「何で、一体何でこんな事に……」
十二鬼月下弦の鬼が一体である零余子。世界線によっては柱から逃げてばかりと責められ、弁明した事で怒りを買って処分されたのだが、逆を言えば何度も柱と遭遇しても逃げ延びたという事だ。
鬼という半不死の存在であり人間を遥かに凌ぐ力を持っている中でも無惨に選ばれた精鋭。にも関わらず柱を前に彼我の実力差を見抜く洞察力と逃亡を選ぶ判断力を持ち合わせるという事。
確かに臆病さから来るのかも知れないが、戦下において臆病さとは生き残る為の立派な武器なのだ。
零余子は柱から逃げ続けた鬼であると同時に鬼殺隊最強の隊士である柱と何度も相対して生き延びた鬼であるのだ。
「猪突猛進猪突猛進! ふはははは!」
「一人で先走んな、馬鹿!」
「何でこんな奴等にぃいいいいいっ!?」
現在、逃亡中。深夜の山の中を脇目も振らずに駆け巡る。それを追うのは伊之助を先頭に獪岳と善逸。零余子からすれば伊之助は多少面倒でも残る二人はピーピー泣き喚く金髪と苛ついている未熟な剣士二人、多少傷は受けても直ぐに癒えるだけの楽な相手なのだが……。
「ひぃ!?」
まただ、と身を竦ませる。視認不可能な速度で迫る正確無比な投石が崖のある方向に逃げるのを阻止し、山を駆け巡る逃走劇を強制していた。
三人との戦いが始まった時、楽に終わらせられると血鬼術も使わず弄ぶだけだった。猪を被ったよく分からない半裸は妙な動きと勘の良さを見せるも残り二人は問題外。
相対した事のある同じ雷の呼吸の使い手が全ての型を見せたが、一人は決め手となる壱ノ型を使わず、もう一人は壱の型しか使わない。
これなら楽勝だと先ずは勾玉の首飾りをした男から首を掻き切ろうとして、四肢と頭が投石によって砕かれた。何が起きたのか理解出来ず硬直した瞬間に迫る刃。
泣き喚いて仲間からカス呼ばわりされていた男の動きが大きく変わった。
首は僅かに切られただけ、骨に届くより前に刃が止まった。
だが、首に刃が届いた時点で零余子の思考は逃走へと向かって行く。この三人だけならあしらえるが、何処からか投石をする者は不味いと。それでも柱ですら無く、日輪刀を持っていても隊服すら着ていない未熟な剣士から逃げるのは無惨の怒りを買うと理性が告げて選べない。
それからどれだけ経っただろうか。腕関節を外してリーチを伸ばすなどの予想不能な太刀筋に牽制に適した技を多用する剣士が作った隙に鋭い一閃が首を狙う。
此方が致命傷を与える際には頭と四肢を投石で潰され、三人も傷を負いながら徐々に首に刃が掠り始めた。
「う、うわあああああああああっ!?」
「ぬおっ!? 逃げた!」
「逃げんな、クソ鬼!」
だから逃げた。格下相手に誇りを捨てる理性とこのままでは死ぬという本能で背後からの罵声を受けながらも。幸いこの辺りは縄張りであり、逃走に適した崖などの位置も把握している。
追う側も逃走に適した場所を把握していたのは予想外だった。
「血鬼術……
この時、零余子は初めて血鬼術を使った。今まで柱を翻弄して来た術の能力は分身を周囲に生やす事。分身の力は多少強い程度だが数は多く,何より見た目は全て同じな上に周囲の土や草木を素材にしているので首を切り落としても動き続ける。
発動した場所からの一定範囲でしか動けず再使用にはインターバルが必要であるが、これで生き残って来た。
「ふはははは! 無駄無駄ぁ! 肌でビンビンに感じ取れるぜ! 獣の呼吸 捌ノ型 爆裂猛進!!」
ただ相性が悪かった。先程まで戦っていた伊之助には肌で零余子の気配を感じ取るのは難しい事では無い。分身には目もくれずに本体へと襲い掛かる。
足止めをしようと分身が立ち塞がるが頭を掠めた一撃が猪の頭を弾き飛ばすだけで終わり……。
「壱ノ型 霹靂一閃」
「肆ノ型 遠雷!」
分身達は左右から迫った二人に打ち砕かれ障害の消えた伊之助の刃が零余子へと迫った。
「獣の呼吸 参ノ牙 喰い裂きぃいいい!!」
左右から挟み込む様に迫る刃が零余子の首に食い込み肉を切り裂くも骨の表面で止まる。助かったと零余子が安堵した瞬間、左右から迫る二人の刀が伊之助の刀に叩き付けられ更に食い込み、首を切り飛ばした。
「は、ははは。勝った。未だ選別も通ってねぇのに十二鬼月に勝ったぞ。……この後、呼んだ奴が来たら修行追加っつってたけれど無理だなこりゃ」
「おっしゃぁあああ! 伊之助様の勝利じゃああ! 修行も楽勝だぜぇ!」
「俺とカスの手助けがあってこそだろ、ボケが。……来ないかもとか言ってたが、来ない方が良いよな」
零余子の首を切り飛ばしても完全に消える迄は分身が動くも投石によって砕かれ、獪岳は張り詰めていた糸が切れたのかその場に座り込み、善逸も前のめりに倒れ込んで熟睡し、伊之助だけが元気だ。
いや,三人揃ってかなりの傷を負っていて、蝶屋敷に行けば経緯を知ったしのぶの額に青筋が浮かぶだろう。
三人揃って体力の限界が近く、荒くなった息を吐き出す。
その息が突然白くなり周囲から冷気が迫る。同時に両手に扇を持って一人の男が姿を見せた。屈託なく笑い頭から血を被った様に笑う若い男。その輝く両目には文字が刻まれていた。
「君達、正式な隊士じゃないんだろ? 凄いなぁ。女の子だったら良かったのに」
「上弦の……弐」
男の登場に伊之助は本能で飛び退き善逸もうつ伏せの状態から眠ったまま飛び起きる。獪岳も足を竦ませる中、上弦の弐……童磨は伊之助に視線を向けた。
「あれぇ? 君、何処かで見た顔だなぁ。えーっと、そうそう、確か……」
頭に指を突き刺して少し考えた童磨はスッキリしたかの様に笑顔を浮かべて伊之助を指差した。
「君、伊之助って名前じゃないかい? もっと表情が柔らかいけれど琴葉にそっくりだ。俺の正体に気が付いて君を抱えて逃げたんだけれ、どっ!?」
ヘラヘラ笑ったまま、童磨の顔面に何かが飛来し反応するより前に弾け飛ぶ。
「へ? 何が……臭っ!? おげ、おげぇええええ!?」
叩き付けられぶち撒けられたのは納豆。藁の中にギュウギュウに詰め込まれた匂いと粘り気の強い物が童磨の顔面を中心に張り付いた。鬼にとって人の食べ物は匂いすら吐き気を催す。
それが特別臭いのキツい納豆,しかも顔面に張り付いた状態だ。生理的な嫌悪感から胃の中の物が口の外へと込み上げた。
それでも上弦の鬼だ。咄嗟に自分ごと納豆を凍らせて表面ごと抉り落とす。頭の内部が丸見えになった状態から肉が盛り上がって再生する中、その胸に空気の砲弾が叩き込まれた。
胸部に生じた衝撃は心臓にまで生じて外の空気に晒し、次の一撃が童磨を後方へと吹き飛ばした。
「三人ともよくやった! 後は俺に任せろ!」
「大親分っ!」
「伊之助,動けるなら二人抱えて離れとけ。あの納豆臭い鬼だが、どうも周囲に嫌な物をばら撒いてるからな」
「納豆をぶつけたのは君だろ? 酷いなぁ。それと今のは猗窩座殿の技だけれど、もしかして彼を倒した武術家って君かい?」
「おう。何か真似したら出来た」
「….君って本当に人間かい?」
童磨の問い掛けに獪岳が思わず頷く中、伊之助は善逸共々肩に背負うと走り出した。それを追おうとする童磨だったが踏み込もうとした足が弾け飛んで倒れ込む。
「近付いたら面倒そうだからなぁ。このまま朝まで撃ち抜き続いて朝日に晒してやるよ」
「顔は見えないけれど酷い顔をしているんだろうね、君」
僅かに動かそうとした腕も猗窩座の空式を模倣した技によって撃ち抜かれる。真似しようと思って真似出来るかと童磨が心の中でツッコミを入れようとして脳が吹き飛ばされる。
足も腕も頭も予備動作の途中で吹き飛ばされ一方的に攻撃を受け続ける童磨だったが、突如権兵衛に向かって刃が枝分かれした刀が襲い掛かった。
「今のを…避けるか」
「危ねえな、おい。不意打ち上等とか侍として……あっ、いや、臆病者の返り忠を侍扱いしたら侍って文字にすら土下座必須だわ。初めましてだな、腰抜け村の外道丸」
現れた上弦の壱の足下に唾を吐き捨てながら権兵衛はせせら笑う。
「私が臆病….…だと?」
「命惜しさに無惨の足を舐めて鬼になって延命した奴だろ? おい、上弦の弐。お前はどう思うよ。地べたに額擦り付けて命乞いした自称侍擬き未満とか臆病者だよな?」
「えー? 生き延びても後で黒死牟殿に斬られる奴じゃないか、その質問。あっ,失敬。これだと肯定だな。悪いね、黒死牟殿。彼を殺す手伝いをするから……」
「っ! 童磨、後ろだ!」
手に血管が浮かぶ程に怒り狂っていた黒死牟が突如叫ぶ中、童磨は何事かと振り向く。直ぐ背後には燃える炎の様な髪をした壮年の男が刀を振り被っていた。
「炎の呼吸 伍ノ型 炎虎!」
童磨の首に刀が食い込み、同時に反撃しようとした右腕と退避に使う左足に空気の弾が叩き込まれ、そのまま童磨の首が宙を舞った。
尚、黒死牟は怒りで槇寿郎への反応が遅れた所で更に彼に気を取られた瞬間に股間を蹴り飛ばされ後ろへと吹っ飛んだ。
「おんやぁ〜? 俺を叩きのめすって言って鍛え直してた割には剣の冴えがイマイチだなあ、槇寿郎」
「黙れ! ろくすっぽ刀も扱えない貴様が言うな! それに毎回喧嘩を売りに来ては屋敷を壊しよって! 挙げ句の果てに此度の呼び出し! 大体貴様は子供の時から……いや、話は後だ」
周囲の木々を切り飛ばして黒死牟が現れる。
「人を……卑怯者だの……罵っておきながら」
「勝てば官軍って知らねえ? 武士道も教養も持ち合わせてねぇか」
「鬼に対して正々堂々挑む必要が何処にあるというのだ、クズめ」
「何故……であろうな。隠……貴様を見ていると……腹わたが煮えくり返り冷静では居られぬ」