生意気な後輩女子に「転校する」と告げたら急に甘えてくるようになった 作:古野ジョン
なんであんなこと言っちゃったんだろう。お嫁さんにしてくれたら――なんて、あまりにも浅慮だった。つい口をついて出てしまったけど……恥ずかしいにもほどがある!
「あら、彩音ちゃんもお昼?」
「り、凛花さん!?」
気づいたときには、凛花さんが扉を開けて生徒会室に入ってきていた。私は慌てて元居た場所に戻って、あたかもただお昼ご飯を食べていたかのように装う。
「瀬名くんが『面白いもんが見られる』って言ってたけど、何かあったの?」
「なっ、ないですっ! せんぱいが勝手にっ!」
「あら、そう。私はちょっと作る書類があるだけだから、気にせず食べてて」
凛花さんはいつもの席に座って、近くに置いてあったノートパソコンに充電器のコードを接続していた。この人はいつも変わらず、淡々としている。せんぱいとはタイプの違う人間に見えるのに、妙に息が合っているように見えるのは何故なんだろう。
「で、彩音ちゃん?」
「ふぁい?」
気を取り直してミートボールを食べていると、凛花さんが画面に視線を落としたまま問うてきた。
「瀬名くんとのランチは楽しかったかしら?」
「!?」
予想外の言葉に、思わずむせこんでしまいそうになる。飲み込みかけていたミートボールをもう一度咀嚼して、再び喉の奥に送り込む。
「きゅ、急になんですか!?」
「『お昼休みに教室に行ってもせんぱいがいないんですけど、どこにいるんですか』――なんて、聞いてきたのは彩音ちゃんじゃない」
「そ、そうですけど……」
凛花さんはこちらに一瞥もくれない。この人は意地悪だ。でも……せんぱいの居場所を教えてくれたのも凛花さんだし、何も言い返せない。
「で、楽しかった?」
「えっと……」
せんぱいが一人で作り上げている世界に入り込んだような気がして、どこか新鮮な気持ちはあった。しかも、せんぱいは私を見て笑ってくれたし、それが嬉しいとも思った。
でも……楽しかったか、と聞かれると答えに詰まってしまう。さっきのせんぱいは、いつも通りの穏やかさで私と話をするだけだった。舞い上がっていたのは私だけだったのかもしれない。
「分からないです」
「あら、楽しくなかったの?」
「なんだか……せんぱいの心を動かせなかった気がするんです」
「心?」
「せんぱいはいつも通りにどっしり構えて、いつも通りに優しくしてくれました。……でも、楽しかったのは私だけだと思います」
凛花さんは顔を上げて、鋭い眼差しで私を見つめた。思わずたじろいでしまいそうになるけど、目をそらさずに見つめ返す。
「彩音ちゃんは瀬名くんをどうしたいの?」
「えっ?」
「残念だけど、瀬名くんは九月に転校するわ。あまり仲良くしても、別れが悲しくなるだけよ」
冷たい声だった。暗に「諦めろ」と言われたようで、心がぎゅっと締め付けられる。だけど、せんぱいが転校するのはまぎれもない事実。だから、どうしたいかと言えば――
「私は、せんぱいを放したくないんです」
「えっ?」
「『行かないで』って、せんぱいを繋ぎとめておきたい。それだけなんです」
「……そう」
凛花さんは呆れたのかな。そう思われても仕方ない、とも思う。だって、私がせんぱいの転校を止められるわけじゃないのだから。
でも、せんぱいに振り向いてもらうにはどうしたらいいんだろう。倉庫で私が馬乗りになってしまったときも、照れる様子すらなかった。私のことなんて何も思っていないのかな。
「凛花さん」
「なに?」
「せんぱいって、クラスではどんな感じなんですか」
「瀬名くんが?」
「はい。教えてください」
凛花さんはきょとんとしていた。それから拳を口元に当てて、何か考え込んでいる。
「クラスの人気者、かしら」
「へっ?」
人気者!? 友達も彼女もいないせんぱいが!? ……ちょっと予想外過ぎる。
「じょ、冗談ですよね?」
「不思議なことではないわ。生徒会室にいるときの彼を思い出してみて」
「いつも穏やかで、なんでも教えてくれて、よく話を聞いてくれて……」
「よくすらすら出てくるわね。私にとっての瀬名くんは『仕事しない、ヘラヘラしてる、なんか腹立つ』の三拍子なのだけれど」
「凛花さんが言わせたんじゃないですか!?」
この人は何が言いたいんだろう? たしかにヘラヘラしてる時もあるかもしれないけど、基本的には真面目だし、成績も悪くないはずだし、気遣いもできるし。……あれ?
「分かった? 彩音ちゃん」
「もしかして、せんぱいは本当に人気者なんですか?」
「ええ、そうよ。面倒見もいいし、誰とも分け隔てなく接しているから」
「じゃあ、友達がいないのって……」
凛花さんはすっと顔を上げて、すぐに俯いた。まるで憐れむような表情で、そっと口を開く。
「瀬名くんは
その声は、どこか悲しみを含んでいた。せんぱいは誰とも仲良くしない。だから友達も彼女もいない。すっと腑に落ちた。だけど、それはあくまで理性で納得しただけ。
……せんぱいは、私とも仲良くしてくれないのかな。そう思うだけで、さっきよりもずっと激しく心が締め付けられるようだった。
「どうして誰とも仲良くしないんですか」
「分からないわ。もともと一人が好きみたいだけど」
「一人が好き?」
「わざわざ生徒会室でお昼を食べているのよ? そんな面倒をしてまで一人になりたいのだから、相当じゃないかしら」
ふと、今日のことが気になった。もしかして、私はせんぱいの貴重な安らぎを奪ってしまったのかな。一人でいたかったのに、私のために「いつも通り」を演じてくれただけなのかな。
「私、悪いことをしちゃったんでしょうか。せんぱいは普段通りだったので……」
「それも分からないわ。瀬名くん、いつも大事なことは言ってくれないから」
「どういうことですか?」
「転校のことだって私たちに黙っていたじゃない。彼、本音はずっと隠すタイプなのかもしれないわね」
凛花さんは淡々と分析していたけど、私は気が気でなかった。せんぱいはずっと優しくしてくれていると思っていたけど、本当は違ったのかな。私なんか邪魔だとか思っているのかな――
「でも彩音ちゃん、心配しなくていいわよ」
「へっ?」
まるで私の心を読んでいるかのように、凛花さんが口を開いた。
「私の勘だけど、瀬名くんは相当あなたを可愛がっていると思うの」
「か、かわっ!?」
さっきと言っていることが違うんだけど!? せんぱいは誰とも仲良くしないんじゃなかったの!?
「そもそも『彩音』なんて名前で呼び捨てする時点で気に入ってるわよね。私なんていまだに『榊』なのに」
「な、なんか怒ってます?」
「……怒ってないわよ」
ぜったい怒ってる! だって明らかにキーボードを打つ手が止まってるんだもん!
「だいたい高校生のくせに一匹狼気分だなんて百年早いわよね。遅く来た中二病なのかしら」
「り、凛花さん?」
「そのくせ彩音ちゃんみたいに可愛い後輩を甘やかして。いいご身分にもほどがあるわ」
「怒ってます?」
「怒ってないわよ、少ししか」
やっぱり怒ってる! っていうかなんなら私も怒られてない!? 私って「権力者に寵愛されて威張っているけど皆に嫌われてる女」ポジションなの!?
「とにかく、あまり心配しなくていいと思うわ。彩音ちゃんを泣かせるようなら、代わりに瀬名くんをとっちめてあげる」
「は、はあ……」
「どうせなら転校することを後悔させてあげなさい。『こんなに良い後輩を置いて出て行くんですか』って言ってやればいいのよ」
どうせなら、ってなんだろう。私はただせんぱいを放したくないだけで――
「彩音ちゃん、瀬名くんのことが好きなんでしょう?」
「!!!?!!!?!!?」
凛花さんはクスリと笑っていたけど、私は自分の顔が真っ赤に燃え上がるような心地だった。今まで目をそらしてきた事実を突きつけられたような気がして、何も言えなくなってしまう。好きとか、そんな……ことは……。
「り、凛花さん!」
「あら、そろそろ時間ね。作業の続きは放課後にするわ」
「ちょっ、待ってくださいってば!」
「早くお昼食べちゃいなさい。授業が始まるわよ」
凛花さんはノートパソコンを閉じて立ち上がった。私が引き止めるのなんか意に介さず、どんどん部屋の出口の方に歩いていってしまう。
……なんか、悔しい。こんなに感情を上下させられたんだから、私からも凛花さんにやり返したい。
「あの! 一つだけ教えてください!」
「なにかしら?」
扉に手をかけていた凛花さんが、こちらに振り向いた。長い髪が綺麗に揺れる。
「り、凛花さんは!」
「私?」
「転校のこと、どう思ったんですか!」
「えっ……」
今日初めて、戸惑った凛花さんを見た気がする。せんぱいが転校のことを告げたとき、凛花さんはまるで気にしていないように振る舞っていた。でも……さっきの様子を見れば、せんぱいに並々ならぬ感情を抱えているのは明らか。
「……愚問ね。そんなつまらないこと、私に聞かないでちょうだい」
「あっ、ちょっと!」
「でもいいわ。彩音ちゃんになら、答えてあげる」
凛花さんは扉を開ける。愚問、か。答えが分かり切っていることを聞かないで、ってことなのかな。ってことは――
「瀬名くんが転校するなんて、絶対に嫌。それだけよ」
扉の閉まる音が、いつもより大きい気がした。