ウマ娘 走れカワサキ一等星〜地方ウマ娘が砂舞台でティアラの女王狙います 作:トマスアレポ
――川崎競馬第11レースはJpnII関東オークス。ダートティアラ路線の最終決戦。今年は地元川崎のブラッシングローズが三冠達成に挑みます。
立ちはだかる中央勢は3頭。今、メイショウミラーズが枠入り躊躇していますが…
ゲートの中は、ひどく静かだ。
さっきまで聞こえていたざわめきが、まるで嘘みたいに遠い。
――関東オークス。
ダートティアラ路線の最終章。
三冠という言葉が、やけに軽く、同時にやけに重い。
地元川崎。
逃げ場はないし、言い訳も用意されていない。
――最後、フラハラウが入ってゲートイン完了、スタートしました。
各馬揃ったいいスタート、まず何が出ていくか、3番ドミツァーナがハナを主張します。2番手内に切れ込んで12番メイショウミラーズ。その後ろ大井の4番カスミノヒメに1番アスクバラードモア、5番船橋のアマルテイア。
ゲートが開く音は、いつも世界が割れる音に似ている。
一斉に前へ放り出され、砂を蹴る。
悪くない。
脚は軽いし、呼吸も乱れていない。
ドミツァーナがハナを主張するのが視界の端に入る。
なるほど、今日はあの子が行く気か。
私は無理に前へ行かず、流れに身を預ける。
――1周目の3コーナーカーブをカーブしていきます。
1馬身差が開いて7番フラメンカリーナと8番アスタルテリーネ、その後ろに11番ブラッシングローズ、これを見るような形で1番人気2番のホウオウエンプレス、更に差が開いて10番マリタイムシッパー。
こういった体形でスタンド前流していく各馬です。
一周目のコーナー。
ペースは悪くない。
むしろ、少しだけ緩い。
「……いいね」
自分でも驚くほど、冷静だった。
この位置、この呼吸。
砂が、ちゃんと味方している。
先頭から最高方まで馬群縦に広がって第1コーナーのカーブです。
以前先頭は3番ドミツァーナリードはクビくらい。2番手はメイショウミラーズ内に1番のアスクバラードモア、そして外に4番カスミノヒメと5番アマルテイア、今内から7番フラメンカリーナが上がっていきまして、更にはこれを見るように11番ブラッシングローズと2番のホウオウエンプレス位置をすーっと上げて向正面です。
――400mを切りました。3コーナーカーブで外から2番ホウオウエンプレス前に出ていきます。更には4番カスミノヒメと11番ブラッシングローズ並んでいきます。
前は以前ドミツァーナですがリードが無くなって馬群ぎゅっと固まります。
向正面に入ったあたりで、私は気配を感じた。
隣から、すっと圧が増す。
――ホウオウエンプレスだ。
やっぱり来る。
来ないはずがない。
エンプレスが外から進出し、私もそれに合わせてギアを一段上げる。
無理はしない。
でも、譲らない。
3コーナー。
前にいたドミツァーナのリードが、音を立てて溶けていく。
――4コーナーから直線!
先頭はメイショウミラーズ!メイショウミラーズ!
外から一気にグングンとホウホウエンプレスが抜け出して先頭に変わった!
2番手は外から11番のブラッシングローズ!
ブラッシングローズもグングン伸びて差を詰める!
追い込んできます!ブラッシングローズ!三冠に向けて!
四コーナーに差し掛かった瞬間、景色が変わった。
視界が一気に開ける。
先頭はメイショウミラーズ。
その外から、ホウオウエンプレスが一気に抜け出す。
――速い。
さすが中央。
一瞬、置いていかれた気がした。
でも、脚はまだ残っている。
肺も、叫んでいない。
私は、砂を深く蹴った。
前にはホウオウエンプレスただ一頭!
3番手はメイショウミラーズとカスミノヒメ、アスクバラードモア3頭の争い!
先頭ブラッシングローズか!ホウオウエンプレスか!
視界の先で、エンプレスの背中が近づく。
あのドリルヘアーが、やけに大きく見える。
三冠。
その言葉が、頭をよぎる。
――違う。
勝ちたい。
ただ、それだけだ。
残り二百。
百五十。
私は、ほんの一瞬だけ、横を見る。
「お先」
声に出たかどうかは覚えていない。
でも、確かにそう思った。
エンプレスの目が、驚きに見開かれる。
「——なにっ」
――今だ。
最後の一完歩。
全身を前に投げ出す。
ゴール板が、迫る。
時間が、少しだけ伸びる。
並んだ。
いや――
身体がゴールを通過した瞬間、何も聞こえなくなった。
音が、消えた。
前の2頭並んでゴールイン!
――内2番ホウホウエンプレス、外11番ブラッシングローズ、今ストップモーションの映像が流れます。
2頭首の上げ下げ、並んだところがゴールですが…
僅かに外ブラッシングローズが捉えているように見えます!
着順掲示板今1着11番ブラッシングローズと表示されました!
――この地元、川崎で!ブラッシングローズがダートティアラ三冠を達成!砂の舞台で、ティアラの女王の座を射止めました!
第1コーナーを過ぎたあたりで、ホウオウエンプレスは肩で息をしていた。
あの完璧主義者が、こんなふうに呼吸を乱すところを見るのは初めてだった気がする。砂の上に残った足跡が、さっきまでの激闘を黙って証言している。
私は近づいて、軽く肩を叩いた。
「アンタの走り、悪くなかったよ。でも――」
そこで言葉を切ったのは、続きがいらないと分かっていたからだ。
ウマ娘の耳は正直だ。遠くのスタンドから流れてくる実況、割れんばかりの歓声、掲示板の数字。そのすべてが、もう答えを告げている。エンプレスも当然、聞き逃すはずがない。
彼女はふいに距離を詰めてきた。
至近距離で見る目は、さっきまでの余裕や気位をすべて削ぎ落とした、むき出しの闘争心そのものだった。
「次は倒す。……必ず」
宣言というより、誓約だった。
冗談も、芝居も混じらない。これ以上ないほどの本気。
「おう……」
思わず、素っ気ない返事になる。
胸の奥が、少しだけ熱くなった。
「今回はわたくしが……敗者ですが」
ほんの一拍、言葉が詰まる。
けれど彼女はすぐに背筋を伸ばし、あの完璧なお嬢様の仮面を被り直した。
「あなたの勝利を、祝福いたしますわ」
「ああ、ありがとうな」
「では、ごきげんよう」
踵を返し、ホウオウエンプレスは去っていった。
背中は、悔しさよりも次を見据えているように見えた。
ああいう相手がいるから、走るのをやめられないのだ。
「なにしてるの?」
声をかけてきたのはカスミノヒメだった。
彼女はいつものように毅然としているが、目の奥が少し潤んでいる。
「早くウイニングランしなさい。地方ウマ娘として……」
「わかってる」
そう答えると、彼女は一瞬視線を逸らし、言葉を探すように唇を噛んだ。
「今日ここまで――あなたに負けたくないと思っていました。でも……実力は認めます。地方の代表として、ヒメの……」
そこまで言って、声が震えた。
涙が、こぼれそうになる。
「おいおい、泣くなって」
慌てて言うと、彼女はぐっと歯を食いしばる。
「……早く行ってください!」
背中を、思い切り押された。
不器用で、真っ直ぐな力だった。
私はその勢いのまま、スタンド前へ歩き出す。
歓声が、また大きくなる。
スタンド前の馬場へ近づくにつれて、カクテルライトの色が濃くなっていく。
光は均等じゃない。やたらと派手で、少し悪趣味で、でもどうしようもなく心を昂らせる。まるで世界が「ほら、主役はここだぞ」と肩を叩いてくるみたいだった。気づけば、私ひとりが巨大なステージの中央に立たされている気分になる。
「ありがとうー!」
「すげー!」
「おめでとう!」
「がんばったねぇ!」
声が四方八方から飛んでくる。
知らない顔ばかりなのに、みんな私のことを知っているみたいだ。褒めて、叫んで、祝福してくれる。耳が熱い。胸の奥がじわじわと痺れる。
――ああ、そうか。
これが、勝つってことか。
中央に勝つって、こういうことなんだ。
私は手を振る。すると観衆が、それを合図にしたみたいに声を張り上げる。反射的に、もっと応えたくなる。
そうだ。三本の指だ。
あの夜、イグニッションが掲げていた、あの仕草。
右手で、三本の指を立てて、高く掲げる。
一瞬の静寂のあと、スタンドが爆発した。
歓声はやがて、波みたいに形を変えていく。
「ローズ!
ローズ!
ローズ!
ローズ!
ローズ!」
名前が、名前として成立していく音だった。
すげぇ……。思わず笑いそうになる。
コース脇に目をやると、サンリンドーが腕を組んで待ち構えていた。
「よくやったな」
「当然だよ」
「ハナ差で負けるかと思ってたわ」
「おい、弱気やめろ」
そう言うと、サンリンドーはいつものように肩をすくめて笑った。
「さあ帰ろう。みんな待ってるからな」
手を引かれて、検量室前へ引き上げる。
その瞬間、横から衝撃がきた。
「おめでとうー!」
オジョウだった。抱きついたまま、ぐるぐると振り回してくる。
「ちょ、やめろ、目回る!」
「イェエェーエェイ!」
リリィまで飛び込んできて、二人で騒ぎ立てる。
「ありがとう!」
そう叫ぶと、喉が少し痛んだ。
その向こうで、ベルが立っていた。少し離れたところから、こちらを見ている。
「ベル、私やったよ!」
声をかけると、ベルは何度も頷きながら、言葉を探しているみたいだった。
「はい……はい、本当に……すごくってェ……」
声が震え、目が潤む。
私はベルを引き寄せ、抱きしめて、その手をぎゅっと握った。
「泣くなよ」
「すごいですよ……中央に……僕は……」
言葉の先が、涙に溶ける。
「私ができたんだ。ベルにだって――」
続きを言う前に、フラッシュが焚かれた。
カクテルライト、カメラの光、人の視線、そして歓声。
そのすべてが、一斉に私に降り注ぐ。
この瞬間を、きっと私は一生忘れない。
もしかしたら――いや、たぶん。
これは私の人生が、ほんの少し、いや思いきり、方向を変えた瞬間だった。