ウマ娘 走れカワサキ一等星〜地方ウマ娘が砂舞台でティアラの女王狙います   作:トマスアレポ

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コソ練と白く吐く息

休日。本来なら寮の布団に潜り込み、肉体の休息に充てるべき日なのだが、私には「コソ練」という逃れがたい習慣があった。

こっそり練習――といっても誰に隠しているわけでもない。ただ「サボる」という単語が辞書から欠落しているだけである。

 

多摩川の土手を東京都側に沿って一走りし、武蔵小杉の対岸にある多摩川浅間神社にたどり着いた。

境内の展望台からは、沈みかけた西日が街並みを黄金に染めている。12月。日没は、ほとんど光速に近い勢いで訪れる。

 

吐く息は白く、境内の空気にふわりと溶けた。

自販機で買ったペットボトルのお茶が、掌に熱を伝えてくれる。その熱がやけに頼もしく感じられるのは、きっと風が刺すように冷たいからだ。

 

ライトニングベルは、川の向こう岸を見つめていた。

「そういえば、なんで中央に勝ちたいと思ってるんですか?」

 

不意の問いに、私は肩を竦める。

「地方でやれることを証明したいから…かな? ベルはどうなの?」

 

「僕は……親が姉ばかり気にしているから」

ベルの声は、境内の静けさに沈んでいった。

 

「姉?」

 

「中央に姉がいるんです。ジュニア級とはいえGIで二着に入るくらいの実力で。まあ今は三場ローカルのオープンをドサ回りしてますけど、それでも毎週両親は応援に行くんですよ」

 

「それで?」

 

「でも、僕の走るレースには来ない。気づいてました?」

 

「……!」

 

「親に“砂が得意だ”って言われて、僕は門別に送り込まれた。門別は門別で悪いところじゃなかったけど、それでも寂しかったんです」

 

ベルの横顔は、夕日を浴びて影と光の両方を宿していた。

 

「中央で大きな成績を収めれば、両親も僕のレースを見に来てくれるかもしれない。姉も、僕のことを見てくれるかもしれない」

 

「でも、本当にそれでいいの?」

私の問いは、思った以上に弱々しかった。

 

「もう少しなんです。全日本ジュニア優駿に勝てば、僕は中央に転入できる。姉と一緒に芝を走ることだってできるかもしれない。そうすれば――」

 

「そうすれば?」

 

「話せるのは、ここまでですね」

ベルは笑ってみせたが、その笑みはどこか不安定だった。

 

「なんか……大変なんだね」

 

「ローズさんこそ、どうなんですか?」

ベルの視線がまっすぐに突き刺さる。

「何故、地方で勝つことを証明したいんです? 誰に対して証明したいんです?」

 

私は、ほんの一瞬言葉に詰まった。夕陽が視界に滲んだ。

「いいじゃん、そんなこと。私はやりたいからそうしてるだけ」

 

「本当に……?」

 

「本当にそうだよ。それだけ」

 

境内に風が吹き込み、絵馬がかすかに鳴った。

夕日が完全に沈む前に、二人の言葉も闇に溶けていった。

 

 


 

 

「全日本ジュニア優駿は、これまでとはレベルが違う。おそらく中央や大井の一流馬とかち合うことになる」

サンリンドーの声は、いつになく硬質だった。

 

B303プレハブ。

畳の代わりに砂埃が敷き詰められたような空間で、私たちはストーブの赤い火に当たりながら、ホワイトボードに貼りつけたコース図を前にしていた。マグネットで作られた即席のウマ娘軍団が、そこで息づいているかのようだった。

 

数日後に迫った全日本ジュニア優駿。登録も済み、あとは枠順の発表を待つばかり。空気は妙に乾いていて、期待と不安を一緒に喉に詰まらせる。

 

 

「警戒すべきウマ娘は二人。大井のイグニッションと、中央のラムダだ」

サンリンドーは二枚の写真をピンで留める。ちょうどホラー映画の犯人リストのように、冷たい視線を放ってきた。

 

「イグニッションは三戦三勝。無敗。ダート三冠の最有力候補だ。しかもミカモトのチーム。正直、相当手強い」

 

「レーススタイルは?」

ベルが問う。

 

「中段から三コーナーで仕掛け、一気に前を飲み込む。つまり前で走ってると、格好の的になる」

 

「じゃあ、差しで行くってのは?」

私の問いにサンリンドーは天井を見上げ、まるで答えが書いてあるのを探すように言った。

 

「基礎スピードが上なら交わせる。下なら、そのまま持っていかれる。まあ、直接対決は初めてだから何が起きるかはわからん」

 

ホワイトボードのマグネットが、静かにずれ落ちた。まるで不吉な暗示のように。

 

 

「もう一人、ラムダは?」

ベルが問い返す。

 

「こいつは典型的な中央のエリートだ。名門ヤハギチーム。6月には勝ち上がり、すでに2勝。11月にはアメリカのBCに遠征。早い流れも経験済みだ」

サンリンドーの声が重く落ちた。

 

「正直、勝てるかどうか難しい」

 

「レーススタイルは……僕も見ましたけど、よくわからない」

ベルの顔に曇りが浮かぶ。

 

「そこなんだよ。差しも先行も追込もやる。BCでは逃げ気味の戦法もとった。ゲートを出た瞬間に戦法を決めるタイプだろうな。脚の運び方も、どちらにも対応できる」

 

「どうやって倒すの?」

私が思わず口を挟むと、リリィがすかさず呟いた。

「無理ゲーじゃね?」

 

「まあ……いつも通りの競バをするしかない」

サンリンドーは苦笑いでまとめたが、その顔は笑っていなかった。

 

 

その時、ガラガラとドアが開き、冷気と共にオジョウが転がり込んでくる。

「おー寒い!」

 

「お前、またこっちかよ」

「だってあっちストーブ無いんだもん! それより後で肉まん買いに行かね?」

 

「そろそろ寮の夕飯タイムだよ?」

リリィが呆れた声をあげる。

 

「いいじゃん、別腹別腹〜」

オジョウはストーブの前に陣取る。

 

「くっつくな、熱が逃げる!」

私は押し返すが、結局彼女の体温と笑い声に部屋が少し和む。

 

その緩んだ空気を切り裂くように、サンリンドーのスマホが震えた。

「はい、サンリンドーです。……えっ?! 本当ですか。……えぇ……?」

 

「どうしたんです?」

ベルの声が上ずる。

 

「イグニッションが……熱発で出走取消だそうだ」

サンリンドーの言葉に、部屋の空気が一瞬凍りついた。

 

「つまり――俺たちと中央のラムダとの、二強対決になる」

 

その言葉は、ストーブの火よりも熱く、同時に冬の空気より冷たかった。

 

 

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