異邦人と大迷宮~現代ダンジョンシーカーは、スキルと知恵で異世界迷宮の果てを目指す~   作:九泉

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第72話 王宮区画と水門

 水の底に沈んだ世界は、深くなればなるほど、その青さを濃くしていく。

 水深による光の減衰。

 海面から遥か下、太陽の恩恵が拒絶されたこの領域において、唯一の光源となるのは燐光を発する苔や、微かな魔素の瞬きだけだ。

 

 蒼介は【探知(サーチ)】を全方位に張り巡らせながら、慎重に推進機の出力を調整していた。

 背負った『水流噴射推進機』は、今のところ順調に稼働している。ナノマシンによる姿勢制御と、セレスという頼もしい前衛がいるおかげで、ここまで致命的なトラブルもなく進んでこられた。

 

 だが、ここから先は空気が違う。いや、水の味が違うと言うべきか。

 肌を刺す冷気が、物理的な水温によるものだけでなく、歴史の重みを含んだ冷徹な拒絶のように感じられたのだ。

 

『……近づいて、きましたわ』

 

 脳内に響くリリアの声が、緊張と哀切を含んで震えた。

 蒼介とセレスは、前方の闇の中に浮かび上がる巨大な影を見上げた。

 

「……こいつは、たまげたな」

 

 蒼介の口から、感嘆とも畏怖ともつかない息が漏れた。

 聳え立つのは、かつてアルストロメリア王国の栄華を象徴していた王宮だ。

 これまでに通り過ぎてきた貴族街の屋敷や、神殿のような建物とは、根本的に規模が違う。

 岩盤を削り出して作られた基部の上に、無数の尖塔と城壁が複雑に組み合わさっている。

 

 五百年もの間、水底の泥と水流に晒され続けながらも、その城は未だに王者の威厳を保っていた。

 外壁の白亜は藻に覆われて緑黒く変色し、所々が崩落して痛々しい断面を晒している。だが、その骨格は揺るぎない。

 かつては五色の旗が翻っていたであろう尖塔の先には、今はただ沈黙だけが突き刺さっている。

 

「これが、アルストロメリア王宮……」

 

 セレスが呆然と呟く。

 彼女は騎士だ。城郭建築を見る目は肥えているはずだが、その彼女をして言葉を失わせるほどの威容。

 魔法文明華やかなりし頃の建築技術は、現代のそれをも凌駕しているのかもしれない。

 だが、その圧倒的な質量が、今はただの巨大な「墓標」としてそこにあった。

 

(でかい墓石だ……。この中に、どれだけの人間が生きて、死んでいったんだ)

 

 蒼介は胸の奥が締め付けられるような感覚を覚えた。

 リリアの生家。

 彼女が走り回り、笑い、そして守ろうとした場所。

 それが今、こうして深海の底で主の帰還を――あるいは永遠の眠りを待っている。

 

「……行こう。中に入らなきゃ、何も始まらない」

 

 感傷に浸りそうになる意識を、蒼介は努めて現実的な思考へと引き戻した。

 目的は観光でも墓参りでもない。

 攻略だ。

 この先に眠る「答え」を見つけ出し、生きて帰ること。

 

「ああ。……リリア、案内を頼めるか?」

『はい。……正面の大門から、中庭へ抜けるルートが一番近道のはずです』

 

 三人は再び移動を開始した。

 王宮へと続く巨大な石橋を渡る。欄干には海竜や精霊を象った彫刻が並んでいるが、その多くは首が落ちたり、半壊したりしていた。

 まるで、侵入者を見下ろす死者の視線のように感じるのは、蒼介の気のせいだろうか。

 

 橋を渡りきると、そこには絶望的なまでに巨大な壁が立ちはだかっていた。

 王宮区画への入り口、正門だ。

 

「……閉まってる、か」

 

 蒼介は舌打ちした。

 そこには、高さ三十メートルはあろうかという巨大な金属製の門が鎮座していた。

 城壁と一体化したその門は、五百年の腐食に耐え、鈍い銀色の光沢を放っている。

 ただの鉄ではない。おそらく、魔法的なものを含有した合金だろう。

 表面には複雑怪奇な幾何学模様が刻まれ、それが血管のように門全体へと広がっていた。

 

「開く気配はなさそうだな」

 

 セレスが槍の石突きでコツコツと門を叩く。

 重厚な音が水中に響くが、門は微動だにしない。

 

『王宮防衛用の遮断門ですわ。緊急時には王城を遮断し、王宮区画を隔離するために作られたものです。……まさか、作動したままになっているなんて』

 

 リリアの説明を聞きながら、蒼介は門の表面を観察した。

 刻まれた紋様が、蛍のように淡く明滅している。

 魔力だ。

 この門は、単なる物理的な壁ではない。

 

「まだ魔術が生きてるのか……。五百年も前のシステムだぞ?」

「古代魔法文明の遺産か。厄介だな」

 

 セレスが眉をひそめ、槍の穂先を門の隙間に差し込もうとした。

 物理的にこじ開けられないか試そうとしたのだろう。

 だが。

 

 バチッ!!

 

 青白い火花が散り、強烈な衝撃音が響いた。

 セレスの手から槍が弾かれそうになる。

 

「くっ!?」

「セレス!」

 

 彼女は慌てて体勢を立て直し、痺れた右手を振った。

 槍の穂先が微かに赤熱している。

 

「……魔法障壁か。それも、かなり強力な反発結界だ。触れただけでこれなら、強引に破壊しようとすれば何倍もの威力で跳ね返されるぞ」

「物理的な破壊は無理、か。……それに、こいつも厄介だ」

 

 蒼介は門の下部、地面との僅かな隙間を指差した。

 そこからは、凄まじい勢いで水流が噴き出していた。

 ゴウゴウと唸りを上げる激流は、まるでウォーターカッターのように鋭く、近寄るものを切り刻もうとしている。

 

「王宮内部と外部の水圧差か、あるいはこれも防衛機構の一部か……。どっちにしろ、ネズミ一匹通さない鉄壁の守りってわけだ」

 

 正面突破は不可能。

 だが、ここで立ち止まるわけにはいかない。

 蒼介は目を閉じ、深く集中した。

 体内のナノマシンを活性化させ、感覚を研ぎ澄ませる。

 

(【探知(サーチ)】……)

 

 瞼の裏に広がる闇の中に、光のラインが浮かび上がる。

 水門に刻まれた紋様を流れる力――魔力。その供給源はどこだ。

 光の奔流を視線で遡っていく。

 複雑に絡み合う力のパイプラインは、門の蝶番を経由し、海底の石畳の下を這い、そして――。

 

「……あった」

 

 蒼介はカッと目を見開き、門から右斜め後方を指差した。

 

「あそこだ。あの塔」

 

 彼が指し示した先には、城壁の一部から突き出すように建てられた、小高い尖塔があった。

 他の塔に比べれば地味で飾り気のない造りだが、蒼介の目には、そこへ向かって太い魔力のラインが収束しているのが見えていた。

 

「あの塔が怪しい。水門の制御室か、あるいは魔力の供給源のどちらかだ」

「なるほど。あそこを叩けば、この結界も解除できる可能性があると?」

「ああ。あるいは、手動で開閉する装置があるかもしれない。……リリア、あの塔に見覚えは?」

 

『……あそこは、確か……水利管理局の分室だったはずです。王宮区画の水路や水門を管理していた施設ですわ』

 

 ビンゴだ。

 蒼介は拳を握った。

 

「よし、決まりだ。あの塔へ向かうぞ」

 

 方針は決まった。

 三人が塔へ向かって移動しようと、身を翻したその瞬間だった。

 

 ピリリッ。

 

 蒼介の脳裏に、不快な警告音が走った。

 第六感ではない。【探知(サーチ)】が拾った、明確な敵性反応だ。

 

「……ッ!?」

 

 速い。

 尋常ではない速度で、複数の反応がこちらに接近してくる。

 それは徘徊する魔物のような不規則な動きではない。

 一直線に。

 明確な殺意と、統率された動きで、侵入者を包囲しようとする機動。

 

「敵だ! セレス、構えろ!」

「なにッ!?」

 

 蒼介の叫びと同時に、水流が爆ぜた。

 後方の暗がりから、六つの影が弾丸のように飛び出してくる。

 

 水を切り裂く鋭い音。

 セレスが反射的に槍を突き出し、迫りくる影の一撃を受け止めた。

 

 ガギンッ!!

 

 重い金属音が響き渡り、衝撃波が水を揺らす。

 セレスの身体が後方へと押し流される。

 それほどの膂力。

 

「くぅッ……! 重い……!」

 

 セレスは風魔法で体勢を立て直し、敵を睨みつけた。

 そこにいたのは、今まで遭遇したマーマンとは明らかに異なる存在だった。

 

 体長は二メートルを優に超えている。

 全身を覆う鱗は鋼のように硬質で、深い群青色に輝いている。

 発達した筋肉は鎧のように盛り上がり、手にはボロボロになりながらも鋭さを失っていない三叉槍が握られていた。

 そして何より異質なのは、彼らが身につけている装備だ。

 古代の意匠が施された胸当て、兜、そして腕甲。

 それらは紛れもなく、人間が鋳造した武具だった。

 

「……ッ、あれは……!」

 

 リリアの息を呑む気配が伝わってくる。

 蒼介もまた、背筋に冷たいものが走るのを感じた。

 ただの魔物ではない。

 その立ち姿、槍の構え、そして眼光。

 そこには知性と、戦士としての「型」があった。

 

「ああっ……!」

 

 リリアの声が震える。

 

『まさか、彼らは……』

「知ってるのか、リリア!」

『……はい。あの鎧、あの紋章……。彼らは五百年前、王宮を守っていた近衛兵団の兵士たちですわ』

 

 近衛兵。

 王族を守るために選び抜かれた精鋭たち。

 それが、五百年という時を経て魔物と成り果て、今なおこの門を守っているというのか。

 

『彼らは、王宮を守るという使命感だけで……死してなお、その魂をこの場所に縛り付けられているのです』

 

 リリアの悲痛な叫びが、蒼介の胸に突き刺さる。

 目の前の怪物は、かつてリリアを守り、彼女に忠誠を誓った臣下たちなのだ。

 その彼らが今、殺意の塊となって主の行く手を阻んでいる。

 

 マーマン・ロードの一体が、喉を鳴らすような低い声を上げた。

 言葉ではない。だが、そこには明確な意思があった。

 

 ――ここを通すわけにはいかない。

 ――王の眠りを妨げる者は、排除する。

 

 彼らは扇状に展開し、蒼介たちを完全な包囲網の中に捉えた。

 一糸乱れぬ連携。

 野生の魔物にはない、軍隊としての戦術行動だ。

 

「近衛兵の成れの果て、か……。道理で、動きに無駄がねえわけだ」

 

 蒼介は推進機のグリップを強く握りしめた。

 手汗が滲む。

 ゴリ押しが通じる相手ではない。

 これは「狩り」ではない。

 「戦争」だ。

 

「セレス、覚悟しろよ。こいつらは強い」

「ああ、見れば分かる。……だが」

 

 セレスは槍を構え直し、静かに闘志を燃え上がらせた。

 その碧眼が、かつての同業者たち――騎士の末路を真っ直ぐに見据える。

 

「騎士としての誇りにかけて、亡霊に後れを取るつもりはない。……彼らを、眠らせてやるのも慈悲だろう」

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