6巻及び7巻のネタバレが含まれています。
閲覧の際にはご注意のほど、よろしくお願いいたします。
甘織れな子が学校に来ない。恥ずかしいことに、その事実に気が付いたのは1か月ほどがたった時のことである。最初は風邪が長引いているのだろうと楽観視していた。楽観視しながら、あるいは少し居心地の悪さを感じているからか、図書館のカウンターにひょっこり立っている代理の図書委員の人と、する必要もない世間話をして、少し薄暗くすら思える小説の活字を読み進めていた。
週に二回、月曜日と木曜日の放課後に仕事があるという彼女と、月曜日に部活動が休みとなっている遥は、当然月曜日の放課後に図書館で顔を合わせるようになった。図書館という場所の関係上、ほんの少し、小さな声で喋るだけの関係であったが、遥はそれが好ましく思えていた。
4週間が経ち、木曜日のことである。チームメイトとも仲直りし、心機一転部活動をしていた遥は、練習が終わり、部室で制服に着替えをした後、下駄箱へと向かった。適度な疲労感と、確かな充実感を覚えながら、さて今日の夜ご飯は何だろうといつものように考えながら下駄箱を開けようとしたとき、にわかに声がかかった。声は後ろのほうからだった。
後ろ、つまり1年生がいつも使用している下駄箱のほうからである。振り返ると、140センチ付近の少女が、内なる心を余すことなくさらけ出すように身震いしながら遥のほうを見ていた。
遥は自身の身長の高さを再確認しつつ、声をかける。
「どしたの?1年生が俺になにかようかな」
いつもより声が半音高くなるのを遥は自認した。まるで赤ちゃんや猫に話しかけるようである。
少女はそれに少し緊張を和らげたようで、しかし依然もじもじしながらも、決心したように遥の目を見て聞く。
「あの!甘織先輩になにかしたんですか!?」
遥は一瞬、彼女が何を言っているのか皆目見当がつかなかった。実際そういう表情をしていたのだろう。しかし、最近彼女を目にしていないことを思い出すと同時に、2週間前に目の前にいる少女と図書館で話しをした記憶が脳裏をひらめいたとき、遥はみぞおち付近に黒い塊がへばりつくような感覚を覚えた。その独特の気持ち悪さは、まさしく姿を見せない甘織れな子とその少女の、図書委員会所属という(今だけは)全く嬉しくない共通点からくるものである。
逡巡ののち、遥はある場所へ指をさしながら、話を切り出した。
「そこのベンチで、話聞かせて」
遥は胸中に巣食う気持ち悪さにいったん蓋をして、後輩をつれてベンチへと向かった、
☆☆☆☆☆☆
家の呼び鈴が鳴らされてインターホンを見てみると、あたし甘織遥奈の姉である、甘織れな子と同種類の男子用制服を身にまとった生徒が立っていた。その様子は落ち着きがないように体を左右に揺らしながら、右手には程よく厚みを帯びた茶封筒がつままれていた。しかし、彼がインターホンから近いところに位置しているからか、首元から上が見えない。
その点に少しだけ不安を覚えながらも、しかしだからと言ってあたしの問いかけに対して頑なに無視を決め込むお姉ちゃんを呼ぶのも癪に障るため、ため息をついてインターホン越しに応答する。
「はい、今行きます」
そう言って少し後悔した。いつもなら、クラスメートの人がインターホンも鳴らさずに郵便受けへと投函するだけである。であるならば、今回も郵便受けに投函してもらうようインターホン越しに伝えるだけでよかったではないか。そうすれば顔も見えないようなお姉ちゃんの同級生と会話をしにいく必要もなかったと、自身の浅慮を後悔しながら玄関へと向かい、靴を履いて扉を開けた。
秋も終わりの気配が漂う少し乾燥し始めた冷風を浴びながら、あたしは外に出た。すると、そこには寒そうに身をさすりながら扉前で待つ青年の姿があった。おかしい。お姉ちゃんと一緒の年齢のはずなのに大人っぽく感じる。それはひときわ目を引く高身長からくる印象なのか、とも感じたが、柔和に見える相貌も一役買っているのだと感じていた。
「お、声違うと思ってたけど妹さんかい」
彼はそう笑いかけながら、少し膝をかがめてくる。確かにあたしの身長は150センチに届くか届かないかくらいであり、対して彼は180センチに迫らんとするほどの長身であるから、その行動を責める気はないけど。それでも少し、それに子ども扱いを覚えてしまい、あたしは不満を覚えてしまう。まったく、この程度で不満を感じるなんて、それもこれもお姉ちゃんの日ごろの態度のせいだと自分に言い聞かせて納得させる。
「ああ、ごめんな。身長のせいで怖がられること多いから一応な一応」
あたしの心を読んだように、彼はバツの悪そうな表情を浮かべながら背を伸ばす。軽そうな言葉使いとは裏腹に気遣いのできる人だなと、あたしはそのギャップに目の前にいる人の人物像が霧散していくような感覚を覚えた。
「それで、用件は姉の書類ですか」
話の軸を直すように、あたしは視線を上に向けながらそう問いかける。すると、彼は少し考えるそぶりをしてから、改まったように直って答える。
「まあ、それもあるんだけどな。悪いけどお姉さん呼んでくれないかね」
にわかに、空気が冷え込んだ気がした。いや、彼に非はないのだ。ひとえにお姉ちゃんの態度に心配を通し越して呆れが出てきたが故の、あいつと関わりたくないという無意識化のストレスが発露してしまったのである。
「……御心配には及びませんよ。お姉ちゃんへのお手紙はあたしが渡しておきますから」
少し冷たい対応だと自覚している。しかし、そもそもの話あいつを呼んだとしても玄関まで来るとは思えないし、返事すら帰ってくるか怪しいところなのだ。
そんな様子を知ってか知らずか、彼はその顔に微笑みを浮かばせながらにこやかに伝えてくる。
「まぁまぁそう言わずにさあ。そこを何とか頼むよ妹さん」
……あたしは、彼のその軽そうな言葉遣いと、しかしそれに似つかわしくないしつこい対応に少し腹が立ってきた。他の同級生と同じように郵便受けに入れてくれていれば良かったものを……。そんな感情が乗ってしまったのか、対応も総じて棘が見え隠れするものになってしまう。
「なんでそんなに会いたがってるんですか。お姉ちゃんに仲の良いクラスメイトがいるとは思えないんですけど」
あたしはあえて憮然とした様子でそう突き放す。それは暗に、もう帰ってくれというニュアンスを含めてあった。しかし、彼の返答は予想外なものであった。
「いや、甘織とは友達よ友達。そもそもクラスメートでもないし」
そう、彼はきょとんとした顔を浮かべて、そんなとんでもないことを何気もなしに伝えてきた。
……あたしは眼前のこの大男のことが分からなくなってきた。そもそもお姉ちゃんにこんな男友達がいるなんて聞いたことも想像したこともない。
それに、わざわざお姉ちゃんのクラスメートでもない人が、なぜ先生から書類を任せてもらっているのか。一体どういう経緯があってのことなのか、どこから突っ込むべきなのか。
新事実のオンパレードに頭がパンクしそうな感覚を覚えたあたしに、もはやここで事実確認をする余裕はなかった。もう今日は一回帰ってもらおう。さすがに怪しすぎる。
あたしは一つ深呼吸してから、あくまでこの家に住む人間として当然の権利を見せつけるように毅然とした態度で、彼に告げる。
「すみません、これ以上居座られると迷惑なんです。今日のところはこの辺でお引き取りください」
わざとらしく、そう捉えられかねないほど丁寧に、90度に腰を折り伝える。彼が帰るというまで顔を上げるつもりはなかった。
何秒経っただろうか。住宅街は静寂に包まれている。時折吹く風が、あたしの前髪をかすめ取るように吹いていく。
「オッケーオッケー、無理言って悪かった」
そんな、どこか自分の考えを割り切ったような、凛とした口調を聞いた。
続けて、だから顔をあげてくれ、と言われたあたしは腰をゆっくりと戻していく。すると彼は、小さい子供にジュースを買ってあげたかのような、そんな仕方のなさそうな、しかし申し訳なさも感じられる笑顔を浮かべていた。
あたしの姿勢が直ったことを確認すると、彼はこちらに茶封筒を差し出してくる。まるで卒業証書を渡すように、大事に渡してくるそれを見て、思わずあたしも丁寧に受け取ってしまう。それを見て、彼はふふん、と上機嫌に笑った。それは裏表のないような笑いであり、彼から皮肉の色などは感じられない。
「ほい。確かに渡したぞ」
微笑みながら、彼はそう言うとさっさと踵を返していく。
「ありがとうございます」
彼の大きな背中に向かって、言葉を突く。彼は振り向かなかった。
あ、とそこで思いとどまる。あれほどまでお姉ちゃんに会いたがっていたのだ。なにか伝えたいことがあるのではないかと考え、もう一度言葉を飛ばす。
「あの!なにかお姉ちゃんに伝えましょうか!?」
すると彼は立ち止まり、こちらを向く。そして、しばらく思案顔を浮かべたのち、ぱっと笑いかけ手を振りながら彼もまた言葉を返す。
「だいじょーぶ!!だいじょーぶ!!」
そう二度繰り返して、再び踵を返していく。
彼の背中がゆっくりと小さくなっていき、曲がり角を曲がって、ついに見えなくなるとき。
あたしはようやくといった具合に一つため息をついて、家に戻っていく。大仰に伸びをしながら、あー、寒かったと独り言つ。自然と上に寄った視線は、暗がっていく空を見つけた。今日の終わりが、寒さとともに染み入るようであった。
寒さから逃げるように足早に歩く。眼前へと迫ったドアノブに手を見せて握手し、そして引っ張る前に、しかし少しだけ思うことがあった。
彼を家に上げてしまえば、どうなっただろうか。
……もしかしたら言葉巧みにお姉ちゃんを説得して、学校に行かせてくれていたかもしれない。軟弱なお姉ちゃんのことだ。彼のあのキャラクター性で学校に行くよう強引に迫れば、ちょっとくらいはゲームのコントローラを離して制服に手を伸ばそうとしていたかもしれない。
そんな想像をして、スッと頭が冷えるような感覚を覚える。
「バカらしい」
あたしはそう呟いて、ドアノブにかけっぱなしだった手を思いきり引っ張って家に入っていった。
☆☆☆☆☆☆
遥が茶封筒を抱えて甘織家に向かってから、丁度一週間を数えた日のことである。
ガラガラ、と扉が鳴るのを聞いて、遥は小説から目を離した。図書館の時計はちょうど5時を指している。
視線を扉へと向けると、そこにはよれよれの制服を身にまとった、ピンク髪の少女が立っていた。
彼女はこちらを見つけると、少し体をびくつかせ、おぼつかない足取りで席へと歩いてくる。
彼女はずっと下を向きながら、表情だけ強張った笑みを浮かべて、ようやく席へとたどり着いた。しかし、椅子の横で直立している。まるで、『椅子に座る』という行動だけプログラミングし忘れたロボットのようだと、技術の授業を思い出しながら遥は思った。
「お疲れさん、座りなよ」
そういうと、彼女はロボットダンスのようにカチコチな動作で席に座る。
遥は彼女が座ったのを見て、話し始めた。
「図書館に来たってことは、手紙、読んでくれたんやね」
そういうと、彼女は肩を少し震わせる。しかし、強張った笑顔はそのまま貼り付けたまま、呟くようにして言葉を乗せる。
「えっと、封筒に入ってたから、読んだよ……。『学校に来れたら、放課後に図書室で待ってて』……だよね」
遥はその返答に満足そうにうなずく。そして、両手を頭の後ろで組んで、笑いながらまた話す。
「いやぁよかったよかった。俺あの手紙他の人が書いたニセモノなんじゃないかって疑われると思ったわ」
すると彼女は手を振りながら、あわてた表情で言葉を返す。
「い、いやいや!そんなこと……」
そこで言葉を区切る。彼女は少し伏せ、沈黙の後、苦笑いを浮かべながらまた話し始める。
「……ちょっとだけ思ったけど、手紙の最後にいつも遥さんのカバンに付いてるキーホルダーの絵が描いてあったから、その、ホンモノだと思って……」
先ほど読んでいた文庫本の横に乱雑に置かれていた登校用のカバンには、彼女が言うようにキーホルダーが一つ付けられている。
横長の長方形に縁どられているそれには、上半分の背景が白、下半分の背景が緑で、真ん中に注目を集めるように赤い竜が描かれている。
遥はそれをチョンチョンと触り、やがて離す。
本音を言えば、遥はあの日甘織家に向かったときに彼女と顔を合わせて話ができると考えていた。しかし、熱が出ているなどして会えなかった時のために、ひそかに封筒に自身のしたためた手紙を入れておいたのである。
……しかし、本当にそこまでする必要があったのかと、遥は少し思ってもいた。
いや、と思考を振り払うように、遥はおもむろに机の上で手を組む。結果としてこうやって彼女と話せているのだ、と思いなおし、遥は微笑みかけながら伝える。
「まあ久しぶりやし、気楽に話そうや」
すると彼女は毒気を抜かれたような顔をして、同調してくる。
「うーんじゃあ何の話するかねえ……」
遥が腕組みをしながらそんなことを言うと、彼女はそれに少し被せるようにして言葉を発する。
「じゃ、じゃあ前言ってたゲームの話とか……どう?」
遠慮がちに手をあげながら放たれたその言葉に、遥は1か月前に戻ったかのような懐かしさを感じて、彼女に話の続きを急かせる。すると少し生気の残った目をして、彼女は語りだした。
☆☆☆☆☆☆
目に影を残しながらも、しかし確かに興奮気味にゲームの話題を語る彼女を見て、遥はやっぱり面白いなと思う。
眼前に座っている少女は、優しくて、自己主張が苦手で、おどおどしがちで、いかにも文化部という様子の少女である。
しかし、そんな少女の口から吐かれる言葉は、やれこのFPSゲームは銃で人を撃つ感覚が生々しい、だとか、やれあのFPSゲームはボイスチャットを使って連携をとってくる人たちが多くてムカつく、だとか、なんとも過激なもので溢れていた。
ギャップとでもいうのだろうか。遥にとって、それはお笑いの緊張と緩和のように感じられて、むしろ好ましく感じられる。
それだけではない。『自分の好きな内容を、過激な熱量とともに吐き出していく』というコミュニケーションは、いつも遥がいるコミュニティーの男どもと似ていて、それもまたギャップに思えるのである。
(まぁ、あいつらはサシになると真っ当な会話になるんだが……)
少し目を横に動かしながら、後頭部を掻いてそんなことを考える。そう考えると、集団でもなくサシで話しているのにこれだけテンションが高いということは、本当にゲームが好きなんだろうと、遥は彼女への理解が一つ深まったような気がした。
その様子に気づいたのか、彼女はまるで今日提出しなければならない書類を家に忘れてきたときのように、ガチっと体を硬直したかと思えば、口から炎でも吐くように呟く。
「あの……しゃべりすぎでしたよね!!すみませんすみません!!」
早口でまくし立てるように謝罪を述べる彼女に、遥は視線を戻して、大丈夫だってと伝える。そして一つ幕引きをするようにため息をついて、黙りこくる。
その一連の動作に、再度彼女は椅子の下に視線を落とす。今から折檻でも始まるのではないかという具合に肩を震わせる彼女を見て、遥はやはり心配になる。最初に出会ったときのことを思い出しても、ここまでおどおどしていなかったように思うのだ。
自分よりもあわてている人間を見ると、感情的に落ち着く現象がある。遥はそれを思い出しながら、達観した面持ちで少し考えてしまう。
それは、先ほど振り払ったはずの、突然湧き出た疑問であった。
正直、遥は自身がなぜここまで積極的に彼女に肩入れしているのか、正確な答えを持っていなかった。震える彼女を尻目に、今までの経緯を思い出す。
偶然会った同級生にきまぐれで話しかけたら、案外面白いやつだと知って、それで保健室で独り言みたいに悩みを吐いたら、思いがけず彼女にアドバイスされて、結果気が楽になった。
(それで、友達になって、たまに図書館で駄弁るようになった……)
なにか言いようのないつまらなさを覚えて鼻を鳴らす。視線を右へと移せば、冬になって寒さから逃げるように日の入りが近くなった太陽が、蠟燭の残り火のように夕日の光を鋭くして窓越しに向けていた。遥はそれすら気にも留めず、思考を続ける。
彼女は不登校になった。であれば友達として、気にかけるのはきっと普通のことだと遥は思う。なんら問題はないはずだ。むしろ褒められるほどの行動である。しかし遥の心の底では、下駄箱で後輩に甘織の事情を聞いてから絶えず、巣食う気持ち悪さが取れずにいた。
その正体を引っ張り上げようと、海の中を自らの重みで沈んでいくように思考へ没頭する。
そう、友達、ともだち。脳内に何回か呟くと、心に引っかかるものを覚えた。腕を掻き泳ぐようにして思考の海の奥へと進み、その引っ掛かりを探る。
すると、にわかにひらめくものがあった。遥は、水面のきらめきを海の奥に見たような気がして、驚きをもって光に手を伸ばす。
遥はそこでようやく、アハ体験のように、自身の感情を自認した。
恋愛感情のような、輝いたものでは一切ない。きっとそんなものよりも自分勝手で、月並みに言えば青臭い感情を、下駄箱で後輩に声を掛けられた時から心の奥底に秘めていたのだと、遥は後から感じた。
自身の感情を知覚するとそれがまるで鍵になるように、自分も知りえなかった、今までとってきた行動の裏にあった理由が見えてくる。
波紋が広がるように、同時に進行しながら、さながら隠しボスが登場するように、自身の行動理由が輪郭をもって顔を出す。
見えてきた感情の形に遥は懐かしい苦みを覚えた。無意識に、あるいは堪えきれず、感情が喉を通る。
「ああ。寂しかったんか、俺」
ぼそっとつぶやいた言葉は、窓の外で吹いた突風の音に溶ける。
なぜこんなにも甘織の手助けをしようとしているのか。遥はそれを、寂しかったからだと捉えた。
友達が不登校になる決断を自分に伝えてくれなかったという寂しさ。そして、伝えるだけの関係に成れていなかったという自身への悔しさが、甘織家に押しかけたり、図書館に呼び寄せたりする行動の核であったと認識する。
するとにわかに、遥の胸の内を侵食していたあの独特の気持ち悪さがとけていくのを感じた。
なあ、とまるで迷子の子供に膝を立てて言うように、遥は微笑みながら柔らかな声音で言った。彼女は返事をせず、代わりに落としていた視線を遥に向けるように顔をあげる。
「俺は、あんたと友達になりたい」
畢竟、それが遥の心境のすべてであった。
『友達である』という言葉に引っかかっていたのは、つまり彼女とはまだ友達になれていないと感じていたからであった。
彼女が自身に悩みを吐き出せないと感じているのなら、まだ友達にすらなれていないということだと、無意識に思っていたからだったのだ。
しかし、彼女は声を細めて、消え入るように呟く。
「わ、わたしもうともだちだと思ってるんだけど……。保健室でそういってくれたし……」
もしや普通の人はそんな簡単に友達判定なんて下さない!?などと考えてそうな混乱顔を浮かべる彼女に、遥はまったを掛けながら続ける。
「俺は、たぶん保健室の時の一件からずっと、あんたに感謝と引け目を感じとる。」
「いや!そんなことない……」
彼女は、まるで保健室で遥を慰めているときのような、バタつきながらも相手を慮る表情を浮かべながらそこまで言って、しかし言葉を切った。遥が手のひらを眼前に向けてきたからだ。それは、最後まで聞いてくれという彼の意思表示に他ならなかった。
「俺にとって友達は、気づいたらなってるもんなんよ。部活でできた友達なんて、ボール蹴っ飛ばしてたら自然と仲良くなったからやし」
遥はそこで伸ばしていた手を自身の近くの机に落とし、続ける。
「けどあんたは、俺から友達になりたいと思った。保健室で俺の相談真摯に聞いてくれて、助けてもらって、普通にうれしかったから……」
彼女は説教されているように、あるいは英語のリスニング問題に耳を傾けるように、俯きがちながらも真剣に聞いている。
「だから、あんたにもらった恩返さんといけんって思う。助けてもらって、おまけに友達にもなるってこっちだけ良い思いし過ぎや。対等じゃない」
まぁ、つまりなと呟いて、遥は右の頬を握りこぶしにつけて頬杖をつく。そして照れたように微笑みながら、いつのまにか顔をあげた彼女に向けて、自身の感情を伝える。
「俺は、あんたの助けになりたい。恩を返して、ちゃんと友達になりたい」
……彼女はそれを聞いて、何を思っただろうか。遥は彼女の表情を見る。
遥は彼女の、驚きや嬉しさ、悲しさといった感情の色が混ざり合って、結果白になったかのような、無表情に見える表情を、確かに見ていた。
すると彼女の目から急に、ぽたぽたと涙が流れてきた。それは、通り雨が来た時のような、一瞬思考が止まるような自然さを遥の胸中に与える。
「ちょっ。おい」
遥の身体に焦りの信号が流れたのとほぼ同時に、雨は本降りへと成った。
窓の外から吹く、夕焼けを脅かすような強い北風も、彼女の泣き声を消すことはできない。
遥は、彼女の泣き声が、彼女自身のなにかを洗い流してくれるような、そんな言いようのない期待とシンプルな焦りをもって、図書館のカウンターに置かれている箱ティッシュを持ってこようと素早く離席するのであった。
〈あとがき〉
1話目投稿の時点で、畏れ多いことにたくさんの評価やコメントをいただきましたこと、ここに厚く御礼申し上げます。
完全見切り発車の当二次創作が、皆様の期待に応えられているのか甚だ不安ではございますが、気の向くままに書かせていただく所存でございますので、どうかよろしくお願いいたします。