異邦人と大迷宮~現代ダンジョンシーカーは、スキルと知恵で異世界迷宮の果てを目指す~   作:九泉

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第65話 それぞれの覚悟

 冒険者都市テルスの路地裏、槌音が響く一角に、その鍛冶屋はあった。

 煤けた看板には無骨な屋号が刻まれている。

 店内に足を踏み入れると、熱気と鉄の匂いが鼻孔を突き刺した。炉の炎が赤々と燃え盛り、筋肉質の店主が赤熱した鉄塊を叩いている。

 

「親父さん、頼んでたアレ、できてるか?」

 

 蒼介が声をかけると、鍛冶屋の親父が手を止めて顔を上げた。

 蒼介の顔を確認するなり、親父は呆れたような、それでいてどこか職人としての好奇心を隠せない複雑な表情を浮かべる。

 

「ああ、あんたか。……できてるぞ。ったく、あんなキテレツなもん、図面を見たときは何かの冗談かと思ったがな」

 

 親父は奥の棚から、布に包まれた大きな荷物を取り出し、カウンターの上に重々しい音を立てて置いた。

 布を解くと、そこには異様な形状をした金属製の装置が鎮座していた。

 

「これが……完成形か」

 

 蒼介は感嘆の声を漏らし、指先でその冷たい金属の肌を撫でた。

 形状を一言で言えば、背負い式のタンクだ。だが、農薬散布機のような野暮ったさとは一線を画す、無骨ながらも機能美を感じさせるデザインに仕上がっている。

 背中にフィットするように湾曲した金属板、その下部に埋め込まれた青く輝く高純度の魔石。そこから伸びる二本の太いパイプは、脇の下を通って手元で操作できるグリップへと繋がっている。

 

「名付けて、『水流噴射推進機(ハイドロ・ジェット・スラスター)・試作壱型』だ」

「名前はどうでもいいが……本当にこれで水中を飛べるのか? 原理がいまだに理解できん」

 

 親父が腕組みをして首を傾げる。

 この世界には魔法がある。空を飛びたければ飛行魔法を、水中を進みたければ水魔法を使えばいい。それが常識だ。

 だが、蒼介には魔法がない。あるのはナノマシンによる身体制御と、現代物理学の知識だけだ。

 

「作用・反作用の法則さ。魔石の力で圧縮した水を後方へ爆発的に噴射する。その反動で身体を前へ押し出す。単純な力学だよ」

「サヨウ? ハンサヨウ? ……まあいい。注文通り、魔力伝導率の高い合金を配管に使っておいた。破裂することはないはずだ」

 

 蒼介は装置を背負ってみた。

 ずしりとした重みがあるが、ナノマシンで強化された肉体には心地よい負荷だ。ベルトを締め、固定具を調整する。

 グリップを握ると、指先にトリガーの感触が伝わってきた。

 

「セレス、どうだ? 見た目は」

 

 同行していたセレスが、まじまじと蒼介の背中を見つめ、眉根を寄せた。

 

「……正直に言っていいか?」

「ああ」

「得体が知れん。魔道具の一種だとは分かるが、まるで拷問器具か何かのようにも見える。だが……」

 

 彼女は蒼介の腰にあるグリップに視線を移した。

 

「ソウスケが考案したものだ。また常識外れの威力を発揮するのだろうな。昨日の足ひれのように」

「期待しててくれ。こいつがあれば、水中戦の次元が変わる」

 

 蒼介はニヤリと笑い、親父に代金――金貨数枚という大金だ――を支払った。

 店を出ると、夕暮れの風が頬を撫でる。

 明日は、いよいよ未踏の領域、第31層への挑戦だ。

 

 

 *

 

 

 宿に戻った蒼介たちは、それぞれの部屋で最後の準備と休息を取っていた。

 蒼介はベッドに腰掛け、『水流噴射推進機』のメンテナンスを行っていた。各部のネジを増し締めし、魔力回路の接続を確認する。

 手元には、薄暗いランプの灯りが揺れている。

 

(ここまで、来たか)

 

 ふと、手が止まる。

 窓の外には、異世界の夜空が広がっている。見慣れない星座。二つの月。

 日本にいた頃、シーカーとしての自分は、決して冒険をしない男だった。

 B-ランク。

 それは、一般人から見れば超人だが、上級シーカーの世界では使い捨ての兵隊に過ぎない。

 安全マージンを取り、リスクを避け、適度な稼ぎで日々を食いつなぐ。かつて仲間を失ったあの日から、蒼介は「上」を見ることをやめていた。高みを目指せば、必ず誰かが死ぬ。自分が死ぬならまだいい。だが、背中を預けた誰かが、自分の判断ミスで死ぬのは御免だった。

 

 だというのに。

 今の自分はどうだ。

 誰一人として到達していない大迷宮の深層へ、自ら飛び込もうとしている。

 

(……俺一人なら、とっくに逃げ出してたかもな)

 

 視線を、部屋の隅に置かれた装備に移す。

 そこにはセレスの磨き上げられた鎧と、リリアの宿るペンダントが置かれた机がある。

 壁一枚隔てた隣の部屋には、セレスがいるはずだ。

 

 昨日の『水蟇の泉』での戦い。

 トード・ロードの舌を紙一重で回避したとき、蒼介の脳裏をよぎったのは、恐怖よりも先に「後ろにいるセレスに当ててはいけない」という思考だった。

 そしてセレスもまた、蒼介が囮になっている間に迷わず突撃の準備を整えていた。

 

 言葉にしなくとも通じ合う連携。

 背中を預けられる安心感。

 

 それは、かつて失い、二度と手に入らないと諦めていたものだった。

 

『ソウスケさん、考え事ですか?』

 

 脳内に、鈴を転がしたような声が響く。

 机の上のペンダントが、淡い光を放っていた。

 

「ああ、リリアか。……ちょっと、昔のことを思い出してな」

『昔、ですか?』

「日本にいた頃のことさ。俺は臆病で、慎重で、つまらない男だったよ」

『……そうですか? わたくしの知るソウスケさんは、慎重ではありますが、臆病ではありませんわ。誰よりも勇気があり、そして優しい方です』

 

 リリアの言葉には、一点の曇りもない信頼が込められていた。

 それがむず痒くもあり、同時に胸を熱くさせる。

 

「買いかぶりすぎだ。……だが、そうだな。お前たちの前では、格好悪いところは見せられないな」

 

 蒼介は苦笑しながら、推進機のカバーを閉じた。

 カチリ、という音が静寂に響く。

 それは、蒼介の中にあるスイッチが切り替わる音でもあった。

 

 ただ生き延びるためではない。

 彼女たちを守り、その願いを叶えるために戦う。

 その覚悟が、今の蒼介を突き動かす原動力となっていた。

 

「明日は頼むぞ、リリア。お前の知識が頼りだ」

『はい、お任せください。……少々不安もありますけれど』

 

 リリアの声色が、わずかに陰る。

 第31層から始まる『静寂の水没都市』。そこは、かつて彼女が生きたアルストロメリア王国の成れの果てだと言う。

 自分の故郷が、魔物の巣窟と化し、水底に沈んでいる光景を見るかもしれない。

 その恐怖は、計り知れないものだろう。

 

「大丈夫だ」

 

 蒼介は短く、しかし力強く言った。

 

「何があっても、俺とセレスがいる。お前一人には背負わせない」

『……ソウスケさん。……ありがとうございます』

 

 光が、温かく脈打ったように見えた。

 

 

 *

 

 

 一方、隣室。

 セレスティーナ・エッケハルトは、窓辺に立ち、月明かりに照らされた短剣を見つめていた。

 昨日手に入れた『流水の短剣』ではない。

 何の魔力も帯びていない、ただの鋼の短剣。

 トード・ロードにトドメを刺した、あの一撃に使った武器だ。

 

(私は、変わったな……)

 

 彼女は自嘲気味に微笑んだ。

 エッケハルト家は、代々騎士の家系だ。

 正々堂々、正面から敵を打ち破ることを是とし、小細工や搦め手を卑怯者の振る舞いとして忌避してきた。

 かつてのセレスなら、泥を浴び、毒にまみれ、敵の背後を狙うような戦い方は決して選ばなかっただろう。

 

 だが、今の彼女は違う。

 蒼介と出会い、彼の戦いを見るうちに、その考えは根底から覆された。

 

 生き残るための執念。

 勝つための工夫。

 綺麗事だけでは守れないものがあることを、彼女は知った。

 

(あの男は、不思議だ)

 

 魔法を使えない無能のように見えて、誰よりも魔法の本質を理解しているような戦い方をする。

 飄々としているようで、その瞳の奥には冷徹な計算と、燃えるような情熱が同居している。

 

 セレスは短剣を鞘に収め、胸に手を当てた。

 そこには、目に見えない誓いがある。

 

 ――私は、彼と共に往く。

 

 最初は、リリアーナ王女への忠義が理由だったかもしれない。

 だが今は、それだけではない。

 神谷蒼介という一人の男の背中を、支えたいと思う自分がいる。

 彼が目指す「元の世界への帰還」。

 それが叶えば、別れが訪れることは分かっている。

 それでも構わない。

 その時が来るまで、彼の剣となり、盾となること。それが今のセレスにとっての騎士道だった。

 

「……さて、明日は水中戦か」

 

 彼女は気を引き締めるように頬を叩いた。

 蒼介が用意したあの奇妙な機械。

 彼のことだ、きっと常人の想像を絶する使い方をするに違いない。

 それに遅れを取るわけにはいかない。

 

「見せてやるさ。エッケハルトの騎士が、ただの堅物ではないということを」

 

 セレスはベッドに潜り込み、明日に備えて目を閉じた。

 その表情は、嵐の前の静けさのように穏やかで、しかし確固たる意志に満ちていた。

 

 

 *

 

 

 翌朝。

 テルスの街は、朝霧に包まれていた。

 大迷宮への入り口となる広場には、すでに多くの冒険者たちが集まり始めていたが、深層を目指す蒼介たちの装備は、周囲から浮きまくっていた。

 

 特に、蒼介の背中に背負われた巨大なタンク。

 そして全身から漂う、研ぎ澄まされた気配。

 

「おい、あれ見ろよ。あの背負ってるのなんだ?」

「銅級のパーティーか? いや、あの女騎士、銀級の実力者って噂だぞ」

「男の方は見ねえ顔だな……荷物持ちか?」

「馬鹿、あいつら『霧殺し』だぞ」

「それってあの……?」

 

 ひそひそ話す声が聞こえるが、蒼介は気にも留めない。

 今の彼にとって、外野の声などノイズでしかない。

 

「準備はいいか?」

「ああ、いつでもいける」

『万全ですわ』

 

 確認は短く済ませ、三人は転移門《ポータル》へと足を踏み入れた。

 今回の目的地は、第30層。

 そこから歩いて、第31層へのゲートを目指す。

 

 視界が歪み、一瞬の浮遊感の後、景色が一変した。

 第30層【濃霧と幻影の回廊】。

 すでに攻略済みのこの階層は、魔物の気配も薄く、ただ乳白色の霧が立ち込めているだけだ。

 

 湿った空気が肌にまとわりつく。

 だが、この湿気は単なる霧ではない。

 すぐ下の階層に広がる、巨大な水塊からの予兆だ。

 

「ここを抜ければ、いよいよだな」

 

 蒼介が先頭を歩く。

探知(サーチ)】を常時発動させ、周囲を警戒しながら進む。

 霧の向こうに、ぼんやりと青白い光が見えてきた。

 第31層へのゲートだ。

 これまでの階層をつなぐゲートとは異なり、その光の渦はまるで水面のように揺らめき、時折ポコポコと気泡のようなものが浮かんでは消えている。

 ゲートの前に立つと、ひんやりとした冷気と共に、肌が粟立つような濃密な魔力を感じた。

 

「……すごい魔力濃度だ。今までとは桁が違う」

 

 セレスが槍を握る手に力を込める。

 

「ここから先は、かつてのアルストロメリア王国の領土……そして今は、深き水の底」

 

 蒼介は振り返り、二人の顔を見た。

 セレスの碧眼は、霧の中でも強く輝いている。

 胸元のペンダントも、呼応するように明滅している。

 

「俺たちが挑むのは、ただの迷宮攻略じゃない。過去との対峙、そして未来への道作りだ」

 

 蒼介は言いながら、『水流噴射推進機』のメインバルブを開放した。

 プシュウ、と微かな排気音が鳴り、魔石の駆動音が低く唸り始める。

 

「行くぞ、リリア、セレス」

「ああ、我が槍に誓って、必ず勝利を」

『ええ、参りましょう。わたくしたちの物語の、続きへ』

 

 言葉は、もう必要なかった。

 三人は並んで、その蒼き深淵の門を見据える。

 恐怖はある。

 だが、それ以上に、この仲間とならどこへだって行けるという確信があった。

 

 蒼介が一歩、足を踏み出す。

 セレスが続く。

 リリアの光が二人を包む。

 

 その一歩が、彼らの運命を大きく変えることになるかもしれない。

 だが、彼らは止まらない。

 それぞれの覚悟を胸に、彼らは未知なる水底の世界へと、その身を投じるのだった。

 

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