ウマ娘 走れカワサキ一等星〜地方ウマ娘が砂舞台でティアラの女王狙います   作:トマスアレポ

38 / 56
今夜こそ彼女を落として見せる

ライトニングベルは所在なげに空気を揺らす湯気と、キズナの残した言葉の余韻を見送っていた。

「あの…何かすみません…」

 

ベルは、謝る相手が誰なのかさえ曖昧なまま、そう言った。

自分が謝る理由は本当はひとつもないのに、そう言ってしまうのは、たぶん彼女の性分である。

 

キズナは、串を置き、困ったような、しかし楽しんでいるような笑みを浮かべる。

「随分とじゃじゃウマ娘さんのようだね」

 

ベルはすぐに首を振った。

「普段はあんなじゃないんです。本当は優しくて、落ち着いてて、足音だって静かで、しかも――」

 

キズナは軽く手を振って遮る。

「わかってるさ。私もああいう気迫のある目を見るのは嫌いじゃない。むしろ好きなくらいだ」

 

そう言いながら、キズナはまるで何か確信を抱いている者の声音で続けた。

「でも私は諦めないぞ。――今夜こそ彼女を落として見せるとね」

 

焼き鳥屋台の赤提灯が、ぽつり、と風に揺れた。

それを合図にするかのように、キズナのスマホが甲高く震える。

 

「はい私だ。あっアパパネ君?!いや、今ちょっと大事な話を……え?そんなぁ……いやほんとごめん!だから許してよ……」

 

名刺代わりに飛び出してくる名だたるGIウマ娘の名前。圧倒されつつ、なぜか妙に親近感も抱く。

生徒会長にも振り回される相手がいるのかと、変な安心感がじわり湧いた。

 

通話を終えると、キズナは名残惜しそうに屋台の串焼きの煙を見送りながら、立ち上がる。

「すまない!ちょっと呼ばれてしまった! ここ、頼むよ!」

 

思わず尋ねる。

「えっ……あの御勘定は……?」

 


 

 

多摩川の土手に、雨あがりの空気がまだ沈殿していた。

遠くでカラスが、競馬新聞でも広げているような声で鳴く。是政橋の鉄骨が、夕暮れの光を跳ね返して鈍く光り、川面は黙ってそれを写していた――まるで、何か大事な秘密を預かっているかのように、黙ったまま。

 

私はスニーカーの先で土手の草をひっかいた。濡れた草は思ったより柔らかくて、まるで声を吸い込むみたいだった。

 

「トレーナーは、私の親のこと知ってたの?」

 

追いついてきたサンリンドーは、少しだけ歩みを緩めた。

夕陽は彼の背中を馬鹿みたいに長く伸ばし、私の足元まで届く。まるで、私たちを一本の糸で結ぼうとするみたいに。

 

「ああ。知ってはいたが、走ることには直接関係ないんでね。あえて触れないでおいた」

 

その言い方が妙に静かで、風景に溶けそうだった。

私はなんとなく空を見上げた。さっきまで青だった空が、ゆっくりと夜の色に変わりつつある。

川の水も、今日はいつもより機嫌がよさそうだった。何故かわからないが、そう感じた。

 

「そう…」

 

胸の奥で何かがきしむ音がした。錆びた扉みたいな音。

だけど、それ以上は何も言えなかった。言葉にしてしまうと、全部ほどけてしまいそうで。

 

サンリンドーは、私の沈黙を追い抜くように歩きながら言った。

 

「中央に行って、そっちでやっていけるウマ娘は希少だ。お前にとってもいいチャンスだと思ってはいたが……まだ川崎でいいんだな」

 

私は、風を吸い込むように、深く息をついた。

 

「当たり前だよ」

 

その言葉は、川の流れよりずっと速く胸を流れていった。

言ってしまうと、案外簡単な言葉だった。

 

サンリンドーは口元を緩めて、靴の泥を払いながら言った。

 

「そうか。なら、早く帰って練習の続きだな!ダービー見て刺激も受けただろうし」

 

刺激――という言葉に、ダービーライブの光景が一瞬だけ頭をよぎった。

あの喧騒、あの静寂、あの心臓の鼓動みたいな歓声。

私の胸のどこかに、まだあの鼓動の余韻が残っている。消えずに、音を立てている。

 

思わず、口から言葉が漏れた。

 

「あんたがトレーナーで……本当に……」

 

サンリンドーは振り返る。

夕陽を背中に乗せたその顔は、なんだか反則的に眩しくて、私は目を逸らした。

 

「何だ?」

 

「……何でもない!」

 

そう言って、私はスニーカーで地面を強めに蹴った。湿った土が少しだけ跳ねた。

 

サンリンドーは鼻で笑い、急に思い出したように顔を上げて言った。

 

「――あっそうだ!ベルがまだあっちだ!戻るぞ!」

 

走り出した背中を、風が押す。

私はその背中を追いかけながら思った。

――中央に行く・行かないなんて話より、今は、この背中を追いかけることの方がずっと大事なのかもしれない、と。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。