異邦人と大迷宮~現代ダンジョンシーカーは、スキルと知恵で異世界迷宮の果てを目指す~   作:九泉

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第81話 図書館脱出

 重厚な扉が、ズズズ……と低い音を立てて閉ざされた。

 完全に閉まった扉の表面には、再び複雑な封印の魔法陣が浮かび上がり、青白い光を明滅させた後にスッと消えた。

 それはまるで、五百年という長きにわたり王国の最重要機密を守り続けてきた番人が、ようやくその重責から解放され、静かな眠りについたかのようだった。

 

 王立大図書館の入口で、蒼介たちは閉ざされた扉を見つめていた。

 

「……エリオット先生。どうか、安らかに」

 

 リリアの祈るような囁きが、静寂に溶けていく。

 その言葉には、恩師への感謝と、別れの寂しさが滲んでいた。

 

『……参りましょう。ソウスケさん、セレスさん』

「ああ。行くか」

「うむ」

 

 蒼介は短く頷くと、バックパックのベルトを締め直した。

 ここでの収穫は大きかった。いや、大きすぎたと言ってもいい。

 王国滅亡の真実。

『原初の探求者』という明確な敵の存在。

 そして、リリアの中に芽生えた、過去と決別し未来へ進むという確固たる決意。

 

(やることは決まった。あとは、前に進むだけだ)

 

 蒼介は視線を上方へと向けた。

 ゆらゆらと揺れる水面の光が差し込んでいる。あそこが、この図書館と外の水没都市を隔てる境界線だ。

 

「準備はいいか? また冷たい水の中だぞ」

 

 蒼介が問うと、セレスが首元の人魚の護符に手を添えた。

 

「問題ない。水中での戦い方も、少しは板についてきたところだ。それに……」

 

 彼女は愛用の槍を一振りし、鋭い風切り音を立てる。

 

「あの外道どもの手駒と化した亡霊たちに、引導を渡してやらねば気が済まん」

『わたくしも、準備はできていますわ』

 

 三人の意志が揃う。

 蒼介は懐から魔石を取り出し、自身の護符へと魔力を流し込んだ。

 ブォン、と空気が振動し、身体の周囲に薄い水の膜のような魔力場が形成される。

 

 三人は瓦礫の山を越え、歩を進める。

 そこには、図書館全体を水圧から守っていた透明な結界が張られていたはずだった。

 だが。

 

「……やっぱりか」

 

 蒼介が眉をひそめる。

 目の前の光景は、ここがすでに安全地帯ではないことを告げていた。

 結界の輝きが、蛍の光のように弱々しく点滅しているのだ。

 天井の亀裂や壁のひび割れから、ポタ、ポタ、と雫が垂れ落ちてきている。

 細い糸のような水流も、じわじわと、しかし確実に図書館内部へと侵入し始めていた。

 

「結界が消えかかっているな」

 

 セレスが冷静に分析する。

 

「『書庫の番人』であったエリオット殿がいなくなったことで、魔力の供給も断たれたのだろう。この図書館も、そう長くは保たんぞ」

『……そうですわね。先生がいなくなった今、この場所もまた、歴史の波間に消えていく運命なのでしょう』

 

 リリアの声は静かだった。

 かつて多くの知識人が集い、叡智の殿堂と呼ばれた場所。

 それが冷たい水底へと沈み、泥と藻に覆われた廃墟へと変わっていく未来。

 寂しくないと言えば嘘になるだろう。だが、それは自然の摂理でもあった。

 

「まあ、今すぐ崩壊するってわけじゃなさそうだ。俺たちが脱出するくらいの時間は十分にある」

 

 蒼介は努めて明るく振る舞いながら、足元の水たまりをバシャリと踏み越えた。

 第39層の転移門は確保した。だが、そこから直接第40層――この水没都市エリアの最深部へ行けるわけではない。

 迷宮の構造上、階層の深部へ向かうには、特に、ボス部屋へのルートは一筋縄ではいかないことが多い。

 

「さて、と。ここからが本番だ。目指すは第40層、このエリアの『主』がいる場所だが……」

 

 蒼介たちは結界の境目に立つ。

 その向こう側は、圧倒的な質量を持った水の世界だ。

 蒼介は深く息を吸い込み、肺を満たしてから、一歩を踏み出した。

 

 ドボンッ。

 

 音が遮断される。

 肌にまとわりつく冷気と圧力。重力が軽減される浮遊感。

 世界が青一色に染まる。

 常に死と隣り合わせの水中空間へと戻ってきたのだ。

 

 続いてセレスも水中に身を投じる。彼女の金髪が海藻のように揺らめき、重厚な鎧が浮力によって軽々と持ち上がる。

 二人はハンドサインで互いの無事を確認し合うと、すぐに周囲の警戒に入った。

 

(【探知(サーチ)】――広域スキャン)

 

 蒼介は即座にスキルを発動する。

 ナノマシンが活性化し、知覚神経を拡張させる。

 水の振動、魔力の揺らぎ、微細な熱源。

 半径五十メートル以内の情報が、レーダーの映像のように脳裏に投影される。

 

 図書館の周辺には、目立った反応はない。

 だが、その先――王宮の敷地を抜けるルート上に、不穏な影が集結しつつあった。

 

「……お出ましか」

 

「反応があるのか」

「ああ。王宮の出口方面だ。さっき逃げた連中が、また集まってきやがった」

 

 マーマン・ロード。

 半人半魚の姿をした、水没都市の上位モンスター。

 ただの魔物ではない。かつてこの王宮を守護していた近衛兵団の成れの果てだ。

 彼らは高い知能と統率力を持ち、巧みな連携攻撃を仕掛けてくる強敵である。

 

『やはり、待ち伏せされていますのね……』

 

 リリアの声が沈む。かつての臣下たちが、守るべき主君を襲う刺客として立ちはだかる現実は、彼女にとって皮肉以外の何物でもないだろう。

 

「数は?」

「……増えてるな。十五体ほどだ。完全に包囲網を敷いてやがる」

 

 蒼介は冷静に分析する。

 真正面から突っ込めば、水中という彼らのホームグラウンドで、数による暴力にすり潰される。

 だが、迂回ルートを探している余裕はない。

 

「どうする、ソウスケ。強行突破か?」

 

 セレスが問いかける。その瞳に恐れの色はない。あるのは、戦士としての昂ぶりと、敵を討ち果たそうとする強い意志だ。

 

「ああ。避けては通れねえ道だ。それに……」

 

 蒼介は口元をニヤリと歪めた。

 水中用の酸素マスク越しでも、その不敵な笑みは伝わっただろう。

 

「さんざんボコられた借りを返してやろうぜ」

「ふっ、望むところだ!」

 

 セレスが槍を構える。雷の魔力が切っ先に集束し、バチバチと小さな気泡を生み出す。

 蒼介もまた、腰に装着した小型の魔導装置――水流推進機の出力を調整した。

 

 図書館に入る前の戦闘では、彼らの連携と水中機動力に翻弄された。

 だが、今は違う。

 リリアの過去を知り、覚悟を決めた今、精神的な迷いは消え失せている。

 そして何より、今の蒼介たちには明確な「殺意」があった。

 リリアの故郷を、誇り高き騎士たちを、こんな醜悪な魔物へと変えた元凶への怒り。それを晴らすための第一歩が、彼らを呪縛から解き放つことだ。

 

 蒼介が合図を送る。

 三人は一斉に海底を蹴った。

 

 王宮の広大な中庭跡地。

 崩れた回廊や、倒壊した石柱が散乱するその場所へ出た瞬間、殺気が肌を刺した。

 濁った水流の向こうから、ぬらりとした鱗を輝かせる影が次々と現れる。

 マーマン・ロードたちだ。

 筋骨隆々とした上半身に、強靭な魚の尾。手には三叉槍を携え、頭部にはかつての栄光を偲ばせる兜。

 その瞳は白く濁り、侵入者を排除するという殺戮命令だけが彼らを動かしている。

 

「ギョオオオオオオオッ!!」

 

 不快な咆哮が水を振動させ、鼓膜を揺らす。

 指揮官格と思われる個体が槍を振り上げると、周囲の兵たちが一斉に散開した。

 上下左右、全方位からの包囲攻撃。

 水中という三次元空間を最大限に活かした戦術だ。

 

「来るぞ!」

「応ッ!」

 

 十数本の三叉槍が、弾丸のような速度で迫りくる。

 水魔法によって加速された刺突は、岩盤すら貫く威力を持っている。

 

「セレス、右翼の三体! 俺が左を引き付ける!」

「承知!」

 

 蒼介は叫ぶと同時に、腰の推進機を最大出力で噴射させた。

 ボシュゥッ!!

 背後で水が爆発したような勢いが生まれ、蒼介の身体が矢のように射出される。

 だが、ただ直進するだけではない。

 

(【迅速(ブースト)】――神経加速ッ!)

 

 体内のナノマシンがオーバーロード寸前まで活性化する。

 周囲の景色がスローモーションのように引き伸ばされ、迫りくる槍の軌道がはっきりと見えた。

 蒼介は推進機のノズルを細かく操作し、身体を捻った。

 

 水中バレルロール。

 空を飛ぶ戦闘機のような機動で、切っ先を紙一重でかわす。

 頬を水流が掠める感触。

 だが、当たらない。

 

「ギョ!?」

 

 必殺のタイミングで繰り出した攻撃をかわされ、マーマン・ロードたちが驚愕に目を見開く。

 蒼介はその隙を見逃さない。

 すれ違いざま、手にしたナイフを逆手に持ち替える。

 

 ナノマシンをナイフの刃に伝達させ、超高速振動を引き起こす。

 水中での抵抗を無視する凶悪な切れ味が、鋼鉄の鱗を豆腐のように切り裂いた。

 

 ズバッ!

 

 一閃。

 マーマン・ロードの脇腹が裂け、どす黒い体液が海中に広がる。

 致命傷ではないが、強烈な一撃によるショックで敵の陣形が崩れた。

 

「こっちだ、魚ども! 鬼ごっこの時間は終わりじゃなかったのか!?」

 

 蒼介は挑発しながら、複雑な軌道を描いて泳ぎ回る。

 右へ左へ、上へ下へ。

 推進機とスキルの併用による変幻自在の動きは、水中で生きる魔物たちの予測すらも上回っていた。

 左翼の集団七体が、蒼介に引きずられるように密集する。

 

「今だ、セレス!」

 

 敵の注意が蒼介に集中した、その一瞬。

 死角から金色の稲妻が走った。

 

「喰らえ――『スパーク』ッ!!」

 

 セレスティーナの気合と共に、槍の穂先から圧縮された雷撃が炸裂する。

 水中での雷魔法は、拡散して味方をも巻き込む危険がある諸刃の剣だ。

 だが、彼女の制御は完璧だった。

 指向性を持たせた雷撃は、右翼の三体を正確に貫き、その神経網を焼き切った。

 

『ギャガガガガッ!?』

 

 感電し、麻痺して動きを止めるマーマン・ロードたち。

 そこへ、セレス自身が魚雷のように突っ込む。

 

「ハァッ!」

 

 水の抵抗を感じさせない鋭い刺突。

 一撃、二撃、三撃。

 神速の三連突きが、それぞれの魔物の胸部を正確無比に貫いた。

 

 ドォン、ドォン、ドォン!

 

 三体の巨体が痙攣し、ぐったりとしていく。

 鮮やかな手並みだった。

 

「ソウスケ、援護を!」

 

 セレスが叫ぶ。

 右翼が崩壊したことに気づいた残りの敵が、怒り狂ってセレスへと殺到しようとしていた。

 だが、蒼介がそれを許すはずがない。

 

「遅えよ!」

 

 蒼介は推進機を逆噴射させ、急制動をかける。

 慣性の法則を無視するような急停止に、彼を追っていた魔物たちがつんのめる。

 その鼻先で、蒼介は身体を反転させた。

 

「邪魔なんだよッ!」

 

 両手のナイフが閃く。

 回転の勢いを乗せた斬撃が、無防備な背中を襲う。

 首筋、背びれの付け根、エラ。

 急所のみを狙った冷徹な刃が、次々と敵の生命力を刈り取っていく。

 

 かつて王宮を守った精鋭たちも、連携は分断され、個々の力ではいまの蒼介たちに及ばない。

 

「セレス、魔力は!?」

「いつでもこい!」

 

 蒼介の呼びかけに、セレスが応える。

 

「よし、あの一番デカい奴にくれてやれ! トドメだ!」

 

 蒼介が指差したのは、最後に残った指揮官格の個体だ。

 部下を失い、怒りに我を忘れたその魔物が、三叉槍を構えて蒼介へと突進してくる。

 

「サンダー・ジャベリンッ!!」

 

 セレスの叫びと共に、彼女の槍の穂先から雷の奔流が迸った。

 水中を切り裂く青白い光の柱。

 それは一直線に指揮官へと迫り、その防御ごと飲み込んだ。

 

「ガアアアアアッ……!!」

 

 断末魔の叫びも一瞬。

 圧倒的なエネルギーの奔流の中で、マーマン・ロードの身体は跡形もなく消滅した。

 

 ゴボボボ……。

 

 雷槍の余波で発生した大量の気泡が、天へと昇っていく。

 広場には、再び静寂が戻ってきた。

 

「……ふぅ」

 

 蒼介は大きく息を吐き、推進機の出力をアイドリング状態に戻した。

 周囲を見渡す。【探知(サーチ)】にも、敵性反応はない。

 全滅だ。

 

「……だいぶ、慣れてきたな。水中戦も」

 

 蒼介がナイフを鞘に納めながら言うと、セレスも槍の穂先についた汚れを水流で洗い流しながら頷いた。

 

「ああ。お前のその奇妙な動きがあってこそだ。私一人では、こうも鮮やかにはいかなかっただろう」

 

 セレスの声には、偽らざる賞賛が込められていた。

 水中での三次元機動。囮役としての立ち回り。そして決定的な場面での連携。

 数え切れないほどの死線を共に潜り抜けてきた阿吽の呼吸が、この完全勝利をもたらしたのだ。

 

『皆さん……お見事でした』

 

 リリアの声が、優しく響く。

 彼女の意識は、消滅していった魔物たちの残滓――かつての近衛兵たちがいた場所へと向けられていた。

 

『彼らもまた、五百年間、王宮を守るという使命に縛られた犠牲者でしたのね……。狂気に侵され、姿を変えられてもなお、この場所を守り続けていたなんて』

 

 その言葉には、深い哀悼の意が込められていた。

 彼らはリリアを守れなかったことを悔やみ、死してなお、その魂を迷宮に囚われていたのかもしれない。

 だとしたら、こうして討ち滅ぼすことこそが、彼らにとって唯一の救済だったのかもしれない。

 

「……行くぞ、リリア。あいつらの分も、俺たちが決着をつけてやるんだろ」

『……はい。そうですわね。参りましょう、ソウスケさん』

 

 蒼介はぶっきらぼうに言ったが、その手は優しくペンダントを包み込んでいた。

 リリアの悲しみを、少しでも分かち合うように。

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