異邦人と大迷宮~現代ダンジョンシーカーは、スキルと知恵で異世界迷宮の果てを目指す~   作:九泉

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第82話 原初の痕跡

 王宮の敷地を抜け、蒼介たちはさらに深く暗い水底へと潜降していた。

 視界を覆うのは、どこまでも続く蒼黒い闇と、崩壊した石造りの残骸だ。かつてアルストロメリア王国の栄華を象徴していた建造物群は、いまや見る影もなく砕け、泥と藻に覆われた墓標の群れと化している。

 

 推進機が低く唸りを上げ、背後の水を掻き回す。

 蒼介は酸素マスクの中で荒い息を整えながら、ゴーグルの奥の瞳を凝らした。

探知(サーチ)】の反応は、進めば進むほどに濃密さを増している。それは生物的な気配というより、空間そのものが軋みを上げているような、不快なノイズに近い感覚だった。

 

『……この辺りは、かつて貴族街だった場所ですわ』

 

 リリアの声が、水中通信の魔道具を通して響く。その声色は硬く、痛々しいほどに震えていた。

 

『ですが、地形が……変わりすぎています。私の知っている街並みは、もう……』

 

 彼女の言葉通り、そこはもはや街とは呼べなかった。

 巨大な質量に押し潰されたように地盤ごと陥没し、建物は原形を留めぬほどにねじ曲がっている。まるで神の拳が垂直に振り下ろされ、大地ごと粉砕したかのような惨状だった。

 

「ひどい有様だな」

 

 セレスティーナが呟く。彼女は蒼介の右斜め前方を遊泳しながら、油断なく周囲を警戒していた。

 彼女の槍の穂先から漏れる微かな雷光が、周囲の瓦礫を不気味に照らし出している。

 

「これほどの破壊……単なる地盤沈下や水没ではないな。何かもっと、巨大な力が中心に向かって吸い込まれたような……」

「ああ、同感だ」

 

 蒼介は頷き、視線をさらに深部――崩落の中心点へと向けた。

 そこは、まるでブラックホールのように全ての瓦礫、全ての水流を引き寄せているように見える。

 第40層。この水没都市エリアの最深部であり、おそらくは「主」が待ち受けている領域。

 

「リリア。魔力の流れはどうだ?」

『……おぞましいです』

 

 リリアが即答する。

 

『王宮で感じたものとは比較になりません。濃密で、粘着質で……まるで腐った泥のような魔力。この感覚……禁書庫の映像で見た、王国を飲み込んだあの奔流とそっくりですわ』

 

(やっぱりか……)

 

 蒼介は舌打ちしたい衝動を堪えた。

 禁書庫の『記憶の魔石(メモリー・クリスタル)』で見せつけられた、あの光景。

『原初の探求者』たちが暴走させたダンジョンコアのエネルギー。あれが五百年の時を経てなお、この場所に残留し、あるいは変質して渦巻いているのだ。

 

「邪悪な気配だ。肌が粟立つ」

 

 セレスが不快そうに顔をしかめる。彼女のような鋭敏な感覚を持つ戦士にとって、この空気感――いや、水質そのものに含まれる呪詛のような重圧は、物理的な攻撃以上に神経を削るものだろう。

 

「行くぞ。元凶がそこにいるなら、避けては通れねえ」

 

 蒼介は決意を新たに、推進機の出力をわずかに上げた。

 瓦礫の山を越え、崩れた橋の下をくぐり抜ける。

 深くなるにつれ、水圧は増し、光は届かなくなる。

 頼りになるのは、セレスの放つ魔法の光と、蒼介の【探知(サーチ)】のみ。

 

 そんな闇の中を進んでいた、その時だった。

 

「……ん?」

 

 蒼介は眉をひそめた。

 【探知(サーチ)】のレーダーに、奇妙な反応が引っかかったのだ。

 周囲は混沌とした瓦礫の山だ。建物は砕け、道路は寸断され、滅茶苦茶に散らばっている。

 だが、進行方向の左手にある高台――かつては見晴らしの良い丘だったであろう場所の一角だけが、不自然なほど整然としていた。

 

「ソウスケ、どうした?」

「あそこの高台だ。妙に平らじゃねえか? 崩落を免れた……にしては、出来すぎてやがる」

 

 蒼介が指差した先。

 そこは、すり鉢状に崩落した都市の全貌を見渡せる場所だった。

 周囲の屋敷や塔が軒並み崩れ落ちている中で、その数十メートル四方の石畳のテラスだけが、まるで目に見えないドームに守られていたかのように、傷一つなく残っている。

 

『……あそこは、王立公園の展望台ですわ。ですが、おかしいです。真っ先に崩れてもおかしくない場所なのに』

 

 リリアの疑問が、蒼介の推測を裏付ける。

 自然に残ったわけではない。

 何らかの意図を持って「残された」のだ。

 

「行ってみよう。何かありそうだ」

 

 三人は進路を変更し、その高台へと着地した。

 

 石畳に残る、微かな魔力の残滓。

 リリアが、五百年前に展開されていたであろう、高度な術式の痕跡を検知する。

 

『……物理防護結界に、空間固定、それに認識阻害』

 

 どれも最高ランクの防御魔法だ。

 都市全体が崩壊し、泥流に飲み込まれていく中で、ここだけを絶対的な安全圏として維持するための強固なシェルター。

 

「……ソウスケさん。あそこ」

 

 リリアの声に促され、蒼介はテラスの中央へと歩み寄った。

 そこには、風化した石のテーブルと椅子、そして野営の跡のようなものが残されていた。

 焚き火の跡らしき炭化した物体。

 割れたワインかなにかのボトルとおぼしきガラス片。

 まるで、ピクニックでも楽しんだ後のような残骸。

 

 そして、石畳の中央には、消えかけた塗料で不気味な紋様が描かれていた。

 円と三角形が複雑に絡み合い、その中心に「見開かれた一つ目」が描かれた幾何学模様。

 

「『原初の探求者』……!」

 

 セレスが憎々しげに叫んだ。

 間違いない。禁書庫の映像の中で、あの邪悪な儀式を行っていたローブの男たち。彼らの背中や装飾品に刻まれていた意匠と、完全に一致する。

 

 その瞬間、蒼介の中でパズルのピースが噛み合った。

 そして同時に、どす黒い怒りが腹の底から沸騰した。

 

「……なるほどな。そういうことかよ」

 

 蒼介の声は低く、震えていた。

 恐怖ではない。激情を必死に抑え込んでいる震えだ。

 

「あいつら、ここから見てやがったんだ」

 

 眼下に広がるのは、崩壊した王都の惨状だ。

 五百年前、ここからは、大地が裂け、建物が崩れ、人々が逃げ惑いながら泥に飲まれていく地獄絵図が一望できたはずだ。

 彼らは自分たちだけ安全なこの結界の中に陣取り、酒を飲みながら、あるいは研究の成果を確認するように、国一つが滅びゆく様を「高みの見物」と洒落込んでいたのだ。

 

「外道が……ッ!!」

「……ッ」

 

 セレスが激昂し、石畳をガンッと思い切り踏みつけた。

 リリアは言葉を失っている。ペンダントの光が、激しく明滅しているのが、彼女の乱れた感情を表していた。

 

 自分たちの命が、愛する故郷が、彼らにとってはただの実験材料であり、余興に過ぎなかったという事実。

 それは、単なる敵対行為以上に、彼女たちの尊厳を踏みにじる最大の侮辱だった。

 

 蒼介は無言で膝をつき、地面の紋様に手を触れた。

 

(【物質分析(アナライズ)】――スキャン開始。……拾える情報は塵一つ残さず記録しろ)

 

 ナノマシンがフル稼働し、紋様に込められた情報を吸い上げていく。

 術者の癖、使用された触媒の成分。

 それらは、現代の警察捜査における指紋やDNAのようなものだ。これがあれば、奴らがどこに隠れていようと、同じ痕跡を持つ存在を探知する手がかりになる。

 

「……記録した」

 

 蒼介は立ち上がり、冷たい目で紋様を見下ろした。

 そして、踵でその紋様をグリグリと踏みにじり、削り消した。

 

「いつか必ず、この借りは返してやる。……百倍にしてな」

 

 もはや、ただの迷宮攻略ではない。

 これは戦争だ。

 顔も見えぬ怪物相手ではない。明確な悪意を持った人間たちへの、合戦だ。

 

「行こう。ここにはもう用はない」

 

 三人はテラスを後にした。

 背中から放たれる殺気は、この冷たい水底の温度さえも下げるほどに鋭かった。

 

 高台を降り、再び崩落の中心を目指して進み始めると、周囲の様子が一変した。

 闇の濃度が増し、今まで潜んでいた魔物たちが、明確な殺意を持って動き出したのだ。

 

「来るぞ!」

 

 セレスの警告と同時に、闇の中から無数の影が飛び出した。

 半透明の身体を揺らめかせ、怨嗟の声を上げる人型の影。レイスだ。

 

 その姿は、ボロボロの服を纏った市民や、錆びついた鎧を着た兵士たち。

 五百年前のあの日、逃げ場を失い、無念の中で死んでいった人々の成れの果て。

 

『ウウウウウ……クルシイ……』

『助ケテ……アツイ……』

 

 彼らのうめき声が、水中に直接響いてくる。

 精神感応による悲痛な叫び。

 

『っ、皆さん……!』

 

 リリアが悲鳴のような声を上げる。彼女にとって、それはかつての民たちの声だ。

 

「リリア、耳を貸すな! あれはもう人間じゃねえ!」

 

 蒼介は叫びながら、襲いかかってくるレイスの群れに向けてナイフを振るった。

 【探知(サーチ)】が敵の軌道を先読みする。

 実体のない霊体相手に物理攻撃は効きにくい。だが、蒼介のナイフには、セレスからあらかじめ雷属性の魔力を付与してもらっている。

 

 バチィッ!

 

 紫電を帯びた刃がレイスを切り裂くと、霊体は悲鳴を上げて霧散した。

 

「セレス、左だ! 巨大なのが来る!」

 

 蒼介の指示が飛ぶ。

 レイスの群れの向こう側から、ズズン、ズズンと水を揺るがして現れたのは、深海の圧力に適応した異形の怪物だった。

 岩のような甲羅を持つ巨大な蟹。

 ぬらぬらとした触手を振り回す大イカ。

 どれもが、地上の魔物とは桁違いのサイズと質量を持っている。

 

「キリがねえな、おい!!」

「数が多い! ソウスケ、魔石の魔力は保つか!? 推進機が止まったら終わりだぞ!」

 

 セレスが槍を振るい、迫りくる触手を雷撃で焼き切りながら叫ぶ。

 水中での機動力を支えているのは、蒼介が腰につけた魔導推進機だ。

 これの燃料となる魔石のエネルギーが尽きれば、彼らは機動力を失い、ただの沈む肉塊となる。

 

「俺は魔法使いじゃねえ! 魔力残量なんて咄嗟にわかるかよ! だが、ここで止まるわけにはいかねえ!」

 

 蒼介は悪態をつきつつも、冷静に状況を計算していた。

 予備の魔石はあるが、交換している暇はない。

 無駄な回避行動を減らし、最短ルートで切り抜けるしかない。

 

(【探知(サーチ)】――予測演算モード)

 

 脳内のナノマシンが熱を持ち始める。

 敵の筋肉の動き、水の流れ、殺気の方向。

 それらを瞬時に解析し、数秒先の未来を予測する。

 

 右から迫る巨大蟹のハサミ。

 上から降ってくるレイスの魔法。

 下から伸びる触手。

 

 その全てが、赤い線となって視界に表示される。

 そして、唯一の生存ルートが、細い青い線として描かれた。

 

「セレス、2時方向へ全力射出! 障害物は俺がどける!」

「信じるぞ!」

 

 蒼介は推進機を噴かし、青いラインに沿って突っ込んだ。

 迫る蟹のハサミの隙間を、身体を横にしてギリギリですり抜ける。

 すれ違いざま、関節の隙間にナイフを突き立て、内部で爆発させるような衝撃を与える。

 

「グオオッ!?」

 

 バランスを崩した蟹が、背後のイカ型モンスターと激突する。

 その隙に、セレスが詠唱を完了させていた。

 

「雷光よ、道を拓け――『ライトニング・ジャベリン』!!」

 

 彼女の槍から放たれた極太の雷撃が、一直線に闇を切り裂く。

 密集していたレイスたちがまとめて浄化され、行く手を阻む瓦礫が粉砕された。

 

「今だ、抜けろッ!!」

 

 爆風と水流に煽られながら、三人は強引に突破口をこじ開けた。

 背後から魔物たちの怒号が響くが、振り返らない。

 ひたすらに、ただ深く、深くへ。

 

 どれほどの時間が経っただろうか。

 絶え間ない襲撃と、魔力の消耗。

 酸素残量も気になり始めた頃、不意に視界が開けた。

 

 魔物たちの追撃が、ピタリと止む。

 まるで、そこから先は「入ってはいけない領域」であるかのように、彼らは境界線の手前で威嚇するだけで、踏み込んでこようとはしなかった。

 

「……着いたのか?」

 

 蒼介は荒い息を吐きながら、推進機の出力をアイドリングに戻した。

 目の前に広がっていたのは、圧倒的な「虚無」だった。

 

 崩落した都市の中心。

 そこには、直径数百メートルにも及ぶ、巨大な縦穴が口を開けていた。

 底は見えない。

 ただ、黒よりもなお暗い深淵が、口を開けて待ち構えている。

 

 そして、その穴からは、先ほど感じたおぞましい魔力が、噴煙のように立ち昇っていた。

 

「これが……王都崩落の中心地……」

「まるで、星に穿たれた傷跡だな」

 

 セレスが呆然と呟く。

 周囲の水流は、この穴に向かってゆっくりと吸い込まれている。

 耳を澄ませば、穴の奥底から、ゴォォォォ……という地鳴りのような音が響いてくるようだった。

 

『この下に、全ての答えがあるのでしょうか』

 

 ここが、第40層への入り口。

 そして、王国を滅ぼした元凶との因縁の地、かもしれない。

 

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