ウマ娘 走れカワサキ一等星〜地方ウマ娘が砂舞台でティアラの女王狙います   作:トマスアレポ

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砂の舞台はカクテルライトに照らされて

「次は10月の鎌倉記念だ。もう三勝してるし、SIIに挑んでもいいレベルだしな」

サンリンドーのレース選択はいつも突然だ。

 

「ああそうだ、鎌倉記念にはライトニングベルも出る」

プレハブの中。テレビで過去レースのリプレイを眺めていた私は、思わずリモコンを取り落としそうになった。

「えっ」

驚いてライトニングベルを振り返る。けれど彼女はもう知っているようで、涼しい顔で画面を眺めていた。

 

 

――9月。長かった夏もようやく尻尾を巻き、秋はレースのハイシーズンを迎えつつある。練習馬場にも、朝もやの中から活気がむくむくと湧き上がっていた。

 

「SIIって?」リリィが首をかしげる。

「スーパーグレードのこと」私が答える。

「知ってる知ってる。あーあのトラックな。配信のフォロワーが新川崎で作ってるやつ」オジョウが自信満々に言う。

「それはスーパーグレート」私は即座に訂正した。

 

「重賞ってのはね、中央が出てこないスーパーグレードと、中央が混ざってくるJpnの二種類あるの」

「んで、その鎌倉記念にライトニングベルと私が出ることになった」

 

「いいなぁ〜。あーしも出たいけど、ヤノが『あと一勝してからだ』ってんで出さしてくれないんだよ」

「はいはい」

 

「しっかしさぁ」オジョウが眉間に皺を寄せる。

「Jpnって書いてあるのに、なんで『ジー』って読むんだ? SIは『エスワン』なのにさ。どう見ても『ジェーピーエヌ』だろ」

「知らねーよ」私は手をひらひらさせる。

 

その間にもライトニングベルはサンリンドーと短く言葉を交わすと、黙々とトラックを周回していた。

私やオジョウ、リリィがブルマ姿なのに対し、彼女だけはショートパンツで颯爽と走っている。

 

「…あいつ速いよな」オジョウがぼそっと呟く。

「そうだね」私も素直に認めざるをえない。

 

「お前さ、サンリンドー取られそうになってるよ」

「最初から取られるも何もないって。サンリンドー、既婚者だし」

「マジか」オジョウの目が点になる。

「ウマ娘の奥さんがいるんだって」

「何歳?」リリィが口を挟む。

「この前見たときは20代くらいだったかな」

「えぇ……あいつ40代に見えるけど。ヤバない?」オジョウが素で引いている。

「教え仔とか?」

「じゃね?」

 

「ふーん。あーしのヤノはまだ結婚してないから、ワンチャンあるなこれ」

「ねぇよ。ガキじゃん」

「ガキじゃないもん! もう13だし!」

「はいはい」

 

その瞬間、グラウンドに甲高いホイッスルの音が響いた。

「全員集合!」

 

「じゃあ行きますかぁ〜」

私たち三人は同時に立ち上がった。

 


 

川崎レース場の重賞、それもSII級の大きなレースは、どういうわけか水曜日に行われる。

週の真ん中に突如として現れる非日常。社会人がカレンダーを見てため息をつくその水曜に、私は初めてメインレースの舞台へ足を踏み入れていた。

 

普段なら気にも留めない、まばらな観客席。けれど今夜はどうにも視線が突き刺さる気がする。

パドックに回るカメラのレンズが、まるで監視塔の探照灯みたいにこちらを照らしている気さえした。

 

「おい、硬くなってるぜ。いつも通り走ればいい」

サンリンドーが軽く肩を叩く。肩に乗っていた見えない小鬼がその一撃で逃げ出したような気がした。

 

「そうですよ」

ライトニングベルが、相変わらず飄々とした顔で横から口を挟む。

 

この数週間、私はずっと彼女と併せウマをしてきた。調教というのは、互いのスピードが拮抗していなければ成立しない。つまり、ベルにとっても私にとっても、最適な相手が互いだったということだ。

 

「仕上がりは万全だ」サンリンドーは淡々と続ける。

「今日のお前たちは、誰よりも輝いて見えると思う」

 

「なんだよそれ」私は思わず突っ込む。

 

「とにかくだ。無事ゲートを出て、一周して戻ってくれば勝てる。それだけの実力はある」

 

ライトニングベルが、不意に真剣な顔を向けた。

「トレーナーは、どっちが勝つと思ってるんですか?」

 

「どっちもだ!」

サンリンドーは笑いながら言った。便利で無責任な答えだが、不思議と胸の中に熱が灯る。

 

「とまーれー!」

誘導ウマ娘の号令で、私たちは控室の前に整列する。時間だ。

 

「頑張れよ!」

サンリンドーの声を背に、私は他のウマ娘たちと並び、一礼して展示周回へと進む。

 

ここから先は、レースが終わるまでサンリンドーと会話することはできない。

 

「前へ!」

誘導ウマ娘に導かれ、長い通路を抜ける。視界がぱっと開けると――そこは、光に包まれた舞台だった。

 

初めてのメインレース。夜の帳が濃く下り、砂の舞台はカクテルライトに照らされて、まるで夏祭りの提灯の下で繰り広げられる神楽のように、熱気と緊張を漂わせていた。

 

 

「ローズもベルも大丈夫かなぁ」ハナミチオジョウが、ポテトチップスを一枚ずつ噛み砕くような声でつぶやいた。

「走らないのに心配?」シャドウリリィが、氷水でも飲んだみたいに冷静に返す。

「当たり前じゃん!」

 

川崎レース場の1号スタンド4階、川崎トレセン学園専用の観覧席。

鎌倉記念を一目見ようと保護者や同級生、卒業生まで押しかけてきていて、通路はもう縁日の屋台みたいにぎゅうぎゅう詰め。

 

とりわけライトニングベルの追っかけ連中は自作のうちわやペンライトを掲げて、宗教儀式のように「勝てますように」と念じている。

 

「しっかし、ベルもローズも親御さん来ないんだね」

「平日の夜だし」

「いやいや、勿体無いだろ。こんなの仕事なんかよりよっぽど価値あるって」

 

そのときだった。

「失礼」

気取った声とともに、仕立ての良いスーツを着た男が横を通り過ぎた。なぜか室内なのに帽子を脱がず、胸元には中央トレーナーのバッジが光っている。

 

「おいおい、中央の連中まで来てるぞ」

「トレーナーっぽい」

「大方スカウトだろ。ご苦労なこって」

 

男は最前列に腰を下ろすと、隣の中央トレセン学園制服姿のウマ娘に、なぜか競輪だか競艇だかの話を始めた。輪投げと大差ないくらい場違いな内容に聞こえる。

けれど、その小柄なウマ娘は真剣に聞いているようでもあり、全然聞き流しているようでもあった。

「ラムダ」と、男は彼女をそう呼んでいた。

 

「なんだよアイツら……」オジョウが眉をひそめる。

「中央って、やっぱり変」リリィが淡々と結論づけた。

 

そのときオジョウが身を乗り出し、下を指差した。

「おっ、そろそろ始まるな」

 

視線の先、ウィナーズサークルにはタキシード姿のブラスバンドが整列し、楽器を構えている。まるでこの砂の舞台が世界一の大劇場にでも変わるかのように。

 


 

ドリームビジョンに映し出されたのは、工業地帯のコンビナートを背景にレース場へと駆けるウマ娘のシルエット。

レース前に何度も見た映像のあと、ついに出走ウマ娘の名前がスクリーンを流れていく。

 

 

SII 鎌倉記念 1600m

1番インディアンブレス
2番マリタイムシッパー
3番クラヴァット
4番オグレッセ
5番ライトニングベル
6番コンプロマイズ
7番リードノベル
8番ブラッシングローズ
 

 

 

スターターが台に上がり、赤旗を高々と振る。

ファンファーレが鳴り響くと、観客席のざわめきは一瞬だけ祈りのような静寂に変わった。

 

ライトニングベルは微動だにせず、集中の膜を全身にまとったように、無言でゲートへと入る。

私は彼女の横顔を一瞥して、余計なことを考えないようにした。

正面だけを見る。

光と砂と歓声だけがある場所に、心を絞り込む。

 

 

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