異邦人と大迷宮~現代ダンジョンシーカーは、スキルと知恵で異世界迷宮の果てを目指す~ 作:九泉
冒険者都市テルスの喧騒は、夜更けを回っても止むことを知らない。
迷宮から持ち帰られた戦利品を祝う杯の音、明日の探索への不安を掻き消すような笑い声、そして酒精と脂の匂いが混じり合った独特の熱気。
だが、ギルドに併設された酒場の片隅、薄暗いランプの光が落ちる一卓だけは、まるで深海の底のように重苦しい沈黙に包まれていた。
「……話にならんな」
絞り出すような低い声が、その場の空気を震わせた。
声の主は、神谷蒼介。
彼は目の前に置かれたエールのジョッキに口もつけず、ただ木目の粗いテーブルの一点を睨みつけていた。
髪はまだ生乾きで、衣服からは微かに海の匂い――いや、あの澱んだ水没都市の泥の匂いが漂っている気がした。
向かいに座るセレスティーナもまた、同様に押し黙っていた。
いつもなら背筋を伸ばし、騎士としての矜持を保っている彼女が、今は背を丸め、悔しげに唇を噛み締めている。その手は、テーブルの縁を白くなるほど強く握りしめていた。
「……ああ。想定が甘かった、と言わざるを得ない」
セレスが吐き捨てるように同意する。
第31層【静寂の水没都市】。
その初見探索は、撤退という形での幕引きとなった。命からがら逃げ帰った、というのが正しい表現だろう。
「水中の環境がこれほどまでに身体機能を阻害するとは……想定が甘かったとしか言いようがない」
蒼介は脳裏に、あの青い世界での感覚を蘇らせていた。
全身にまとわりつく水の抵抗。
一挙手一投足に陸上の数倍の負荷がかかり、ナノマシンによる身体強化をもってしても、思うような速度が出せないもどかしさ。
そして何より、攻撃力の減衰が致命的だった。
水深、水圧、そして漂う魔素の濃度。
それら全てが、侵入者である人間を拒絶し、死へと誘うような悪意に満ちていた。
「魔法もだ。流れる水の壁が一枚あるだけで、威力がこれほど削がれるとは……」
セレスが悔しげに呟く。
彼女は今日、水中戦を想定して愛剣ではなく、安物の槍を装備して挑んでいた。だが、慣れない武器に加え、得意の魔法剣も水の中では拡散してしまい、本来の破壊力を発揮できなかったのだ。
水流は刃の軌道を狂わせ、水圧は衝撃を殺す。
陸上であれば岩をも砕く彼女の一撃が、水中では泥人形を叩くような鈍い感触にしかならない。
「水蟇の泉」の主、トード・ロード。あそこはあくまで「泉」であり、足場もあった。
だが、第31層からは完全な水中だ。
三次元的な空間把握と、全方位から迫る脅威への対処。それらが欠落した状態での探索がいかに無謀か、二人は骨の髄まで思い知らされていた。
(それに……)
蒼介は視線を、自身の胸元へと落とした。
服の下に隠れたペンダント。
いつもなら、蒼介の思考に呼応するように温かな光や声を返してくれる相棒の気配が、今はほとんど感じられない。
リリアーナ・エル・アルストロメリア。
500年前の亡国の王女である彼女にとって、変わり果てた故郷の姿を目の当たりにしたショックは、計り知れないものだっただろう。
美しかった王都が水底に沈み、魔物の巣窟となっている。
その現実は、魂だけの存在である彼女を深く傷つけ、殻に閉じこもらせてしまっていた。
(今は、そっとしておくしかねえか……)
かける言葉が見つからない。
無責任な慰めは、かえって彼女の傷を抉るだけだ。
蒼介は短く息を吐くと、温くなって炭酸の抜けたエールを一気に呷った。
苦味が喉を駆け抜けるが、胸の内の蟠りは晴れない。
「今日はもう休もう。……具体的な対策は、明日だ」
「……そうだな。頭を冷やして、出直すとしよう」
二人は重い足取りで席を立ち、宿へと向かった。
背中で聞く酒場の喧騒が、ひどく遠い世界の出来事のように感じられた。
翌朝。
窓から差し込む陽光が、部屋の中の沈滞した空気を僅かに和らげていた。
宿の一室に集まった三人は、テーブルを囲んで改めて対策会議を開いていた。
蒼介は羊皮紙を広げ、羽根ペンでさらさらと文字を書き連ねていく。
現代語と異世界語が混ざった独特のメモ書きだが、思考を整理するにはこれが一番だった。
「現状の問題点は大きく分けて三つある」
蒼介はペン先で羊皮紙を叩き、二人――実体化したセレスと、ペンダント越しのリリア――に視線を向けた。
リリアの気配は昨夜よりは落ち着いているものの、まだどこか儚げだ。それでも、彼女は蒼介の声に耳を傾けてくれている。
「第一に、機動力。水中じゃ【
「第二に、攻撃力。俺のナイフもセレスの剣も、水という媒体に威力を殺されている。魔法も同様だ」
「そして第三に……情報だ」
三つ目の項目を指し示したとき、蒼介は僅かに言い淀み、胸元のペンダントへと意識を向けた。
「リリア。……辛いのは分かってる。だが、あの広大な都市を闇雲に探すのは不可能だ。王宮、あるいは王国の謎に関わる場所……そういった『当たり』をつけなきゃならん」
沈黙が落ちる。
セレスも痛ましげな表情でペンダントを見つめた。
数秒の後、脳内に鈴を鳴らすような、しかし震えた声が響いた。
『……はい。分かっておりますわ』
リリアの声は細いが、そこには王族としての芯の強さが残っていた。
『申し訳ありません。昨日は、あまりの光景に……記憶が混乱してしまって。見知った場所が、あまりにも無惨な姿になっていたものですから……』
「謝るな。誰だってああなる。……責めてるわけじゃねえんだ」
蒼介は優しく語りかける。
「だが、お前の知識が必要だ。俺たちが生きてあそこを突破するためには、お前が道標になってくれないと困る」
『……ええ。ソウスケさんの仰る通りですわ。わたくしが立ち止まっていては、あそこで眠る民たちも浮かばれませんもの』
リリアの気配が、少しだけ強まるのを感じた。
彼女もまた、戦おうとしている。悲しみと向き合い、前へ進もうとしているのだ。
「よし。じゃあ、まずは機動力の確保からだ」
蒼介は話を具体的な戦術論へと移した。
雰囲気を切り替えるように、努めて事務的な口調を作る。
「水中で速く動く……単純に考えれば水泳訓練だが」
「それも必要だろうが、根本的な解決にはならんな。我々の筋力では、魔物である魚たちの速度には到底及ばない」
セレスが腕組みをして首を振る。
人間がいくら泳ぎを鍛えたところで、水中適応した魔物と追いかけっこをして勝てるはずがない。
必要なのは、生物としての限界を超えるための外部的な力だ。
「必要なのは『推進力』だ。自分の力で水を掻くんじゃなくて、水を後ろに噴射して、その反動で前へ進む」
蒼介は身振り手振りを交えながら、現代知識におけるスクリューやジェット噴射の概念を説明した。
この世界には存在しない概念だが、原理さえ分かれば魔法や魔道具で再現は可能だ。
「俺は、例の『水流噴射推進機』を本格的に実戦投入するつもりだ」
「ああ、あの鍛冶屋で作らせていた背負い式の機械か」
「そうだ。前回の探索ではあくまで『持っていっただけ』で、調整不足だったから使わなかったが……今回はあれを実戦投入する」
『
魔石の力で水を圧縮・噴射するあの装置は、理論上は爆発的な加速を生むはずだ。制御さえできれば、魔物をも凌駕する機動力を得られる。
「俺はあれでいく。だが、セレス、お前はどうする? 同じものを作るには金も時間もかかる」
「ふむ……」
セレスは顎に手を当て、考え込んだ。
彼女は魔法剣士だ。魔力操作に関しては、蒼介よりも遥かに長けている。
「ソウスケの話を聞いて思ったのだが……風の魔法を、応用できないか?」
「風?」
「ああ。爆発的な風を背後や足裏から噴射する。その噴出の勢いを利用すれば、似たような推進力が得られるのではないか?」
セレスの提案に、蒼介は目を丸くした。
風魔法による水中推進。
それはまるで、スーパーキャビテーション魚雷か、あるいはロケットのような発想だ。
騎士として正攻法を好んでいた以前の彼女なら、決して思いつかなかったアイデアだろう。
「……面白い。水中で風を使えば、周囲の水を押しのける効果も期待できる。水の抵抗を減らす『泡の膜』を纏いながら加速するイメージか」
「そんな使い方は教本にも載っていなかったし、思いもしなかったが……。理論は分かる。水の魔術師が使う『水流操作』を、風で代用するわけだな」
セレスの碧眼に、挑戦的な光が宿る。
柔軟な発想。それこそが、シーカー、いや、冒険者として生き残るために最も必要な資質だ。
「よし、機動力の方針はそれでいこう。次は攻撃力だ」
蒼介は羊皮紙に『刺突』と『雷』の文字を書き込んだ。
「水中でも威力が減衰しにくい物理攻撃は、切断よりも『刺突』だ。水の抵抗を受ける面積が小さいからな」
「ならばやはり槍だな。私も騎士の嗜みとして槍術の心得はある。剣ほど自在ではないが、昨日のような無様は晒さないはずだ」
セレスが即答する。
彼女のメインウェポンは剣だが、エッケハルト家ではあらゆる武器の扱いに精通することが求められる。抵抗はないようだった。
「そして、魔法だ。火は水に消され、風は及ぶ範囲が狭い。土は重すぎる。となれば……」
「『雷』、ですわね」
リリアが補足するように声を上げた。
『水は雷をよく通しますの。広範囲に電撃を伝播させるなら、水中という環境はむしろ好都合かもしれませんわ』
「感電……その、術者や味方がダメージを受けないのか?」
蒼介が一番危惧しているのはそこだった。
現代知識で言えば、水中に電流を流せば全体が感電する。自分たちもただでは済まない。
『その点は大丈夫ですわ。魔法による雷撃は、あくまで術者が指定した対象、あるいは方向へ向かう魔力の奔流ですの。自然現象としての雷とは異なり、術者の制御下にある限りは味方を巻き込むことはありませんわ』
「ただし、制御を失えばその限りではないがな」
セレスが苦笑交じりに付け加える。
「火球魔法が、術者の手元で爆発すれば術者自身も火傷を負うのと同じ理屈だ。放たれた雷撃が水を伝って拡散したとしても、その『敵意』の指向性は維持される。……まあ、あまりに近い距離で放てば、余波で多少痺れるくらいはあるかもしれんが」
「なるほどな……。魔法物理学、って感じか」
蒼介は納得したように頷いた。
魔法には魔法の法則がある。ナノマシン頼りの自分には扱えない領域だが、セレスとリリアがいれば心強い。
「なら、攻撃面は『槍』と『雷魔法』の習得で行こう。セレス、雷魔法の適性は?」
「……正直に言えば、あまり良くない」
「そうなのか? だって前にほら、『我が剣は雷!』ってやつ……」
「【サンダー・スラッシュ】だな。実のところ、あれは雷属性の魔法剣としては初級だ。だが、必要とあらばものにしてみせよう」
「頼もしい限りだ。金ならある。必要な教本や触媒は惜しまず買おう」
最後に、情報。
「リリア。無理は承知で頼む。500年前の王都の地図……思い出せる限りでいい、描いてくれ」
蒼介は真っ直ぐな視線を虚空に向けた。
そこには、見えないリリアがいるはずだ。
「お前の記憶が、俺たちの命綱になる」
『……はい。やってみますわ』
リリアの声に、迷いはなかった。
過去と向き合う痛みよりも、今を生きる仲間を助けたいという想いが勝ったのだろう。
『王宮の配置、主要な施設、そして隠し通路……。記憶の底から掬い上げて、必ずお役に立てる地図を描いてみせますわ』
三人の意志が固まった。
それぞれの役割と、成すべきこと。
漠然としていた不安が、具体的な課題へと変わっていく。
「よし。準備期間は三日だ。それ以上かけると感覚が鈍る」
蒼介が立ち上がる。
セレスも、力強く頷いて椅子を引いた。
「三日で仕上げる。……忙しくなりそうだな」
「ああ。死ぬ気でやろうぜ。死なないためにな」
その日の午後から、三人は手分けして行動を開始した。
蒼介が向かったのは、郊外にある大きな湖だった。
人目を避けるため、葦が生い茂る岸辺を選んだ。
背中には、修理と調整を終えた『水流噴射推進機』が装着されている。
「さて……ぶっつけ本番で痛い目を見るのは御免だからな」
蒼介は準備運動を済ませると、腰まで水に浸かった。
冷たい水温が肌を刺すが、ナノマシンが体温調整を行い、不快感を軽減してくれる。
グリップを握り、魔力回路を開く。
「出力5%……始動」
ボォッ、という低い音と共に、背中のタンクから水流が噴き出した。
体がふわっと浮き上がり、前方へと押し出される。
ここまでは順調だ。
だが、問題はここからだった。
「出力20%!」
トリガーを引き絞った瞬間、背後から強烈な衝撃が走った。
ドンッ! と誰かに背中を蹴飛ばされたような感覚。
次の瞬間、蒼介の視界は天地が逆転していた。
「ぶあっ!?」
水面に叩きつけられ、そのまま水中で錐揉み回転を始める。
制御不能。
推進力のベクトルが定まらず、体が独楽のように回転してしまっているのだ。
(くそッ、パワーがありすぎる……! 姿勢制御が追いつかねえ!)
蒼介は慌てて出力をカットし、水面へと顔を出した。
咳き込みながら岸へ這い上がる。
「はぁ、はぁ……。なるほど、ただ噴射すればいいってもんじゃないな」
体幹のバランス、噴射ノズルの微妙な角度調整、そして自身の重心移動。
それらが完璧に噛み合わなければ、ただの暴走する鉄塊だ。
蒼介は濡れた髪を掻き上げ、【
自身の体と装置の状態をスキャンし、最適な装着位置と噴射角を計算する。
(重心が少し高すぎる。ベルトの位置を下げて、ノズルを3度外側に開く……)
工具を取り出し、その場で調整を始める。
地味で泥臭い作業だが、これを怠れば命はない。
何度も水に飛び込み、回転し、水を飲み、そして調整する。
その繰り返し。
やがて日が傾き始める頃、蒼介はようやく、ある程度スムーズな直進移動のコツを掴みかけていた。
「……よし、いいぞ。これなら……!」
水飛沫を上げて湖面を疾走する感覚。
風を切るのではなく、水を切る快感。
蒼介の口元に、獰猛な笑みが浮かんだ。
一方、セレスはギルドの訓練場にいた。
その手には、新調したばかりの長槍が握られている。
穂先は鋭く、柄は彼女の身長よりも頭一つ分長い。装飾の少ない実戦的な業物だ。
「シッ!」
鋭い呼気と共に、槍が突き出される。
風切り音が鳴り、仮想敵として立てられた案山子の喉元を正確に貫いた。
流石の腕前だ。
だが、セレスの表情は険しい。
「……まだだ。遅い」
彼女が求めているのは、ただの突きではない。
水中という高抵抗下での、必殺の一撃だ。
そして、それに付与すべき魔力。
「雷よ……我が刃に宿れ」
セレスが詠唱と共に魔力を練り上げる。
バチッ、バチチッ!
槍の穂先に紫電が走る。
だが、その光は不安定に明滅し、時折彼女の手元へと逆流して火花を散らした。
「くっ……!」
手袋が焦げ、微かな痛みが走る。
雷魔法は、制御が難しい。特に、普段使い慣れていないスキルとなれば尚更だ。
魔力の出力を上げれば暴走し、抑えれば威力が足りない。
その繊細なバランス感覚を、身体に叩き込む必要があった。
(ソウスケは、もっと無茶なことをやっている。私がこの程度で音を上げてどうする)
セレスは焦げた手袋を脱ぎ捨て、素手で槍を握り直した。
痛みなど、気付け薬にもならない。
彼女の脳裏には、あの水没都市で見た、先祖レオンハルトの石像が焼き付いている。
王女を守り抜いた騎士の姿。
自分もそうありたいと願った。いや、ならねばならない。
「もう一度だ……!」
訓練場に、紫電の輝きと裂帛の気合いが響き渡る。
彼女の美しい金髪が、静電気でふわりと逆立っていたが、それを気にする余裕など彼女にはなかった。
そして、宿の一室。
静寂の中で、ペンの走る音だけが響いていた。
テーブルの上には、上質な羊皮紙が広げられている。
そこに描かれているのは、精緻な地図だ。
物理的な肉体を持たないリリアは、僅かな魔力でペンを操り、自動筆記のように線を引いていた。
『ここの通りは……パン屋があって、角を曲がると広場が……』
彼女の記憶が、インクとなって紙の上に定着していく。
それは、失われた故郷の再構築作業でもあった。
思い出すたびに、胸が締め付けられるような痛みが走る。
笑顔でパンを焼いていたおじさん。
広場で遊んでいた子供たち。
城のバルコニーから見下ろした、美しい街並み。
それらはもう、どこにもない。
今は冷たい泥の下だ。
ペン先が震え、インクが滲みそうになる。
涙が溢れそうになるのを、リリアは必死に堪えた。
(泣いてはいけません。わたくしは、アルストロメリアの王女なのですから)
彼女は自分自身に言い聞かせる。
ソウスケもセレスも、傷だらけになりながら前に進もうとしている。
自分が立ち止まるわけにはいかない。
『王宮の書庫は……東棟の地下。そして、宝物庫への隠し扉は……』
彼女は記憶の奥底にある、王族しか知り得ない秘密を掘り起こしていく。
それはかつて、父王からこっそりと教わった秘密の抜け道や、いたずらで隠れた屋根裏部屋の記憶とも繋がっていた。
幸せだった日々の記憶が、今は攻略のための情報となる。
残酷だが、それが今の彼女にできる唯一の戦いだった。
羊皮紙の上に、かつての王都が蘇っていく。
その地図は、涙の跡一つなく、ただ正確で美しい線で描かれていた。
それが、リリアーナ・エル・アルストロメリアの矜持だった。
*
そして、三日後。
宿の部屋に、再び三人が集結した。
それぞれの顔には、疲労の色が濃く滲んでいる。
だが、その瞳に宿る光は、三日前とは比べ物にならないほど鋭く、強靭なものに変わっていた。
「……仕上がったようだな」
蒼介がニヤリと笑う。
彼の背中には、傷だらけになりながらも調整を終えた『水流噴射推進機』が装着されている。
金属の表面は磨き上げられ、配管の取り回しも以前より洗練されていた。
蒼介の腕や首筋には、打撲や擦り傷の跡が見えるが、それは彼がこの装置を手懐けた証でもあった。
「ああ、いつでもいける」
セレスが短く応じる。
彼女が背負うのは、青白い光沢を放つ長槍だ。
そして、その全身から漂う魔力の質が変わっていた。
静電気のようなピリピリとした気配。
彼女は三日間で、雷魔法の基礎を叩き込み、それを実戦レベルの「魔法槍」へと昇華させていた。指先にはいくつもの包帯が巻かれているが、槍を握る手は揺るぎない。
そして、テーブルの中央には。
一枚の地図が広げられていた。
「すごいな……ここまで詳細だとは」
蒼介が感嘆の声を漏らす。
そこには、王都アルストロメリアの全貌が描かれていた。
主要な通り、建物の配置、地下水路の流れ、そして王宮の内部構造まで。
記憶の欠落で空白になっている箇所もあるが、目的の場所――「王宮」と「王立大図書館」の位置は明確に記されている。
『記憶を頼りに描いたものですから、現在の崩落状況とは異なる部分もあるかと思いますわ。ですが、大まかな構造は変わっていないはずです』
リリアの声は凛としていた。
迷いや悲しみは、その声の奥底に押し込められ、今はただ王女としての威厳だけが響いている。
「十分だ。これがあれば、迷子にならずに済む」
蒼介は地図を丁寧に折りたたみ収めた。
準備は整った。
機動力、攻撃力、そして情報。
敗北を糧に、彼らは生まれ変わった。
「行くぞ。水底の都が俺たちを待ってる」
「ああ。今度こそ、攻略してやろう」
『ええ。参りましょう、わたくしたちの場所へ』
三人は部屋を出る。
後戻りはできない。
彼らの足取りは重いが、それは恐怖によるものではなく、覚悟の重さによるものだった。
目指すは、あの静寂の水没都市へ。