ウマ娘 走れカワサキ一等星〜地方ウマ娘が砂舞台でティアラの女王狙います   作:トマスアレポ

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夜と薫風とスパーキングデビュー

「早速だが、もう5月のジュニア級デビュー戦、登録しといたから。お前のためにな」

 

「……はぁ?」

 

小向のチーム用プレハブ群。その一角にある「B303」とペイントされたプレハブの中で、私は固まっていた。

まだロッカーに名前も書いていない新入りに、いきなりデビュー戦を決めるトレーナーが世の中にどれほどいるだろう。サンリンドーはその数少ない貴重な標本だった。

 

 

 

夜。寮のベランダに出ると、ハナミチオジョウが柵にもたれて夜風を浴びていた。川崎の風は都会の埃と潮の匂いを同時に運んでくる。

 

「へぇ、じゃあまたリベンジマッチできるってことかい」

 

「いくらなんでも急すぎない?」と私。

 

「いや、あーしも次出るよ」

「マジか……そういやどこのチームだっけ」

「ヤノだよ。アンタは?」

「サンリンドー」

「うわ」

「“うわ”って何だよ、“うわ”って」

 

口喧嘩めいたやりとりの横から、シャドウリリィが顔を出す。

「同じサンリンドー」

「まーじか」オジョウが大げさに肩をすくめる。

 

「まあでも、チーム違うってことはデビュー戦も被るってことだよなぁ」

「心配すんな。今度はあーしが勝つ番だから!」

「その自信、どこから湧いてんの」

「いいじゃんよー」

「じゃれつくなよ、暑いからぁ」

「草」リリィはすかさず一言だけ挟む。

 

少し間を置いて、オジョウがふと思い出したように言った。

「しっかしなんでメイクデビューのこと“スパーキングデビュー”って言うんだろ」

「そりゃシュワシュワするやつだろ」

「お尻ぺんぺん?」

「それはスパンキング」

「スパーキングってのは“輝く、煌めく”って意味。今スマホで調べた」リリィが淡々と解説する。

「あっスパンコールのやつか!」

「理解が遅いなお前」

「うるせぇよ」

 

三人の声は夜気に溶けて、多摩川の対岸の東京の光に吸い込まれていった。

 

 

数日後。川崎レース場。

今度は観客がいる時間帯。パドックではざわめきと紙コップのアイスコーヒーの匂いが混ざっていた。私たちは一列に並び、一礼してから展示周回。観客の視線が痛いほど突き刺さる。

 

第5レース、ジュニア級メイクデビュー――通称「スパーキングデビュー」。

5月の空は、17時でもまだ昼の顔をしている。けれど、スタンドの影は長く伸び、ダートのコースはまるで照明に照らされた舞台のように浮かび上がっていた。舞台の砂はライトの熱でジリジリと焼けつくように見える。

 

返し馬で向正面へ。

足は練習どおり軽い。だが心臓は、練習のときより余計に跳ねていた。他のウマ娘をちらりと見ると、みんな肩に力が入りすぎている。ハナミチオジョウでさえ、あの緩い笑みの下にうっすら緊張の影を隠していた。

 

スターターが台に上がり、赤旗を振る。時間だ。

 

「負けねえからな!」オジョウが言う。

「こっちもな」私は応える。

 

そんな言葉と共に、私たちはゲートへと入った。

 


 

――第5レースは、ジュニア級スパーキングデビュー。900mの距離に6頭のウマ娘が集まりました。

 

――今1番人気ブラッシングローズが収まって体勢完了。 スタートしました。

 

――バラバラっとしたスタートの中何が出ていくか。3番デュンナが逃げました。それを見るように6番ブラッシングローズ。

 

――内に4番ミニデイジー横に1番ハナミチオジョウ。最後方追走は2番ブラボーセカンドと5番ワクワクリボン こういった体制で早くも第4コーナーへ。

 

――逃げるデュンナをもうブラッシングローズが並びかけ、並ばない!並ばない!1馬身2馬身と差が開く! 2番手はデュンナにハナミチオジョウ。

 

――しかし抜けた5番ブラッシングローズデビュー勝ちゴールイン!

 

――2着は1番ハナミチオジョウ。3番手は5番ワクワクリボンか3番デュンナが残したかどうか。

 

――第5レーススパーキングデビューは6番ブラッシングローズがデビュー勝ちです!

 


 

 

「お疲れ。どうだった? 初めてのレースは」

サンリンドーが、ポケットに片手を突っ込んだまま、わざと気楽そうに声をかけてきた。

 

「……まあまあ、かな」

勝ったはずの私は、思ったより冷静に答えていた。心臓はまだうるさく鳴っていたけど。

 

「あー負けたー! トレピ慰めてー!」

隣でハナミチオジョウが派手に両手を広げて崩れ落ちる。

「うわ、なんだアイツ……」私はつい口にする。

もう少し観客がいたら間違いなく笑いが起きているところだ。

 

「んでどうだ?」サンリンドーは笑いもせず続ける。「もう少し長い距離、行けそうか?」

「余裕だと思う」

「よし。じゃあ次は6月のジュニア級平場。今度は500m伸びて1400だ」

 

「それも勝ったら?」

「気が早いねェ」サンリンドーは肩をすくめた。「それも勝ったら……そうだな、7月の矢向特別だ。距離は1600になる」

 

「それも勝ったら? 中央のレースに出られるようになる?」

――私は思わず身を乗り出した。

 

「あー、悪いんだけどな」サンリンドーは頭をかきながら言った。「中央のレース、あと半年は出られん」

「……はぁ?」

 

「中央ってのはジュニア級の大きなレースは芝しかないんでね」*1

「なんで? 中央にもダートあるじゃん」

「あるけど格下扱いだ。中央じゃ芝が一流、ダートは二流。だが裏を返せば、ダートでなら俺たちローカルの出番がある」

 

「じゃあ私が芝のレースに出れば……」

「おいおい」サンリンドーは苦笑し、妙な例えを持ち出す。「お前がペンギンだとして、空を飛ぶ勝負で勝てるか? 無理だろ。でも海に潜って魚取る勝負なら、始まる前からグリグリ一番人気の本命だ。そういうことだ」

 

「うーん……」私は口を尖らせる。例え話に負けた気分だ。

 

「お前はティアラ路線だし、ダートなら大体の距離をこなせる。アドバンテージはデカい。得意分野を伸ばすべきだ」

「そうかもしれないけどさぁ……」

 

「それに、わざわざダートに出てくる中央のティアラ路線のウマ娘ってのは、まあ……そうだな……“アレ”だから」

「アレって何よ! アレって!」

「とにかく、お前なら絶対勝てる。俺が保証する」

 

「じゃあ、勝てなかったらその時は責任取れよ!」

「……その台詞、前にも言われたな」

 

サンリンドーは遠くを見るように呟いた。

*1
現時点ではダートのジュニア級重賞は地方交流重賞しか存在しない。

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