ウマ娘 走れカワサキ一等星〜地方ウマ娘が砂舞台でティアラの女王狙います 作:トマスアレポ
「君の活躍、見させてもらったよ」
キズナは私を見るなり、面倒くさいくらいストレートな目で言った。
その日、雨が降る前の空気に似た、妙なざわつきがオケラ街道には漂っていた。
ダービーの熱狂が終わった東京レース場の裏側で、人々はそれぞれの「現実」に戻る儀式のように焼き鳥をかじり、敗因を語り、あるいは何も語らなかった。
屋台の煙が肌にまとわりつく。夏の気配と、夜の気配が混ざって、空気はやたらと重かった。
その真ん中。
フジビューウォークの下、簡易な机に座って焼き鳥をつついていたのは――キズナ。
中央トレセン生徒会長にして先代のダービーウマ娘。その光景は、どう考えても現実感に乏しかった。
まるで、有名な童話の登場人物が、いきなり最寄りのファミレスにいたような場違い感がある。だが、それでも本人は平然としていた。
「単刀直入に言う。中央で走らないか?」
あらかじめ用意されたセリフみたいに滑らかだった。
私は、意地になったみたいに聞き返す。
「何故、私が?」
キズナは笑わない。ただ当然の答えを述べるように、当たり前の顔で言った。
「強いからさ。君は。私は強いウマ娘が大好きなんだ。それが地方のウマ娘であってもね」
横でベルが小さく息を呑んだ。
「すごいじゃないですか!生徒会長の直々のオファーなんて…!」
でも私は、言った。
「中央に行く気はありません」
空気が、すこし軋んだ気がした。
キズナは、むしろ楽しそうな声で、次々と矢を放ってくる。
「果たしてそうかな?君たちのところには坂路もないだろう。プールは夏しか使えない。調教コースはダートだけ。足への負担を考えたら、環境としてはあまりに不利だよ」
言葉そのものより、その口調に苛立った。
「だが中央であれば、より快適な環境で過ごせる。コースはポリトラックだし坂路は毎日使える。冬だってポカポカな温水プールだ。ジムの機材は比べようがない。君ほどのウマ娘が、そんな地方の劣悪な環境で過ごすべきじゃあないんだ」
まるで「改善すべき欠点を示してあげている」と言わんばかりの優しい上から目線。
それは、地方を見たこともない人間が思い描いた「地方のイメージ」だ。
さらに彼女は、焼き鳥の最後の一本を手に取りながら、悪びれない声で言う。
「それに、中央ならご飯は美味しいし、量だっていくらでも食べられる」
その瞬間、一番腹が立ったのは、自分でも驚いたけれど――なぜかその「飯」のくだりだった。
理由はわからない。ただ、そこではない気がした。
でも、そこなのかもしれない。
「今のトレセンで満足してますよ」
そう言うと、キズナは興味深そうな声だけ返した。
「ふーん…?」
私はサンリンドーに視線を向けた。
彼なら――と思っていたのに、返ってきたのは意外な言葉だった。
「もう少し話を聞いてやれ」
ベルも戸惑っている。
味方はいないのか。
キズナは続ける。
「もしかして寮が嫌なのか?だったら家から通えばいい。調べたが君のご実家はトレセンから近い。毎朝通学でもいい。そういうウマ娘も多い」
どうやら、彼女の《調べた》には、かなり含蓄があるらしい。
嫌な予感しかしなかった。
案の定――
「そもそも君は、中央に願書を出していたじゃないか。だが受験はしなかった。何故だろうね?」
雷が鳴ったわけでもないのに、頭の中で稲妻が弾けた気がした。
毛が逆立つ、という表現があるが、本当にああなるのかもしれない。
「アレは親が勝手にやったことです」
とっさに言葉が出たのは、自分でも驚きだった。
だが、キズナは迷わず言う。
「親御さんの好意を無碍にしない方がいい」
――その言葉が、何より堪えた。
何も知らないくせに。
走りもしないくせに。
砂埃を吸ったこともないくせに。
「何も知らないくせに、勝手に私を批評するな!」
気づいたら、もう胸ぐらを掴んでいた。
視界が妙に暗く、熱かった。
「えっ? えぇ…」
「ローズやめろ!」
ベルの驚いた声、サンリンドーの制止。
「謝るんだ。キズナさんに」 サンリンドーがいつになく真剣な声色になる。
私の手首を掴むサンリンドーの力はけっこう強くて、私は袖を引き戻された。
そして、「謝れ」と、低く言われた。
私は、頭を押し下げられるようにして言った。
「……どうもすいませんでした」
サンリンドーも頭を下げていた。
「申し訳ありません。このような気性難で…」
キズナは、予想外に柔らかい声で言った。
「いやいいんだ。私も言葉遣いが悪かったよ。すまないすまない」
「中央には行かず、地方で頑張りたい気持ち、よくわかった。理解した。OK」
その謝り方がまた腹立つほど冷静で、私は限界だった。
「帰る」
そう言って、裏通路に向かって歩き出した。
振り返る気にはなれなかった。もし振り返ったら、何かを投げつけてしまいそうだった。
背後で、サンリンドーの声が聞こえた。
「ちょっまてよ、おい、ローズ!」
ベルが何か言っていた気もする。
でも、風の音みたいに聞こえただけだ。
キズナは、追ってこなかった。
けれど、背後の空気は妙に重たかった。