異邦人と大迷宮~現代ダンジョンシーカーは、スキルと知恵で異世界迷宮の果てを目指す~ 作:九泉
禁書庫を出た蒼介たちは、図書館の廊下を歩いていた。三人とも無言だった。
だが、それはただ静かなだけではない。五百年もの間、澱のように溜まっていた妄執が晴れ、代わりに切っ先のように鋭い決意が充満する、張り詰めた静寂だった。
蒼介は【
脳髄を焼くような情報の奔流は収まったが、胸の奥には鉛を飲み込んだような不快感が居座っている。
「……ソウスケ」
沈黙を破ったのは、セレスティーナだった。
彼女は愛槍の柄を、ガチリと音が鳴るほど強く握り締めている。兜の下の瞳には、騎士としての義憤と、純粋な嫌悪の炎が揺らめいていた。
「確認だが、あのローブの者たち……『原初の探求者』とやらが、王国を滅ぼしたというのか」
「ああ。間違いねえだろう」
蒼介は短く肯定する。
その視線は、再び沈黙した『
「天災なんかじゃなかった。迷宮の暴走でも、不運な事故でもない。あいつらが意図的に、この大迷宮のエネルギーに干渉し、増幅させ……制御不能な奔流として地上へ溢れさせたんだ」
脳裏に蘇るのは、現代日本での記憶だ。
蒼介がこの異世界へと飛ばされる原因となった、あの未踏査ダンジョンの最深部。あそこで見た、青白く輝く巨大な結晶体と、そこから滲み出ていた禍々しい気配。
先ほどの映像の中で、ローブの男たちが囲んでいた歪な結晶体は、それと酷似していた。
いや、同質のものだろう。
(ダンジョンコア、と呼ぶべきか。あるいは大迷宮の制御中枢の端末か……)
どちらにせよ、『原初の探求者』たちはそのシステムをハッキングし、意図的にエラーを引き起こしたのだ。
五百年前、彼らはアルストロメリア王国という、迷宮の蓋となっていた「守護者」を邪魔者と断定し、迷宮の力そのものを使って排除した。
国一つを、生贄として捧げることで。
「外道が……ッ」
セレスが吐き捨てるように言った。
彼女の正義感にとって、それは最も許しがたい暴挙だった。罪なき民を、子供を、未来を、己が欲望のために踏みにじる行為。
「だが、解せんな。それは五百年前の出来事だ。人間であればとっくに寿命を迎えているはず。奴らは今も活動しているのか?」
「リーダーは魔術師の末裔、だったか」
蒼介はリリアの言葉を反芻する。
組織としての理念が継承されているのか、あるいは――。
「組織が今も健在かは分からねえ。だが、あいつらが使っていたのは、迷宮の理に干渉するほどの技術だ。不老不死や延命の秘術なんてものを持っていたとしても、驚きはしねえよ」
「……ならば、なおさら始末せねばならんな」
セレスの声色が一段低くなる。
「五百年もの間、のうのうと生き永らえているというのなら、その罪の重さは計り知れん。私が、この槍で引導を渡してやる」
頼もしい騎士の言葉に、蒼介は無言で頷いた。
だが、最も傷つき、最も怒る権利があるのは、彼らではない。
蒼介は胸元のペンダントに手を添えた。
掌を通して、震えが伝わってくる。
すすり泣くような微かな波動。故郷が滅びる瞬間を見せつけられ、父である国王の最期の決断を知った直後だ。心が砕けてしまっても不思議ではない。
(リリア……)
かける言葉を探す。だが、どんな慰めの言葉も、今の彼女には空虚に響くだけだろう。
そう思って口をつぐんだ、その時だった。
『……っ、すぅ……』
ペンダントの奥から、息を吸い込む気配がした。
続いて、嗚咽を噛み殺すような間があり。
次に響いてきたのは、雨上がりの空のように澄んだ、しかし鋼のような強さを秘めた声だった。
『……取り乱してしまい、申し訳ありません』
リリアの声から、涙の湿り気が消えていく。
『お父様は……父様は、私に『生きろ』と仰いました。魂だけの存在にしてまで、私をこの未来へと送り出してくださいました』
それは単なる生存への願いではない。
アルストロメリアの血を絶やすなという願いであり、そして何より、彼女自身の幸福を願っての言葉だったはずだ。
だが、リリアはその言葉に、もう一つの意味を見出していた。
『生きるということは、ただ息をして、時を過ごすことではありませんわ。過去を受け入れ、未来へ進むこと……そして、成すべきことを成すことです』
ペンダントの青い宝石が、力強い光を放ち始める。
それは怒りの赤でも、悲しみの藍でもない。高貴で、凛としたロイヤルブルーの輝き。
『ソウスケさん、セレスさん。私は、あのおぞましい者たちの正体を突き止めるまで……そして、この大迷宮の最深部へ到達し、全ての決着をつけるまで、決して諦めませんわ』
五百年という時を経て、亡国の王女は被害者であることをやめた。
彼女は今、自らの意志で戦う復讐者であり、未来を切り開く王族として覚醒したのだ。
幻影ではない。
蒼介たちと共に、泥にまみれて「今」を戦う、一人の仲間としての宣言だった。
「……へっ、良い
蒼介は口元を歪めて笑った。
生意気な口調が戻ってきたことが、何よりも嬉しかった。
「ああ、もちろんだ。俺たちの目的は最初から変わってねえ。元凶が分かったなら、ぶん殴る相手が明確になっただけのことだ」
「エッケハルト家の騎士として、リリアーナ様のその誓い、我が槍にかけて成就させよう。貴女の往く道を阻む者は、神であろうと悪魔であろうと、私が斬り伏せる」
セレスが恭しく一礼する。それは王女への儀礼というより、共に死地を行く戦友への敬意の表れだった。
『ありがとうございます……!』
三人の意志は固まった。
もはや迷いはない。
「よし。そうと決まれば、長居は無用だ」
蒼介は気持ちを切り替え、改めて図書館内を見渡した。
情報収集は冒険者の基本だ。感情に浸る時間は終わった。
「念のため、もう一度調べておくか。何か持ち出せるアイテムや、奴らのアジトに関する情報があれば御の字だ」
だが、大半は魔法理論書や歴史書で、直接的な手がかりは見当たらなかった。
クリスタルの映像こそが、最も重要な鍵だったのだろう。
「手がかりなしか。まあ、連中も馬鹿じゃねえ。こんな場所に決定的な証拠を残すはずもねえか」
蒼介は肩をすくめ、埃の積もった書架から視線を外した。
「エリオット先生が守っていたのは、あくまで『過去の記録』だ。奴らの『現在』を知りたけりゃ、もっと深くへ潜るしかねえ」
「そうだな。それに、ここも安全とは言い難い。結界が解けた今、いつ外の魔物が侵入してくるとも限らん」
セレスが扉の方を警戒しながら言う。
禁書庫の中は魔法によって清浄に保たれているが、一歩外に出れば、そこは水没した廃墟だ。
「とにかく、今はここを出るぞ。この水没都市エリア……第31層から続く一連の階層の『主』が、何かを知ってるかもしれねえ」
蒼介たちは禁書庫を後にした。
背後で、黒曜石の扉が重々しい音を立てて閉まる。
二度と開くことのない、過去の棺桶。
彼らは前を向いた。
崩落したホールを抜け、瓦礫の山を越える。
エリオットとの激闘の痕跡が生々しく残る図書館の中央ホール。
天井の大穴からは、相変わらず薄暗い水中の光が差し込んでいる。
「さて、出口はどっちだ? またあの迷路みたいな書庫を戻るのか?」
蒼介がうんざりしたように言うと、リリアが補足を入れる。
『いえ、禁書庫の近くには、王族用の緊急避難ルートが設置されているはずです。壁画の裏側あたりに、転移装置への入り口が……』
「転移装置だと?」
蒼介の目が光る。
RPGのお約束だ。ボス部屋の奥や重要エリアには、入り口へのショートカットや、次の階層へのワープポイントがあるものだ。
「探してみよう。【
蒼介は感覚を研ぎ澄ませる。
ホールの奥、エリオットが背にしていた壁画――今はスライドして禁書庫への入り口となっている場所の、さらに脇。
瓦礫に埋もれかけた一角に、微かだが規則的な力の脈動を感じ取った。
「……あった。こっちだ」
蒼介が瓦礫をどけると、床に埋め込まれた転移陣のような魔法陣が姿を現した。
埃を払うと、青白い燐光が復活し、ブゥンという低音と共に起動する。
「ソウスケ、見ろ!」
セレスが魔法陣の縁に刻まれた古代文字を指差した。
そこには、共通語の数字で、はっきりとこう刻まれていた。
――39。
「39……? 階層の数字か?」
蒼介は眉をひそめた。
彼らがこの図書館に入ったのは、第31層の転移門からだった。
「おいおい、いつのまにかだいぶすっ飛ばしてきた……のか?」
「階段や梯子で下っていくだけが迷宮ではない、ということか」
セレスの言葉に、蒼介は納得したように頷いた。
この水没都市エリア――第31層から第40層は、単純な上から下へのタワー構造ではない。
広大な亜空間の中に、廃墟となった都市機能が点在しており、それらが転移門や複雑な水路で繋がっている、いわば水平方向に広いエリアなのだ。
そして、ダンジョンの法則として、数字が大きくなるほど「主」に近づく。
「39層……。次の40層が、このエリアの区切りだ。ってことは」
蒼介はニヤリと笑った。
「ボスが近い、ってわけだ」
31層から長く続いた水没都市編。そのクライマックスが近い。
王国滅亡の真実を知った今、この階層群の最深部に待ち受ける「主」が、ただの野生動物であるはずがない。
あの『原初の探求者』たちが残した負の遺産か、あるいは王国を滅ぼした泥の具現か。
ひとまず蒼介たちは第39層の転移門に触れ、出入りを可能にしておく。
そして図書館を後にする前に、蒼介は二人に声をかけた。
「覚悟はいいか、セレス、リリア」
「愚問だ」
『はい。参りましょう、ソウスケさん』
二人の返事に、蒼介は深く頷いた。
「よし。行くぞ」