ウマ娘 走れカワサキ一等星〜地方ウマ娘が砂舞台でティアラの女王狙います   作:トマスアレポ

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第3章「関東果たし状」
私はまったく晴れやかではないが


悔しくて眠れなかった。

いや、正確に言うと、寮に残った面々が「年越しカウントダウン!」と称して延々どんちゃん騒ぎを続けていたので、物理的に眠れなかったという側面もある。

いずれにしても、枕に顔を押し付けても眠気は訪れず、代わりに昨日のレース映像が何度も脳裏でリプレイされた。

 

大井からどう帰ったか、記憶が曖昧だ。

サンリンドーの車に揺られていた気もするし、そうでなかった気もする。

ハナミチオジョウもシャドウリリィも、さすがに正月は実家に帰ってしまい、寮にはいなかった。

ライトニングベルは元から通いだから、そのまま家に帰ったはずだ。

 

サンリンドーが「年越しそばでも食うか」と誘ってくれたが、私はそれを断った――ような気がする。

そのとき彼が悲しそうな顔をしていたので、多分私はひどい言葉を返したのだろう。

14歳の年明けにしては、いささか世界の情緒に欠けすぎている気がする。

 

結局、数時間も眠れないまま苛立ちに突き動かされ、寮を飛び出した。

多摩川の土手には初日の出待ちの人波。皆、晴れやかな新年を願っている。

私はまったく晴れやかではないが。

 

だから走った。

お気に入りの曲をプレイリストから引っ張り出し、イヤホンを鼓膜にねじ込み、音量を最大にして。

ただひたすら走った。

どうせなら海まで行こう。多摩川の終点まで。

そうすれば初日の出が見えるだろう、と。

 

 

 

気づけば東扇島の先の公園に立っていた。

倉庫、コンビナート、潮の匂い――三種の神器のように並んだ風景の向こうから、初日の出がじわじわと昇っていく。

 

浄化されるかと思ったが、特に変わらなかった。

新しい光は、古い影をそのまま残していた。

 

スマホが震える。

チームLANE、ベル、オジョウ、リリィ……通知が飛び込んでくる。

思い出した。昨日、ベルと川崎大師に行く約束をしていた。

寮に戻ってから向かうのは二度手間だ。どうしたものか。

 

「お汁粉でも食べるかなぁ……」

そう呟いた時だった。

 

「おい、あれブラッシングローズじゃね?」

「ほんまやん」

 

ガラの悪そうなウマ娘がこちらを指差している。

地元のファンかと思ったが、彼女らはニヤニヤしながら近づいてきた。

 

「よぉ? 昨日の東京ジュニアオークスのあれひでー前壁じゃん」

「金返せや笑」

 

「はぁ……」ため息が出る。

 

「二着はないわ。脚余してただろ?」

「余裕で一着取れたじゃん」

 

「そんな簡単じゃないんですよ。ローカルシリーズは」

 

「まーでもウチらのチームならありゃ一発アウトだわ。ウチなら絶対あんな無様な走りしない」

「そうそう」

 

なるほど、フリースタイルの草レース上がりか。

在野の経験しかないくせに、上から目線で論じるその態度に、胸の奥がチリチリと熱くなった。

 

 

「もういいですか?」

無視して立ち去ろうとしたが――

 

「わざわざこんな日に練習か? どーせ“ヤッて”んだろ?」

 

「何……?」

私は思わず顔を上げた。

 

「サンリンドーみたいなヘボじゃ無理だろ」

「やっぱローカルはミカモト。はっきりわかんだね」

 

「お前今なんて言った…?」

 

「どうせ”野菜“だろ? ムキになんなよ」

「そうそう笑」

 

「取り消せよ…今の言葉…!」

「何!?なんつった今? もう一回言ってみろ」

「八百だって事撤回しろっつったんだよ!」

 

「はぁ〜?」

そのウマ娘が両手を横にして顔の横に広げる。

 

「ウチにこんな口叩いていいと思ってんのかよ?」

 

空気がバチバチと弾けた。

周りにガラの悪そうなウマ娘たちが集まってくる。彼らの仲間だろうか。マネキンみたいなモブの顔をしている。

 

「うるせえよ馬鹿野郎」

 

「なんだだとコラ!舐めてんのか?」

「舐めてねえよ馬鹿野郎!」

「後悔すんなよお前…? やっちまえ!」

 

次の瞬間、誰かの白い歯が宙を舞った。

 

 

一般論で言えば数の差は歴然としていた。

だが、ローカルシリーズとは言えトレセン学園で鍛えられているウマ娘は、筋肉量も運動神経も在野のウマ娘と比較すれば破格と言えるだろう。

その上、普段の栄養摂取量も段違いとなれば、いくらガラが悪く喧嘩慣れしているとは言え、単なる在野の小さく細い、向精神薬やタバコが主食の摂食障害やら運動障害持ちのウマ娘に負ける訳がなかった。

 

 

東扇島から逃げるように走り、やっと息をつく。

口の端が切れて、ヒリヒリする。

幸い顔に拳は当たらなかったし、相手も素手だったので致命傷はない。

 

「正月早々、何やってんだろうな、私」

 

吐いた言葉が、潮風に混じって消えていった。

 

 


 

 

痛む頬を指先で押さえつつ、京急川崎大師駅前のロータリーに立っていた。

冷気は刺すようだが、正月特有のざわめきが街を温めている。屋台の湯気と人混みの熱気とで、一瞬真冬を忘れる。

子どもがたこ焼きを落として泣き、親が「もう一舟買うから」と言い聞かせる声が聞こえる。どこかの青年はおみくじを大吉だと叫んで抱き合っている。世の中は正月モードに切り替わっていた。

 

しばらく待つと、人混みをかき分けてライトニングベルが姿を現した。

晴れ着姿だった。

淡い藤色の袴がきらりと光を返し、いつもの少年っぽさに不思議な華を添えている。

 

「どうしたんですか、その顔」

彼は眉を寄せて私を見た。

 

「なんでもないよ。初日の出見に走ってたら転んだだけ」

「いや……それ結構大変じゃ……」

「いいよ、気にしなくて」

 

私は話題をすり替える。

「それよりさ、ベルんちって思ってたより裕福? その晴れ着、すごいんだけど」

「いや、普通ですよ」

「そう……」

 

会話が一瞬途切れる。

その沈黙を、参拝客のざわめきと太鼓の音が埋めた。

 

ベルはぽつりと付け加える。

「来年は、一緒に合わせましょう」

「だね」

私は小さく笑った。

 

 

ウマ娘は慣例的に正月で全員歳を取る。

13歳であった私たちは今日から14歳なので、これを祝う日でもあるのだ。

まあ、今の時代は人間(ヒトミミ)と同じように満年齢で祝う人も多いが。

 

 

参道へと歩き出す。

正月の仲見世通りは、完全なる一方通行の人間回廊と化していた。飴を斬る軽快なリズムがリズムマシンのように響き、屋台からは香ばしい匂いが漂う。一方通行なので私たちは裏手に回り、不動門をくぐって境内へ。

 

境内はまるで祭りの胃袋だった。屋台が隙間なく並び、人波は生き物のようにうねり、肩と肩がぶつかるたびに「走るよりも体力を消費する」という現実が身に染みる。

 

「なんか、走るのと違う疲れ方しますね」

ベルが苦笑する。

「わかる。砂より人の方が厄介だわ」

私はため息交じりに答える。砂は目の前と足元だけだが、人は全方位から襲ってくるのだから。

 

 

冗談を言い合いながら進むうちに、本堂へ辿り着いた。

献煙の煙が風に乗り、それを浴びるために煙の下流に立つ。線香の香りは、埃っぽいようで懐かしくもあり、どこか身体の奥を清めていくようでもある。

 

「そういや、お願いすることはもう決まってる?」

私が聞くと、ベルは一瞬だけ言葉に迷い、それから真剣な眼差しをこちらに向けた。

 

「えっ……まあ、笑わないでくださいよ」

「大丈夫」

 

少しの間。

ベルは言葉を選ぶように、ひとつひとつ口に出した。

 

「僕は……クラシック三冠を獲る。中央で、姉と同じ舞台に立って。それで、僕自身を証明したい」

 

私は静かに頷き、応える。

「私は、ダートのトリプルティアラを獲る。川崎から始めて、地方で証明する。それが今年の私の誓い」

 

 

 

手水を済ませ、賽銭を投げる。

硬貨が音を立てて沈み、柏手が空気を裂く。

その響きは人混みのざわめきと混ざり、心の奥に沈む願いを揺らした。

 

「叶うといいですね」

「こういうのはさ、叶えるってより、自分の足で成し遂げるもの。神様や仏様に“お願い”するんじゃなくて、“誓う”んだよ」

「ですね」

「さて……屋台、行こうか。昨日からまともなもん食べてないし」

「ええぇ……」

「たこ焼きから行くか、それともベビーカステラか。いや、フライドポテトも……」

「ほら、あそこのポテト、美味しそうですよ」

「よし、決めた。全店制覇だ! ついでに仲見世のおしるこも甘酒も!」

「はい!」

 

そして、我々の胃袋は屋台という屋台を殲滅していった。

焼きそば、チョコバナナ、イカ焼き、りんご飴――気づけば両手が屋台の戦利品で塞がり、もはや修行の様相であった。

 

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