異邦人と大迷宮~現代ダンジョンシーカーは、スキルと知恵で異世界迷宮の果てを目指す~   作:九泉

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第78話 禁書庫の記録

 雷鳴の余韻が消え、図書館に本来の静寂が舞い戻った。

 だが、その静けさは先ほどまでの死に絶えたような無機質なものではなく、どこか祭りの後のような、少しばかり寂寥感を帯びたものだった。

 宙を舞っていた埃が、重力に従ってゆっくりと床へと沈殿していく。

 

「……終わったな」

 

 蒼介は短く呟き、ミスリルのナイフを鞘に納めた。

 カチャリ、という硬質な音が、張り詰めていた空気を解く合図となる。

 彼は軽く息を吐き出し、天井からぶら下がっていたロープを回収しつつ、瓦礫の山となったホールの中央へと視線を落とした。

 

 そこには、一冊の古びた書物が遺されていた。

 エリオットと呼ばれたかつての賢者が、最期の瞬間まで抱えて離さなかった魔道書だ。

 主を失ったその本は、禍々しい紫色の光を失い、ただの分厚い革表紙の束となって静かに横たわっている。

 

「これが、ドロップアイテムってわけか」

 

 蒼介は瓦礫を乗り越えてその本を拾い上げ、表面の煤を払った。

 ずしりとした重量感がある。

 現代ダンジョンで魔物を倒した際にドロップするアイテムとは違い、これは明確に「遺品」だった。

 

(……リリア、こいつは俺が預かっておいていいか?)

 

 脳内で相棒に問いかける。

 少しの間があり、リリアの静かな声が返ってきた。

 

『……はい。先生も、その本がただ朽ち果てるよりは、誰かの役に立つことを望むでしょうから』

 

 気丈に振る舞ってはいるが、その声には微かな鼻声が混じっていた。

 蒼介は無言で頷き、魔道書をリュックへと慎重に仕舞い込んだ。

 センチメンタルに浸っている時間はないが、弔いの気持ちまで捨てるつもりはない。

 

「ソウスケ、怪我はないか?」

 

 セレスティーナが歩み寄ってきた。

 その鎧は煤と埃で汚れ、金色の髪も乱れているが、瞳の光は変わらず強い。

 彼女もまた、槍の穂先についた汚れを布で拭いながら、周囲を警戒していた。

 

「あちこち擦り傷だらけだが、骨は折れてない。お前こそ、あんな派手な囮役をやらされて、無事かよ?」

「ふん、愚問だな。騎士が戦場で泥を被るのを厭うてどうする。それに……」

 

 セレスは視線をホールの奥、エリオットが崩れ落ちる前に背にしていた巨大な壁画の方へと向けた。

 

「あの番人が守ろうとしていた場所だ。ただの行き止まりではないだろう?」

 

 彼女の勘は鋭い。

 蒼介もまた、同じ場所を見据えていた。

 

「ああ。ご褒美の時間といこうぜ」

 

 蒼介が壁画に近づこうとした、その時だった。

 

 ゴゴゴゴゴゴゴ……ッ。

 

 地響きのような重低音が、ホールの床を震わせた。

 地震ではない。もっと規則的で、機械的な振動だ。

 蒼介とセレスは即座に身構える。

 

「まだ敵か!?」

「いや、違う……魔力の波長が安定してる。これは仕掛けが作動する音だ!」

 

 二人の目の前で、壁画が動いた。

 正確には、壁画が描かれた巨大な石壁の一部が、複雑な幾何学模様を描きながら沈み込み、スライドし始めたのだ。

 石と石が擦れる嫌な音はしない。

 流体のような滑らかさで、数トンはあるだろう岩盤が動いていく。

 そこには、高度な土魔法と、失われた古代の建築技術が使われていた。

 

 プシュゥゥ……。

 

 圧縮された空気が抜けるような音と共に、壁が完全に開く。

 舞い上がった土煙が晴れると、そこには新たな空間への入り口が口を開けていた。

 

「隠し扉……いや、隠しエリアか」

 

 蒼介は目を細めた。

 通常の隠し通路のような、じめじめした暗がりではない。

 その奥からは、不思議なほど清浄な空気が流れ出してきていた。

 

 現れたのは、一枚の巨大な両開きの扉だった。

 黒曜石を削り出して作られたかのような、艶やかな漆黒の扉。

 その表面には、青白い燐光を放つ魔法陣が複雑に刻み込まれ、中央には一輪の花を模した紋章が威圧感を放っている。

 

『……っ!』

 

 リリアが息を呑む気配が伝わってくる。

 その反応だけで、この扉の重要性が理解できた。

 

「リリア、ここは何だ? 知ってる場所か?」

『……はい。話には聞いておりました』

 

 リリアの声が、緊張と畏怖を帯びる。

 

『あれは『禁書庫』の入り口。王族と、許可を得たごく一部の大魔術師のみが入室を許される、王立図書館の最重要機密区画です』

 

「禁書庫……」

 

 いかにもなネーミングだ。

 RPGならラスボス前のセーブポイントか、あるいは世界の根幹に関わる重要アイテムが眠っている場所だろう。

 だが、ここは現実だ。

 五百年前に滅んだ国の、開かずの間。

 そこに何が遺されているのか、想像するだけで背筋が粟立つ。

 

「つまり、ここから先は会員制クラブってことか」

 

 蒼介は軽口を叩きながら扉に近づいた。

 だが、すぐに足を止める。

 扉の数メートル手前に、目に見えない圧力の壁が存在していたからだ。

 

「……また結界か」

 

探知(サーチ)】が、警告音のように脳内で鳴り響いている。

 扉を中心に、高密度の魔力が渦巻いているようだ。

 迂闊に触れれば、黒焦げになるか、あるいは石の中に転送されて永遠に閉じ込められるか。

 そんな物騒なトラップの気配がぷんぷんする。

 

「ソウスケ、開かないのか?」

「物理的にこじ開けようとすんなよ、セレス。たぶん、お前の槍でも傷一つ付かねえぞ」

 

 セレスが槍の石突きで扉を突こうとしていたのを、慌てて止める。

 彼女は不満げに鼻を鳴らした。

 

「試してみなければ分からんだろう。魔法障壁なら、私の魔力で中和できるかもしれん」

「いや、こいつは質が違う。拒絶の意思が強すぎるんだよ。『関係者以外立ち入り禁止』ってレベルじゃねえ。『存在そのものを許さない』って感じだ」

 

 蒼介は慎重に距離を取り、扉を見上げた。

 中央に刻まれた紋章。

 六枚の花弁を持つ、アルストロメリアの花。

 それは、リリアのペンダントに刻まれているものと同じ意匠だった。

 

「リリア、こいつを開けるにはどうすればいい? 合言葉でもあんのか?」

『合言葉はありません。ですが……この扉の封印は、王家の血脈と魔力に反応するように作られています。つまり……』

 

 リリアの言葉を、蒼介が引き継ぐ。

 

「つまり、リリア自身が鍵ってことか」

 

 蒼介は胸元に手をやり、服の下からペンダントを取り出した。

 銀色の鎖に繋がれた、青い宝石。

 その中で、リリアの魂が小さな灯火のように揺らめいている。

 

「物理的にも魔術的にも、外部からの干渉は一切受け付けない最強のセキュリティ。だが、正規の認証キーがあれば話は別だ」

 

 蒼介はペンダントを手に持ち、ゆっくりと扉へと歩み寄った。

 先ほど感じた圧力の壁が、ペンダントを掲げた瞬間に霧散していくのを感じる。

 まるで、主の帰還を歓迎するかのように。

 

「セレス、下がっててくれ。何が起きるか分からん」

「……分かった。だが、何かあればすぐに私を呼べ」

 

 セレスが数歩下がり、槍を構えて警戒する。

 蒼介は扉の真正面に立ち、ペンダントを紋章の中央へと近づけた。

 

「リリア、お前の魔力を感じさせてやれ。ここに、アルストロメリアの正統なる継承者がいるってことをな」

『はい……!』

 

 リリアの気合いと共に、ペンダントが強く脈動した。

 カッ!

 宝石の奥底から、鮮烈な青い光が迸る。

 その光は一直線に扉の紋章へと吸い込まれ、黒曜石の表面を光の回路となって駆け巡った。

 

 ブォン……ブォン……。

 

 重低音が響く。

 扉に刻まれた魔法陣が次々と起動し、複雑なロック機構が解除されていく音が重なる。

 五百年もの間、誰一人として通すことのなかった絶対の封印が、今まさに解かれようとしていた。

 

「認証完了、ってところか」

 

 蒼介が呟くと同時、扉の中心からカチンッという澄んだ音が響いた。

 それを合図に、巨大な扉が左右へと音もなく開き始める。

 

 光が溢れ出した。

 眩いほどの純白の光ではない。

 月明かりのような、静謐で、どこか冷たさを感じさせる青白い光だ。

 

「開いた……」

 

 セレスが呆然と呟く。

 完全に開かれた扉の先。

 そこには、外の図書館の惨状が嘘のような光景が広がっていた。

 

 埃一つ落ちていない、磨き上げられた大理石の床。

 壁に埋め込まれた魔石灯は、今も現役で柔らかな光を投げかけている。

 空気すらも違った。

 カビ臭さや澱みは一切なく、まるで高山の頂のような、凛とした清浄な空気が満ちている。

 

「すげえな……」

 

 蒼介は思わず感嘆の声を漏らした。

 まるで時間が止まっているようだ。

 いや、実際に止まっているのかもしれない。

 

『最高位の『時間停止』と『空間保存』の複合魔術ですわ……』

 

 リリアの声が震える。

 それは純粋な驚きと、王族としての誇りが入り混じったものだった。

 

『この部屋だけ、五百年前から時間が切り離されているのです。劣化も、風化も許さない。王国の歴史を永遠に留めるために……』

 

「執念だな。……あるいは、いつか誰かが来ることを信じていたのか」

 

 蒼介は一歩、禁書庫へと足を踏み入れた。

 足音がコツンと高く響く。

 外の世界とは隔絶された、聖域のような空間。

 

 部屋の広さは、それほどでもない。

 外のホールに比べればこじんまりとしている。

 壁際には数個の本棚があり、厳重な装丁の書物が並んでいるが、それらは脇役でしかなかった。

 

 部屋の中央。

 一段高くなった祭壇のような台座の上に、それは鎮座していた。

 

 巨大な結晶体。

 人の背丈ほどもある、透き通った六角柱のクリスタルだ。

 内部には無数の光の粒子が星雲のように渦巻き、ゆっくりと明滅を繰り返している。

 

「これが、禁書庫に隠されてたお宝か」

「美しいな……。だが、ただの宝石ではない。魔力の密度が桁違いだ」

 

 セレスも警戒を解かずに近づいてくる。

 そのクリスタルからは、圧倒的な存在感が放たれていた。

 魔力的な圧力ではない。

 情報の圧力だ。

 膨大な記録、歴史、記憶が、その結晶の中に圧縮されているのが肌で感じられる。

 

『記録媒体……『記憶の魔石(メモリー・クリスタル)』です』

 

 リリアが確信を持って告げる。

 

『ですが、これほど巨大なものは見たことがありません。王家の歴史、秘匿された魔法技術、あるいは……』

 

「王国滅亡の真実、か」

 

 蒼介が核心を突く。

 リリアが息を呑む。

 そうだ。彼女たちがここに来た目的は、観光でもトレジャーハントでもない。

 なぜアルストロメリア王国は一夜にして滅んだのか。

 そして、なぜリリアだけが魂をペンダントに封じられ、生き残らされたのか。

 その答えが、ここにあるかもしれない。

 

(覚悟はいいか、リリア)

 

 蒼介は心の中で問いかけた。

 真実を知ることは、救いになるとは限らない。

 知りたくなかった事実、残酷な現実が待っている可能性の方が高い。

 それでも、前に進むか。

 

 リリアの返答は、一瞬の迷いもなかった。

 

『……お願いします、ソウスケさん。わたくしは、知らなければなりません。最後の王女として、民たちがどうなったのか。父様や母様が、最期に何を想ったのかを』

 

 その声には、凛とした王者の響きがあった。

 彼女はもう、ただ守られるだけの存在ではない。

 蒼介と共に死線を越え、悲しみを乗り越えてきた、一人の強い女性だ。

 

「よし。……セレス、見届けてくれ」

「ああ。背中は預けろ。何が出ても、私が斬り伏せてやる」

 

 セレスが頼もしく頷く。

 蒼介は祭壇の前に立ち、ゆっくりと右手を伸ばした。

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