異邦人と大迷宮~現代ダンジョンシーカーは、スキルと知恵で異世界迷宮の果てを目指す~   作:九泉

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第85話 縦穴のチェイス

 轟音と水圧が、背後から迫りくる。

 蒼介は振り返ることなく、腰に装着した水流推進機のスロットルを限界まで引き絞った。

 

 キィィィィィィィンッ!

 

 魔石を燃料とするタービンが、悲鳴のような高周波音を奏でる。

 圧縮された水流がノズルから噴出し、蒼介の身体を砲弾のように上方へと押し上げた。

 

(クソッ、速えぇ……!)

 

 だが、それでも背後の殺気は遠ざかるどころか、加速度的に膨れ上がっていく。

 数十メートル級の巨体を持つ水棲竜。本来ならばその大きさゆえに鈍重であるはずだが、ここは奴の庭だ。水流を操り、抵抗を推進力に変える身体構造をしているのだろう。

 まるでロケットのように、縦穴の底から真上へ向かって突っ込んでくる。

 

「グオオオオオオオオッ!!」

 

 咆哮。

 水そのものが振動し、衝撃波となって蒼介の背中を叩く。

 縦穴という閉鎖空間が、その威力を増幅させていた。

 

(【探知(サーチ)】――後方警戒!)

 

 蒼介は脳内のナノマシンに指令を飛ばす。

 視界の隅に表示されるレーダーウィンドウ。そこには、赤色の巨大な質量反応が、信じられない速度で迫ってくる様子が映し出されていた。

 距離、残り三十メートル。二十メートル。

 

「デカい図体して、冗談だろおいッ!」

 

 蒼介は悪態をつきながら、身体をひねった。

 直後、彼がコンマ一秒前まで存在していた空間を、巨大な顎が食い破る。

 ガグンッ!

 何もない水を噛み砕いた音が、骨に響く重低音となって伝わってきた。

 

 食い逸れた水棲竜はそのままの勢いで直進し、縦穴の岩壁に頭を擦り付けながら方向転換を試みる。

 ズズズズズ……!

 鋼鉄よりも硬いであろう鱗が岩盤を削り取り、土煙のような濁流が舞う。

 

「あぶねえ……!」

 

 蒼介は冷や汗をかきながら、複雑な軌道を描いて遊泳した。

 直線的な速さ比べでは、推進機を使っても勝ち目はない。

 勝機があるとすれば、旋回性能だ。

 ハエが人の手のひらをすり抜けるように、小ささを武器にして翻弄するしかない。

 

 水棲竜が長い胴体をしならせ、壁面を蹴って再び蒼介を捕捉する。

 金色の瞳が、憎々しげにぎらついた。

 その瞳孔が収縮し、蒼介一点に焦点を合わせる。

 

 ――殺す。

 明確な意志が、視線だけで伝わってくる。

 先ほど顔面に浴びせた発光弾の恨みか、あるいは寝床を荒らされた怒りか。

 水棲竜は完全に、下へ逃げたセレスたちではなく、目の前の羽虫――蒼介を標的と定めていた。

 

(上出来だ。こっちを見ろ、化け物)

 

 蒼介は唇を歪めて笑うが、状況は綱渡りどころか、蜘蛛の糸の上を走るような危うさだ。

 

 縦穴の直径は数百メートルあるとはいえ、相手があの巨体だ。尾の一振りが届く範囲は広大で、さらにブレス攻撃もある。

 逃げ場のないチューブの中で、暴走列車と追いかけっこをしているに等しい。

 

(回避行動の連続で、燃料の消耗が心配だ……)

 

 予備の魔石はあるが、交換している数秒の隙に、骨ごと噛み砕かれるのがオチだ。

 それに、蒼介自身の肉体も悲鳴を上げ始めていた。

 急激な加減速と旋回。いくらナノマシンで強化された肉体とはいえ、水圧とGの負荷は内臓をきしませ、脳への酸素供給を阻害する。

 

「ハァッ、ハァッ……!」

 

 肺が焼けるようだ。

 思考が泥のように重くなっていく感覚。

 

(このままじゃジリ貧だ……! 燃料か、俺の体力か。どっちかが尽きた時点でチェックメイトだ)

 

 逃げ続けるだけでは勝てない。

 かといって、反撃の手はあるのか?

 蒼介の装備は、近接用のナイフとワイヤーのみ。セレスの雷魔法のような、決定的な火力はない。

 水棲竜の身体は黒曜石のような鱗に覆われている。生半可な攻撃では傷一つつかないだろう。

 

「グルルルル……」

 

 水棲竜が喉を鳴らす。

 その口腔の奥で、再び青白い光が凝縮され始めた。

 高圧水流ブレスだ。

 

(またかよ! 学習しねえ野郎だな!)

 

 蒼介は壁面の突起を蹴り、ジグザグに動き回って照準を絞らせないようにする。

 だが、水棲竜は狡猾だった。

 ブレスをすぐに放たず、首を振って蒼介の逃げ道を塞ぐように牽制動作を行う。

 そして、蒼介が壁際に追い詰められた瞬間を見計らって、発射体勢に入った。

 

(詰んだか……!? いや)

 

 硬い甲羅を持つ亀でも、首を引っ込める隙間はある。

 完全無欠の生物などいない。

 奴の全身を覆う鎧の中で、唯一、外部の情報を得るために露出している柔らかい器官。

 

(眼だ。あそこなら刃が通る!)

 

 だが、狙うには距離が必要だ。

 遠くからナイフを投げても、まぶたで弾かれるか、水流で軌道を逸らされるのが関の山。

 確実に潰すなら、ゼロ距離まで肉薄し、直接突き立てるしかない。

 

 ブレスを構える水棲竜の正面に飛び込む?

 自殺行為だ。

 タイミングをコンマ一秒でも誤れば、高圧の水流に触れた瞬間に身体がバラバラにされる。

 

 だが。

 逃げ続けてすり潰されるのを待つか。

 一か八かの賭けに出るか。

 答えは決まっている。

 

「……上等だ。やってやるよ」

『ソウスケさん……?』

 

 心配げな声を上げるリリアに答えず、蒼介は覚悟を決め、ニヤリと笑った。

 彼は推進機のノズルを逆噴射させ、急ブレーキをかけた。

 逃走をやめ、空中で静止する。

 まるで、諦めて死を受け入れたかのように。

 

「ギャウ?」

 

 水棲竜の動きが一瞬、不審げに止まった。

 逃げ回っていた羽虫が、なぜ止まる?

 その僅かな思考のラグ。

 野生の本能が警戒を呼びかけるよりも早く、捕食者の本能が「好機」と断じた。

 

 水棲竜が大きく顎を開く。

 青白い光が臨界点に達する。

 死の光線が放たれる、その直前。

 

(【迅速(ブースト)】とォ、推進機――どっちも最大出力ッ!!)

 

 蒼介は脳内のリミッターを解除した。

 ドクンッ!

 心臓が破裂しそうなほど脈打ち、大量のアドレナリンとナノマシンが血管を駆け巡る。

 世界の色が褪せ、音が遠のく。

 知覚速度が極限まで加速され、スローモーションの世界へと移行する。

 

 水棲竜の喉の奥筋肉が収縮するのが見えた。

 水流が渦を巻き、光の奔流となって押し出されてくる。

 その速度は音速に近い。

 だが、今の蒼介には、それが泥の中を進む亀のように見えた。

 

(見切った!)

 

 逃げるのではない。

 向かっていくのだ。

 

 ズバアアアアアアッ!!

 

 極太のレーザーのような水流が、蒼介の数センチ横を通過していく。

 衝撃波だけで服が裂け、皮膚に傷がつく。

 だが、直撃ではない。

 蒼介はブレスの軌道に対し、螺旋を描くように回転しながら突進した。

 

「うおおおおおおおおっ!!」

 

 咆哮と共に、水流の壁を突き破る。

 水棲竜の金色の瞳が、驚愕に見開かれたのがわかった。

 獲物が、自分の最強の攻撃をすり抜け、あまつさえ懐に飛び込んでくるとは予想していなかったのだろう。

 

 目の前に迫る、トラックのタイヤほどもある巨大な眼球。

 その虹彩の模様までが、鮮明に見える。

 

「チェックメイトだ、デカブツ!!」

 

 蒼介は逆手に握ったナイフに、残る力をすべて込めた。

 

 推進機の勢いを乗せ、全体重をかけた一撃。

 蒼介は水棲竜の顔面に着地すると同時に、その白目の中心へ、深々と刃を突き立てた。

 

 ズブュウウウウウッ!!

 

 硬いゼリーをぶち抜くような、生々しい感触が手に伝わる。

 刃は根本まで埋まり、さらに奥の神経まで到達した。

 

『ソウスケさん! 予備の魔石を砕けば小規模な魔力爆発を起こせますわ!』

「いいねえ! 喰らえッ!!」

 

 蒼介はナイフの柄を捻り、傷口を広げながら、さらに咄嗟に砕いた魔石を放り込んだ。

 内部からの魔力による攻撃。

 

 一瞬の静寂。

 そして。

 

「ギイイイイイイイイイイイアアアアアアアアアアアッ!!!」

 

 鼓膜を引き裂くような絶叫が、縦穴全体を震わせた。

 水棲竜が激しくのけぞり、苦悶に狂い暴れる。

 その衝撃で蒼介は振り落とされそうになるが、突き立てたナイフを支点にしてしがみつく。

 だが、すぐに手を離した。

 発狂した巨体が滅茶苦茶に暴れれば、巻き込まれて潰される。

 

 蒼介はナイフを放棄し、水棲竜の顔面を蹴って離脱した。

 反動で後方へ吹き飛びながら、その惨状を見届ける。

 

 片目を潰され、脳に直接衝撃を受けた水棲竜は、平衡感覚を失ったようだった。

 ブレスを撒き散らしながら、自分から岩壁へと激突していく。

 

 ズガガガガガッ!

 ドオオオオオンッ!

 

 岩盤が砕け、巨大な落石が雨のように降り注ぐ。

 水棲竜は痛みから逃れようとするように、のたうち回りながら縦穴の上方へと登っていこうとしていた。

 もはや、蒼介を追うどころではない。

 

「……ハァ、ハァ……! ザマあ、みろ……!」

 

 蒼介は体勢を立て直した。

 だが、余韻に浸っている時間はない。

 

 無茶をした反動が襲ってくる。

 全身の筋肉が断裂したかのような激痛と、鉛を流し込まれたような倦怠感。

 視界が明滅し、意識が飛びそうになる。

 

(やべえ……限界超えてたか……)

 

 蒼介は重い瞼をこじ開け、視線を下方に向けた。

 水棲竜が上へ逃げていったことで、下への道は完全にクリアになった。

 重力に身を任せ、残りの推進剤を噴射して降下を開始する。

 

 落下する岩石を避けながら、深く、深く。

 黒紫色の瘴気が漂う深淵へ。

 

 やがて、縦穴の底が見えてきた。

 そこは、巨大な地下空間への入り口となっていた。

 蒼介は最後の力を振り絞り、逆噴射をかけて着地を試みる。

 

 ガシュッ。

 金属製のブーツが、石畳を踏みしめる音。

 なんとか、転ばずに着地できた。

 

「……ソウスケ!?」

 

 闇の中から、聞き慣れた声が響く。

 ライトの光を向けると、そこには槍を構えたセレス。

 蒼介の姿を見るなり、駆け寄ってくる。

 

「無事か!? あんな轟音が聞こえてきたから、てっきり……」

『またとんでもない無茶をしてましたわ……』

 

 セレスが蒼介の肩を支え、リリアの声が震えている。

 その温かさに、張り詰めていた緊張の糸がぷつりと切れた。

 

「……へへ。なんとか、撒いてきたぜ。片目は頂いてきたから、当分は降りてこねえだろ」

 

 蒼介は強がって笑ってみせたが、膝から崩れ落ちそうになるのをセレスに抱き留められた。

 

「馬鹿者。……よくやった」

 

 セレスの声音には、呆れと共に深い敬意が滲んでいた。

 

「ここは?」

「ここが『主の間』の前室らしい。扉がある」

 

 セレスが顎で示した先。

 広大な空間の奥に、王宮の正門ほどもある巨大な石の扉が鎮座していた。

 その扉には、幾重もの鎖が巻き付けられ、おびただしい数の護符が貼られている。

 そして、扉の隙間からは、あのねっとりとした不快な瘴気が漏れ出していた。

 

(あの中に、元凶がいるのか……)

 

「少し休ませてくれ。……推進機も、魔石を交換しねえと」

「ああ。結界を張った。ここで少し休息を取ろう」

 

 セレスが購入した護符で簡易結界を展開し、安全地帯を作る。

 蒼介はその場に座り込み、背嚢から予備の魔石と携行食を取り出した。

 震える指先で魔石を装填しながら、彼は扉の向こうに待ち受ける「何か」を見据えた。

 

 第40層。

 アルストロメリア王国の亡霊。

 そして、『原初の探求者』の実験場。

 

 水棲竜との死闘を乗り越え、ついに彼らはその深淵の入り口に立ったのだ。

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