生意気な後輩女子に「転校する」と告げたら急に甘えてくるようになった 作:古野ジョン
昼休みはいつも生徒会室で昼飯を食べている。教室で食べてもいいのだけど、どうしても一人の時間を欲してしまう。誰からの視線も感じず、誰の声も聞こえない。孤独の空間に身を置きたいのだ。
「……」
一人でいつもの「誕生日席」に座り、購買で買ってきたコーヒー牛乳を手に取る。紙パックに付属したストロー袋の端を押して、中身を取り出し、飲み口に突き刺した。
ブラックコーヒーが好きだけど、コーヒー牛乳もよく飲む。普通の牛乳でもいいのだけど、より濃い味を求めてしまう。まだまだ舌がお子様なのかもしれないな。
「ん」
背後の扉が開く音がして、思わず身構える。一人の空間だと思って気を抜いていたから、不意を突かれるとドキッとしてしまう。けど……どうやら杞憂だったみたいだな。
「あっ、ほんとにいたーっ!」
そこには、扉の前でこちらを指さす彩音の姿があった。左手にはピンク色の弁当袋を携えている。幼児向けキャラクターの刺繍がしてあって、昔から使っているものだろうと想像がついた。
「なに? 人を珍獣みたいに」
「せんぱいがいつも一人でお昼ご飯食べてるって聞いたんですっ!」
「誰から?」
「凛花さんから!」
榊のやつ、余計なことを言いやがったな。
「それで、何しにきたの?」
「決まってるじゃないですかー! お弁当食べに来たんですっ」
彩音は左手の弁当袋を持ち上げ、俺に見せつけてきた。一人でいたいからここにいるのに、彩音が来たら目的が失われてしまう。だけど生徒会室は俺の部屋でもないし、ここで「帰れ」と言うのも変な話だ。
「いいよ、入ったら」
「やったー!」
扉を閉めたあと、彩音はウキウキと弾むように歩いてきた。左斜め前の席に座って、いそいそと弁当袋を広げている。
「なんでわざわざ生徒会室まで来たの?」
「せんぱいとお昼食べたいだけですっ」
「別に面白くないと思うよ」
「私が面白いからいいんです!」
転校の話をしてから、彩音は本当に俺と一緒に過ごしたがるようになった。俺としてはその理由がよく分からない。先輩として世話を焼いているという自覚はあるけど、逆に言えばそれしか無いからな。
「いつもはどこで食べてるの?」
「教室で、他の子と一緒に」
「彩音は友達がいていいなあ」
「作ればいいじゃないですか、友達」
転校しちゃうからなあ、と言いかけたところでやめた。悪いことを聞いてしまった、って感じで彩音が申し訳なく思ってしまいそうだしな。
何より、自分にとって友達というものの感覚は薄い。人とコミュニケーションをとるのは苦手じゃないし、むしろ得意だとも思っているけど、腹を割って話をするというのは好きじゃない。自分の感情は、自分の中に秘めておきたいのだ。
「じゃっ、いただきまーす!」
いつの間にか彩音が弁当を広げて、手を合わせていた。中くらいの大きさの弁当箱が、卵焼きやミートボールで鮮やかに彩られている。その脇には小ぶりのおにぎりが二つあって、少し歪な球形が手作りであることを物語っていた。
「ん~、美味しい!」
ピンク色の箸で卵焼きを口に運んで、頬を押さえて幸せそうな表情を浮かべる彩音。よっぽど腹が減っていたのかな、なんて思ったりして。まるで楽園を満喫しているかのような笑顔に、思わずクスリと笑ってしまう。
「せんぱい、笑いました?」
「えっ?」
「いまっ、私を見て笑いましたかっ!?」
しまった、気づかれたか。彩音は身を乗り出すかのようにして、俺の顔面近くまでずいっと顔を寄せてきた。
「別に、なんでもないよ」
「嘘ですっ! なんか笑いましたもんっ!」
「大したことじゃないから」
「言ってくださいよー! 気になるじゃないですかあ……」
彩音は再び椅子に腰を落ち着けつつ、残念そうな顔を見せた。拗ねられても困るし、正直に言っておこうかな。
「彩音がさ、幸せそうに食べるなあって」
「えっ?」
「あんまり美味そうに食べるんだもん。こっちまで幸せになるよ」
「へ、へえ~?」
自分から聞いてきたくせに、いざ理由を聞くと恥ずかしくなってしまったらしい。おかしな後輩だなあ。
「せんぱいは、私が笑うと笑ってくれるんですか?」
「うーん、つられて笑っちゃうんだよ。なんでだろうね」
再びコーヒー牛乳を手に取り、ストローを口にした。彩音は少し照れたように、それでいてニヤニヤしている。なんだこの後輩。……あっ、そうだ。そろそろ行かないと。
「来てもらって悪いんだけど、俺はもう食べちゃったからさ。図書室に本を返しに行かないと」
「えっ、もう食べたんですか? てっきり今からかと思ってました」
「パン一個だけだし、すぐ食べ終わるって」
「それだけですか?」
「うん。昼飯はこんなもんだよ」
そう答えながら、机上に置いてあったあんパンの袋を細く折り畳んで結んでしまった。顔を上げると、彩音が弁当箱の中身をじっと見ている。
「どうかした?」
「せんぱい、それじゃ栄養足りてないですよ。卵焼きとか食べませんか?」
「えっ? いいよいいよ、親御さんが彩音のために作ったんでしょ」
「ちっ、違いますっ! 私、自分でお弁当作ってるのでっ!」
ガタッと音を立てて、彩音がまた身を乗り出してきた。その左手に弁当箱、右手に箸を持っている。
「えっ、そうなの?」
「はい! 私の家、下に弟と妹が二人ずついるんです。だから、両親とも私なんか構ってくれなくて……」
彩音は少し寂しそうな表情だった。前から生意気な奴だったし、最近も俺に甘えてばっかりだから、まさか家ではお姉ちゃんだなんて思いもしなかった。
いや……
「そっか。自分で弁当作るなんて、彩音はすごいな」
「別に、冷凍食品とか詰めてるだけですし。そんなことないです……」
褒めた途端、彩音が照れたように顔を赤くした。俺の見えないところで、日ごろから相当頑張っているんだろうな。やりたいことがあるのに、きょうだいに時間を割くことも多いんだろうし。
「だっ、だからっ!」
「えっ?」
「せんぱい、卵焼き食べてくださいっ!」
彩音は箸で一切れの卵焼きを取って、俺の口元に近づけてきた。鮮やかな黄色の中に、食欲をそそる焦げ目がきっちりついている。でもなあ、間接キスだーなんて小学生みたいなことを言うつもりはないんだけど……いいのかな。
「いいよいいよ、大丈夫だって」
「もしかして、間接キスだなーとか考えました?」
「いや、そんなことは……」
「それくらいで照れちゃうんですかっ? せんぱいのくせにウブでちゅね~!」
煽るようにニヤニヤして、彩音はさらに口元に卵焼きを近づけてくる。なんだこいつ。さっきの笑顔はあんなに愛らしかったのに、今は小悪魔にしか見えない。
「分かったよ、いただくから」
「えっ、心の準備が――」
「んっ」
彩音の不意を突くように身を乗り出して、箸先でつままれた卵焼きを口に含んだ。なるべく箸を汚さないように気をつけつつ、元の姿勢に戻る。
思ったよりも甘くて、美味しい。きっと牛乳と砂糖で味付けをしているのかな。しっかりと咀嚼して、喉で味わうように飲み込んだ。
「……」
彩音は自分の箸の先を眺めて妙な顔をしている。さっきあれだけ煽ってたのに、自分が気にしてるんじゃないか。本当におかしな後輩だなあ。
「彩音」
「ひゃいっ!?」
「ごちそうさま」
「ど……どういたしまして」
「好みの味付けだったからさ、美味しかったよ」
「甘いのが好きなんですか?」
「うん。うちの親が作るのはしょっぱいからさ、はは……」
じゃあ自分で作れって話なんだけど、あいにく料理は得意じゃないんだよな。卵焼きを作るつもりが、いつのまにかスクランブルエッグになって、最終的に炒り卵になったという現象もよく起こる。
「あの、せんぱい」
「ん、なに?」
俯いたまま、呟くように声を出す彩音。何を言うのかと思えば、絞り出すかのように……とんでもないことを口にした。
「……せんぱいのお嫁さんにしてくれたら、毎日作ってあげますよ?」
「えっ?」
「えっ?」
――時が、止まったような気がした。お嫁さん? 彩音が俺のお嫁さん? 何を言ってるんだこの後輩は?
「ごっ、ごめんなさいっ! 嘘です嘘です!」
「そうかあ、お嫁さんにはなってくれないかあ」
「ちっ、違いますっ! お嫁さんにはなるんですけど!」
「えっ、なるの?」
「うわあああそうじゃないですっ! 忘れてくださいっ!」
彩音は耳たぶまで真っ赤になって、両手をぶんぶんと振っていた。そんな風に思ってくれていたとは、夢にも思わなかった。もちろん冗談だろうけどさ、冗談でも嬉しい。好感度の低い男に「お嫁さんにしてくれたら……」なんて言うはずないしな。
「じゃあ、図書室行ってくるから。ゆっくり食べなよ」
「こ、こんな状況で置いていくんですかあっ!?」
「だって返却期限が今日までなんだもん。生徒会長が延滞するわけにいかないじゃん」
「うわあああっ、待って! 待ってくださいせんぱいっ!」
必死に止めようとする彩音を尻目に席を立ち、紙パックとパンの袋を持って歩き出す。部屋を出る間際……ちょっといたずら心が芽生えた。
「またあとでね、マイハニー」
「ちょっ、調子に乗るなあああっ!!」
ああ、愉快愉快。けらけらと笑いながら扉を開けて、廊下に出る。図書室の方に向かって歩こうとすると、向こうの方から榊が歩いてきた。
「あれー、どうしたの?」
「ちょっと用事があるのよ。瀬名くんはお昼ご飯食べてたんでしょ?」
「そうだよ。それより、今生徒会室に行くと面白いもんが見られるよ」
「何、それ?」
「まあまあ、行けば分かるから」
首をかしげる榊に手を振り、今度こそ図書室に向かう。あの卵焼き、美味しかったなあ。また食べたいな、なんて。
クスリと一人で笑いながら、廊下を歩いていった。