ウマ娘 走れカワサキ一等星〜地方ウマ娘が砂舞台でティアラの女王狙います 作:トマスアレポ
目の前にあるのは、黄金色に輝くチュロスだった。
表面に散りばめられた粉砂糖が陽の光を浴びて、まるで砂金のようにきらめく。
その香りは甘く、スパイスのようにわずかに刺激的――シナモンがこの世の秩序を一瞬だけ書き換える。
「並んだ甲斐があったな」
ローズ――つまり私――は、まるで一仕事終えた探検家のような顔で言った。
ベルは隣で苦笑いしている。
「本当はモカソフトも食べたかったんですけどね……」
「今日は無理そうだな。また今度リベンジだ」
チュロスは戦利品だった。
人間サイズの松花堂弁当なんて、ウマ娘の胃袋には焼け石に水。
その不足を補うべく、私たちは4階の売店に並んだ。
地獄のような行列を越え、ようやくこの一本を手に入れたのだ。
今日の東京競馬場では、食べるという行為もまた“競走”である。
勝者のみにチュロスが与えられる。
エスカレーターを登って6階、さらに上の階へ行こうとした時だった。
7階へ続く手前の踊り場――そこに一人のウマ娘が座っていた。
背中を壁につけ、膝を抱えた体育座り。
制服はトレセン学園のもの。
このダービーデイの喧騒の中、スタンドの通路にウマ娘が座り込んでいるなど異様な光景だった。
周囲の観客は誰も気に留めていない。
それがむしろ異常さを際立たせていた。
ぐぅぅ、と、腹の虫の音が響いた。
どうやら彼女は飢餓寸前のようだ。
ゆっくりと顔を上げたその瞬間、ベルが息を呑んだ。
「えっ……えぇ……?」
その声には動揺と畏敬が混ざっていた。
見間違いではない。
そのウマ娘――世代最強のウマ娘、ラムダその人だった。
「な……何やってんだ……?」
私の声は、驚きよりもツッコミの色が強かった。
「……おなかすいた……」
涙目で呟くラムダ。
その顔はCMで見る女神のように整っているのに、今は完全に野良の子猫だった。
「いや……専用の食堂とか、あるでしょ? お弁当とかさ」
ベルが半ば現実逃避のように言う。
「今日はどこも行列で……満員で……」
そりゃそうだ。ダービーデイだもの。全ての店が飢えた観客で埋め尽くされている。
どうしたものかと迷ったが、手の中のチュロスが目に入った。
輝く黄金の棒――つまり救いの杖だ。
「しょうがないな……ほら」
チュロスをちぎって差し出すと、ラムダは反射的に受け取り、
次の瞬間にはそれを口に放り込んでいた。
サクッという音。
そして、満面の笑み。
「……あの! ありがとう!」
太陽が差し込むように、彼女の顔がぱっと明るくなった。
一瞬、世界が幸福で満たされる。
あの笑顔を前にして、悪人でいられる人間はいないだろう。
「う、うん……まあ……」
私は目を逸らしながら言った。
「何やってんだ?」
背後から、低い声。
振り向くと、そこにはラムダのトレーナー――ヤハギらしき男が立っていた。
まるで映画の刑事が現場に踏み込んだみたいなタイミングだ。
後ろには、取り巻きのウマ娘たち。
ラムダは「あっ」と言って立ち上がり、トレーナーの元へ小走りで向かった。
「この恩は忘れないよ!」
振り向きざま、彼女は笑って言った。
その声が階段に反響し、遠ざかっていく。
ベルが呆けたように呟く。
「……なんだったんでしょうね、今の」
私はチュロスの残りを見つめながら答えた。
「さあな。でも――あいつも、一匹のウマ娘ってことだろ」