ウマ娘 走れカワサキ一等星〜地方ウマ娘が砂舞台でティアラの女王狙います   作:トマスアレポ

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では、ウイニングライブで

有馬記念の余熱がまだ街のあちこちで燻っているうちに、季節は間髪入れず東京大賞典へと雪崩れ込む。

競馬というのは、感情のクールダウンを許さない娯楽だとつくづく思う。

 

大井に集まったファンたちは、口を開けば昨日の有馬記念の話をしている。

ダノンアンコールはやはり強かった、中山では無敵だろう。

ナイトストレイドはダービーで燃え尽きたのではないか。

マテンロウコームは流石にわからん。

 

そんな断片的な言葉が、潮風に混じって行き交っている。

難解極まりない有馬記念で頭をフル回転させた反動なのか、次は分かりやすい結末を欲しているようにも見えた。東京大賞典で、圧倒的な強さを拝んで一年を締めくくりたい。そんな無言の共通理解が、観客席の空気を形作っている。

 

その中心にいるのは、疑いようもなくラムダだった。

一番人気。

その肩書きが追い風どころか、もはや前提条件のように扱われている。

 

パドックを歩く姿を見ただけで分かる。返しウマを眺めれば、さらに確信に変わる。

ああ、これは別格だ、と。

能力がどうこう以前に、そこに立っているだけで場の重心を奪ってしまうタイプのウマ娘だ。

 

他のウマ娘たちが、知らず知らずのうちに脇役へ押しやられてしまうのも無理はない。

けれど、それはあくまで空気の話であって、結果の話ではない。

 

競馬は、最初から決まっている結末をなぞる競技ではない。

もしそうなら、誰も寒空の下でパドックを眺めたりはしないだろう。

 

私はいつも通り、ベルの背中に軽く手を当てた。

送り出すための、儀式のようなものだ。

 

勝つと最初から決まったレースなど存在しない。

競馬に絶対はない。

それだけは、有馬記念が終わった直後でも、東京大賞典でも、変わらない真実だった。

 


 

――枠入り完了。東京大賞典、スタートしました!

 

ラムダ、好スタートを切りました。

 

外からは9番ダノンガロン上がっていって2頭が抜け出していきます。

 

3番手は2番ジャスティンガルチ。外に7番イグニッション。

 

先頭に立っていくのはダノンガロンです。

 

それから外少し促しながら3番ライトニングベル中段…

 


 

 

視界の端で、ラムダが綺麗な初速を切ったのが分かる。やはり速い。迷いがない。

僕は促しながら中段。

出し過ぎない。遅れ過ぎない。

頭の中でサンリンドーの声が、妙に静かな音量で再生される。

 

先頭はダノンガロン。

正面スタンドの歓声を受けながら1コーナーに入る頃には、もうペースを握っている。

砂を蹴る音が一定のリズムを刻み、レース全体がひとつの生き物みたいに脈打ち始めた。

 

すぐ後ろに、気配がある。

ラムダだ。

 

視線を向けなくても分かる。

あの圧は、背中越しでもはっきり伝わってくる。

呼吸、脚運び、重心の置き方――全部が整いすぎている。

 

その外にイグニッション。

内にはジャスティンガルチ。

僕はその間、わずかな隙間に身を滑り込ませるように位置を取った。

 

包まれている。

けれど、押し潰されてはいない。

 

 


 

 

――前は2コーナーのカーブ。先頭9番ダノンガロン、2バ身ぐらいのリード、ペースを握っていきます…

 

4番ラムダは2番手。その後ろに7番イグニッション差のないところ。

 

内から3番ライトニングベル2番ジャスティンガルチ、ラムダをマークする位置。2番手集団が固まってきました。

 

これから3コーナーのカーブ。

先頭逃げる9番ダノンガロン、リードが1バ身ぐらい…

 


 

3コーナー。

残り600を切ったあたりで、空気が変わる。

前が、少しだけ騒がしくなる。誰かが仕掛ける予感。いや、もう始まっている。

 

ラムダが上がる。

それに反応するように、外からイグニッション。

内で僕とジャスティンガルチが、同時に呼吸を深くする。

 


 

――残り600を切りました。4番ラムダ2番手!

 

外から7番イグニッション!内に3番ライトニングベル3番手4番手5番手で前を伺う!

 

2番ジャスティンガルチ上がってくる!

 


 

まだだ。

でも、もうすぐだ。

 

身体の奥で、何かが静かに目を覚ます。

あの時、見えた光る道の感触が、確かにここに続いている気がした。

 

3番手。4番手。

前を伺う位置。

――行ける。

 

そう思った瞬間、世界がまた一段、速くなった。

息を吸う前に、景色のほうが先へ行く。

 

――あの時と同じだ。

 

視界の端が滲み、足元に線が引かれる。

それは「見える」というより、「思い出す」に近かった。

 

道だ。

また、道が現れた。

 

僕は自分の足元を見ない。

見ているのは、少し前――ラムダの脚、その運び、その重心。

彼女の足元に伸びる光る軌跡を、ぴたりとなぞる。

 

これは僕の道じゃない。

僕が切り開いた線じゃない。

 

ラムダが歩んできた道。

ラムダが積み重ね、踏み固めてきた速度と選択の痕跡。

 

そこに、足を置いた。

 

――踏んだ。

 

瞬間、世界が裏返る。

 

頭の奥に、洪水のように情報が流れ込んできた。

理解する暇も、拒む余地もない。

 

深緑の絨毯。

優雅なるウマ娘の背中。

夜を照らすカクテルライト。

観客席のざわめき。

赤いパナマ帽を被った誰かの笑い声。

ガラス張りの競馬場。

空に突き刺さるようなツインスパイア。

巻き上がる砂塵。

世界。

勝利という言葉よりも前に存在していた、伝説。

 

それから、それから、それから――

数えきれない「走る理由」。

 

映像は唐突に途切れ、

代わりに、静けさが降りてくる。

 

星空だった。

音を吸い込むほど澄んだ夜空の下、果てしない黄金の砂漠が広がっている。

風はなく、時間もない。

 

その中央に、ウマ娘がひとり立っていた。

 

輪郭ははっきりしているのに、顔だけが影に溶けている。

それでも、分かる。

 

――ラムダだ。

 

喉が勝手に動いた。

 

あの、あなたは――

そう呼びかけたつもりだった。

 

彼女が、ゆっくりと振り向く。

影の奥から、視線だけがこちらを射抜いた。

 

きみは――

 


 

 

4コーナーカーブから直線!

 

9番ダノンガロンに並んでくる4番ラムダ!

 

内を狙う3番ライトニングベル!

 

外へ出した2番ジャスティンガルチ!

 

ここで先頭4番ラムダに変わった!

 

内から3番ライトニングベル!外から2番のジャスティンガルチ!

 

さらには10番ミッキーアトラス追い込んでくる!

 

あと100m!

 

ラムダ振り切るか!

 

外からジャスティンガルチ!

 

内からライトニングベル!

 

この3頭の争いだが…ラムダだゴールイン!

 

世代交代!ダート最強の称号を手にしました4番ラムダ!

 

圧倒的な人気に応えてのの勝利!2番手は2番ジャスティンガルチか内3番ライトニングベル並んだ体勢!

 

 


 

 

ゴール板を越えて、脚はまだ前へ前へと運動の続きを求めていた。

減速の仕方を忘れたみたいに、惰性で走り続け、気づけば1コーナーの先まで来ていた。

 

顔を上げる。

視界の端を、ゆっくりとモノレールが横切っていく。

その奥には高架道路。無機質で、見慣れた輪郭。

 

――ああ、戻ってきた。

 

さっきまでの光も、砂漠も、星空もない。

ここは大井。

間違いなく、現実のレース場だ。

 

息を整えようとした、そのときだった。

 

振り返ったラムダと目が合う。

彼女はもう勝者の速度で歩いていたのに、僕の存在を当然のように察して足を止めた。

 

「領域〈ゾーン〉に入ったのは、きみか?」

 

言葉が、胸の奥に落ちる。

否定する理由が見当たらない。

 

「……ええ」

 

短く答えると、ラムダは楽しそうに笑った。

 

「はは、やはりか」

 

その笑みには、驚きも警戒もなかった。

まるで「予定通りだ」とでも言うような、落ち着いた確信だけがあった。

 

「でも、あれは一体……? 領域〈ゾーン〉って……? ただの記憶じゃない。あの砂漠は――」

 

言葉が溢れそうになった瞬間、

ラムダはすっと距離を詰め、僕の口元に指を立てた。

 

柔らかいのに、逆らえない仕草だった。

 

「それ以上は内緒だ」

 

声は低く、けれどどこか楽しげで。

 

「きみとまた走るのを、楽しみに待っているよ。ライトニングベル」

 

名前を呼ばれた瞬間、胸の奥がわずかに熱を持つ。

呼び捨てでも、確認でもない。

「覚えた」と言われた感覚だった。

 

「では、ウイニングライブで」

 

そう言うと、彼女はもう振り返らない。

勝者の歩幅で、スタンドの方へと駆けていく。

 

その背中を見送りながら、僕はしばらく動けずにいた。

 

遠くで歓声が膨らむ。

ラムダの名前が呼ばれる。

 

その音を背中で聞きながら、

僕はゆっくりと、現実のダートを踏みしめて歩き出した。

 

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