生意気な後輩女子に「転校する」と告げたら急に甘えてくるようになった 作:古野ジョン
「
「運動会の記事をメインに、あと最近通学路にポイ捨てが多いから注意喚起」
「分かったわ」
凛とした表情で、榊は左手を使って長い髪を耳にかける。パソコンの横にメモ帳を置くと、さらさらとペンを走らせていた。
「今度の中央委員会の議題は?」
「各々の委員会からの提案が多いから、生徒会としては何もなしでいいかな」
「それがいいわね。あと」
「ん、まだ何かある?」
榊は俺の左斜め前に視線を向けた。そして、ため息をつくように――一言。
「そこであなたに見惚れている書記はどうするの?」
「み、見惚れてないですっ!」
ぽーっとした表情で何も言わずにいた彩音が、慌てたように声を上げた。長机がガタンと音を立てて揺れる。
「彩音ちゃん、今日のあなたは少し変よ。瀬名くんの隣に座ったりして」
「べ、別にいいじゃないですか!」
「しかもずっと瀬名くんをちらちら見ているから、まったく仕事が進んでないじゃない」
「そんなことないです!」
彩音はぶんぶんと両手を振って否定していたけど、たしかに俺も変だとは思っていた。いつもみたいにからかってこないし、なんだか大人しい。
てっきり具合が悪いのかと思っていたけど、そういう雰囲気でもない。榊の言う通り隙があれば俺の方を見ているし、「構ってくれ」と言わんばかり。うーん、どうしたものか。ちょっと気分転換しようかな。
「ちょっと出てくる」
「どこ行くの?」
「外の自販機で飲み物買ってくる」
「あらそう、行ってらっしゃい」
榊はメモ帳に視線を落としたままだった。俺はすっと席を立ち、ズボンのポケットに手を突っ込む。財布は持ってるし、問題ないな。
「あっ、あのっ」
その時、パイプ椅子が揺れる音がした。振り返ってみると、彩音が制服の裾を掴んだままもじもじとしている。
「一緒に行っていいですか?」
「別にいいけど。喉乾いたの?」
何気なく問うたつもりだったのに、彩音は小さな声で恥ずかしそうに答えた。
「……せ、せんぱいとお出かけしたいだけです」
虚を突かれた気がした。「隣に座る」だけならそういう日もあるのだろうと思っていたけど、こう言われると話が違う。今日の彩音は……なんだか、やけに甘えているのだ。
「いいよ、行こうか」
「は、はいっ」
彩音の声は上ずっていて、昨日までの小悪魔的な余裕は感じられない。昨日と今日を分ける明確なイベントとして、思い当たることが一つある。自分の思い上がりかもしれないけど……可能性の一つとしては、大いにありうること。
あなたの転校がよっぽどショックだったんじゃない――なんて、冗談だと思っていたのに。榊の言葉を思い出して、まさかまさかと苦笑する俺であった。
***
我が校には何個か自販機が設置してあり、そのうちの一つは校舎外のグラウンド側にある。もっぱら運動部がスポーツドリンクを買うのに使っているが、一般生徒もよく飲み物を求めて訪れるのだ。
「ヘイサード!」
「っしゃこーいっ!」
硬式野球部がノックをしていて、威勢のいい掛け声がここまで聞こえてくる。赤く塗装された自販機に五百円玉を入れた俺は、何を飲もうかと商品を見まわしていた。
「ブラックにするかな。彩音は?」
「いいんですか?」
「いいよ別に、昼飯代のあまりだし」
今日は昼飯を抜かしたので、親から頂戴した五百円が丸々余っているのだ。そのまま懐に収めてもいいけど、後輩に奢っても罰は当たらないと思う。
「えっと……」
左隣に立った彩音は、わざとらしく視線をきょろきょろとさせていた。既に飲むものは決まっているのだと思うけど、すぐに言うと恥ずかしいんだろうな。
「せんぱいと同じのがいいです」
「えっ、ブラックコーヒーなんて飲んでたっけ」
「……せんぱいと同じのがいいんです」
本当に、今日の彩音は俺に甘えている。やたらと俺の近くにいたがるし、俺と同じことをしたがるのだ。俺なんかに構っても、何もいいことはないのに。
「分かった、そうしようか」
ブラックコーヒーのボタンを押してから、もう一度ボタンを押して、おつりのレバーを下げる。じゃらじゃらと小銭が落ちる音がする中、しゃがんで受け取り口にある二本の缶を手に取った。目の覚めるような熱が手を伝ってくる。
「ほらっ、熱いよ」
「わっ、わっ!」
缶を手渡すと、彩音は両手で転がすように受け取っていた。今日聞いた中で一番大きい声だなあ。なんて思いつつおつりも回収して、俺はゆっくりと立ち上がった。
「戻ろうか」
「あ、あそこで飲んじゃだめですか?」
「えっ?」
彩音の指さす先にあるのは、グラウンドに向かうようにして設置された木製のベンチ。たまに練習で疲れた運動部員が寝ているのを見かける。
「いや、ほら……榊が仕事してるのに悪いかなって」
「凛花さんはそんなこと気にする人じゃないです」
「気にしないかもだけどさ、俺が申し訳ないんだよ。戻るよ」
実際、真面目に仕事をしてくれている副会長を放っておいてコーヒーを飲むのはあまり気が進まない。もっとも、そんなことを言えるほど俺が普段から熱心に業務に勤しんでいるわけでもないんだけどさ。
「じゃ、じゃあっ!」
昇降口の方に足を向けた瞬間、背後から呼び止められる。焦ったというか、切羽詰まったような声。
「どうしたの?」
「私がせんぱいと二人きりでいたいだけなんです。……って言えば、一緒にいてくれますか?」
彩音は缶コーヒーを右手に握りしめたまま、絞り出すように声を張った。また顔を赤く染めて、俯いている。……ここまで言われると、流石にこのまま帰るわけにもいかないか。
「いいよ。座ろうか」
彩音の顔が、ぱあっと晴れわたったような気がした。
***
まだ春の穏やかな空気は残っており、そよ風が心地よく俺たちを撫でる。昨日と同じくパーカーを羽織った彩音は、俺の右隣にちょこんと座ったまま両手で缶コーヒーを抱えていた。
「飲まないの?」
「冷ましてるんですっ」
「ふーん、そう」
座ったら落ち着いたのか、昨日までの生意気さが戻ってきた。ただ、彩音は俺にもたれかかって……体重をこちらに預けているような気さえする。やっぱり、ちょっと変だ。
「……」
「……」
これといって話題もなく、ただ二人で空を見上げる。今日は雲一つない快晴だ。
「せんぱい、聞いていいですか」
「なに?」
「……どうして、転校のこと言ってくれなかったんですか」
彩音はこちらに視線を向けず、ただ呟くようにそう言った。
「別に、言う理由もなかったし。もっと近くなったら言おうと思ってた」
「生徒会長が転校なんて、そんなのあり得ないですよ」
「任期が終わってからだし、問題ないって」
「……そうじゃなくて」
右腕に寄りかかる力が一段と増した気がする。彩音の体温を感じながら、左手で持った缶を口につけた。
「転校するって分かっていたなら、なんで私を生徒会に入れたんですか」
彩音は缶コーヒーをぎゅうっと握りしめた。たぶん、一番聞きたかったことはこれなんだろうな。
「あの日、彩音が路頭に迷ってたから……入ってみたらどうかなって思っただけだよ」
「せんぱいは誰にでもそうするんですか?」
「たとえ彩音じゃなくても、そうしたかもね」
「……いじわる」
自分の欲しい回答ではなかったのか、彩音はふんと言ってそっぽを向いてしまった。右腕にかかる力が軽くなるのを感じる。
榊の言う通り、彩音は本当に俺の転校がショックだったのかもしれない。自分を生徒会に引き入れておきながら、任期が終わればはいさよならってのは無いだろうと言いたいのかな。だとすれば、申し訳ないとしか言いようがない。
「せんぱいに彼女がいない理由、なんとなく分かるなーって思いました」
「藪から棒だなあ」
「ぜんっぜん人の気持ちとか分からなさそうですもん」
「あれ、結構ディスられてる?」
「だってディスってますし!」
面と向かってディスってると言う奴もなかなかいないな。でもたしかに、彩音の気持ちは分かっていなかったかもしれない。高校に入ってすぐに自分を招き入れてくれた先輩が、自分を残して転校していってしまうのだから、そりゃ不満にも思うだろう。
「ごめん、転校のこと言わなくて悪かったよ」
「分かればいいんですっ!」
彩音はプシュッと缶の蓋を開けた。そして勢いよく口元に持ってきて、黒い液体を流し込んでいき――
「苦っ!?」
「ブラックなんて飲むから……」
「せんぱいと一緒のが飲みたかっただけなんですっ」
少し目に涙を浮かべながら、少しずつコーヒーの缶を傾ける彩音。ふと、さっきの言葉が引っかかった。「せんぱいは誰にでもそうするんですか?」という、彩音の言葉だ。
たしかに、あの時困っていたのが彩音じゃなかったとしても……自分は同じように生徒会に招き入れたと思う。でも今の生徒会は彩音抜きでは回らない。「誰であったとしても生徒会に入れた」とは思うが、「生徒会に入れたのが彩音でよかった」と思っているのも事実だ。
「ちょっといいかな」
「なんですか?」
「俺はさ、彩音が入ってくれてよかったと思ってるんだ」
「えっ?」
「仕事も出来るし、何より雰囲気が明るいから。彩音がいるおかげで、生徒会は前よりずっと良くなったと思うよ」
「ふ~ん……?」
褒めたつもりが、彩音はなんだか妙な表情をしている。嬉しさ半分、納得できなさ半分といった感じだ。
「せんぱい、もっと正直になってくださいよ」
「正直?」
「私が可愛いから、とか言ってくれてもいいじゃないですかー!」
彩音はやいのやいのと騒ぎたて、コーヒーを一気飲みした。そしてまた顔をしかめる。
「苦っ!!」
「少しは学習しなよ」
「せんぱい、うるさいっ!」
「!?」
ポーンと缶を放り出して、俺の右腕に抱き着く彩音。柔らかな感触に包み込まれて、思わずドキッと胸が高鳴る。ふわっとシャンプーの良い匂いが漂ってきて、クラリとしてしまいそうだった。
「私っ、せんぱいのこと放しませんから!」
「は、はあっ?」
「ぜーったいに、放しません! ずーっと私のせんぱいでいてもらいますっ!」
彩音の声はどこか嬉しそうで、どこか寂しそうだった。まだ共に過ごした時間は一か月にも満たないけれど、彩音にとって俺は大事な先輩なのかもしれない。
「いいから、そろそろ帰るよ」
「あっ、ちょっとお」
「缶、ちゃんと拾っておいてよ」
優しく腕を振りほどいて、ベンチから腰を上げる。まったく、生徒会役員がポイ捨てに不純異性交遊では示しがつかないからな。などと考えつつ、自販機の方向に向かって歩き出す。
「せんぱーい、おかわりですかー?」
「榊に飲み物買って帰る。アイツ、ミルクティーが好きだから」
「むー……」
榊の名を出した途端、彩音がまた不満そうに頬を膨らませる。
「せんぱいっ、やっぱり分かってない!」
「何が?」
「この浮気者ーっ!」
逃げるようにして、彩音は昇降口の方に向かって走り出した。なんか納得できないけど……元気を取り戻してくれたなら、いいか。小銭を握りしめながら、彩音の背中を見送ったのだった。