口を開けた。

 その瞬間、見えない『何か』が射出された。

 

「ッ!!」

 

 蒼介は【迅速(ブースト)】を左肩にだけ発動させ、強引に身体を右へと弾いた。

 直後、彼がいた空間を、槍のように鋭く伸びた舌が貫通していった。

 水切り音が遅れて聞こえるほどの超高速攻撃。

 

「速い! 水の抵抗を無視してるのか!?」

 

 舌はすぐに巻き取られ、次弾が放たれる。

 蒼介は水中を乱数機動で逃げ回った。

 

(右足、背筋、左腕!)

 

 ナノマシンに細かく部位指定を行い、コンマ数秒のブーストを断続的に繰り返す。

 ジグザグ、回転、急停止。

 水流をかく乱し、トード・ロードの狙いを絞らせない。

 

「ゲロォッ!」

 

 獲物を捉えきれないことに苛立ったのか、主は標的を変えた。

 セレスだ。

 しかし、それは蒼介の狙い通りでもあった。

 

「今だセレス!!」

 

 トード・ロードがセレスに向かって舌を放つ。

 だが、セレスは動じない。彼女は蒼介が逃げ回っている間に、十分に『助走』をつけていた。

 水中での助走――それは、『流水の短剣』の魔力を最大解放し、自身を水流の弾丸と化すこと。

 

「シィッ!!」

 

 セレスは迫りくる舌を、紙一重で見切った――いや、違う。

 彼女は『流水の短剣』を振るい、舌の軌道をわずかに逸らしたのだ。

 水流操作の魔術。攻撃ではなく、防御のための偏向。

 舌が頬をかすめ、数本の髪が切り飛ばされる。だが、致命傷ではない。

 

 トード・ロードの懐はがら空きだ。

 

「この一撃で!」

 

 セレスは長槍を握る右手を離した。

 長物は水中での超接近戦では邪魔になる。

 代わりに逆手で握りしめたのは、昨晩買ったばかりのもう一本の短剣。

 蒼介とお揃いの、何の変哲もない鋼の短剣だ。

 だが、そこには彼女の全魔力が雷となって圧縮されていた。

 

「紫電・雷牙(ライガ)ッ!!」

 

 セレスの身体が、トード・ロードの白く柔らかい腹に激突する。

 同時に短剣を深々と突き立て、ゼロ距離から雷撃を炸裂させた。

 

 ゴオオォォォッ!!

 

 強烈な閃光が水底を照らし出す。

 水が瞬時に沸騰し、巨大な気泡がボスを包み込んだ。

 内部からの感電。

 断末魔を上げる暇もなく、トード・ロードの巨体が痙攣し、やがてぐらりと力を失った。

 

 

 *

 

 

 ぷはっ!

 水面から二つの顔が飛び出した。

 

「はぁ、はぁ……! 死ぬかと思った……」

 

 蒼介は岸に這い上がり、大の字になって空を仰いだ。

 肺いっぱいに地上の空気を吸い込む。護符の空気も悪くはないが、やはり本物の空気には敵わない。

 

「……だが、勝ったな」

 

 隣でセレスもへたり込みながら、しかし満足げな笑みを浮かべていた。

 その手には、トード・ロードからドロップした魔石が握られている。

 

「ああ。正直、思ったよりキツかったが……なんとかなるもんだな」

 

 蒼介は濡れた髪をかき上げながら、達成感を噛み締めていた。

 水流の抵抗、三次元的な機動、魔法の減衰。

 それらの課題を、身一つでクリアしたのだ。

 

(これなら、第31層からもいけるんじゃないか?)

 

 ふと、そんな慢心が頭をもたげる。

 トード・ロードは確かに強敵だったが、絶望的というほどではなかった。

 自分たちの連携と対応力があれば、未知の環境でも戦えるという自信。

 

「『水蟇の泉』の主を倒したとなりゃ、水中戦の基礎免許取得ってとこか?」

「ふふ、そうだな。あの舌を見切れたのだ、大抵の攻撃には対応できるだろう」

 

 セレスもまた、自身の成長を感じ取り、表情を明るくしている。

 リリアだけが、ペンダントの中で静かに心配そうな気配を漂わせていたが、興奮冷めやらぬ二人はそれに気づかなかった。

 

「帰ろうぜ、セレス。アレ(・・)を受け取ったら、いよいよ本番だ」

「ああ。……待ち遠しいな」

 

 夕日に照らされた二人の影が長く伸びる。

 その足取りは軽く、希望に満ちていた。

 待ち受ける運命の過酷さを、まだ何も知らずに。

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