ウマ娘 走れカワサキ一等星〜地方ウマ娘が砂舞台でティアラの女王狙います 作:トマスアレポ
全日本ジュニア優駿のパドック。
いつもの川崎と、同じ場所とは思えなかった。
平日水曜日の夜だというのに、人、人、人。駅前の居酒屋に流れていてもおかしくないサラリーマンたちが、なぜかパドックに詰めかけている。理由は単純明快、このレースが「ジュニア級ダート最強決定戦」と呼ばれているからだ。来年のダート三冠路線の趨勢を占う大事な一戦。観客の目は、いやが上にも熱を帯びる。
しかもJpn1である。出走ウマ娘は、普段の体操服ではなく、必ず勝負服をまとう決まりになっていた。
地方勢にとってはこれが悩みの種で、トレセンのジャージで出るか、代々のチーム服を借りるかで頭を抱える。だが――ライトニングベルには、既に用意された勝負服があった。親の仕込みか、あるいは未来への先物買いか。
「似合ってるよ、その勝負服」
私はベルに声をかけた。
「あぁ……ありがとう」
ベルは少し頬を赤らめる。
彼の勝負服は「ジャージメイド」と呼ばれるデザインを微妙にアレンジしたもの。淡いパステルの紫色。少年めいた顔立ちに、思いのほかよく馴染んでいた。
「準備いいんだね〜」
オジョウが肩をすくめる。
「まぁ……親がもう用意してたんで」
ベルの答えは淡白だが、どこか重さがにじんでいた。
「推せる」
リリィは一言だけ発し、スマホのシャッターを連打する。普段は無表情な彼女の目が、きらきら輝いているのが不思議だった。
私は観客席を探す。ベルの親は、今日こそ来ているだろうか。
「今日も来てないのかな……」
「仕事もあるんでしょうし。まあ、多分配信で見てると思いますよ」
ベルは自分に言い聞かせるように言った。
「だといいね」
私はそれ以上、何も言えなかった。
そうそう、当たり前すぎて触れていなかったが、川崎競バはすべて「ウマチューブ」で配信されている。今日はJpn1、同接もコメントも桁違いに跳ね上がるだろう。
だが――おそらく多くの視聴者にとって、川崎のウマ娘たちは「背景」だ。祭りの屋台の灯りのように、主役を彩るためだけの存在。
何故なら今日の主役は、すでに決まっている。
ラムダ。
中央のジュニア級ダート路線で最強と謳われるウマ娘。
ライトニングベルに勝るとも劣らぬ精悍な顔立ち。白を基調にしたサイバーでシックな勝負服は、中央と地方との格差を可視化する制服のようでもあった。
だが、何よりも強烈だったのは、その身から立ち上る闘志だった。
彼女がパドックに立った瞬間、空気が変わった。観客の喧噪は潮のように吸い込まれ、周囲の出走ウマ娘たちでさえ、その闘志に呑み込まれていく。
まるで「この場の主役は私だ」と、何の説明もなく告げているようだった。
サンリンドーは、パドックに隣接する控室の前に立つヤハギに声をかけた。
二人は肩を並べるでもなく、パドックを行き交うウマ娘たちを眺めながら言葉を交わす。
「お疲れ様です」
「おう」
挨拶は簡潔だが、視線は互いにパドックから外さない。
「しかし、1番人気というのは大変ですな」
「まぁな。だが勝ってくれると思うよ」
ヤハギの口調は淡々としているが、そこには確信めいた響きがあった。
「国内はこれが最後だ。当面は海外がメインになるから、悔いは残したくない」
「やっぱり、スケールが違いますね……」
サンリンドーは乾いた笑みを浮かべる。「うちの仔も世界で通用すればいいんですが」
「特別だからな。ノーザンのセレクトオーディションで一目見た時から、世界が彼女のキャンパスになると確信してた」
「なんとか喰らいついてみせますよ、今日は」
「それでいい。ライバルは強い方がいい。その方がラムダの格も上がる」
「もし、うちのベルが勝ったら?」
「うちに転校だろう?」
ヤハギはあっさりと言い切った。
「ちょうどラムダの併せウマが欲しかったところだ。本当に勝てるのかい?」
「競バに絶対はありませんよ」
「俺は、ラムダには絶対があると思ってる」
そのやりとりは、あくまで静かだったが、分厚い緊張が流れていた。
「すごい奴だ……勝てるか?」
ローズは無意識に口にした。
「勝つ以外、道はないですよ」
ベルの瞳は、夕暮れの灯りを宿して揺らがない。
「だろうね」
「これが川崎最後のレースになるかもしれない。悔いは残したくない」
「いいんじゃないか? 中央も」
ベルがこちらを見る。
「ベルなら、きっとやれるさ」
「そう……ですよね」
「もし中央行っても、川崎記念くらいは出ろよ? あーしらで迎え撃ってやるから!」
オジョウが拳を振る。
「オジョウ出れるの? 川崎総大将はローズでしょ」
「川崎総大将? 私が?」
「う、うるせー! もっと勝てばいいんだよ!」
オジョウの声に、ベルがふっと笑った。張り詰めていた糸が緩んだようだった。
「大丈夫そうだな?」
サンリンドーが戻ってきて、表情を確かめる。
「おかげさまで」
ベルは短く答えた。
「とまーれー!」
誘導ウマ娘の声がパドックに響く。時間だ。
「よし、行ってこい! そして無事に帰ってくるんだ!」
サンリンドーの声が背中を押す。
「頑張れ! ベル!」
三人の声援を背に受け、ライトニングベルはゆっくりと歩き出す。本馬場入場のゲートへと。
1号スタンド4階の学園専用席に戻ると、既に席はウマ娘や関係者でみっしり埋まっていた。
出走までの数分が、永遠のように長く感じられる。
――勝ってほしい。中央に、勝ちたい。
悔しい思いをしたくない。勝利の栄光を、共に味わいたい。
祈りのような想いは、きっと伝わっているはずだ。
スターターが台に上がる。赤旗が振られる。ファンファーレが鳴り響く。
ビジョンには、ゲートに収まるライトニングベルの姿。
そして、ゲートは開いた。