ウマ娘 走れカワサキ一等星〜地方ウマ娘が砂舞台でティアラの女王狙います 作:トマスアレポ
スクリーンから勝利の凱歌
ローカルシリーズにおいて、毎年11月3日は決戦の日である。
決戦といっても、刀を振るうわけでも、革命を起こすわけでもない。JBCの開催日だ。地方競バに携わる者たちにとっては、暦に朱書きしておきたくなるほどの一日なのだ。実際、出走しない南関のウマ娘たちでさえ、なぜか胸の奥がそわそわする。――文化祭の当日、出演しないくせに校舎の空気に浮き足立つモブ生徒と同じである。
浦和レース場は、空が広い。
その日も、11月の空はやけに深みを増し、澄み切った青にこちらの影を映し返してくるようだった。広すぎる空に見下ろされると、人はどうしても何か重大な物語の登場人物になった気分になる。私、ブラッシングローズもまた例外ではなかった。
とはいえ現実は幻想よりずっと地に足がついている。浦和レース場はJBC開催のせいで、はちきれんばかりの客でごった返していた。地方競バの祭典、と大人たちは口をそろえて言う。なるほど、観客の熱気は中央競バのGIにも劣らない――と、場内を押し流す人波に半ば呑まれながら私は思った。
当然、普段のスタッフだけでは回らない。そこで駆り出されるのが、われら南関のウマ娘たちである。制服姿に腕章、首からはスタッフのネックストラップ。おおよそ「主役」とは程遠い装いだ。
「ったく面倒臭いよなぁ」
ハナミチオジョウが、腕章を弄びながら毒づいた。
「文句言わない」
私がたしなめる。こういう場で愚痴をこぼすと、余計に疲労感が増すからだ。
「ベルが羨ましい。こんな面倒やらずに走れるんだもん」
「いや、あっちの方がよっぽどキツイよ。マジで」
「門別とか絶対寒そう」
「そういや雪降ってるんだっけ、あっち」
三人の会話は、まるでどこかのカフェで繰り広げられる大学生の愚痴のようで、決戦の日の緊張感とは程遠い。だが、この緩さがなければ心が保たないのもまた事実だった。
ダートコースの上では、ちょうどJBCレディスクラシックが終わり、勝ったウマ娘が口取りの記念撮影をしていた。結果は、スプリントもレディスクラシックも中央勢の勝利。残るはジュニア優駿とクラシック。地方の希望はますます狭き門となる。
「そろそろ時間じゃない? 見に行こう」
オジョウが言った。
まもなく門別で行われるJBCジュニア優駿の発走だ。私たちは大型ビジョンの見える場所に移動する。
中継映像が切り替わり、ファンファーレが鳴り響いた。画面に「JBCジュニア優駿」のロゴが踊り、そしてゲートに入ろうとするライトニングベルの姿が映し出される。
その瞬間、雑然とした浦和の空気に、確かに物語の幕が上がる気配が漂った。
――スタートしました。まずは先行争い、5番のテイエムストライク、ハナを主張します。
――それを見るように6番サンライズノアールと8番キララウス、4番ライトニングベルはこの位置中段です。
「いけー!」
ハナミチオジョウは拳を振り上げる。なぜか全身で応援するタイプだ。
「位置上げろ! 位置上げろー!」
私は声を張り上げながら、すでに喉が痛くなってきていた。
「前! 前!」
シャドウリリィは、抑揚ゼロの声で呟く。スマホに向かって呟くような声だが、なぜか一番よく響いた。
――各馬これから3コーナーに向かって今800mの標識を通過。
――依然先頭は5番のテイエムストライクに6番サンライズノアールが並びかけていきます。
――今3コーナーを回って残り600。さあ早くも4番ライトニングベルが動いていきます。
――その後ろから8番キララウスと10番トラッドパルフェ、前は馬群ギュッと固まります。
観客席が地鳴りのように揺れ、砂を蹴る音さえ聞こえないほどの喧噪に包まれる。
「キタキタキタァ!」
オジョウが叫び、前のめりになって手すりにしがみつく。
「ベル〜! ベル〜!」
私は気づけば両手でメガホンを作って叫んでいた。
――4コーナーカーブから直線へ。 6番サンライズノアールが先頭に変わって2番手5番のテイエムストライク。
――これに並ぶように4番のライトニングベル!ライトニングベルが差を詰めてきます!
砂煙が白い靄のように舞い、観客の視線が一斉に一点に吸い寄せられる。
「いけぇぇぇ!」
オジョウはもう雄叫びの域だった。
「ベル!」
私は胸の奥をえぐられるように叫んだ。
「……ベル」
リリィの声は、耳ではなく心に落ちてきた。
――残り200!先頭はライトニングベル!ライトニングベルが先頭!
――2番手はサンライズノアールにテイエムストライク3番手以下混戦!
――しかし10番ライトニングベルがリードを広げてゴールイン!
――10番ライトニングベル!この古巣門別で!地方勢としてJBC制覇です! 勝ったのは10番ライトニングベル!
会場全体が、まるで雷鳴の中に放り込まれたみたいに震えた。歓声と拍手が渦を巻き、私たち三人も同時に飛び上がっていた。
「うぉおおお! やったぁぁ!」
「勝った! 勝ったぞ!」
「……ブイ✌ 」
三者三様の喜び方だが、確かに同じ熱に包まれていた。
しばらく後、場内のざわめきが一段落した。JBCジュニア優駿の余韻はまだ観客席に漂っていたが、時計の針は次の決戦――JBCクラシックの時刻を指していた。
門別では、きっともう優勝後の口取り撮影も終わっている頃だろう。ライトニングベルは、勝者としてフラッシュを浴びているに違いない。こちら浦和の空は、相変わらずやけに広く、その広さが「まだお前は蚊帳の外だぞ」と告げてくるようだった。
私はポケットからスマホを引っ張り出した。
「サンリンドーにイタ電するわ」
気分は半分冗談、半分本気。オジョウとリリィが「また始まった」といった顔でこちらを見る。
「おい! ベルの声聞かせて!」
受話口にそう怒鳴ると、サンリンドーのため息が返ってきた。
『今着替え中だ。中に入れない』
「ドアにスマホ差し込め!」
オジョウが横から口を挟む。まるで合宿の夜に押し入れで肝試しを仕掛ける小学生みたいだ。
一拍置いて、耳に届いたのは、聞き慣れた声だった。
「もしもし?」
「おめでとう!」
「やべーよお前!」
「ブイ✌ 」
三人の声が同時に飛び出し、スマホの向こうは一瞬沈黙した。
「あぁ……ありがとう」
ライトニングベルは、照れくさそうに笑った声を返した。
オジョウが畳みかける。
「戻ったら祝勝会な?」
「楽しみにしてる」
ベルの声は、どこか頼りなげで、それでも確かに喜びに満ちていた。
「トレーナー? これでいいのかな?」
その言葉と同時に、背後でドタバタと物音が響き、ぷつりと通話が切れた。
私たちは互いに顔を見合わせ、妙にくすぐったい沈黙に包まれる。まるで青春映画の一場面に紛れ込んでしまったかのようだった。
――その瞬間、場内に大歓声が轟いた。
「やべぇ! もう始まってる!」
オジョウが慌てて叫ぶ。
視線をビジョンに戻すと、すでに浦和ではJBCクラシックがスタートしていた。
ベルの勝利の余韻に浸っている間に、現実は容赦なく次の戦いを進めていたのだ。
結局、JBCクラシックは三着まで中央のウマ娘が独占した。
「うわ、中央がJBC三勝かよ」
オジョウが頭をかきむしる。
「まー、仕方ないんじゃない?」
リリィが感情ゼロの声で言う。スマホの自動音声の方がまだ抑揚があるくらいだ。
観客は潮が引くように帰り始め、残されたのは紙コップやポスターの切れ端、そして後片付けに駆り出された私たちトレセン学園の生徒だった。
砂ぼこりの舞うスタンドを片付けながら、ふと「文化祭が終わった後」みたいだと思った。あれだけ騒いでいたのに、残るのは寂寥感ばかり。祭りのあとは、たいてい現実の重さが倍に感じられる。
「やっぱりJBCは中央やな」
「南関の連中ももう少し強けりゃなぁ〜」
帰っていく競バファンたちは口々にそう言い残す。SNSでも似たような愚痴が並んでいる光景が、目に浮かぶようだった。
「結局、地方勢で勝ったのはベルだけかよ」
ぼやきながら雑巾をバケツに放り込んだ。
「ま、来年は一杯勝つんじゃね? ベルもいるしさ」
オジョウは能天気に言い放つ。いつも前を向いているのか、それともただ深く考えていないだけなのかは判断がつかない。
「……だといいけど」
リリィは窓ガラスに映る自分の顔を見ながら、淡々と呟いた。声の温度は冷たいのに、言葉の奥に熱があるのが不思議だ。
「……勝つさ」
私は、不意に口をついて出た言葉に自分で驚いた。
「ベルが?」
オジョウがにやりと笑う。
「いや、私が」
「フッ、何だよそれ」
オジョウは鼻で笑うが、その目は少しだけ楽しげだ。
「本気(マジ)?」
リリィの問いは短いが、まっすぐに刺さる。
「マジでやる」
自分でも驚くほど声が強かった。
「おー言ったなお前? 出来なかったら何でもするか?」
オジョウの笑みは、罠を仕掛ける小学生そのものだ。
「当たり前よ」
「やったぜ。今から楽しみにしとくわ」