異邦人と大迷宮~現代ダンジョンシーカーは、スキルと知恵で異世界迷宮の果てを目指す~   作:九泉

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第80話 残された謎と王女の決意

 禁書庫を出た蒼介たちは、図書館の廊下を歩いていた。三人とも無言だった。

 だが、それはただ静かなだけではない。五百年もの間、澱のように溜まっていた妄執が晴れ、代わりに切っ先のように鋭い決意が充満する、張り詰めた静寂だった。

 

 蒼介は【物質分析(アナライズ)】の効果を切断し、長く息を吐き出した。

 脳髄を焼くような情報の奔流は収まったが、胸の奥には鉛を飲み込んだような不快感が居座っている。

 

「……ソウスケ」

 

 沈黙を破ったのは、セレスティーナだった。

 彼女は愛槍の柄を、ガチリと音が鳴るほど強く握り締めている。兜の下の瞳には、騎士としての義憤と、純粋な嫌悪の炎が揺らめいていた。

 

「確認だが、あのローブの者たち……『原初の探求者』とやらが、王国を滅ぼしたというのか」

「ああ。間違いねえだろう」

 

 蒼介は短く肯定する。

 その視線は、再び沈黙した『記憶の魔石(メモリー・クリスタル)』へと向けられていた。

 

「天災なんかじゃなかった。迷宮の暴走でも、不運な事故でもない。あいつらが意図的に、この大迷宮のエネルギーに干渉し、増幅させ……制御不能な奔流として地上へ溢れさせたんだ」

 

 脳裏に蘇るのは、現代日本での記憶だ。

 蒼介がこの異世界へと飛ばされる原因となった、あの未踏査ダンジョンの最深部。あそこで見た、青白く輝く巨大な結晶体と、そこから滲み出ていた禍々しい気配。

 先ほどの映像の中で、ローブの男たちが囲んでいた歪な結晶体は、それと酷似していた。

 いや、同質のものだろう。

 

(ダンジョンコア、と呼ぶべきか。あるいは大迷宮の制御中枢の端末か……)

 

 どちらにせよ、『原初の探求者』たちはそのシステムをハッキングし、意図的にエラーを引き起こしたのだ。

 五百年前、彼らはアルストロメリア王国という、迷宮の蓋となっていた「守護者」を邪魔者と断定し、迷宮の力そのものを使って排除した。

 国一つを、生贄として捧げることで。

 

「外道が……ッ」

 

 セレスが吐き捨てるように言った。

 彼女の正義感にとって、それは最も許しがたい暴挙だった。罪なき民を、子供を、未来を、己が欲望のために踏みにじる行為。

 

「だが、解せんな。それは五百年前の出来事だ。人間であればとっくに寿命を迎えているはず。奴らは今も活動しているのか?」

「リーダーは魔術師の末裔、だったか」

 

 蒼介はリリアの言葉を反芻する。

 組織としての理念が継承されているのか、あるいは――。

 

「組織が今も健在かは分からねえ。だが、あいつらが使っていたのは、迷宮の理に干渉するほどの技術だ。不老不死や延命の秘術なんてものを持っていたとしても、驚きはしねえよ」

「……ならば、なおさら始末せねばならんな」

 

 セレスの声色が一段低くなる。

 

「五百年もの間、のうのうと生き永らえているというのなら、その罪の重さは計り知れん。私が、この槍で引導を渡してやる」

 

 頼もしい騎士の言葉に、蒼介は無言で頷いた。

 だが、最も傷つき、最も怒る権利があるのは、彼らではない。

 

 蒼介は胸元のペンダントに手を添えた。

 掌を通して、震えが伝わってくる。

 すすり泣くような微かな波動。故郷が滅びる瞬間を見せつけられ、父である国王の最期の決断を知った直後だ。心が砕けてしまっても不思議ではない。

 

(リリア……)

 

 かける言葉を探す。だが、どんな慰めの言葉も、今の彼女には空虚に響くだけだろう。

 そう思って口をつぐんだ、その時だった。

 

『……っ、すぅ……』

 

 ペンダントの奥から、息を吸い込む気配がした。

 続いて、嗚咽を噛み殺すような間があり。

 次に響いてきたのは、雨上がりの空のように澄んだ、しかし鋼のような強さを秘めた声だった。

 

『……取り乱してしまい、申し訳ありません』

 

 リリアの声から、涙の湿り気が消えていく。

 

『お父様は……父様は、私に『生きろ』と仰いました。魂だけの存在にしてまで、私をこの未来へと送り出してくださいました』

 

 それは単なる生存への願いではない。

 アルストロメリアの血を絶やすなという願いであり、そして何より、彼女自身の幸福を願っての言葉だったはずだ。

 だが、リリアはその言葉に、もう一つの意味を見出していた。

 

『生きるということは、ただ息をして、時を過ごすことではありませんわ。過去を受け入れ、未来へ進むこと……そして、成すべきことを成すことです』

 

 ペンダントの青い宝石が、力強い光を放ち始める。

 それは怒りの赤でも、悲しみの藍でもない。高貴で、凛としたロイヤルブルーの輝き。

 

『ソウスケさん、セレスさん。私は、あのおぞましい者たちの正体を突き止めるまで……そして、この大迷宮の最深部へ到達し、全ての決着をつけるまで、決して諦めませんわ』

 

 五百年という時を経て、亡国の王女は被害者であることをやめた。

 彼女は今、自らの意志で戦う復讐者であり、未来を切り開く王族として覚醒したのだ。

 幻影ではない。

 蒼介たちと共に、泥にまみれて「今」を戦う、一人の仲間としての宣言だった。

 

「……へっ、良い()構えになりやがって」

 

 蒼介は口元を歪めて笑った。

 生意気な口調が戻ってきたことが、何よりも嬉しかった。

 

「ああ、もちろんだ。俺たちの目的は最初から変わってねえ。元凶が分かったなら、ぶん殴る相手が明確になっただけのことだ」

「エッケハルト家の騎士として、リリアーナ様のその誓い、我が槍にかけて成就させよう。貴女の往く道を阻む者は、神であろうと悪魔であろうと、私が斬り伏せる」

 

 セレスが恭しく一礼する。それは王女への儀礼というより、共に死地を行く戦友への敬意の表れだった。

 

『ありがとうございます……!』

 

 三人の意志は固まった。

 もはや迷いはない。

 

「よし。そうと決まれば、長居は無用だ」

 

 蒼介は気持ちを切り替え、改めて図書館内を見渡した。

 情報収集は冒険者の基本だ。感情に浸る時間は終わった。

 

「念のため、もう一度調べておくか。何か持ち出せるアイテムや、奴らのアジトに関する情報があれば御の字だ」

 

 だが、大半は魔法理論書や歴史書で、直接的な手がかりは見当たらなかった。

 クリスタルの映像こそが、最も重要な鍵だったのだろう。

 

「手がかりなしか。まあ、連中も馬鹿じゃねえ。こんな場所に決定的な証拠を残すはずもねえか」

 

 蒼介は肩をすくめ、埃の積もった書架から視線を外した。

 

「エリオット先生が守っていたのは、あくまで『過去の記録』だ。奴らの『現在』を知りたけりゃ、もっと深くへ潜るしかねえ」

 

「そうだな。それに、ここも安全とは言い難い。結界が解けた今、いつ外の魔物が侵入してくるとも限らん」

 

 セレスが扉の方を警戒しながら言う。

 禁書庫の中は魔法によって清浄に保たれているが、一歩外に出れば、そこは水没した廃墟だ。

 

「とにかく、今はここを出るぞ。この水没都市エリア……第31層から続く一連の階層の『主』が、何かを知ってるかもしれねえ」

 

 蒼介たちは禁書庫を後にした。

 背後で、黒曜石の扉が重々しい音を立てて閉まる。

 二度と開くことのない、過去の棺桶。

 彼らは前を向いた。

 

 崩落したホールを抜け、瓦礫の山を越える。

 エリオットとの激闘の痕跡が生々しく残る図書館の中央ホール。

 天井の大穴からは、相変わらず薄暗い水中の光が差し込んでいる。

 

「さて、出口はどっちだ? またあの迷路みたいな書庫を戻るのか?」

 

 蒼介がうんざりしたように言うと、リリアが補足を入れる。

 

『いえ、禁書庫の近くには、王族用の緊急避難ルートが設置されているはずです。壁画の裏側あたりに、転移装置への入り口が……』

 

「転移装置だと?」

 

 蒼介の目が光る。

 RPGのお約束だ。ボス部屋の奥や重要エリアには、入り口へのショートカットや、次の階層へのワープポイントがあるものだ。

 

「探してみよう。【探知(サーチ)】」

 

 蒼介は感覚を研ぎ澄ませる。

 ホールの奥、エリオットが背にしていた壁画――今はスライドして禁書庫への入り口となっている場所の、さらに脇。

 瓦礫に埋もれかけた一角に、微かだが規則的な力の脈動を感じ取った。

 

「……あった。こっちだ」

 

 蒼介が瓦礫をどけると、床に埋め込まれた転移陣のような魔法陣が姿を現した。

 埃を払うと、青白い燐光が復活し、ブゥンという低音と共に起動する。

 

「ソウスケ、見ろ!」

 

 セレスが魔法陣の縁に刻まれた古代文字を指差した。

 そこには、共通語の数字で、はっきりとこう刻まれていた。

 

 ――39。

 

「39……? 階層の数字か?」

 

 蒼介は眉をひそめた。

 彼らがこの図書館に入ったのは、第31層の転移門からだった。

 

「おいおい、いつのまにかだいぶすっ飛ばしてきた……のか?」

「階段や梯子で下っていくだけが迷宮ではない、ということか」

 

 セレスの言葉に、蒼介は納得したように頷いた。

 この水没都市エリア――第31層から第40層は、単純な上から下へのタワー構造ではない。

 広大な亜空間の中に、廃墟となった都市機能が点在しており、それらが転移門や複雑な水路で繋がっている、いわば水平方向に広いエリアなのだ。

 

 そして、ダンジョンの法則として、数字が大きくなるほど「主」に近づく。

 

「39層……。次の40層が、このエリアの区切りだ。ってことは」

 

 蒼介はニヤリと笑った。

 

「ボスが近い、ってわけだ」

 

 31層から長く続いた水没都市編。そのクライマックスが近い。

 王国滅亡の真実を知った今、この階層群の最深部に待ち受ける「主」が、ただの野生動物であるはずがない。

 あの『原初の探求者』たちが残した負の遺産か、あるいは王国を滅ぼした泥の具現か。

 

 ひとまず蒼介たちは第39層の転移門に触れ、出入りを可能にしておく。

 そして図書館を後にする前に、蒼介は二人に声をかけた。

 

「覚悟はいいか、セレス、リリア」

「愚問だ」

『はい。参りましょう、ソウスケさん』

 

 二人の返事に、蒼介は深く頷いた。

 

「よし。行くぞ」

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