ウマ娘 走れカワサキ一等星〜地方ウマ娘が砂舞台でティアラの女王狙います 作:トマスアレポ
――馬群ずらっと広がって4コーナーから直線!
――逃げる10番リボンバラードに7番ブラッシングローズが持ったまま交わす交わす!
――2番手3番ボヌールソナタようやく追いこんでくるが7番ブラッシングローズが堂々先頭ゴールイン! これでデビュー3連勝です!
8月の川崎は、アスファルトの上で目玉焼きが焼けそうなほど暑い。
そんな中で、私はデビューから無傷の三連勝を決めていた。
ハナミチオジョウはすでに未勝利を脱し、シャドウリリィもスパーキングデビューを難なく勝利。三人三様に波に乗っていた。
そんなある夜のことだった。
寮の食堂の片隅。揚げたての唐揚げを頬張りながら、オジョウがにやりと口を開く。
「首なしウマ娘が出るらしいぞ。最近、多摩川の土手を走ってるって噂だ」
「首なし?」と私は眉をひそめる。
リリィは腕を組み、静かに口を開いた。「デュラハン……」
「めっちゃ速いらしいぜ」オジョウは得意げに言う。
三人の間に、不意にぞわりとした沈黙が流れた。だがオジョウの瞳はすでに少年漫画の主人公みたいに輝いていた。
「なあ、捕まえに行かね?」
夜の寮を抜け出した。
土手は街灯でぼんやりと照らされているが、川面は深い闇を湛え、タワーマンションの光だけが幽霊のように揺れていた。
そして――風がすれ違った。
街灯の下を、異様な速さで駆け抜けるフードのシルエット。
横の多摩沿線道路を走る車のヘッドライトよりも、その影は速かった。*1
「アイツだ!」
三人は一斉に駆け出す。けれど、どうにも速すぎる。
「なんだよアイツ速すぎ!」オジョウが叫び、
「むーりぃー」とリリィが即座に脱落宣言する。
腰をぐっと沈め、低い姿勢で飛ぶように走るその影。
なるほど、確かにこの姿勢なら"首なし"に見える。
駆歩のはずなのに、私の襲歩より速い。中央の精鋭か? 街の光が流れるたび、夜空の星座を逆さまにしたみたいに視界が滲んだ。
やがてその影が、ふっと速度を落とした。思わず私が追い越しかける。――顔を確かめようとした瞬間、彼女は進路を変えて土手を降りた。
信号の赤に捕まった私は、ただ遠ざかる背中を見送るしかない。
向河原の街灯を抜け、その先には武蔵小杉のタワーマンションが林立している。
ようやく追いついたオジョウとリリィが息を切らして現れた。
「あいつ、どうなった?」とオジョウ。
「この辺で見失った。でも降りた先が向河原だから……住んでるのはあの辺のタワマンかも」
オジョウは両拳を握りしめ、空に叫んだ。
「おい幽霊のくせにタワマン住みかよ! お高く止まりやがって!」
私は腕時計を見て、青ざめる。
「オジョウ、やばい! 門限!」
その夜は結局、門限破り寸前のスリルを味わいながら、三人そろって寮へと駆け戻る羽目になった。
数日後。
サンリンドーに「自主トレ」という名の方便で外出を許してもらい、私たちは反射材を身体に巻きつけた。まるで夜行性の動物園の展示物だ。懐中電灯の光が川面に揺れ、まるで幽霊を招く儀式のように夜の川を照らす。
「今日こそ捕まえる!」
オジョウは拳を握り、完全に少年漫画のノリで息巻いていた。
フードのウマ娘は、前回と同じ時間にぬるりと姿を現した。
だが、今回はこちらも手の内を読んでいる。
小向を風のように駆け抜けるそのシルエットに合わせ、オジョウがLANEにスタンプを連打して「追跡開始」を宣言。武蔵小杉で待機するリリィと、丸子橋近くで待機する私が迎撃する――そんな三段構えの作戦だった。
しかし現実は容赦ない。
彼女はやはり速い。しかも追跡を察知したのか、逆にスパートをかけてくる。仕方なく私は丸子橋へ向かう途中で触接を引き継いだ。
今度は気づかれないように、前方を走りながら偵察する。これがプランBだった。
「アイツやばい」
オジョウの短文がLANEに届く。文面からして焦りが滲んでいた。
やがて、あのウマ娘が近づいてくるのを背中で感じる。
耳を震わせる足音、尻尾が感じ取る空気の流れ――追走しているのがはっきりわかる。
ウマ娘という種族は、不思議なことに「並んで走りたがる」生き物だ。特に、自分の速さに匹敵する存在がいないほどのウマ娘ほど、その衝動は強い。
だがその夜、彼女は武蔵小杉のタワマンの前では降りなかった。一定のリズムで走り抜け、振り返る間もなく、今度は丸子橋を渡って川崎の外へ。
遅れてオジョウとリリィが到着したが、二人ともほとんどバテていた。
「急がないと田園調布まで行っちゃうよ」私が言うと、
リリィが涼しい顔で突っ込む。「こんな時間に校区外出ちゃって大丈夫なのォ?」
「構うもんか! 行け行け!」オジョウは完全に狩人の顔をしていた。
三人で丸子橋を渡る。
謎のウマ娘は橋を抜けるとすぐに左折し、森へ続く階段を駆け上がった。
多摩川浅間神社――。
境内に足を踏み入れると、昼間の喧噪が嘘のように静まり返っていた。虫の声が遠くで鳴き、木々の間から見える対岸の街灯が、星屑のように瞬いている。
境内の中央、影のウマ娘が彼女たちを待っていた。
「……なんですか、あなたたち」
「く、首が……ある?!」オジョウが素っ頓狂な声を上げる。
「はぁ?」フードの影は眉をひそめる。
私は慌てて言い訳する。「いや、その……めちゃくちゃ速いから、つい追いかけちゃって」
「それよりお前どこ中だ! 川崎のシマであんな走りしやがって!」オジョウが肩を怒らせた。
フードの影は淡々と答えた。
「先月までは門別所属。来月からは川崎です」
「川崎? ってことは転入生?」
「そうですよ」
拍子抜けしたオジョウは、すぐさま口調を和らげる。
「なんだ中央じゃなかったのか。ごめんな驚かせて。あーし、ハナミチオジョウ。川崎所属だからよろしくな!」
「私はブラッシングローズ。で、君は?」
フードを下ろす。街灯に照らされたその顔は、美少年のように整っていた。短い黒鹿毛の髪、引き締まった輪郭。そして耳は確かにウマ娘のもの。
「――ライトニングベル」
その名が口にされた瞬間、三人は互いに顔を見合わせた。
まるで都市伝説が現実になったような、不思議な緊張が走った気がした。
9月。残暑はまだ川崎の街を蒸し焼きにしていたが、トレセン学園の教室にはそれ以上の熱気がこもっていた。
「という訳で、2学期からこのクラスで一緒になるライトニングベル君だ」
教壇に立つ担任が紹介すると同時に、教室の空気がぱっと明るくなる。
――理由は単純だった。転入生の顔が、あまりにもアニメや漫画の世界から出てきたような"顔整い"だったから。
「門別の初等部出身で、あっちじゃ5戦5勝だったらしい」
担任の言葉に、ざわざわとどよめきが広がる。
その足取りは落ち着いていて、流し目をした瞬間、前の席の数人が息を呑む音すら聞こえた。
ライトニングベルは、ブラッシングローズの後ろの席に腰掛けた。
振り返ったオジョウとリリィの視線を軽くかわし、窓の外に目を向ける。その横顔が逆光で淡く光り、たったそれだけで教室全体の空気を支配してしまう。
――恐ろしい奴が来た、とは思った。
放課後、練習タイム。
「門別って北海道だろ? なんで川崎なんだ?」
オジョウが疑問を口にする。
「実家が武蔵小杉なんだって。さっき本人に聞いた」
「お高く止まりやがって……でも、きっと足は速いんだろうなぁ」
「門別のジュニア級って、南関と遜色ないレベルだし。正直、私より強いかも」
「もういろんなトレーナーが唾つけてるって話、聞いたぞ」
オジョウは声をひそめる。
「ヤノんとこは怪しい。モリとか、ミカモトササガワあたりのリーディングに呼ばれるんじゃね?」
そんなことを話しながら、二人はB303プレハブへ足を運んでいた。
「お前なんでこっちまで来るんだ?」
「ヤノは今日大井だしさ。だからあーしは自主練」
「だからってわざわざ…」
「いいじゃん! ヤノっち居ない時はサンリンドーに見てもらっていいって言ってるし~」
じゃれ合いながらドアを開けると、中にはサンリンドーがいた。
机の上に書類を広げ、その隣で淡々と何かを書き込む、ライトニングベルの姿がある。
「よぉ? どうしたそんな顔して」
サンリンドーが顔を上げ、にやりと笑った。