異邦人と大迷宮~現代ダンジョンシーカーは、スキルと知恵で異世界迷宮の果てを目指す~   作:九泉

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第8話 魔法なき挑戦者

 足を踏み入れた冒険者ギルドは、混沌とした熱を帯びていた。大迷宮での死闘を終えた者たちの興奮と疲労、これから挑む者たちの期待と緊張、そして日銭を稼いで飲む酒の匂いが混じり合い、むせ返るような活気を生み出している。

 蒼介は、その喧騒の中心を、まるで水の中を歩くように静かに進んでいった。彼の飄々とした佇まいは、この場所に渦巻く欲望や闘争心とは明らかに異質だったが、今は誰一人として、蒼介に注意を払う者はいなかった。

 

(まずは、仕事の確保。そのためには、どんな依頼があるかを知る必要がある)

 

 日本でのシーカー稼業と同じだ。情報こそが、この種の仕事における生命線となる。蒼介は壁一面に所狭しと貼られた羊皮紙の依頼書へ向かった。ゴブリンの討伐、薬草の採集、迷子になったペットの捜索。銅級冒険者が受注できる依頼は、どれも危険度が低い。まだ通貨価値は把握し切れていないが、報酬もおそらく微々たるものだろう。だが、今の彼に選り好みしている余裕はない。

 

 彼が依頼書の一枚に目を通していた、その時だった。

 ギルドのホールの一角が、にわかに騒がしくなった。視線を向けると、二人の冒険者が口論の末、掴み合いの喧嘩を始めようとしていた。屈強な体つきの爬虫類型獣人と、痩身だが気の強そうなローブ姿の男。よくあるトラブルかと蒼介が興味を失いかけた、その刹那。

 

「――舐めるなよ、このトカゲ野郎!」

 

 ローブの男が短く叫び、獣人に向けて手のひらを突き出した。すると、その指先に、何もない空間から淡い緑色の光が蛍のように集まり始める。光は瞬く間にバスケットボール大の球体へと成長し、不安定に揺らめきながら、パチパチと音を立てていた。

 

「風の礫《ウィンド・バレット》!」

 

 詠唱と共に、緑色の光弾が獣人に向かって撃ち出された。それは銃弾のような速度ではなかったが、明確な殺意を伴ったエネルギーの塊だった。獣人は咄嗟に腕を交差させて防御姿勢を取る。弾がその腕に命中すると、バーン!と空気が破裂するような音を立てて炸裂した。獣人の巨体が数歩後退し、防御した腕の鱗が数枚、ぱらぱらと剥がれ落ちる。

 

「てめぇ……!」

「やめろ、お前たち! ギルド内での魔法の使用は禁止されていると知っているだろう!」

 

 ギルドの職員が慌てて二人の間に割って入り、騒ぎはそれ以上大きくならずに収まった。だが、蒼介はその場に釘付けになっていた。彼の視線は、騒ぎの中心ではなく、ローブの男が放った緑色の光弾が消えた空間に向けられていた。

 

(……なんだ、今のは)

 

 脳が、目の前で起きた現象の理解を拒絶する。

 発光現象? プラズマか? 何らかの化学反応? 彼の思考は、現代科学の知識を総動員して、今見た光景を必死に分析しようとしていた。だが、どれだけ考えても、あの現象を説明できる物理法則に行き着かない。手のひらから、何の装置もなしにエネルギー弾を撃ち出すなど、あり得ない。

 

(いや……あり得ない、のか?)

 

 この世界に来てから、彼は自分の常識が通用しない場面に何度も出くわしてきた。亜人が闊歩し、巨大な地下迷宮が存在する世界。そこに、「魔法」という非科学的な力が存在したとして、何が不思議だろうか。

 頭では理解できる。だが、感情と、身体に染みついた現実感覚が、それを素直に受け入れることを許さなかった。

 日本で彼が使っていたスキルは、あくまでナノマシンという超科学技術の産物だ。その原理は不明だが、物理法則を逸脱したものではないはずだった。筋肉の収縮率を上げ、神経伝達を加速させる。体温や心拍をスキャンして生命反応を探る。それは、科学の延長線上にある技術だった。

 しかし、今のは違う。

 無から有を生み出す、まさしく奇跡。ファンタジーという言葉でしか表現できない、法則の外の力。

 

(本当に……本当に、異世界に、来てしまったんだな)

 

 今更ながら、その事実が、ずしりと重い実感となって彼の全身にのしかかってきた。天井に覆われたこの街の光景よりも、多種多様な亜人の姿よりも、今しがた見た小さな魔法の方が、彼に世界の隔絶を痛感させた。

 

 しばらく呆然としていた蒼介だったが、やがて思考を切り替え、改めて自分のやるべきことに意識を戻した。彼は、先程の騒ぎなどまるで見ていなかったかのような無表情で、ギルドの受付カウンターへと向かう。一番端の、比較的空いている列に並んだ。

 

「用件は?」

 

 カウンターの向こうに座っていたのは、尖った耳を持つ女性職員だった。彼女は書類から一度も顔を上げず、事務的な声で尋ねる。その態度に、蒼介は日本の役所を思い出した。どうやら、お役所仕事というものは、世界が違えど変わらないらしい。

 

「冒険者の登録をしたい」

 

 蒼介が簡潔に告げると、女性はそこでようやく顔を上げた。値踏みするような鋭い視線が、彼の頭のてっぺんから爪先までを一往復する。その目に、侮りや好奇といった感情はない。ただ、申請者の力量を冷静に推し量ろうとする、プロの目だった。

 

「新規登録ですね。名前は?」

「神谷、蒼介だ」

「武器の心得は?」

「剣を。短いものだが」

「結構です。では、魔法の適性は? 炎、水、風、土、光、闇。いずれかの属性の魔力を感じますか?」

 

 魔法。先程目の当たりにした、あの力の話だ。蒼介は一瞬だけ黙考し、正直に答えた。

 

「ない。魔法は使えない」

 

 その言葉を聞いた瞬間、女性職員の目に、初めてわずかな感情の色が浮かんだ。それは、驚きと、そして微かな憐憫の色だった。

 それだけではない。彼の言葉は、近くで順番を待っていた他の冒険者たちの耳にも届いていた。それまで無関心だった彼らの視線が、一斉に蒼介へと突き刺さる。

 

「おい、聞いたか? 魔法が使えないだとよ」

「このご時世に、魔法の適性なしで冒険者になろうってのか? 命知らずにも程があるな」

「どうせ、田舎から出てきた世間知らずだろう。大迷宮の本当の恐ろしさを知らないんだ」

 

 ひそひそと、しかし明確に蒼介の耳に届くように、嘲笑と侮蔑の言葉が投げかけられる。彼らの視線は、まるで出来損ないの不良品を見るかのようだった。この世界において、「魔法が使えない」ということは、それほどのハンデキャップであり、異端であるらしかった。

 それはそうだろう。先程の小競り合いで見たように、魔法は強力な攻撃手段になる。それだけではない。治癒、防御、探索補助。様々な局面で、魔法の有無が生死を分けることは想像に難くない。そんな世界で、その最大の武器を持たずに戦場へ向かおうというのだ。無謀、あるいは愚かと評されても仕方がなかった。

 

 だが、蒼介の表情は変わらなかった。向けられる侮蔑の視線を、まるで意に介していないかのように、彼はただまっすぐに女性職員を見つめ返した。

 

「……そうですか。魔法の心得がない、と」

 

 女性職員は気を取り直したように、一枚の羊皮紙とインクの入ったペンを差し出した。

 

「では、こちらに名前を。その後、あちらの訓練場で実技試験を受けていただきます。試験官との模擬戦で、冒険者としての最低限の実力があると認められれば、登録は完了です」

 

 その説明には、先程までの事務的な響きに加え、どこか「どうせ無駄だろうが」という諦めが滲んでいた。

 蒼介は無言でペンを受け取ると、羊皮紙の上に、日本語の漢字で、よどみなく自分の名前を書き記した。

 

 神谷 蒼介。

 

 周囲の冒険者たちが、見たこともない奇妙な文字を訝しげに覗き込む。その視線を背中に感じながら、蒼介はペンを置いた。

 

「試験は、今からでも受けられるのか?」

「ええ、構いませんが……。本当に、よろしいのですか? 今ならまだ、引き返すこともできますよ」

 

 女性職員の言葉は、最後の忠告のつもりなのだろう。だが、蒼介は短く首を振った。

 

「問題ない」

 

 彼の目には、揺らぎも、気負いもなかった。ただ、やるべきことを淡々とこなす、それだけの意思が宿っていた。

 その様子に、女性職員は小さくため息をつくと、席を立った。

 

「分かりました。では、こちらへ。訓練場にご案内します」

 

 蒼介が彼女の後に続こうとすると、周囲の冒険者たちの中から、野次馬根性を丸出しにした男たちが面白そうに立ち上がった。

 

「おい、見に行こうぜ。魔法も使えない奴が、どんな無様な戦いを見せてくれるのか、楽しみじゃねえか」

「一分もつかな? いや、三十秒ってとこだろ」

 

 下卑た笑い声が、ギルドのホールに響き渡る。

 魔法なき挑戦者。

 異邦から来たその男は、異世界での最初の試練を、満場の侮りの中で迎えようとしていた。彼の武器は、この世界の誰も知らない、ナノマシン由来のスキルと、幾多の死線を乗り越えてきた経験だけだった。

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