異邦人と大迷宮~現代ダンジョンシーカーは、スキルと知恵で異世界迷宮の果てを目指す~   作:九泉

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第74話 開け、城門

 バリケードとして積み上げた机や棚が、外からの衝撃でガタガタと震えている。

 だが、扉そのものが破られる気配はない。あの近衛兵たちの膂力を持ってしても、この塔の堅牢さは揺るがないようだ。

 

「……持ちこたえそうだな」

 

 蒼介は荒い呼吸を整えながら、背中を預けていた石壁から身を離した。

 心拍数はまだ早鐘を打っているが、思考は冷たい氷のように澄み渡っていく。

 アドレナリンとナノマシンの鎮静作用がせめぎ合っている感覚だ。

 

 外ではセレスが命懸けで時間を稼いでいる。

 一秒たりとも無駄にはできない。

 

「行くぞ」

 

 蒼介は水に濡れた髪をかき上げ、塔の上へと続く螺旋階段を見上げた。

 幸いなことに、この塔の内部構造は気密性が高かったらしい。入り口付近までは水が浸入していたが、階段の三段目あたりからは乾いた石段が続いていた。

 完全なエアポケットだ。

 水流推進機の重量がずしりと肩に食い込むが、水中での不自由な機動に比べれば、重力が支配する空間のなんと動きやすいことか。

 

 タタタッ、と乾いた足音が石造りの円塔に響く。

 蒼介は階段を駆け上がった。

 目的は最上階。そこに、あの巨大な門を制御する中枢があるはずだ。

 

 だが、この塔が無人であるという保証はどこにもない。

 むしろ、これほど重要な施設だ。防衛戦力が配置されていないと考える方が不自然だろう。

 

 その予感は、塔の中腹で現実のものとなった。

 

「シャアアアッ!」

 

 頭上の踊り場から、奇声と共に黒い影が飛びかかってきた。

 半魚人――マーマンだ。

 ただし、外にいる重装甲の近衛兵ではない。鱗の薄い、より魚に近い形状の下級種だ。

 手には錆びついた短剣が握られている。

 

「邪魔だ!」

 

 蒼介は足を止めず、加速の勢いをそのまま迎撃に乗せた。

 相手は飛びかかろうとして空中にいる。

 水中ならいざしらず、空気中での自由落下運動など、軌道が読めすぎて欠伸が出る。

 

 蒼介は上体を低く沈め、敵の斬撃を紙一重でくぐり抜ける。

 同時に、すれ違いざまにナイフを逆手に持ち、マーマンの腹部を横薙ぎに切り裂いた。

 

「ギッ!?」

 

 悲鳴を上げる間もなかっただろう。

 蒼介はそのまま階段の手すりを蹴って跳躍し、バランスを崩して落ちていくマーマンの背中を足場にして、さらに上へと跳んだ。

 

 着地と同時に、今度は二体のマーマンが左右から挟み撃ちを仕掛けてくる。

 狭い螺旋階段だ。逃げ場はない。

 

(ここなら、俺の庭だ)

 

 蒼介の口元に獰猛な笑みが浮かぶ。

 水中での圧倒的な不利、理不尽なまでの機動力差。それに対する鬱憤を晴らすには丁度いい。

 

「【迅速(ブースト)】」

 

 短くつぶやく。

 脳内物質が爆発的に分泌され、世界のスローモーション化が始まる。

 迫りくる槍の穂先が、泥の中を進むように遅く見える。

 筋肉の繊維一本一本が、蒼介の意思に過剰なほど忠実に反応する。

 

 蒼介は右側の槍を左手の甲で弾き、その反動を利用して懐へと滑り込んだ。

 がら空きになった胴体に、右肘を叩き込む。

 

 ゴッ!!

 

 鈍い音が響き、マーマンの肋骨が砕ける感触が伝わってくる。

 吹き飛んだ右の個体が、左から迫っていたもう一体に激突し、二体まとめて階段をごろごろと転げ落ちていった。

 

(おか)に上がった魚に後れは取らねえよ」

 

 蒼介は【迅速(ブースト)】を解除し、息を吐いた。

 やはり空気中はいい。

 水の抵抗がない分、体術のキレが段違いだ。

 

 その後も数体のマーマンが現れたが、いずれも蒼介の足止めにはならなかった。

 彼らは本来、水中戦に特化した種族だ。乾燥した空気の中では動きも精彩を欠いている。

 今の蒼介にとっては、ただの障害物にも等しい。

 

 一気に最上階まで駆け上がる。

 突き当たりには、豪奢な装飾が施された両開きの扉があった。

 蒼介は躊躇なくその扉を蹴破った。

 

 バンッ!!

 

 乾いた破砕音と共に、室内の空気が揺れる。

 そこは、ドーム状の広間になっていた。

 壁一面には複雑な配管と歯車が張り巡らされ、部屋の中央には、ひときわ異彩を放つ装置が鎮座している。

 

 巨大な水晶の柱だ。

 直径一メートル、高さは三メートルほどだろうか。

 その内部では青白い光が脈動し、周囲の空間にブーンという低い唸り声を撒き散らしている。

 水晶の周囲には数人の魔術師らしきローブをまとったマーマンがいたが、蒼介の侵入に驚いて杖を構えるよりも早く、蒼介が投げたナイフと蹴りによって無力化された。

 

「……こいつが、元凶か」

 

 蒼介は部屋の中央に残された装置へと歩み寄った。

 近づくだけで、肌がピリピリと痺れるような感覚がある。

 濃密な力だ。

 床から天井へと伸びるパイプラインを通して、この水晶から莫大なエネルギーがあの城門へと送り込まれているのが、目に見えるようだった。

 

「どうやって止める……?」

 

 蒼介は装置の前に立ち、操作盤らしき台座に手を触れた。

 表面には見たこともないルーン文字が刻まれ、明滅している。

 

「【物質分析(アナライズ)】」

 

 ナノマシンを起動する。

 視界に走る情報の羅列。

 

『解析中……対象:高濃度エネルギーの結晶体および制御ユニット』

『警告:論理構造が現代科学の定義と一致しません。インターフェース、互換性なし』

『エラー:未知の言語およびエネルギーによる制御システム。操作不可』

 

 視界に赤い文字が点滅する。

 蒼介は舌打ちをした。

 

「ちっ、やっぱりか! 魔法文明の遺産め、融通が利かねえな!」

 

 予想はしていた。

 ナノマシンはあくまで科学の産物だ。物理的な組成や構造は解析できても、魔術的なプロトコルや概念まではハッキングできない。

 暗号化されたパスワードを、総当たりで解こうとしているようなものだ。時間がいくらあっても足りない。

 

 だが、完全に無駄というわけではなかった。

 ナノマシンは「意味」は理解できなくても、「構造」は把握できる。

 

『……伝達経路の脆弱性を検出。エネルギー集束点、座標XYZ……』

 

 蒼介の視界に、水晶柱の根元付近にある一点が赤くハイライトされた。

 そこは、地下からの魔力を吸い上げ、増幅して城門へと送り出すための、いわば「心臓」にあたる部分。

 

「操作できないなら、物理的にぶっ壊すまでだ!」

 

 蒼介は腰のベルトから、予備のナイフを引き抜いた。

 単純明快な解決策。

 精密機械だろうが魔導装置だろうが、物理的な破壊の前には平等だ。

 

 蒼介はナイフを逆手に構え、全身のバネを使って、ハイライトされた一点へと切っ先を突き立てた。

 

 ガギィィンッ!!

 

 硬質な音が響き、火花が散る。

 水晶の表面に亀裂が走った。

 だが、まだ砕けない。

 装置が防衛本能のように輝きを増し、蒼介の腕を弾き飛ばそうとする反発力が発生する。

 

「おおおおおッ! 舐めんなァッ!」

 

 蒼介は歯を食いしばり、さらに体重を乗せた。

 ナイフの柄を通して、体内のナノマシンを直接送り込む。

 

「喰らえ、やぁああああ!!」

 

 傷口から侵入したナノマシンたちが、回路の内部構造を食い荒らすシロアリのように広がる。

 絶縁体を破壊し、プラスとマイナスを短絡させ、魔力の流れる道を強引に捻じ曲げる。

 科学による、魔術回路の強制ショート。

 

 バチバチバチッ!!

 

 装置全体が激しく痙攣したように明滅を始めた。

 低い唸り声だった稼働音が、悲鳴のような高周波へと変わる。

 

「ぶっ壊れろ……!」

 

 蒼介が最後の一押しと共にナイフをねじ込むと、パァンッ! という乾いた音と共に、水晶の一部が弾け飛んだ。

 

 ブツン。

 

 唐突に、部屋を満たしていた光が消えた。

 耳鳴りのような駆動音も、肌を刺す圧迫感も、嘘のように霧散する。

 

「……終わったか」

 

 蒼介は肩で息をしながら、光を失ってただの石の塊と化した装置を見下ろした。

 同時に、足元の床を通して響いていた地響きのような振動も止まっていた。

 外の水流が停止した証拠だ。

 

(セレス……!)

 

 蒼介は踵を返し、来た道を全力で駆け下りた。

 

 

 *

 

 

 一方、塔の外。

 広場は静寂を取り戻しつつあった。

 

「ギョッ……!?」

 

 近衛マーマンの一体が、自身の三叉槍を見つめて困惑の声を上げた。

 先端に宿っていたはずの水流の力が、霧散していく。

 彼らが頼みとしていた鉄壁の防衛システム、そして戦場を支配していた環境優位性が、根こそぎ奪われたのだ。

 

 その動揺は、歴戦の戦士である彼らにとって致命的な隙となった。

 

「……流れが変わったな」

 

 セレスティーナは、その瞬間を見逃さなかった。

 彼女の全身からは、未だバチバチと紫電が迸っている。

 

 水流に翻弄され、防戦一方だった数分前とは違う。

 今は、彼女の足元は確かであり、視界を遮る濁流もない。

 

「好機ッ!!」

 

 セレスが海底を蹴った。

 人魚のようにしなやかに、かつ雷のように鋭く。

 動揺して陣形を乱したマーマンの懐へと、一瞬で肉薄する。

 

「はぁッ!」

 

 突き出された長槍が、水の抵抗を切り裂いて一直線に伸びる。

 近衛兵の硬い鱗も、魔力を乗せた鋭利な穂先の前には紙切れ同然だった。

 

 ズプッ。

 

 乾いた感触と共に、一体の胸部を貫通する。

 セレスは槍を引き抜くと同時に回転し、背後から迫ろうとしていた別の個体を石突きで強打した。

 兜ごと頭蓋を砕くような衝撃。

 

「ギ、ギギ……ッ!」

 

 リーダー格の巨大マーマンが、撤退の合図と思われる叫び声を上げた。

 渦の消滅、魔力供給の遮断。

 

 彼らは本能と経験で悟ったのだ。この場に留まることは死を意味すると。

 彼らの使命は「侵入者を排除すること」だが、それ以上に「王宮を守る戦力を維持すること」が優先されるのかもしれない。

 

 近衛マーマンたちは憎々しげにセレスを睨みつけると、一斉に背を向け、姿を消していった。

 

「……逃げたか」

 

 セレスは追撃しなかった。

 深追いは禁物だ。それに、今の彼女にこれ以上戦う余力は残されていない。

 彼女はふぅーっと長く息を吐き、槍を杖代わりにして身体を支えた。

 

 そこへ、塔の入り口から蒼介が飛び出してきた。

 背中の推進機から泡を吹き出しながら、セレスの元へと滑り込んでくる。

 

「セレス! 無事か!」

「……ソウスケか。ああ、なんとか五体満足だ」

 

 セレスは兜のバイザーを上げ、疲労の滲む、しかし晴れやかな笑顔を向けた。

 その鎧はあちこちが凹んでいるが、瞳の光は失われていない。

 

「お疲れ。ギリギリだったな」

「全くだ。……無茶をしすぎだ、お前は」

 

 セレスは呆れたように肩を竦めたが、その声色には深い信頼と安堵が混じっていた。

 あの渦の中へ単身突っ込むなど、正気の沙汰ではない。

 だが、その無茶がなければ、今頃二人は水底の藻屑となっていただろう。

 

「お互い様だろ。あんなド派手な雷、初めて見たぞ」

「ふふ、必死だったからな。……それにしても」

 

 セレスが視線を向けた先。

 そこには、鎮座する巨大な城門があった。

 

 ゴゴゴゴゴ……。

 

 重低音が響き渡る。

 魔力の供給が途絶え、封印の術式が解除された門が、五百年という時の眠りから覚めたように動き始めていた。

 錆と泥が剥がれ落ち、巨大な蝶番が軋みを上げる。

 

「……開いた」

 

 ゆっくりと、左右に開いていく門の隙間。

 そこから漏れ出してくるのは、外の荒廃した空気とは違う、静謐で厳かな気配だった。

 

「行こう。リリアも待ち焦がれてる」

 

 蒼介が促し、セレスが頷く。

 二人は並んで、開かれた王宮への道を泳ぎ進んだ。

 

 門をくぐり抜けると、そこには別世界が広がっていた。

 王宮区画。

 かつて選ばれた者しか足を踏み入れることを許されなかった、王国の心臓部。

 

 外の市街地と同じく、ここもまた崩壊と風化のただ中にあった。

 手入れされた庭園は見る影もなく、異様な形状の海藻が森のように広がり、美しい彫像は首を失って泥の中に横たわっている。

 だが、建物の骨格だけは、そのかつての威容を雄弁に物語っていた。

 

 高く聳える尖塔、回廊を支える太い列柱、壁面に残る鮮やかなモザイク画。

 それらは水底の薄暗い青の中で、幽鬼のような美しさを放っている。

 

『……ああ』

 

 蒼介の脳内に、リリアのため息のような声が響いた。

 懐かしさと、悲しさと、そして愛おしさが入り混じった声。

 

『変わって……しまいましたけれど。でも、確かにわたくしの家ですわ』

 

 リリアのペンダントが、淡い光を放つ。

 彼女の魂が、故郷の空気に触れて震えているのが分かる。

 

 三人は、瓦礫を避けながら中庭らしき場所へと出た。

 広大な広場の中央には、かつては噴水だったであろう巨大な石の器があり、今はただの植木鉢のように海藻が生い茂っている。

 

 蒼介は【探知(サーチ)】を使い、周囲の警戒を怠らなかった。

 先ほどの近衛兵たちがどこに潜んでいるか分からない。

 だが、不思議と敵意ある反応は遠ざかっていた。まるで、彼らをあえて奥へと招き入れているかのように。

 

「リリア、水門の制御室は潰した。次はどこへ向かえばいい?」

 

 蒼介の問いに、リリアは少しの間沈黙し、やがて一点を指し示したかのような思念を送ってきた。

 

『あそこです……! あの建物へ!』

 

 蒼介とセレスは、彼女が示した方向を見た。

 王宮の本殿の脇。

 中庭を挟んだ向かい側に、その建物はあった。

 

 それは、周囲の崩壊した建物の中で、奇跡的とも言えるほど原形を留めていた。

 ドーム状の屋根を持つ、巨大な円形の建造物。

 入り口には太い柱が並び、神殿のような厳粛さを漂わせている。

 壁面には魔法による補強が施されていたのか、ひび割れ一つなく、五百年前の姿をそのまま今に伝えているようだった。

 

「あれは……?」

『王立大図書館ですわ』

 

 リリアの声が弾む。

 

『アルストロメリア王国の叡智のすべてが眠る場所です』

 

 リリアの言葉は、期待と不安に揺れていた。

 王国の秘密。それが何なのかは分からないが、この行き詰まった状況を打破する鍵になるかもしれない。

 

「王立図書館か。情報の宝庫だな」

 

 蒼介はニヤリと笑った。

 力押しの戦闘はもうごめんだ。知恵と情報で勝負できるなら、それに越したことはない。

 

「よし、行ってみよう。何か役に立つもんが残ってるかもしれねえ」

「ああ。それに、建物がしっかりしているなら、休息を取る場所としても最適だろう」

 

 セレスも賛同する。

 連戦続きで、彼女の疲労も限界に近い。安全な場所での休息は急務だった。

 

 三人は目配せを交わし、静寂に包まれた中庭を横切り、その威容を誇る大図書館へと向かった。

 足元から舞い上がる泥が、彼らの来訪を告げるように揺らめいた。

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