生意気な後輩女子に「転校する」と告げたら急に甘えてくるようになった 作:古野ジョン
彩音とコーヒーを飲んだ翌日の放課後。いつものように生徒会室に行くと、先に来ていた榊が困り顔を浮かべていた。
「バトンが無い?」
「さっき運動会実行委員が来て、生徒会が保管場所を知らないかって聞いてきたの」
「知らないなあ」
「去年の引継ぎ資料も見たのだけど、書いてなかったのよ」
バトン、というのは今度の運動会で行われるクラス対抗リレーで使われるものだ。毎年同じものを使っているから、同じ場所に保管されているものだと思い込んでいたけどな。
「で、どうしろって?」
「実行委員で探せるところは探したらしいのだけど、見つからなかったそうなの。生徒会の倉庫に入っていないか調べてほしいって」
「そうかあ……」
バトンだけわざわざ生徒会の倉庫にしまった、というのは考えにくい。だけど見つからなければ困るのは実行委員だしなあ。探すだけ探してあげた方が良さそうだな。
「俺、生徒会の倉庫に行ってくるよ」
「本気? うちの倉庫に入っているとは思えないのだけど」
「別に探すだけならタダだし」
「瀬名くんもお人好しが過ぎるわよ」
「榊がそう評価してくれるとは、嬉しいね」
「……いや、撤回するわ」
榊はこちらから目をそらして、手元にあった引継ぎ資料のファイルをぱらぱらとめくった。……なんだか左斜め前から視線を感じる。
「彩音、どうかした?」
「『中学時代に何かあった雰囲気の男女の会話』を見せつけられた私の気持ちを察することが出来ないから彼女がいないんじゃないですか?」
「何言ってんだ?」
「せんぱいは悪い男だって話ですっ!」
まるで俺が何人もの女を勘違いさせているかのような言いがかりはやめてもらいたいんだけど。もうちょっとマシな男だったら彼女の一人や二人いたかもしれない、ってのは本当の話だけどさ。
「とにかく、今から行ってみるよ。無かったら無かったで対応を考えればいいから」
「私も行くわ。瀬名くんだけ埃まみれにも出来ないし」
「いいの? じゃあ彩音、留守番お願い――」
「ちょっと待ったあ!」
ガタガタっと大きな音がして、彩音が勢いよく立ち上がった。同じく立ち上がろうとしていた俺と榊は顔を見合わせ、彩音の方を向く。
「彩音ちゃん、今度はなに?」
「『中学時代に何かあった雰囲気の男女』が倉庫で二人っきりなんて破廉恥じゃないですか!?」
「あのね、私と瀬名くんは何もないから」
「うっそだあ!」
榊は表情を変えずに、淡々と彩音の
「いいよ、やっぱり榊は残って引き継ぎ資料を見ておいて」
「ちょっと、瀬名くん?」
「破廉恥だって言われちゃ仕方ないからね」
実際、物を探すのに二人もいらないだろうしな。見つかるかも怪しいし、それだったら榊には生徒会室に残って資料を探してもらった方がいい。
「じゃあ行ってくるよ。二人とも、留守番よろしく」
「わっ、私も行きますっ!」
今度こそ部屋を出て行こうとしたら、彩音が慌てた様子でこちらに駆け寄ってきた。自分も連れていけ、と言いたいらしい。
「男女二人は破廉恥じゃなかったの?」
「せ、せんぱいと凛花さんが二人なのが破廉恥なんですっ!」
「たしかに、榊は破廉恥だもんなあ」
「瀬名くん、勝手に人のことをビッチ扱いするのはやめてもらえるかしら」
「え、でも中学の時」
「やめてもらえるかしら?」
「ひっ!?」
あまりにひんやりとした声なものだから、季節外れの木枯らしかと思ってしまった。彩音は恐怖のあまり震えあがり、俺の肩をつかんでわなわな震えている。
「せんぱいっ、早く行かないと危ないですって!」
「ちょっ、押すなって」
「じゃあ凛花さん、行ってきますっ!」
「そこの男、倉庫に閉じ込めておいてもいいからね~」
なんつー別れの挨拶だよ、などと思いながら、彩音に背中を押されて生徒会室を飛び出した俺であった。
***
昇降口で外靴に履き替えてグラウンドの脇を歩いていき、ようやく生徒会の倉庫にたどり着いた。昭和の頃に建てられたらしいから、外観はそれなりに古い。というか、ぼろい。鍵を開けて、塗装のはげたシャッターをゆっくりと上げていく。
「よっこらせ……」
ガラガラという何かがきしむ音が響く。彩音は俺の背後に立って、興味深そうに倉庫の中を覗き込んでいる。
「生徒会の倉庫って、こんな感じだったんですね」
「初めて来た?」
「存在を知ったのもさっきですもんっ」
シャッターを途中まで上げると、中にいろいろな資材が積まれているのが見えた。文化祭などで使う三角コーンの山、置き場がないのでいつの間にか持ち込まれていた体操用のマット、使えるのかどうかも怪しい放送機材など。
倉庫は広く、十畳くらいはある。上の方には一応窓があって、光が差し込んできている。壁には棚が据え付けられており、がらくたが所せましと並べられていた。
「けほっ、埃っぽいですね」
「だから来なくてよかったのに」
「……せんぱいをお手伝いしたかったんですっ」
彩音はパーカーの萌え袖で口元を抑えつつ、シャッターをくぐるようにして倉庫に入ってきた。なんだか、彩音が俺の後ろをちょこちょことついてくるひよこみたいに見える。
後輩に懐かれる、という経験は意外と初めてかもしれない。中学の頃の生徒会は同級生が多かったし。でも昨日も思ったけど、まだ一か月しか関わってないんだけどなあ。
「バトンなんかあるんですかあ?」
「うーん、無いかも」
彩音は首をかしげて倉庫の中を見回していた。無さそうだけど、隅々まで探してみないことには分からないからな。
「彩音、下の方の棚を探しておいて。俺は上の方」
「どーせ見つからないですよお」
「ついてきたのは彩音なんだから、文句言わないの」
「むー……」
文句を言う彩音を放っておいて、さっそく探し始めた。棚は何段もあるうえに、前面に置かれた物が背面に隠れた物を隠してしまっているから、あらためるだけでも一苦労。彩音は俺の足元にしゃがみこんで下の方の棚を探している。
「うわっ、これ古い生徒会だよりだ」
「えっ、見たいです見たいです!」
「仕事してからね」
「けち!」
発見した古紙の束を、わざと一番上の段に置いた。こうすれば彩音の手は届かないはずだし。
「せんぱーい、腕が疲れました」
「まだ五分も経ってないけど」
「女の子にこんな重労働させるから彼女出来ないんですよ!」
「手伝ってくれるんじゃなかったの?」
「せんぱいが肩を揉んでくれたら続けますっ」
彩音はぶつぶつと文句を言いながらも、丁寧に棚の中身を引き出しては、優しく元の位置に戻している。やっぱり仕事に関して妥協をすることはないんだな。
「そもそも、こんなの運動会実行委員の仕事じゃないですか? 鍵だけ渡して探してもらえばいいのに」
「自分のとこの倉庫なんだから、自分で調べないと変だよ。それに運動会直前だし、こんな些細な仕事で委員の時間をとりたくない」
「だからって、生徒会長がじきじきに探すことないじゃないですかあ……」
「仕方ないじゃん、うちの生徒会は四人しかいないんだから」
実際、高校の生徒会にしては人数が少ないと思う。彩音が加入する前は三人で回していたわけだし。
うちの高校は、基本的に生徒会長だけが投票で選出されて、その後に当選者が役員を指名する仕組みだ。要するに、生徒会なんて面倒な仕事を引き受けてくれる友達がいなければ……人不足にあえぐわけだ。
「もっと人を増やせばいいのに」
「俺に友達が少ないって言ってたのは彩音じゃんか。無理だよそんなの」
「あれ? でもおかしくないですか?」
「何が?」
「せんぱいって、なんで当選出来たんですか?」
しゃがんでいた彩音が顔を上げて、俺の方に視線を向けた。友達もいないような人間がどうやって選挙戦を勝ち抜いたのか、というのはもっともな疑問だな。
「立候補者が俺しかいなかったんだよ。形だけの信任投票しかなかった」
「えーっ、ラッキーですね」
ラッキー、といえばラッキーなんだろうか。去年の時点で転校することは分かっていたから、最後の思い出作りくらいのつもりで立候補しただけなんだけどな。
「ところで、バトン見つかった?」
「無いですよお。ちゃんと探してるのに」
「こっちも無いね。棚を全部調べることになりそう」
「え~っ」
「あとでなんか奢ってあげるから、頑張って」
「それより肩揉んでくださいってばー!」
しかし何の成果も得られず、ただ埃を巻き上げるだけの時間が続いたのだった……。
***
「やっぱり無かったなあ」
「どーせ見つからないって言ったじゃないですかー!」
棚を全て探し回ったが、やはりバトンらしきものは見つからなかった。ついでに明らかながらくたは処分してしまおうかと思ったが、きりがないのでまた今度にしようと思う。
いつの間にか外は暗くなっていて、倉庫の天井に取り付けられた蛍光灯が俺たちのことを照らしていた。彩音は目を細めて倉庫内のあらゆる隙間を覗いているが、芳しい結果は得られていないようだった。
「彩音、そろそろやめよう。帰りの時間になっちゃいそうだし」
「はーい」
「戻ったら榊が何か見つけているかもだし、もう出ようか」
「えー……」
こんな埃っぽい倉庫から早く出たいのだが、彩音は何か渋っている。さっきまで文句ばっかり言ってたのに、なぜだろう。
「帰らないの? 置いてくよ?」
「いやです!」
「なんで!?」
「き……」
「き?」
「昨日みたいに、二人でお話ししたいなあって……」
彩音は機材や三角コーンの間を縫うようにして、とことことこちらに歩み寄ってきた。転校のことを言ってから、やたら俺にこだわっているな。
あまり後輩の気持ちを無下にしたくないけど……遅くなると榊も心配するしな。こればっかりは仕方ない。
「だめ、帰るよ」
「えっ……」
「榊に心配されるよ、本当に閉じ込められたんじゃないかって」
俺はシャッターの方に向かって歩き出す。それにしても、本当に腕が疲れたなあ。それこそ肩でも揉んでもらいた――
「まっ、待ってくださいっ!」
「?」
「さっき、終わったらこれ読むって約束したじゃないですか!」
振り返った先にあったのは、一番上の棚においた古い生徒会だよりを無理やり取ろうとしている彩音の姿だった。近くにあった踏み台の上に乗り、必死に背伸びをしている。だが足元がぐらついていて、今にも倒れてしまいそうだ。
「ちょっ、危ない!」
慌てて駆けだす。ふらつく彩音の背中を抱きかかえるようにして、なんとか安定させようとする。
「きゃっ!?」
「だから危ないって!」
「じゃなくて、急にぎゅってされたら誰だって――」
その時、彩音が足を踏み外してしまった。俺と彩音は共にバランスを崩して、一緒に後ろへと倒れていく。
「うわっ!?」
「せんぱいっ!?」
幸い、下にはマットが敷かれていて――彩音を抱きとめるように受け身をとった。ぶわっと埃が舞い上がって、思わずせき込んでしまう。
「げほっ、げほっ……彩音、大丈夫?」
「え、えっと……」
彩音が棚の上から引きずり降ろしてしまったのか、大量の紙が俺たちの上に降り注ぐ。視界が晴れたときには――彩音は、思いっきり俺の上に馬乗りになっていた。
「……えっ」
何が起こったのか分からず、呆然としてしまう。目の前に見えるのは、俺の股のところに跨っている彩音。萌え袖で口元を覆っているのは……埃だけが理由ではない気がする。
「えっと、せんぱい……」
彩音は顔を赤く染めたまま、じっとこちらを見下ろしていた。こんな絵に描いたようなハプニングが起こるものなのか、とどこか冷静に状況を分析している自分がいる。
「……彩音、降りたら?」
「せんぱい、なんでそんなにいつも通りなんですか」
「何が?」
すると、彩音が俺の右手を掴んだ。小さく柔らかい感触が、俺の手のひらを包みこむ。どうするのかと思えば……彩音は、自分の胸元の方に手を近づけていく。
「ちょっ、何する気!?」
「いいから、触ってください」
「触ってって――」
パーカーの上からでも分かる二つの膨らみ……ではなく、その少し上に俺の手を触れさせる彩音。指先から感じる心臓の拍動が、明らかに通常のそれより多いことに気づかされた。
「私、こんなにドキドキしてます。せんぱいは違うんですか?」
「違うっていうか……その」
たしかにビックリして心拍数は上がっているけど、彩音の感じている胸の高鳴りとは種類が違う気がする。彩音のことが嫌いなわけじゃない。危うく後輩に怪我をさせてしまいそうだったのが、怖かったんだ。
「わた……私も触っていいですか?」
「えっ」
「せんぱいが本当にいつも通りなのか、知りたいです」
彩音はゆっくりと俺の胸元に右手を伸ばしてくる。俺が抵抗する間もなく、まさしく学ランに指先が触れようとしたその瞬間――
「バトン、実行委員が見つけたそうよー」
「うえっ!?」
「凛花さんっ!?」
「だからもう探す必要はないわ。今日のところは――」
シャッターの外から聞こえてきたのは、榊の声だった。俺たちは慌てて姿勢を直そうとするが、時すでに遅し。シャッターをくぐり、倉庫の中に入ってきた榊が――俺たちの姿を見て、呆れるようにため息をついた。
「……あなたたち、随分と破廉恥ね」
「り、凛花さんをリスペクトしてるので!」
「冗談よね?」
「じょっ、冗談ですっ!」
榊の目はまったく笑っておらず、恐怖のあまり心拍数が跳ね上がったのだった……。
***
「もー、こんなに散らかして」
「悪い悪い、俺たちのせいで」
「せんぱいが悪いんですっ!」
結局、三人で散らかった生徒会だよりを片付けることになった。今日の帰りはいつになることやら全く分からない。とほほ。
「あっ、これ面白い!」
「えっ、何?」
「せんぱいっ、これ見てください!」
彩音が持ってきた古い生徒会だよりの隅っこに「恋愛相談コーナー」という記事があった。うーん、時代を感じるな。
「で、これがどうしたって?」
「この中身、見てくださいよ!」
相談者は近いうちに転校が決まっているという男子だった。好きな人に想いを伝えたいが、仮にうまくいっても遠距離恋愛なので躊躇しているという。
これが発行されたのは……平成初期くらいかな。ネットという言葉がまだ一般には広まっていない時期。遠距離恋愛なんて、今では想像もつかないほど難しかったはずだ。
相談に対して、生徒会の恋愛マスター(そんな役職あってたまるか)が答えていた。想いは絶対に伝えるべき、後悔したまま転校するのが一番よくない……というありきたりな回答。だけど、悩みに悩んでいる相談者にとっては背中を押された気分だったろう。
「へえ、たしかに面白いね。俺らもやる?」
「うちの生徒会に恋愛マスターなんていましたっけ?」
「俺」
「せんぱい程度で恋愛マスターじゃあ、少子高齢化も進みますよね~!」
なんだこの後輩は。なんて思ったけど、けらけら笑っている姿が楽しそうだったので、何も言わないでおくことにした。
「ねっ、せんぱい」
「ん?」
「せんぱいには、転校前に想いを伝えたいひとはいないんですかっ?」
俺に背を向けたまま、彩音がそう問うてきた。別に片思いをしているわけでもないし、今のところ告白の用事はないなあ。
「いない、かな」
「……ふーん、そうですか」
蛍光灯の光が、黙々と作業をする俺たちの姿を煌々と照らしている。いつにも増して不満そうな彩音の返事が、妙に印象深く心に刻まれたのだった。