ウマ娘 走れカワサキ一等星〜地方ウマ娘が砂舞台でティアラの女王狙います   作:トマスアレポ

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第1章「野良犬」
川崎で有名になりたきゃ人を殺すかラッパーになるか、ウマ娘になるか


昔、テレビで凄いウマ娘を見た事がある。

 

そのウマ娘は中央から遠く離れた岩手から、たった一人で戦いに来て、そして見事に1着を取ったらしい。

その時の映像はよく覚えている。 母親だろうか。観戦している女性の一人が誰かの遺影を掲げて叫んでいた。

 

『あなた見て!あなたの娘が先頭を走っていますよ!あなたの娘が!中央で先頭を走ってますよ!』

 

この時の私は、それがどれだけの偉業かは理解していなかったけれど、肩を寄せ合い、抱き合いながら勝利を喜ぶ人達の姿を見て、それがとてつもなく素晴らしい事だってことは感じられた。

いつか自分も、走る事で沢山の人を熱狂させたい。

ウマ娘なら当然持つ夢かもしれない。そんな途方もない夢を走りたくなったんだ。

 


 

「川崎で有名になりたきゃ、人を殺すかラッパーになるかだ」――なんて物騒で不条理なジョークが、この街ではささやかれる。だが私は人を殺す気もなければ、フリースタイルで韻を踏む才能もなかった。

代わりに、砂の上なら誰にも負けない脚があった。そういうわけで、同じ街にそびえるトレセン学園に入学したのは、ほとんど運命の仕組んだ偶然だったのだと思う。

 

JR鹿島田駅で電車を降り、南武線特有の「どこにでもあるのに、どこでもない」駅前のストリートを抜けると、唐突に東芝の巨大な工場が現れる。

まるで現実感を失った巨大生物のように鎮座していて、私はいつも「これが川崎の牢名主か」と思う。

その脇を抜けて国道1号に突き当たり、赤信号に捕まって苛立ちながら横断すると、ようやく川沿いに巨大な校舎が姿を現す。川崎トレセン学園。鉄筋とガラスの塊が、無骨に空へ伸びている。

 

駅から歩けば遠いが、ウマ娘の脚なら十分で駆け抜けられる距離だ。もっとも私は寮住まいなので、そのルートを毎日往復する必要はない。寮は校舎の南、小向地区にあって、敷地の中には体育館や屋内馬場、さらに気まぐれのように設置された屋外プールまである。豪華といえば豪華だし雑然といえば雑然だ。

 

土手を越えれば、多摩川の河川敷に練習馬場が広がっている。ラジオの鉄塔が足元から空を突き刺し、グラウンドの砂を赤茶けた光で照らしている。そのさらに向こう、多摩川の河口には、背の高いマンションや川崎駅周辺のビル群が白く霞んで並んでいる。

 

地方競バ、とひとくくりに言われることもあるけれど、この光景は間違いなく大都会の真ん中のものだ。砂と鉄と煙とコンクリートに囲まれた街で、私は走る。あの熱気のただ中でレースに立つことを、私はむしろ誇りに思っていた。

 


 

「川崎トレセン学園入学おめでとう。さて今日は、このローカルシリーズのレース体系について説明します」

 

教壇に立つのは、白髪交じりの講師だった。

やけに機械的で、まるで南武線の自動アナウンスみたいに淡々としていた。

 

「君ら入学したばかりのウマ娘は、まず“ジュニア級”として同じジュニア級のウマ娘としかレースで対戦しません。ジュニア級は能力試験を経て、1組から3組に分かれる」

 

黒板にチョークで「ジュニア級 1組~3組」と大きく書かれる。

「要は成績順にクラス分けってことっしょ?」

クラスの前列からそんな声が飛び、後列からすかさず誰かが「まあ、学校っぽいな」と笑う。

 

講師は咳払いをして続けた。

「来年からは成績に応じてA・B・Cの3クラスに分かれる。さらにその中で1から3組まである。つまり9クラス。わかりやすく言えばピラミッド構造です」

 


 

前列の黒板にチョークが走る音を聞きながら、私はふと前のウマ娘を見る。尾花栗毛のギャル風のウマ娘が、退屈そうにネイルを眺めていた。

 


 

「転入してきたジュニア級じゃないウマ娘は、原則としてC3クラスからスタート。そこから上へ上がるには勝つしかない」

 


 

尾花栗毛のウマ娘――ハナミチオジョウは授業の途中だというのに、いきなり後ろを振り向いて私に話しかけてきた。

 

「お前、どこ小なん?」

 

唐突すぎて頭が真っ白になる。けれど反射的に答えていた。

 

「第2生田」

 


 

「君たちはレースを走って上位のクラスに進む。勝たなければ同じくらいの相手と延々戦う羽目になる」

 

――まあ人生の縮図だ。中央に行けなきゃ地方で燻り続ける、という仕組みはどこも同じ。

 


 

「遊園の山ん中じゃん。毎日南武線なん?」

「いや、寮」

「……あーしもだよ」

 


 

「A級以上のウマ娘は重賞に出走できる。そこからは川崎だけでなく、大井、船橋、浦和といった南関の強者とぶつかることになる。ここまで来ると、地方の中でも本物だ」

講師はチョークで「重賞=南関対決」と書き、大きく丸で囲む。

 


 

ハナミチオジョウの返事の軽さに、教室の窓から吹き込む川崎の風のような雑さを感じた。

「そうなんだ。んで、そっちは?」

「臨港小だよ」

「海じゃん」

「いいとこだよ」

 


 

「さらに重賞をいくつか勝つと、中央のウマ娘と戦える“JpnIII、JpnII”といった交流重賞に出ることになる。……まあ、ここまで生き残れる奴はほんのひと握りだがな」

 


 

そのやりとりの途中で、彼女は私の右隣にいる青毛ロングのウマ娘――シャドウリリィに視線を飛ばした。

「んであんたは?」

 

シャドウリリィは教科書から顔を上げ、クールな声で答える。

「鶴見」

「横浜じゃん」

「ブイ✌️」

……この無駄に愛嬌のあるピースサインは、いったい誰に向けたものだろう。

 


 

 

「最後に大事なことだ。クラスの格付けは、基本的に“番組ポイント”で決まる。出走したレースで5着以内に入れば順位ごとにポイントが与えられる。だから負けそうだからといって脚を抜いてはいけない。最後まで走り切ること。それが君らの義務だ」

 

チョークが黒板に「最後まで走れ!」と大書きされる。

 

「おい、聞いてんのか?」と、教壇の講師が苛立った声を飛ばす。

「聞いてまーす!」と、クラスのあちこちから返事が上がる。

 

講師は腕を組み、教室を見渡した。

「以上だ。質問はあるか?」

 

数秒の沈黙。やがてハナミチオジョウがにやりと笑って手を挙げた。

「要は勝ちまくれば中央行き、負けまくればC3止まりってことでしょ? ――だったら勝てばいい話じゃん」

 

その挑発的な言葉に、教室全体がどっと沸いた。

 

 


 

「早速で悪いけれど、今日はちょっとレースをやってもらいます」

 

ウマ娘の教官は、いかにも唐突そうな口調でそう宣言した。

唐突さに定評のある川崎トレセン学園――そんな校風を勝手に想像してしまう。

 

連れてこられたのは小向の練習馬場だった。早朝と午後はごった返す狭い馬場も、午前中は人影が薄い。ジュニア級の練習時間、つまり初心者たちの貸切タイムというわけだ。

 

「これが本番でも使うゲートだ。まずはこの狭苦しい檻みたいなものに慣れてもらう。焦って飛び出そうとするんじゃないぞ。ゲートが開く前に動いたら“カンパイ”、つまりフライングでやり直しだ。……世の中、フライングは許してくれない」

 

教官がわざとらしく眉をひそめた。

横を見ると、ハナミチオジョウがにやにや笑いながらこっちに顔を寄せてきた。

 

「なあ? もし先着したらなんか奢れよ。終わったらラゾーナ連行するわ」

「じゃあ私が先着したら学食のパン、好きなの奢ってもらうよ」

「いいね」

 

私は条件反射的にうなずきながらも、頭の中では“どのパンにするか”という実に現実的な思考をしていた。

「リリィはどうだ?」

「ぐっ 」

シャドウリリィは親指を突き立てただけで、表情を動かさなかった。強者の沈黙、というやつだ。

 

「というわけで、今から900メートル走ってもらう」教官はチョークの代わりに鞭を掲げて宣言する。

「ゲートから出て、ゆるいカーブとコーナーを抜け、土手沿いの直線にある調教ボックスがゴールだ。今日はトレーナーたちも来ている。走り次第ではスカウトを受けることになる。気を抜くな! 基準タイムは一分以内!」

 

 

ゲートが開いた瞬間、世界は砂と風の音に変わった。

コーナーまではゆるいカーブ。バ群は早々にばらける。私は先手を奪いに出る。背後から追走してくる気配――ハナミチオジョウだ。

 

3コーナーから4コーナーへ。背後から尻尾の先に微かな風圧。彼女が仕掛けてくる。

私は一瞬だけ迷い、そしてあえて外へ膨らんだ。内側が空く。

オジョウは当然そこを突こうとした――が、他のウマ娘がすでにスパートをかけ、進路が塞がれている。

 

もがく彼女を尻目に、私は脚を伸ばし続けた。

砂を蹴る音がリズムになる。気がつけばゴールは目前。

 

――フィニッシュ。

 

タイムは51秒。

 


 

調教ボックスの中では、トレーナーたちがざわめいていた。

「51秒か」

「こりゃ速い。そのままスパーキングデビューでも勝負になる」

「今年は当たり年ですね」

 

大人たちが真剣な顔で数字を語る中、双眼鏡を構えていた一人の男――サンリンドーが口を開いた。

 

「あの一着のウマ娘、何て子だ?」

 

「ブラッシングローズです」教官が答える。

 

「ブラッシングローズ、ね」

 

その名前を口にしたときの声音は、まるで古い地図にまだ知らない道を見つけた人間のように、不思議な熱を帯びていた。

 

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