異邦人と大迷宮~現代ダンジョンシーカーは、スキルと知恵で異世界迷宮の果てを目指す~ 作:九泉
轟音と水圧が、背後から迫りくる。
蒼介は振り返ることなく、腰に装着した水流推進機のスロットルを限界まで引き絞った。
キィィィィィィィンッ!
魔石を燃料とするタービンが、悲鳴のような高周波音を奏でる。
圧縮された水流がノズルから噴出し、蒼介の身体を砲弾のように上方へと押し上げた。
(クソッ、速えぇ……!)
だが、それでも背後の殺気は遠ざかるどころか、加速度的に膨れ上がっていく。
数十メートル級の巨体を持つ水棲竜。本来ならばその大きさゆえに鈍重であるはずだが、ここは奴の庭だ。水流を操り、抵抗を推進力に変える身体構造をしているのだろう。
まるでロケットのように、縦穴の底から真上へ向かって突っ込んでくる。
「グオオオオオオオオッ!!」
咆哮。
水そのものが振動し、衝撃波となって蒼介の背中を叩く。
縦穴という閉鎖空間が、その威力を増幅させていた。
(【
蒼介は脳内のナノマシンに指令を飛ばす。
視界の隅に表示されるレーダーウィンドウ。そこには、赤色の巨大な質量反応が、信じられない速度で迫ってくる様子が映し出されていた。
距離、残り三十メートル。二十メートル。
「デカい図体して、冗談だろおいッ!」
蒼介は悪態をつきながら、身体をひねった。
直後、彼がコンマ一秒前まで存在していた空間を、巨大な顎が食い破る。
ガグンッ!
何もない水を噛み砕いた音が、骨に響く重低音となって伝わってきた。
食い逸れた水棲竜はそのままの勢いで直進し、縦穴の岩壁に頭を擦り付けながら方向転換を試みる。
ズズズズズ……!
鋼鉄よりも硬いであろう鱗が岩盤を削り取り、土煙のような濁流が舞う。
「あぶねえ……!」
蒼介は冷や汗をかきながら、複雑な軌道を描いて遊泳した。
直線的な速さ比べでは、推進機を使っても勝ち目はない。
勝機があるとすれば、旋回性能だ。
ハエが人の手のひらをすり抜けるように、小ささを武器にして翻弄するしかない。
水棲竜が長い胴体をしならせ、壁面を蹴って再び蒼介を捕捉する。
金色の瞳が、憎々しげにぎらついた。
その瞳孔が収縮し、蒼介一点に焦点を合わせる。
――殺す。
明確な意志が、視線だけで伝わってくる。
先ほど顔面に浴びせた発光弾の恨みか、あるいは寝床を荒らされた怒りか。
水棲竜は完全に、下へ逃げたセレスたちではなく、目の前の羽虫――蒼介を標的と定めていた。
(上出来だ。こっちを見ろ、化け物)
蒼介は唇を歪めて笑うが、状況は綱渡りどころか、蜘蛛の糸の上を走るような危うさだ。
縦穴の直径は数百メートルあるとはいえ、相手があの巨体だ。尾の一振りが届く範囲は広大で、さらにブレス攻撃もある。
逃げ場のないチューブの中で、暴走列車と追いかけっこをしているに等しい。
(回避行動の連続で、燃料の消耗が心配だ……)
予備の魔石はあるが、交換している数秒の隙に、骨ごと噛み砕かれるのがオチだ。
それに、蒼介自身の肉体も悲鳴を上げ始めていた。
急激な加減速と旋回。いくらナノマシンで強化された肉体とはいえ、水圧とGの負荷は内臓をきしませ、脳への酸素供給を阻害する。
「ハァッ、ハァッ……!」
肺が焼けるようだ。
思考が泥のように重くなっていく感覚。
(このままじゃジリ貧だ……! 燃料か、俺の体力か。どっちかが尽きた時点でチェックメイトだ)
逃げ続けるだけでは勝てない。
かといって、反撃の手はあるのか?
蒼介の装備は、近接用のナイフとワイヤーのみ。セレスの雷魔法のような、決定的な火力はない。
水棲竜の身体は黒曜石のような鱗に覆われている。生半可な攻撃では傷一つつかないだろう。
「グルルルル……」
水棲竜が喉を鳴らす。
その口腔の奥で、再び青白い光が凝縮され始めた。
高圧水流ブレスだ。
(またかよ! 学習しねえ野郎だな!)
蒼介は壁面の突起を蹴り、ジグザグに動き回って照準を絞らせないようにする。
だが、水棲竜は狡猾だった。
ブレスをすぐに放たず、首を振って蒼介の逃げ道を塞ぐように牽制動作を行う。
そして、蒼介が壁際に追い詰められた瞬間を見計らって、発射体勢に入った。
(詰んだか……!? いや)
硬い甲羅を持つ亀でも、首を引っ込める隙間はある。
完全無欠の生物などいない。
奴の全身を覆う鎧の中で、唯一、外部の情報を得るために露出している柔らかい器官。
(眼だ。あそこなら刃が通る!)
だが、狙うには距離が必要だ。
遠くからナイフを投げても、まぶたで弾かれるか、水流で軌道を逸らされるのが関の山。
確実に潰すなら、ゼロ距離まで肉薄し、直接突き立てるしかない。
ブレスを構える水棲竜の正面に飛び込む?
自殺行為だ。
タイミングをコンマ一秒でも誤れば、高圧の水流に触れた瞬間に身体がバラバラにされる。
だが。
逃げ続けてすり潰されるのを待つか。
一か八かの賭けに出るか。
答えは決まっている。
「……上等だ。やってやるよ」
『ソウスケさん……?』
心配げな声を上げるリリアに答えず、蒼介は覚悟を決め、ニヤリと笑った。
彼は推進機のノズルを逆噴射させ、急ブレーキをかけた。
逃走をやめ、空中で静止する。
まるで、諦めて死を受け入れたかのように。
「ギャウ?」
水棲竜の動きが一瞬、不審げに止まった。
逃げ回っていた羽虫が、なぜ止まる?
その僅かな思考のラグ。
野生の本能が警戒を呼びかけるよりも早く、捕食者の本能が「好機」と断じた。
水棲竜が大きく顎を開く。
青白い光が臨界点に達する。
死の光線が放たれる、その直前。
(【
蒼介は脳内のリミッターを解除した。
ドクンッ!
心臓が破裂しそうなほど脈打ち、大量のアドレナリンとナノマシンが血管を駆け巡る。
世界の色が褪せ、音が遠のく。
知覚速度が極限まで加速され、スローモーションの世界へと移行する。
水棲竜の喉の奥筋肉が収縮するのが見えた。
水流が渦を巻き、光の奔流となって押し出されてくる。
その速度は音速に近い。
だが、今の蒼介には、それが泥の中を進む亀のように見えた。
(見切った!)
逃げるのではない。
向かっていくのだ。
ズバアアアアアアッ!!
極太のレーザーのような水流が、蒼介の数センチ横を通過していく。
衝撃波だけで服が裂け、皮膚に傷がつく。
だが、直撃ではない。
蒼介はブレスの軌道に対し、螺旋を描くように回転しながら突進した。
「うおおおおおおおおっ!!」
咆哮と共に、水流の壁を突き破る。
水棲竜の金色の瞳が、驚愕に見開かれたのがわかった。
獲物が、自分の最強の攻撃をすり抜け、あまつさえ懐に飛び込んでくるとは予想していなかったのだろう。
目の前に迫る、トラックのタイヤほどもある巨大な眼球。
その虹彩の模様までが、鮮明に見える。
「チェックメイトだ、デカブツ!!」
蒼介は逆手に握ったナイフに、残る力をすべて込めた。
推進機の勢いを乗せ、全体重をかけた一撃。
蒼介は水棲竜の顔面に着地すると同時に、その白目の中心へ、深々と刃を突き立てた。
ズブュウウウウウッ!!
硬いゼリーをぶち抜くような、生々しい感触が手に伝わる。
刃は根本まで埋まり、さらに奥の神経まで到達した。
『ソウスケさん! 予備の魔石を砕けば小規模な魔力爆発を起こせますわ!』
「いいねえ! 喰らえッ!!」
蒼介はナイフの柄を捻り、傷口を広げながら、さらに咄嗟に砕いた魔石を放り込んだ。
内部からの魔力による攻撃。
一瞬の静寂。
そして。
「ギイイイイイイイイイイイアアアアアアアアアアアッ!!!」
鼓膜を引き裂くような絶叫が、縦穴全体を震わせた。
水棲竜が激しくのけぞり、苦悶に狂い暴れる。
その衝撃で蒼介は振り落とされそうになるが、突き立てたナイフを支点にしてしがみつく。
だが、すぐに手を離した。
発狂した巨体が滅茶苦茶に暴れれば、巻き込まれて潰される。
蒼介はナイフを放棄し、水棲竜の顔面を蹴って離脱した。
反動で後方へ吹き飛びながら、その惨状を見届ける。
片目を潰され、脳に直接衝撃を受けた水棲竜は、平衡感覚を失ったようだった。
ブレスを撒き散らしながら、自分から岩壁へと激突していく。
ズガガガガガッ!
ドオオオオオンッ!
岩盤が砕け、巨大な落石が雨のように降り注ぐ。
水棲竜は痛みから逃れようとするように、のたうち回りながら縦穴の上方へと登っていこうとしていた。
もはや、蒼介を追うどころではない。
「……ハァ、ハァ……! ザマあ、みろ……!」
蒼介は体勢を立て直した。
だが、余韻に浸っている時間はない。
無茶をした反動が襲ってくる。
全身の筋肉が断裂したかのような激痛と、鉛を流し込まれたような倦怠感。
視界が明滅し、意識が飛びそうになる。
(やべえ……限界超えてたか……)
蒼介は重い瞼をこじ開け、視線を下方に向けた。
水棲竜が上へ逃げていったことで、下への道は完全にクリアになった。
重力に身を任せ、残りの推進剤を噴射して降下を開始する。
落下する岩石を避けながら、深く、深く。
黒紫色の瘴気が漂う深淵へ。
やがて、縦穴の底が見えてきた。
そこは、巨大な地下空間への入り口となっていた。
蒼介は最後の力を振り絞り、逆噴射をかけて着地を試みる。
ガシュッ。
金属製のブーツが、石畳を踏みしめる音。
なんとか、転ばずに着地できた。
「……ソウスケ!?」
闇の中から、聞き慣れた声が響く。
ライトの光を向けると、そこには槍を構えたセレス。
蒼介の姿を見るなり、駆け寄ってくる。
「無事か!? あんな轟音が聞こえてきたから、てっきり……」
『またとんでもない無茶をしてましたわ……』
セレスが蒼介の肩を支え、リリアの声が震えている。
その温かさに、張り詰めていた緊張の糸がぷつりと切れた。
「……へへ。なんとか、撒いてきたぜ。片目は頂いてきたから、当分は降りてこねえだろ」
蒼介は強がって笑ってみせたが、膝から崩れ落ちそうになるのをセレスに抱き留められた。
「馬鹿者。……よくやった」
セレスの声音には、呆れと共に深い敬意が滲んでいた。
「ここは?」
「ここが『主の間』の前室らしい。扉がある」
セレスが顎で示した先。
広大な空間の奥に、王宮の正門ほどもある巨大な石の扉が鎮座していた。
その扉には、幾重もの鎖が巻き付けられ、おびただしい数の護符が貼られている。
そして、扉の隙間からは、あのねっとりとした不快な瘴気が漏れ出していた。
(あの中に、元凶がいるのか……)
「少し休ませてくれ。……推進機も、魔石を交換しねえと」
「ああ。結界を張った。ここで少し休息を取ろう」
セレスが購入した護符で簡易結界を展開し、安全地帯を作る。
蒼介はその場に座り込み、背嚢から予備の魔石と携行食を取り出した。
震える指先で魔石を装填しながら、彼は扉の向こうに待ち受ける「何か」を見据えた。
第40層。
アルストロメリア王国の亡霊。
そして、『原初の探求者』の実験場。
水棲竜との死闘を乗り越え、ついに彼らはその深淵の入り口に立ったのだ。