異邦人と大迷宮~現代ダンジョンシーカーは、スキルと知恵で異世界迷宮の果てを目指す~   作:九泉

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第77話 ライブラリ・トラップ

「リリア、案内しろ。この図書館で一番『音が響く』場所はどこだ?」

 

 蒼介の問いかけは、矢継ぎ早だった。

 水流の鞭が頭上の本棚を粉砕し、降り注ぐ紙吹雪の中で、彼は冷静に次の手を盤面に並べていた。

 敵の正体は、音を視覚の代わりとする盲目の守護者。ならば、その最大の武器を逆手に取る。

 

『音が響く場所……でしたら、この第二書庫を抜けた先に、中央ホールがありますわ!』

 

 リリアの思念が、焦燥と共に脳裏に地図を描き出す。

 それは三階層分の吹き抜け構造を持つ、この図書館の心臓部。円形の回廊が幾重にも重なり、音響効果を考慮して設計されたドーム天井を持つ空間だ。

 

「吹き抜けか。上等だ」

 

 蒼介はニヤリと笑い、物陰で息を潜めているセレスティーナへと視線を飛ばした。

 彼女は巨大な槍を握りしめ、いつでも飛び出せる態勢を整えている。

 

「セレス! 作戦変更だ。隠れる必要はねえ」

「何?」

「お前は今から、わざと大きな音を立てながらその中央ホールに向かえ! 魔法も惜しみなく使って、派手に暴れろ。奴をそこへ誘導するんだ!」

 

 セレスが目を丸くした。

 隠密行動が基本の冒険者にあるまじき指示。だが、彼女はすぐにその意図を汲み取った。

 蒼介の瞳にある、狡猾な光を見て取ったからだ。

 

「……囮になれということか。それも、とびきり騒々しい」

「ああ。あいつの聴覚は異常だ。だが、それゆえに『一番大きな音』を無視できないはずだ。お前が鐘を鳴らす役になれ」

「ふっ、いいだろう。戦場の華となるのは騎士の本分だ」

 

 セレスは不敵な笑みを返し、兜の奥の瞳を鋭く細めた。

 彼女は蒼介の策を信じている。この男が、ただ無策に仲間を危険に晒すような真似はしないと知っているからだ。

 

「その代わり、仕留める準備は頼んだぞ、ソウスケ」

「任せろ。とびきりの特等席を用意して待ってる」

 

 短い打ち合わせ。それで十分だった。

 蒼介が指を鳴らすと同時に、セレスが物陰から飛び出した。

 

「ここだ、亡霊ッ!!」

 

 裂帛の気合いと共に、セレスは手にした長槍を床に叩きつけた。

 ガァァァンッ!!

 静寂の図書館には似つかわしくない、暴力的な金属音が轟き渡る。

 

 その瞬間、天井の梁に張り付いていた番人の反応が変わった。

 ビクリと肩を震わせ、その虚ろな顔面が、音源であるセレスの方へと正確に向けられる。

 

「こっちだ! その自慢の耳で、私の足音を追ってこい!」

 

 セレスは挑発的に叫ぶと、通路に立ち並ぶ本棚を槍の柄で薙ぎ払いながら駆け出した。

 

 ドガガガガッ!

 

 本が雪崩れ落ち、棚が倒壊する凄まじい騒音。

 彼女はさらに、追撃を誘うように背後へ向けて雷撃を放った。

 

「【雷槍(サンダー・ランス)】ッ!」

 

 バチチチチッ!!

 放たれた紫電が空気を焼き焦がし、爆音を立てて壁を穿つ。

 これ以上の「目印」はない。

 

「……静粛に……!」

 

 番人の口から、憎悪の滲む掠れ声が漏れた。

 彼の世界において、セレスの立てる音は鼓膜を突き破る拷問にも等しいのだろう。

 番人は魔道書を乱暴に開き、宙に浮く水の精霊たちを引き連れて、猛然とセレスの後を追い始めた。

 蜘蛛のように壁を這い、床を滑るように移動しながら、その殺意は完全に「音の主」へと固定されている。

 

(かかったな)

 

 その様子を、蒼介は呼吸を殺して見送った。

 敵の注意が完全に逸れたのを確認し、彼は逆方向へと身を翻す。

 

『ソウスケさん、大丈夫ですか? セレスさんだけで支えきれるでしょうか』

「あいつなら大丈夫だ。あの重装甲は伊達じゃねえ。問題は俺の方だ」

 

 蒼介はリリアに問いかける。

 

「リリア、中央ホールの天井裏へ回れるルートはあるか? 点検用のキャットウォークとか、通気ダクトとか」

『……あります。司書たちが空調管理のために使っていたメンテナンス通路が、壁の裏側に』

「よし、そこだ。案内してくれ!」

 

 蒼介は駆け出した。

 ただし、セレスとは対照的に、その足取りは幽霊のように軽い。

 靴底の摩擦音すら殺し、気配を完全に遮断する。

 

「【迅速(ブースト)】」

 

 思考を加速させる。

 図書館の複雑な構造が、リリアのガイドによって脳内で立体的な地図へと変換されていく。

 埃にまみれた狭い隠し扉を蹴破り、蜘蛛の巣が張る暗い階段を一気に駆け上がる。

 

 心臓が早鐘を打つ。

 だが、そのリズムすらも制御下に置く。

 今は音を立ててはならない。

 ただの一滴の水音すら聞き逃さない怪物が相手だ。

 セレスが派手に暴れてくれているとはいえ、こちらの存在に気付かれれば、作戦は水泡に帰す。

 

(急げ、急げ、急げ!)

 

 蒼介は壁の裏側の狭い通路を疾走した。

 目指すは中央ホールの最上部。

 あの番人の、頭上の死角。

 

 

 *

 

 

 一方、セレスティーナは轟音の嵐の中にいた。

 

 ドォォォンッ!

 

 背後から迫る水圧弾が、彼女の真横の本棚を粉砕する。

 飛び散る木片が鎧に当たり、カンカンと高い音を立てた。

 

(速い……ッ! しかも、執拗だ!)

 

 セレスは冷や汗を流しながら、迷路のような通路を駆けていた。

 番人の攻撃は正確無比だ。

 角を曲がっても、障害物を挟んでも、まるで透視しているかのように、セレスの未来位置に攻撃を置いてくる。

 

 予知に近い予測だ。

 セレスの足音、鎧の擦れる音、呼吸のリズム。

 それら全てから、次の瞬間に彼女がどこへ足を踏み出すかを計算しているのだ。

 

「しつこい男は嫌われるぞ!」

 

 セレスは振り返りざまに槍を振るい、迫りくる水の蛇を切り裂いた。

 弾けた水が床を濡らす。

 だが、切断された水はすぐに再結合し、数を増やして襲いかかってくる。

 

「……静粛に……利用者は……静かに……ッ!」

 

 番人の声が近づいてくる。

 その姿は、重力を無視して天井を這い回る巨大な虫のようだった。

 白濁した瞳はどこも見ていない。だが、その耳だけが異様にピクピクと動き、セレスの存在を捉え続けている。

 

「チッ、数が多い!」

 

 セレスは舌打ちをした。

 召喚される水の精霊の数が増えている。最初は数体だったものが、今は十数体の群れとなって、彼女を取り囲もうとしていた。

 包囲されれば終わりだ。

 

(だが、まだだ。まだホールには着いていない!)

 

 セレスは歯を食いしばり、速度を上げた。

 リリアの教えによれば、この長い廊下を抜けた先が目的地だ。

 彼女はあえて、廊下に置かれた装飾用の壺を蹴り倒し、盛大な破砕音を撒き散らした。

 

「こっちだ! ここにいるぞ!」

 

 ガシャァァァンッ!

 

 その音が、番人の神経を逆撫でする。

 怪物は怒りの咆哮を上げ、移動速度をさらに上げた。

 

「……静粛……静粛に……ッ!」

 

 セレスは前方の扉を肩で突き破るようにして飛び込んだ。

 

 視界が一気に開ける。

 そこは、巨大な吹き抜け空間だった。

 三階層分の高さを持つドーム天井。壁面を埋め尽くす円形の書架。

 かつては学術都市のシンボルであっただろう、荘厳な中央ホールだ。

 

 セレスはホールの中央まで駆け抜け、そこで急停止した。

 槍の石突きを床に叩きつけ、振り返る。

 

「ここまで来れば、文句はあるまい!」

 

 一拍遅れて、番人がホールに飛び込んできた。

 彼は入り口のアーチの上、高い位置に張り付き、眼下のセレスを見下ろした。

 その周囲には、無数の水の精霊が浮遊している。

 

 番人は首を傾げた。

 耳を澄ませる仕草。

 

「…………?」

 

 その動作には、微かな困惑が混じっていた。

 セレスの猛烈な騒音の影で、もう一つの足音――蒼介の気配を探しているのだ。

 だが、聞こえない。

 この広大なホールには、セレスの荒い呼吸音と、彼女が放つ魔力の唸り以外、何の音も存在しない。

 

(ソウスケ、まだか……!?)

 

 セレスは内心の焦りを押し殺し、表情を引き締めた。

 彼女自身も、蒼介がどこにいるのか知らない。

 ただ、信じて待つのみ。

 

 番人は警戒したように、すぐには攻撃を仕掛けてこなかった。

 この静寂が不自然だと感じているのだ。

 獣のような勘で、罠の気配を察知している。

 

「……ネズミ……隠レテ……?」

 

 番人が魔道書を掲げ、探知魔法を使おうとした、その時だった。

 

 ミシッ。

 

 微かな音が、頭上から降ってきた。

 番人が反応し、顔を上げるよりも早く。

 

 ズドォォォォォンッ!!!!!

 

 轟音と共に、世界が崩落した。

 

「!?」

 

 番人の真上。

 三階層分の高さを隔てた吹き抜けの天井部分。その巨大な装飾石材と、それを支える梁が、一気に崩れ落ちてきたのだ。

 

 それは自然崩落ではない。

 人為的に、もっとも脆い一点を破壊されたことによる、計算された崩壊だった。

 

 数秒前。

 蒼介は、ドーム天井の裏側に潜んでいた。

 薄暗いキャットウォークの上、埃まみれになりながら、眼下の番人を見下ろしていた。

 

「【探知(サーチ)】……構造解析」

 

 彼の視界には、建物の骨組みがワイヤーフレームのように映し出されていた。

 五百年の歳月は、堅牢な図書館にも確実に蝕みをもたらしている。

 湿気による腐食、石材のひび割れ、接合部の劣化。

 

 特に、ホールの中央を飾る巨大な天窓の枠組みは、今にも落ちそうなほど限界を迎えていた。

 それを支えているのは、たった一本の、腐りかけた主柱。

 

「ここが、お前の墓標だ」

 

 蒼介は【迅速(ブースト)】を発動し、全身の筋力を限界まで高めた。

 手にしたミスリルのナイフを、逆手に構える。

 狙うは一点。

 力の均衡を保っている、その「要石」のみ。

 

「落ちろォッ!!」

 

 渾身の一撃が、柱の亀裂に突き刺さる。

 ナノマシンの振動破壊を上乗せしたナイフは、バターのように石材を貫き、内部の構造を破壊した。

 

 結果が、今の崩落だ。

 数トンはあるであろう瓦礫の雨が、番人の頭上へと降り注ぐ。

 

「グ……ッ!?」

 

 番人は反応できなかった。

 音で世界を見る彼にとって、ホール頭上からの崩落音は、全方位からの爆音となって聴覚を麻痺させたのだ。

 どこへ逃げればいいのか、何が起きているのか。

 その処理が追いつく前に、物理的な質量が彼を押し潰した。

 

 ガガガガガッ! ドスンッ!!

 

 番人の身体が、瓦礫と共にホールの中空から床へと叩き落とされる。

 水の精霊たちが守ろうとしたが、圧倒的な質量の前には無力だった。霧散し、ただの水溜まりへと変わる。

 

 砂煙が舞い上がる中、瓦礫の下敷きになった番人が、苦悶の声を上げて蠢いた。

 まだ生きている。

 不死者に近い生命力と、咄嗟に展開した水の障壁が、即死を防いだのだ。

 だが、その身体は巨大な石材に挟まれ、身動きが取れない。

 そして何より、落下の衝撃と爆音で、平衡感覚と聴覚が完全に狂わされていた。

 

「今だ、セレス!」

 

 頭上の梁から、蒼介の絶叫が響く。

 瓦礫と共に舞う埃の中で、彼は勝機を叫んだ。

 

 セレスティーナは、待っていた。

 その瞬間を。

 崩落が始まった瞬間から、彼女は魔力の練り上げを開始していた。

 槍の穂先に、膨大な雷の魔力を集束させる。

 

「承知ッ!!」

 

 セレスは地面を蹴った。

 迷いはない。

 目の前には、瓦礫に埋もれ、無防備な姿を晒す番人。

 その胸元、魔力の核となっている古びたペンダントが、瓦礫の隙間から見えている。

 

「これで終わりだ!」

 

 セレスの全身から、眩いほどの紫電が迸る。

 それは彼女がこの旅で磨き上げ、命懸けの戦いの中で昇華させた、必殺の一撃。

 エッケハルト流槍術と、雷魔法の融合。

 

「これで、眠れ! 【雷鳴穿(ライトニング・ピアス)】!!」

 

 放たれたのは、槍の形をした雷光だった。

 空気の絶縁を破壊し、一直線に伸びる光の刃。

 それは番人が咄嗟に展開しようとした水の盾ごと、その身体を貫いた。

 

 ズドォォォォンッ!!

 

 閃光が弾け、落雷の轟音がホールを揺らす。

 雷撃は番人の核を正確に射抜き、その内部で荒れ狂った。

 アンデッド特有の負の魔力が、高密度の雷によって浄化され、焼き尽くされていく。

 

「ア……ァ……」

 

 番人の動きが止まった。

 白濁した瞳から、狂気の色が消えていく。

 代わりに浮かんだのは、どこか安らかな、憑き物が落ちたような光だった。

 

 ボロボロのローブが崩れ落ち、身体が光の粒子となって分解を始める。

 

『あ……エリオット先生……』

 

 蒼介の脳内で、リリアの声が震えた。

 彼女はペンダントを通して、その最期の瞬間を見つめていた。

 

 番人――エリオットは、薄れゆく意識の中で、ふと虚空を見上げた。

 そこには誰もいないはずなのに、まるで懐かしい誰かの姿を見つけたかのように、口元が微かに緩む。

 

「……王女、殿下……?」

 

 カサついた声ではなく、穏やかな、老人の声だった。

 

「……申し訳、ありません……本の……読み聞かせの……途中でしたが……」

 

 彼は幻を見ているのだろうか。

 それとも、リリアの魂の波動を、最期に感じ取ったのだろうか。

 彼は大切そうに抱えていた魔道書を、ゆっくりと手放した。

 

「……少し、眠ります……」

 

 その言葉を最後に、エリオットの輪郭が崩れた。

 光の粒子はキラキラと舞い上がり、書架の彼方へと消えていく。

 後に残されたのは、古びた一冊の魔道書と、静寂を取り戻した図書館だけだった。

 

「……見事だ、セレス」

 

 蒼介が天井からロープを使って降りてきた。

 着地し、埃を払いながら、相棒の戦果を称える。

 だが、その声は静かだった。

 

「ああ。……ソウスケの膳立てがあってこそだ」

 

 セレスは槍を下ろし、長く息を吐いた。

 彼女もまた、消えゆく光を見つめ、祈るように目を閉じた。

 騎士として、戦士への手向けを。

 

『……さようなら、先生。ゆっくり、お休みください』

 

 リリアの泣き笑いのような声が、二人の心に染み渡る。

 五百年という長い長い当直時間は、ようやく終わりを告げたのだ。

 

 図書館の空気は、先ほどまでの澱んだカビ臭さが薄れ、どこか清浄な気配に満ちていた。

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