ウマ娘 走れカワサキ一等星〜地方ウマ娘が砂舞台でティアラの女王狙います 作:トマスアレポ
――さあ4コーナーから直線向きました!
先頭4番ブラッシングローズ!
ブラッシングローズが単独の先頭に代わってぐんぐんぐんぐんリードを開いていく!4馬身5馬身と差を広げる!2番手3番手争いは混戦ですが!
これは強い!
ブラッシングローズ堂々とゴールイン!
破竹の勢い止まりません!これで重賞5連勝!
止まる気もなかった。
竹どころか、森ごと薙ぎ倒す勢いだったと思う。
阪神のJBCから数日後。
私は川崎レース場でロジータ記念を快勝していた。
年間グランドスラムまで、あと一勝。
数字にするとそれだけなのに、不思議と現実味が薄い。
三歳限定戦とはいえ、南関ではもはや敵がいない――そんな言葉が、冗談ではなく事実として成立し始めている空気を、私ははっきり感じていた。
スタンドから飛んでくる歓声も、
こちらを見つめる眼差しも、
春の頃とはまるで違う。
あの頃は「面白い馬」だった。
今は「勝つ馬」だ。
検量室に引き上げると、見知った顔が、揃って賞賛という名の弾幕を張ってきた。
「お疲れさん。脚に何か違和感はないか?」
サンリンドーは仕事人の顔で聞いてくる。
「大丈夫」
即答だ。
今の私は、壊れる気がしなかった。
「今日も楽勝でしたね」
ベルは少し悔しそうで、でも誇らしそうな顔。
いい顔だと思う。
「まあね。来年は中央走ってるからさ……この程度は通過点」
言ってから、少しだけ調子に乗りすぎたかな、と思った。
「ウェーイ! おめでとう!」
「草」
オジョウが背中に抱き着き、リリィがそれをスマホで撮る。
祝福の仕方が雑なのも、いつも通りだ。
この“いつメン”は、私が何勝しようが、何冠取ろうが、たぶん変わらない。
それが妙にありがたい。
――来年。
中央と戦う時、私はどうなっているのだろう。
今と同じ顔で、同じ冗談を言えているだろうか。
それとも、もっと別の何かになっているだろうか。
答えは、まだ先だ。
でも、少なくとも今は。
勝つのが、楽しい。
長距離ランの折り返し地点。
等々力の堤防に置かれた古いベンチに腰を下ろし、私はベルと並んで息を整えていた。
並木は見事なまでに深紅で、風が吹くたびに葉がはらはらと落ちていく。晩秋という言葉が、これ以上なく似合う景色だった。あと少しで、季節は冬に引き渡される。そう思うと、なぜだか時間が急に早足になったような気がする。
「今年も終わるの早いなぁ」
そう口に出すと、ベルは少し考えてから首を傾けた。
「でも、結構とんでもない一年ですよ。トリプルティアラに、中央のウマ娘まで倒すなんて」
褒め言葉として受け取るべきなのだろうが、どうにも照れ臭い。
「ベルほどじゃないよ。正直、雑魚狩りみたいなもんだし」
「雑魚扱いは酷くないですか」
口調は柔らかいが、ちゃんと抗議してくる。そういうところは相変わらずだ。
話題を変えるように、次に思い浮かんだことを投げた。
「で、ベルは次どこ走るの?」
少し間を置いて、静かな声が返ってくる。
「東京大賞典に行きます」
ああ、と納得しかけて、すぐに別の名前が頭に浮かんだ。
「ラムダが出るらしいじゃん。それでも?」
ベルは否定も肯定もしないまま、視線を川面に落とした。
「ちょっと、確かめたいことがあって……」
JBCを境に、ベルの雰囲気は確かに変わった。走りも、表情も、どこか研ぎ澄まされている。
「JBC行ってから、顔も走りも鋭くなった気がする」
思ったままを言うと、ベルは少し驚いたように目を見開いた。
「そうですか?」
「多分ね。サンリンドーの言ってた『刺激』ってやつなんだろうなぁ」
ベンチから立ち上がり、伸びをする。休憩はそろそろ終わりだ。
その背中に、ベルの声が続いた。
「なんだか、走っているうちに自分の輪郭が見えた気がするんです」
輪郭。
その言葉が引っかかり、振り返って首を傾げる。
「輪郭?」
「上手く説明できないんですけど……」
ベルも立ち上がり、堤防の道を指さした。
目の前には、ただの道がある。
遠距離ランのウマ娘、ロードバイクの人、犬を連れた散歩客。日常が流れているだけの、何の変哲もない一本道だ。
「ウマ娘って、どうして走るんだと思います?」
唐突な問いに、思考が一瞬止まる。
「えっ何急に。走りたいから走ってるんじゃないの?」
「もちろん、それもあります。でも……例えば、この道です」
「道?」
「JBCの時、強いウマ娘は、光ってる道を走ってるように見えたんです」
正直に言えば、意味はよく分からない。
「うーん……?」
「多分、説明できないんですけど。ウマ娘が走ることと、その光る道と、その根源なのか、走る先なのか……何かが繋がってる気がして」
理由、か。
その言葉で、胸の奥が少しだけ疼いた。
勝つことに慣れて、速くなることに夢中になって、いつの間にか「なぜ走るのか」を考えなくなっていた気がする。
「それで、ラムダと走るのと関係あるの?」
問いかけると、ベルは小さく頷いた。
「多分。ラムダが、どんな道を走っているのか見られたら……何か分かる気がするんです」
「何かって何?」
「何か、です。多分……」
曖昧で、確信がなくて、それでも真剣な目だった。
私は視線を堤防の先へ向ける。
赤く染まった並木道は、遠くまで続いている。
「ま、考えながら走ればいいんじゃない?」
そう言って、軽く足踏みをする。
プレハブの中は、ストーブの前だけが局所的に春だった。
サンリンドーが屈み込み、唸るような音を立てるストーブの機嫌を伺っている。火というものは、人類が発明してから今日まで一貫して気まぐれだ。
何気なくテーブルに目をやると、新聞が広げっぱなしになっていた。有馬記念特集。
この時期になると、地方だろうが何だろうが、ウマ娘界隈は一斉に有馬の話しかしなくなる。冬の風物詩というより、もはや集団催眠に近い。
紙面には威勢のいい見出しが踊っている。
――クラシック三強揃い踏み、皐月賞ウマ娘ダノンアンコール「負けない」
――菊花賞ウマ娘ダイナコンサート、クリストフ師「ジシンアリマス」
――ダービーウマ娘ナイトストレイド猛時計!
読んでいるだけで胃がもたれそうだ。
「こんなもんに浮気しやがってよお」
文句を言いながらも、視線は紙面から離れない。
サンリンドーは振り返りもせず、どうでもよさそうに返す。
「いいじゃねえか」
その横から、シャドウリリィが覗き込んできた。
「ローズは誰応援すんの、有馬?」
「うーん……難しいなぁ」
「いや、やっぱり見るんじゃん。草」
「そりゃ有馬だし」
自分で言っておいて何だが、言い訳としてはかなり弱い。
この時期、街は有馬に侵食される。
駅前の巨大ポスター、商店街のフラッグ、スマホを開けば三回に一回は有馬記念の広告。逃げ場はない。逃げても無駄だ。観念するしかない。
ベルにも聞いてみる。
「ベルは誰応援するの?」
少し考えてから、真面目な顔で答えが返ってきた。
「そうですね……やっぱりダノンアンコールです」
「やっぱり?私はナイトストレイドかなぁ」
「いいですね。リリィは?」
「うーん、ダイナコンサートかな」
三人三様。
意見が割れるあたり、いかにも有馬記念らしい。順当に決まらないのもまた、有馬記念だ。
ページをめくると、今度はローカルシリーズの記事が目に飛び込んでくる。
……が、内容はほぼラムダ一色だった。
思わず声が漏れる。
「うわ」
「まあ……知っての通り、ラムダばっかりですね」
ベルの言葉は淡々としているが、どこか悔しさが滲んでいる。
「舐められてるなぁ」
「まあ、そんなもんさ」
サンリンドーは現実主義者だ。
ふと思いついたことを口に出す。
「いっそさ、東京大賞典じゃなくて有馬記念に出てみるってのはどう?なんかそっちのほうが勝てそうじゃん」
ベルが露骨に困った顔をする。
「えぇ……」
「いいじゃん、面白そう」
リリィは無責任だ。
「ハハハ、それもありだな」
「トレーナーまで……」
サンリンドーは笑いながらも、少しだけ真面目な顔になる。
「歴史的には地方出身ウマ娘でも有馬記念を勝った例はある。大井ならイナリワンとかだな」
イナリワン。
テレビやウマチューブでよく見る、あの人。
「……あの人、ただのテレビタレントじゃなかったんだ」
「勝ったのは中央移籍後だけどな。地方所属のまま有馬を勝ったウマ娘はいない」
「ですよね……」
「とはいえ、先のことは分からんぞ。来年はお前たちが出てるかもしれん」
そう言って、サンリンドーは新聞を畳んだ。
「とにかく今は目の前だ。東京大賞典と東京シンデレラマイル。そこに集中しよう。来年のことも含めてな」
「わかってるよ。そのくらい」
口ではそう答えながら、私はもう一度、有馬記念の文字を頭の中で反芻していた。