異邦人と大迷宮~現代ダンジョンシーカーは、スキルと知恵で異世界迷宮の果てを目指す~   作:九泉

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第95話 隠れ里の魔人族

 大人一人が身を屈めてようやく通れる横穴の奥は、完全な暗闇に包まれていた。

 岩の隙間から吹き込んでいた峡谷の強風は、奥へ進むにつれて嘘のように止んだ。代わりに、どこからともなく生ぬるい空気が流れ込んでくる。

 蒼介は【探知(サーチ)】を維持したまま、慎重に足裏の感覚を確かめながら進んでいた。

 人工的に削り出された平らな床面は歩きやすい。だがそれは同時に、何者かがこの通路を日常的に使用しているという明確な証拠でもあった。

 

(罠の気配はない。だが、この先にいる『誰か』が友好的とは限らない)

 

 蒼介は腰のナイフに手を添えたまま、呼吸を殺して暗闇を進む。

 背後からはセレスの静かな足音が聞こえていた。彼女もまた、いつでも槍を突き出せるよう極限の緊張を保っているのが伝わってくる。

 どれくらい歩いただろうか。

 時間にして数十分かもしれないし、数分だったかもしれない。

 やがて、前方の暗闇の先にぼんやりとした光が見えてきた。

 

「出口か……?」

 

 蒼介の囁きにセレスが無言で頷く。

 光は自然の太陽光ではない。青白く、そして温かみのある淡い光だった。

 二人は足音をさらに殺し、出口の岩陰からその光の正体を覗き込んだ。

 そこには、彼らの想像を遥かに超える光景が広がっていた。

 

「これは……里、なのか?」

 

 セレスが思わず感嘆の声を漏らす。

 そこは、峡谷の岩壁の内部にぽっかりと開いた巨大なドーム状の大空洞だった。

 見上げるような高い天井には、無数の発光苔が星空のように群生し、空間全体を柔らかく照らし出している。

 そして眼下には、石造りの素朴な家々が立ち並んでいた。

 外の荒れ狂う風は完全に遮断されており、静かで穏やかな空気が満ちている。家々の間には小川が流れ、斜面を利用した段々畑には見たこともない作物が青々と葉を茂らせていた。

 大迷宮第45層。

 弱肉強食の地獄のような峡谷の裏側に、息を呑むほど平和な集落が存在していたのだ。

 

『信じられませんわ……。このような深層に、人が住んでいるなんて』

 

 ペンダントから響くリリアの声も、驚きに震えていた。

 蒼介は【探知(サーチ)】の範囲を里全体へと広げる。

 数百という生命反応がある。そのどれもが魔物のような凶暴な赤い光ではなく、穏やかで理知的な波長を放っていた。

 だが、その姿をよく観察した蒼介は、違和感に気づいた。

 

「いや……ただの人間じゃないぞ」

 

 畑を耕し、川で洗濯をしている里の住人たち。

 彼らは一見すると人間と変わらない姿をしていた。だが、その頭部には山羊のように湾曲した角や、額から突き出た短い角が生えている。肌の色も、薄い褐色や少し青みがかったような特異な色合いをしていた。

 明らかに人間とは異なる種族だ。

 

「魔人族……か」

 

 セレスが険しい顔で呟いた。

 大迷宮の攻略知識として、この世界には人間以外の亜人種が存在することは蒼介も知っていた。だが、魔人族という言葉の響きは、エルフやドワーフといった種族よりもずっと危ういものを感じさせた。

 

「見つかる前に引き返すか?」

「いや、もう遅い」

 

 蒼介が短く答えた瞬間だった。

 里の見張り台のような場所に立っていた角の生えた若者が、こちらを指差して鋭い声を上げた。

 その声は未知の言語ではなく、蒼介たちが普段使っている共通語だった。

 

「侵入者だ! 外から人間が来たぞ!」

 

 その声に、里の平和な空気は一瞬にして凍りついた。

 畑仕事の手が止まり、家々から人々が飛び出してくる。

 彼らの表情には驚愕と、そして隠しようのない明確な敵意が浮かんでいた。

 

「武装しろ! 里を守るんだ!」

 

 怒号が飛び交う中、体格の良い十数人の戦士たちが素早く集結してきた。

 彼らは石や魔物の骨で作られた素朴な槍や、大きな弓を手にしている。装備こそ貧弱に見えるが、その身のこなしは俊敏で、一人一人が高い身体能力を持っていることが窺えた。

 戦士たちはあっという間に横穴の出口を半包囲し、蒼介たちに武器の穂先を向ける。

 

「そこから動くな、人間!」

「少しでも妙な真似をすれば射抜くぞ!」

 

 ギリギリと弓の弦が引き絞られる音が響く。

 圧倒的な殺気。

 この閉鎖された空間で、彼らは外部からの干渉を極端に恐れているようだった。

 セレスが反射的に一歩前に出た。彼女の手が背中の白銀の槍に伸びる。

 騎士としての防衛本能が、敵意に対して即座に反撃の態勢を取らせたのだ。

 

「待て、セレス!」

 

 蒼介は素早く手を伸ばし、セレスの肩を強く掴んで引き止めた。

 彼女が信じられないというような顔で蒼介を振り返る。

 

「ソウスケ! 奴らは攻撃してくる気だぞ!」

「ここで戦ってどうする! 相手は里の住人全員だぞ。勝てるわけがないし、勝つ意味もない」

 

 蒼介の口調は静かだったが、確かな凄みがあった。

 こんな狭い場所で戦闘になれば、多数の犠牲が出る。そして何より、自分たちも無事では済まないだろう。

 蒼介はセレスを背中に庇うようにして前に進み出た。

 そして両手をゆっくりと頭の上に挙げ、手のひらを相手に向ける。

 

「俺たちに敵対の意思はない! 武器は抜かない!」

 

 蒼介の声がドーム状の空洞によく響いた。

 弓を構えていた戦士たちが、予想外の降伏の姿勢に戸惑いの色を見せる。

 蒼介はゆっくりと、威圧感を与えないように言葉を続けた。

 

「俺たちは迷宮を攻略している冒険者だ。外のルートが厳しすぎて、偶然この通路を見つけただけだ。……危害を加えるつもりは一切ない」

 

 戦士たちの間にざわめきが広がる。

「冒険者?」「人間がこんな深層まで……?」という疑念の声が漏れ聞こえてきた。

 一触即発の空気は僅かに緩んだが、警戒が解けたわけではなかった。

 

「……その言葉、真実と受け取ってよいのか」

 

 群衆を割って、一人の老人が前に進み出てきた。

 深い皺の刻まれた顔。立派な白い髭を蓄え、頭にはねじれた二本の角が雄々しく生えている。

 ただの布を纏っているだけだが、その全身から発せられる魔力の気配は、周囲の戦士たちとは次元が違った。

 里の長老だろう。

 長老は鋭い眼光で蒼介の頭の先から足の先までを舐めるように観察した。

 

「人間よ。我ら魔人族は、かつてお前たちの同胞から地上を追われ、この大迷宮に安住の地を求めた者たちの末裔だ」

 

 長老の言葉には、長い歴史の中で培われた深い悲しみと怒りが込められていた。

 

「我らは大迷宮の理と共存し、静かに暮らしている。……この安寧を脅かす者は、いかなる理由があろうとも排除する」

「地上でのことは知らない。だが、俺たちにここを荒らす理由がないのは本当だ」

 

 蒼介は真っ直ぐに長老の目を見据えて答えた。

 嘘や誤魔化しは通じない相手だと直感したからだ。

 

「信じろとは言わない。だが、少しだけ休ませてくれれば、すぐに出て行く」

「ふん。口の減らない小僧だ」

 

 長老が鼻を鳴らし、手に持った杖を地面に強く突いた。

 その合図で、戦士たちが再び武器を構え直す。

 言葉の通じない魔物相手ならいざ知らず、歴史的背景による根深い不信感を覆すのは容易ではない。

 蒼介の額に冷たい汗が流れた。

 交渉決裂か。強行突破の算段を脳内で組み立て始めた、その時だった。

 

「わあ! 人間だ! ほんとの人間だー!」

 

 張り詰めた空気をぶち壊すような、ひどく場違いな明るい声が響いた。

 戦士たちの足元をすり抜けて、小柄な人影が飛び出してくる。

 それは、青紫色のミドルヘアーを揺らした少女だった。

 年齢はセレスよりも少し下、人間で言えば十七歳前後だろうか。額には小さな可愛らしい角が二本生えており、大きなアーモンド型の瞳が好奇心にキラキラと輝いていた。

 彼女は警戒する戦士たちを意に介さず、蒼介の目の前まで駆け寄ってきた。

 

「ちょっとネア! 危ないぞ!」

 

 若き戦士の一人が慌てて静止の声を上げるが、少女は全く聞いていない。

 ネアと呼ばれた彼女は、蒼介の顔を下からじっと覗き込んだ。

 

「へええ、人間って本当に角がないんだね! すごーい! ツルツルだ!」

 

 ネアはそう言うと、屈託のない笑顔を浮かべて蒼介の周りをぐるぐると回り始めた。

 あまりの予想外の行動に、蒼介もセレスも、そして里の戦士たちでさえも呆気に取られて硬直してしまった。

 

「外の崖から来たんでしょ? あのトカゲとか、でっかいワームがいるところから!」

 

 ネアは蒼介の正面でピタリと止まり、尊敬の眼差しを向けてきた。

 

「君たち、すごく強いね! あんなの普通は通れないよ! ここまで来れるなんて、本当の英雄みたい!」

「え? いや、その……」

 

 毒気を抜かれた蒼介が言葉に詰まる。

 この殺伐とした大迷宮において、これほどまでに無防備で純粋な好意を向けられたのは初めてのことだった。

 ネアの明るさは、先ほどまでのピリついた空気を魔法のように霧散させていく。

 

「こら、ネア! 下がりなさい! 相手は外の人間だぞ!」

 

 長老が厳しい声で窘めるが、その声色には先ほどの殺気はすでになかった。孫娘のわがままに手を焼く祖父のような響きが混じっている。

 

「えー、いいじゃない長老様。だってこの人たち、全然悪い人っぽくないよ? 目が綺麗だもん!」

「目は口ほどに物を言うというが、人間は平気で嘘をつく生き物だ」

「でもでも、あんなにボロボロになってるよ? きっと死に物狂いで逃げてきたんだよ。かわいそうじゃん!」

 

 ネアの言葉に、長老は蒼介たちの姿を改めて見直した。

 土埃と魔物の血に塗れた防具。蒼介の顔には頭痛による脂汗が浮かび、セレスの息も上がっている。

 誰の目に見ても、彼らが限界に近い疲労を抱えていることは明らかだった。

 長老が深くため息をつく。

 

「……お前という奴は、いつもそうだ。好奇心で里を危険に晒すなと何度言えばわかる」

 

 長老の怒りが静まったのを察して、周囲の戦士たちもゆっくりと武器を下ろし始めた。

 ネアは「えへへ」と悪びれずに笑い、蒼介の方へウインクをして見せた。

 

「長老様。我ら魔人族は、迷宮の過酷さを誰よりも知る者。死に瀕した者を追い返すのは、里の誇りに関わりますぞ」

 

 戦士の中の一人が、長老に助け舟を出すように言った。

 長老は難しい顔で腕を組み、しばらくの間沈黙していた。

 やがて、彼は重々しい声で口を開いた。

 

「……人間よ。お前たちの滞在を、一時的に許そう」

「本当か! 感謝する!」

 

 蒼介が深く頭を下げる。

 セレスも安堵の表情を浮かべ、槍から手を離した。

 

「ただし、条件がある」

 

 長老の目が再び鋭く光った。

 

「里の奥には入らぬこと。我らの生活に干渉せぬこと。そして、体力が回復し次第、速やかに立ち去ることだ。……それが守れるならば、水と食事を提供しよう」

「十分だ。恩に着る」

 

 蒼介の返答を聞き、長老は背を向けて歩き出した。

 戦士たちも解散していく。完全な歓迎ではないが、少なくとも敵として排除されることはなくなったのだ。

 

「やったー! お客さんだー!」

 

 ネアが嬉しそうに飛び跳ねた。

 

「私、ネア! 君たちの名前は?」

「……俺はソウスケ。こっちがセレスだ」

 

 蒼介が名乗ると、ネアは満面の笑みを浮かべた。

 

「よろしくね、ソースケ! セレちゃん! さあ、私の家においでよ! 美味しい果物があるんだから!」

「せ、セレちゃん……?」

 

 戸惑うセレスをよそに、ネアは蒼介の手を引いて、里の中へと歩き出した。

 その小さな手から伝わる温もりに、蒼介は深く安堵の息を吐いた。

 

 大迷宮の底に隠された、魔人族の里。

 この天真爛漫な少女との出会いが、彼らの旅にどのような影響を与えるのか。

 蒼介たちは疲れた身体を引きずるようにして、ネアの後についていった。




この話を書くと決めたときから考えていたヒロインをようやく登場させることができました。
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