ウマ娘 走れカワサキ一等星〜地方ウマ娘が砂舞台でティアラの女王狙います 作:トマスアレポ
「そろそろ見える頃じゃない?」
私が言うと、ベルはスマホの地図を拡大したり縮小したりしながら、いかにも理性的な顔で答えた。
「地図だと、今ちょうど富士川ですね」
「雲あるからなあ……あっ、見えた! ほら!」
「え、どっちですか?」
「だから、あのへん!」
二人して新幹線の窓に張り付く。
通路を挟んだ乗客には、きっと「遠足気分が抜けていない地方ウマ娘」と映っているだろうが、今さらそんな評価はどうでもいい。見えそうで見えない富士山という存在は、人の理性を簡単に無効化する。
結局、はっきりした輪郭は掴めないまま、新幹線は速度を落とす気配もなく進む。
JBC――シニア級とクラシック級、地方も中央も関係なく集まるローカルシリーズの頂上決戦が、なぜか今年は阪神レース場で行われる。
地方の祭りを、中央のど真ん中でやるという、少し皮肉めいた舞台設定だ。
私はライトニングベルの出走に同行する形で、この新幹線に揺られている。
ベルは窓と地図を交互に見比べ、私は雲と現実を交互に見比べている。
その横で、サンリンドーは新聞を広げ、赤鉛筆で何かに印を付けていた。
JBCに出走するウマ娘たちの名前が、紙面にずらりと並ぶ。中央の強豪、地方の看板、そして――ベル。
「すごいメンツだな」
私が言うと、サンリンドーは顔を上げずに答えた。
「祭りだからな。こういう時は、強いだけじゃ足りない」
何が必要なのかは、あえて言わない。
分かっているからだ。
そのとき、新幹線が再びトンネルに入った。
窓に映るのは、外の景色ではなく、私とベルの顔だけ。
「……消えちゃいましたね」
ベルが少し残念そうに言う。
「富士山なんて、そんなもんだよ」
盛り上がりもひと段落して、話題は自然とJBCに流れ着いた。
新幹線の揺れは相変わらず規則正しく、車内の空気は遠足の終盤みたいに落ち着いている。
「ベルが走ってくれて、よかったよ。うん」
私がそう言うと、ベルは少し照れたように笑った。
「まあ……川崎だけで走ってるのも、もったいないですから。せっかく中央のダートで走れる機会ですし」
「中央かぁ……」
口に出すと、言葉が少し重い。
中央のダートウマ娘たちは、だいたい強い。例外なく。
スマホを取り出して、netkeibaを開く。
出走表を指でなぞっていくと、最近スマホを手に入れたばかりのベルも、すっかり同じ動きをしていた。人は文明に慣れるのが早い。
「一番人気は……コグニトですね」
ベルの声が、少しだけ真剣になる。
「ヤハギトレーナーのところで、ラムダのチームメイトみたいです。前走のエルムステークスも、かなりいい勝ち方でしたし……強敵だと思います」
「中山行ったとき、プロキオンステークス勝ってた仔だよね」
「そうです。二番人気がジャスティンガルチ、三番人気がダノンガロン。それに、大逃げで勝ったテリオスキッドもいますし……中央ダートの上位層、結構集まってます」
私はスマホを閉じて言った。
「まあ、最強クラスのラムダは出ないけどね」
ベルが少し顔を上げる。
「だから、ベルにも勝ち目はある。イグニッションなんかには、さすがに負けないよ」
「……だといいですけど」
その言葉が出たのは、つい昨日の話を知っているからだろう。
ラムダはJBCに先立つアメリカのBCクラシックで2着。
しかも、1着も3着もケンタッキーダービー組――エスワティニとコンスティテューション。
文句のつけようがない成績だ。
正直、JBCに出ていれば、あっさり勝っていた可能性すらある。
新聞を畳みながら、サンリンドーが言った。
「何にせよ、阪神で走るのはいい経験になる。胸を借りるつもりで、気兼ねなく走ればいい」
「しかしさ、JBCってローカルシリーズなのに、会場も準備も全部中央持ちなんだね」
私が言うと、サンリンドーは苦笑して、手のひらを下に向け、指で小さな輪を作った。
「まあな。交流って建前はあるが……結局、これだ」
「予算か」
「予算だ」
ベルが少し考え込む。
「そういえば、前は中山の芝でしたけど……中央のダートって、初めてなんですよね。違い、ありますか?」
「互換性はあると思う。今回は阪神で芝スタートだし、その辺もスクーリングのときに確認しよう」
「はい!」
ベルの返事は、さっきより少し明るかった。
新幹線は相変わらず、前だけを見て走っている。
それにしても、阪神レース場のパドックはやけにデカい。
というか、デカすぎる。感覚的にはパドックというより、サッカースタジアムのアリーナだ。ここでウォームアップするだけで肺活量が二割増しになりそうな気がする。
準備に走り回る中央トレセン学園の生徒たちの手際も、正直言って別次元だった。
自分たちが川崎でやっていた時と比べるのも失礼なくらい、動きに無駄がない。今回は地方の地元ということで園田トレセンの生徒も駆り出されているはずだが、主導権は完全に中央側だ。
ベルはJBCクラシックに向けた準備体操の真っ最中。所在もなく私は敵情視察を兼ねて、JBCレディスクラシックのパドックに立っていた。
自分が出ないレースのパドックほど、気楽で、そして悔しい場所はない。
視線を巡らせていると、見知った顔がひとつ。
「おっ、芝に行ったんじゃなかったのか?」
声をかけると、そのドリルヘアーのウマ娘はわざとらしく眉をひそめた。
「まあ、失礼」
ホウオウエンプレスだった。
今日はJpnⅠということもあって、関東オークスの時の体操服にブルマ姿ではない。黒地に赤いラインの入った、やたらとゴシックな勝負服。似合いすぎて腹が立つ。
「そういう貴方は、今日は出ないので?」
「トレーナーが出させてくれなくてね」
「まあ残念。あなたの顔には、わたくしの跳ね上げる砂が最高のお化粧になるというのに」
「なんだとコラ」
次の瞬間、首根っこを掴まれた。
「やめんかコラ」
サンリンドーだった。
ホウオウエンプレスは、その光景を見て「ホホホ」と満足そうに笑っている。
「くっそー……やっぱ出ればよかった」
「そうは言うがな」
サンリンドーは、私の視線を強引に別方向へ向けた。
「やっぱり、あのウマ娘を見るとな」
指差した先には、ひときわ人だかりの中心にいる一人。
一番人気。オーロラ。
ラムダを思わせるサイバーパンク調の勝負服。間違いなく、チームヤハギの一員だ。
「あんなのが一番人気かよ。あいつも芝から来た口だろ?」
「スピードが段違いだ。間違いなく勝つ」
「チームヤハギばっかじゃん。トレーナー本人いないのに」
オーロラはサブトレーナーらしき女性と落ち着いた様子で会話している。
ヤハギ本人は、ラムダと一緒にアメリカ。ここにはいない。
「中央なら、よくある話だ」
そのとき、ホウオウエンプレスが片手を上げた。
「あっ、トレーナー!」
彼女が呼び止めた人物に、私は一瞬だけ興味を持った。
あの性格を許容するトレーナーとは、一体どんな人物なのか。
同時に、サンリンドーも誰かを呼び止めていた。
「ああ、イワタさん。お久しぶりです」
「おーう」
現れたのは、金髪に染めた中年のおっさん。
ホウオウエンプレスのお嬢様然とした雰囲気とは、どう考えても釣り合わない。
「どうです、調子は」
「俺もねぇ、そのどっちやったっけね……※□◇#△●せ……」
「なるほどー」
サンリンドーは自然に相槌を打つ。
私は横で聞き耳を立てるが、イワタの日本語はどうにも怪しい。
なぜサンリンドーが理解できているのか、それもまた謎だ。
そのとき、張りのある声がパドックに響いた。
「とまーれー!」
誘導ウマ娘の停止命令。
パドックに集まるウマ娘たちが、一斉に耳を立てる。
オーロラも、ホウオウエンプレスも、それぞれトレーナーと共に地下通路へと消えていく。
私も、思わず一歩踏み出しかけて、やめた。
今回は不承ながら、高みの見物だ。