ウマ娘 走れカワサキ一等星〜地方ウマ娘が砂舞台でティアラの女王狙います 作:トマスアレポ
冬休みが明け、最初の日。
まだ教室の空気は正月の余韻を残していて、あちこちで「おみくじは凶だった」とか「三が日で五キロ増えた」とか、くだらない会話が飛び交っていた。
私はいつもの席に腰を下ろした途端、背後からドンと机を叩かれた。
「ローズ、あんたすげえ大立ち回りしてたみたいじゃん?」
声の主はハナミチオジョウ。年始早々、元気と声量だけは景気がいい。
「何が?」としらを切る。
「とぼけんなって。あーしのところまでストーリー流れてきてたよ。アレ、マジでエグいって」
リリィがノートを閉じながらこちらを振り向く。
「あー、あれローズだったん」
その目はどこか呆れと尊敬の中間地点。
オジョウは机に肘をついてニヤニヤする。
「また世界ランク上げちゃったね」
「うるせえよ馬鹿野郎」
思わず吐き捨てる。
リリィがすかさず吹き出した。
「草」
「コワ〜笑」オジョウは両手を広げて大げさに身を引く。
周囲のクラスメイトたちが「また始まった」という顔でこちらを盗み見ている。
年明け早々の教室には、妙な熱と笑いが混じり合っていた。
そしてプレハブ内。
石油ストーブの赤い火がポコポコ音を立て、壁に貼られた古びた競走番組表がゆらゆら揺れていた。狭い部屋に沈黙が落ち、サンリンドーが腕を組む。
「お前、自分が何やったのかわかってんのか?」
「何もしてません」
「とぼけるなよ」
低い声に反して、彼の視線はやけに鋭い。バレている。全部。
「上もうるさい。今回は俺が頭下げて制裁だけは無しにしてもらったけどな。次やったら本当にレース出れなくなるからな?」
「……」
「その顔、やっぱり反省してないだろ。わかった。お前はしばらく走るな」
「えぇ?! 待ってよ!」
「制裁がないとはいえ、反省の色って奴を見せなきゃならんの! しばらく練習禁止。お前は勉強してろ」
横でリリィが口を押さえきれずに吹いた。
「草」
「何笑ってんだよ!」
机を叩く私の声がプレハブの天井に跳ね返る。
サンリンドーはため息をつき、机の上の書類をベルに押しやった。
「ベル、悪いがしばらくはお前が教えてやれ」
「はぁ……まあ、いいですけど」
ローズは椅子を蹴る勢いで立ち上がった。
「なんだよもぉー!」
ガラリとドアを開けて飛び出す音が、狭い空間を切り裂いた。
残された静けさの中で、ベルが小さく尋ねる。
「いいんですか? ああやって突き放して」
「年末までずっと使い倒しだったしな。むしろいい休息になるだろ」
サンリンドーはストーブに手をかざしながら続ける。
「幸い、番組ポイントもレーティングも足りてる。浦和桜花賞には出られる。休んで鉄砲――それでもアイツなら大丈夫だ」
ふと、サンリンドーの視線が机の端へ落ちる。
そこにはクラシック追加登録の書類と、弥生賞の出走申し込みの用紙。
「……本気で出るのか?」
ベルは少しも迷わずに頷いた。
「気持ちは、変わりません」
「そうか……わかった」
サンリンドーの声は、ストーブの火と同じように低く熱を帯びる。
「今度の練習はより大変になるぞ。大丈夫か?」
「大丈夫です。覚悟してます」
ベルの目は真っ直ぐで、冬の冷気よりも鋭かった。
結局、サンリンドーから「しばらくトレーニング禁止」との厳命を受け、
午後の時間は、致し方なく勉強に充てることになった。
よりによって古文である。
よりによって冬である。
よりによって隣にライトニングベルである。
ベルが律儀に机を並べてくれるので、逃げ出す口実すら見つからない。
「……で、これを写せばいいの?」
「はい。現代ウマ娘の教養の基礎ですから」
開いたページには、まるで別世界の呪文のような文が踊っていた。
持鹿獻於二世、曰「馬也。」二世笑曰、「丞相誤邪。謂鹿為馬。」問左右。左右或默、或言馬以阿順趙高、或言鹿。
書き下してみる。
鹿を持し、二世に献じ、曰く「馬なり」と。二世笑いて曰く、「丞相誤れりや。鹿を馬と謂う」と。左右に問う。左右、或いは黙し、或いは馬と言いて趙高に阿順し、或いは鹿と言えり。
「……なんだよこれ」
「『史記』ですよ」
「鹿連れてウマ娘として献上って、もう意味わかんねぇな」
「たとえ話です。政治的な寓意ってやつ」
ベルは笑った。
「こういうの、意外と後で役に立つんですよ」
「こんなもん、レースで活きるとは思えねぇけど」
「何が糧になるか分かりませんから。一通りやっておきましょう」
私は参考書を閉じ、ため息をつく。
「しっかし、小向の練習馬場も使えないとはなぁ」
「年末年始で馬場が荒れてましたし。サンリンドーさんも休養だと思ってるんじゃないですか?」
「……休養、ねぇ」
ペンを放り出して椅子から立ち上がった。
「賢さトレーニングとか言っても、これじゃ足が腐る」
ベルが笑いながら答える。
「脳の筋肉も鍛えないと」
「なぁ?」ローズが窓の外を指差す。
「散歩しに行かね?」
ベルは一瞬ペン先を止め、考えた。
外では冬の風が金属フェンスを揺らしていた。
「……散歩?」
「そう。脚慣らし。頭使うの疲れた」
ベルは苦笑してノートを閉じた。
「しょうがないですね。鹿を馬と言うくらいなら、足で真実を確かめに行きましょう」