愛染ノエル・Reスタート / ―The Revenge of the Black Rose― 作:ノエルイド
―――朝日の眩しさに目を細めつつ、今日も誠意を以って主に祈祷を捧げる。
そのあとに洗顔・洗口と軽い朝食を済ませ、所持品の確認も済ませてから自分の部屋を後にする。夢見と目覚めは相変わらず良くはないけど、身体の調子は好調だ。
「今日で二日目。さぁて、本日から私も本格的に志貴クンと接触する時ね。どうコミュニケーションを取ってあげようかしら?」
んーそうねぇ。実際に顔を合わせるのは今日が初めてなんだし、しかも記憶とは違って私は学生のお姉さんとして接触するわけなんだしなぁ。
ああ、どうせならいっそ色気のある女子高生を―――
「………いいえ、普通に接しましょうか。ふ、朝っぱらから何を寝ぼけたコト思ってんの私。復讐者には、そんなアホらしい振る舞いは不要よ。
変に露骨なところを見せるんじゃなくて、自然体で振る舞えばいいだけじゃないの」
ほんと、何バカなこと考えてるのやら。そんな自分の為にすらならない無意味な
そんなコトしてる余裕があんなら、その余裕を復讐の熱意に回しなさい。ええそうよ。だからこそ、この女学生という
全てを失い、人としての矜持と拘りさえ自ら捨て去った今の私には、そんな『ありふれた日常への人間的な憧れ』を抱く資格なんざありっこないんだから。
……さ、気を取り直して彼に接触しましょうか。普通に話し、普通に振る舞い、普通に接するのよ。
―――そうして昨日と同じように総耶高校に向かい、その道中で志貴クンを発見したのでそのまま声を掛けて接触した。
「初めまして、遠野志貴クンよね?私はシエルさんと同じ学年にいる愛染ノエルよ。好きなように呼んでもらっていいわ」
「シエル先輩と……?あ、こちらこそ初めまして、遠野志貴です。じゃあ、ノエルさんと呼んでもいいですか?」
「ええ、構わないわよ。それじゃあ
「は、はい。よろしくお願いします……」
ふーん?昨日からずっと見ていたけど、こうして思春期の初心な男子らしい反応は可愛げがあっていいわねえ。
確かに今のところは『どこにでもいるような普通の男の子』、という印象しかないわ。
「ここで会ったのも何かの縁だし、どうせならこのまま駄弁りながら学校に向かいましょう?ここからだとゆっくり歩いても10分足らずで着くしね」
「あ、はい。じゃあ、そうしましょうか。えっとまず、ノエルさんってシエル先輩とはどういう関係で?」
「ん。さっきも言ったように同級生なんだけど、同時に昔ながらの顔馴染みでもあるわ。キミも知ってるようにあの人ったら本当に文武両道で性格も品行方正だから、私も色んなところで助けられてばっかりでお世話になってるのよ。
まあ、あんまりにも完璧超人という言葉が服着て歩いてるような人だからちょっぴし嫉妬してしまう事もあったけど……一方で助けられてばかりだから申し訳なさも感じてるの。今向かってる高校に初めて来た時だって、友達作りが上手くできずに孤立しかけた私に優しく接してくれてグループの輪に入れてくれたのよね。
ほーんと、あの人には私も敵わないわ。ふふふ」
などと取って付けたような美談を語る。我ながら痛々しい妄想も甚だしくて笑い飛ばしたくなってしまう。
……もし、ここで私とアイツの全ての真実を曝け出したらこの子はどんな反応をしてくれるのかしら?
そんな黒い衝動に一瞬駆られるも、グッと堪えて思考から消し去る。ネタバラシをするのはまだまだ先の話。ここで本当に漏らすのは愚の骨頂だし、そもそもタチの悪いジョークとしか思われないわ。
「そんな事が……やっぱり先輩って貴女から見ても正義の人なんですね」
「まあね。彼女は周囲の人たちにとっても憧れのヒーローみたいなものよ。あ、何ならもっとあの人にまつわるエピソードを聞かせてあげましょうか?」
「あ、はい。是非!」
「うんうん、キミの素直な返事に応えて私も存分に語ってあげましょう!とは言ってもまずは何から話そうかしら?
あ、そうだ。それじゃあまずはあのエピソードから―――」
そこから校門を通って校舎で分かれるまでの間、やれ中学の陸上部で新記録を叩き出した時の話やら暴漢に襲われた際に徒手空拳でボコボコに返り討ちにしてから警察に通報した話やらで適当に盛り上がった。
我ながら存在しない
それどころか、何となく気分が高揚していて心地よかった。ほんの一瞬だけど、心が満たされた感じだった。
「…………私はどうして、そんな気持ちを覚えたの?」
校舎の屋上で一人、そう呟く。人除けの
静かに穏やかな朝の風を浴びながら、さっきの自分の感情への疑問を考える。もしかするとあの時、無意識に楽しいと思ってたの?
どうせあと二週間足らずでこの世から消す相手との、しかも取って付けた妄想を駄弁ってただけの、あの僅かな時間を?
「―――いいえ、違う。そんなのは違う。そんなのは私の思い違いよ。ええ、きっとそう。そうでなくてはいけない。
だって、それを認めてしまったら――――――私が、そういう『どこにでもあるような普通の日常にいる事実』を、楽しいと肯定してしまうってコトになるじゃない」
普通の会話で、普通に盛り上がって、普通に登校する。そういった普遍的な日常の風景を復讐の為に自ら突き放しておきながら『楽しい』と本心から感じてしまうなんて、あっていい筈がない。
私は復讐者だ。復讐に生きて復讐の果てに死ぬ、そんな虚しい生きた屍だ。そんな私が今更日常に身を置く事に楽しさを、幸せを感じるなど許される筈がない。
そうだ。そんな気持ちはただのまやかしよ。日常に生きる事の幸せなんかとうに忘れたんだから、そういう人並みの感情が残ってる筈もなければ思い出す筈もない。
私は、ただ―――シエルと同じように演じているだけ。だからこんな仮初の自由、仮初の日常には何の感傷もないのよ。それが事実なのよっ……!!
「うん、気のせい。そうよ、さっきのあの気持ちは、ただの………気のせいよ。そんなどうでもいい事より、今はこの後にどう動くかを考えるべきね」
……『記憶』の
無難に『記憶』の通りに行動をなぞっていくのもいいけど、HRで接触できたのは戸松さんの代わりでやって来た新任教師ってテイだからこそやれたのであって、今の私はシエルと同年代の学生って設定だから無理があるわ。
かと言って放課後に接触するのはタイミングがやや遅い。一応、志貴クンは遠野邸……正確には怖ーい当主サマに門限を守るよう口酸っぱく釘を刺されてるだろうから、あんまり長く引き留める事もできないしね。
さて、となれば―――私も昨日のシエルみたいに休み時間の昼食時に接触するとしようかしら。違和感なく彼と接触できるタイミングとしてはやっぱりここが丁度いいわ。
「それに親交を深めれば深めるほどいざって時に向こうの油断を誘いやすくなるし、積極的にやっておいて損はないでしょう。よし、これで行こう」
転生体がどのような善人であれ殺す。例え本人の意思が残っていようと完全に殺せるところまでロアの意識が浮上していれば、これを容赦なく始末する。
あの女がそれを成せないなら――――私がそうすればいい。
◆――――――――――――――――――――――――――――――――――◆
―――ということで志貴クンを誘って食堂に来たわけだけど。
「うっげ!相変わらずカレーパンの量エッグい……。ほぼ毎日そんなに食べてよく飽きないものね?」
「当たり前です。寧ろこんなにも最高の食べ物、飽きる方がどうかしているとさえ言えますよ!あ、遠野くんとノエルも食べます?いやぁ、見ての通りちょっとだけ買いすぎちゃってですね。あはは……」
「いやいらないわよ!私までカレー中毒にしようとしないちょうだい。ただでさえアンタの異常なカレー好きには辟易しているっつーのに……!」
「はは……二人とも実は俺が思ってる以上に仲が良かったりするんじゃないですか?あ、俺はお言葉に甘えて一つ貰いますね先輩」
「いや、どこをどう見たらそう思うのよ!」
偶々か意図的か、なぜかシエルもいたので一緒になって食事をする事になった。
ってかマジで何個買ってんのコイツ。カレー中毒なのは前々から分かってたけど、ホントに全身がカレーで出来てるんじゃないの?
不死身じゃなかったらカレーの過剰摂取で真面目におっ
「でも先輩、ノエルさんの言うようにそんなに食べても大丈夫なんですか?いや、好きなのは分かるんですけど、それはそれとしてちょっとだけ心配が勝るというか」
「おや、遠野くんったら心配してくれているんですか?でも大丈夫です。わたしは身体が人よりも丈夫なのが取り柄なので。
それにこの後は体育の時間なので、この間にエネルギーをガッツリと蓄えておきたいのです!」
「……だそうですよ、ノエルさん」
「いやカレーパンなんて普通は胃が重くなるでしょ。こういう時は私が今食べてるみたいに消化効率のいいサンドウィッチとかにしときなさいよ」
「いえ、まあ、それはそうではありますけどね……」
にしても身体が人よりも丈夫、か。まさに物は言いようだわ。本当は食事どころか睡眠すら取る必要がないのにね。もっともそれは今の私も殆ど同じようなものだけど。
そして、こんな感じに二人とくだらない雑談を続ける事20分。途中でどこから嗅ぎ付けたのか有彦クンがやってきた。
「おうおう何だよ遠野!おまえ何いつの間に見目麗しい美女二人を侍らせてんの!?どんな風に口説いたらそういう状況に持っていけるんだよ。俺にもその秘術を教えやがれってんだ!」
「な訳ないだろ。よく見ろ、普通に食事してるだけだろ?元々はこちらのノエルさんから誘われて食堂にやってきたら偶然にもシエル先輩がいたもんで、それでどうせならと席を一緒にしているってだけだよ」
「かーっ!つまり何れにしろおまえはこの人たちに食事の同席を快く許されてる程度には興味関心を持たれてるってコトでだよね!?」
「いや、うん。それは……否定できない」
「おいコノヤロウ!今ほどおまえを羨ましいと嫉んだ事はねーよ!何かのフェロモンでも滲み出てんじゃないんですかねぇ!?」
……何か、この子も色々とテンションがおかしいわね。よく授業をサボる不良っ子みたいだけど、このノリの感じから察するに志貴クンとは昔からの悪友ってところかしら。
「……ふふ、有彦クンよね?キミもキミで面白い子じゃない。確かに興味関心を向けてるのはそうだけど、単にシエルさんの知り合いだから私がコンタクトを取ってるだけよ?
何も
「え、まさかのそっちからのお誘い!?そんじゃあ座ります座ります!こんなまたとない機会逃すワケがねえってんだ!まさに棚から牡丹餅ってヤツですよ!」
「ほう、これは珍しい。貴女から声を掛けるなんて意外ですね、ノエル」
「まあ、ここで変に突き放したりするってのもバツが悪いしね。どうせ昼休みなんですぐに終わるんだし、この子も輪に入れてやっていいでしょ」
「おおっ……!初対面で、しかも俺みたいな
「………なんか、マジでキミの事も色々と面白い子と思えてきたわ。ねえ志貴クン、有彦クンって人によってああいう大袈裟なリアクションしか取れないの?」
「そういう訳じゃない……って言いたいですけど、こいつは良くも悪くも自分に素直というか、思った事をズバズバ口にするタイプなんですよ。言葉を選ぶ時はちゃんと選ぶんですがね」
「へっへへ。そんな柄にもなく褒めたって何も出ねーぜ遠野~?」
うん、とりあえず愉快に生きてる子だってのはよーく分かった。今まで曇った事なんて数えるほども無さそうね。
………もし、私もこんな愉快な精神構造をしていたら、ここまで苦しむ事もなくもう少しマシな人生を歩めたのかしら。
四人に増えてから雑談はますます賑やかになり、気づけば昼休みの時間もあっという間に終わりのチャイムを鳴らしていた。
好みの異性の話だったり、シエルと有彦クンを焚き付けて志貴クンを三人で揶揄ったり、逆に私が志貴クンに質問攻めの報復をされたり、そこから私とシエルの関係の話題に派生したり―――そんな風に、のんびりと食事をしながらつまらない会話を続けていただけだった。
「いやー満足っすわ!食うもんも食えたし、眠くなってきたんでまた保健室にでも逃げ込みますわ。そんじゃあな先輩方!今度どちらかと顔合わせたらそん時はオレと二人っきりでお願いしますよ!何なら二人同時でも全然オールオッケーです!」
この子はどうやら今度もしっかりと授業をサボるらしい。同じく授業をすっぽかして屋上でずっと風を浴びてた私が言えた事じゃないけれど、あんなんでちゃんと単位取れるのかが心配ね。
「やれやれ、乾くんにも困ったものです。ですが不思議と彼には甘くなってしまいますね。これも一つの人徳、というものでしょうか」
「まあ、あいつは必要最低限のコトはきっちりこなしていますからね。自己の不始末は自分で片付けるヤツだし。先輩もそういうところを信頼して放置してるんじゃないですか?」
「なるほど。たしかにそんな気はします。付き合いが長いだけあって乾くんの事をよく分かっているんですね」
「ふーん……一応単位の事とかもちゃんと考えてはいるのね。でもそんな妥協的なやり方で甘く見てると、いつか後悔する目に会うんじゃないかしら?」
「はは、もしそうなってもその時はその時であいつはあまり気負ったりせずに臨機応変に生きると思いますよ。あいつ、ある意味では無敵ですから」
「ほへー、彼も彼でマジでイイ性格してるのねえ」
つまり飛びぬけた阿呆ってコトか。あーあ、私もそんな生き方ができたらどれだけ救いがあっただろうな。復讐に我が身を捧げると覚悟完了しきっていて尚も本当にそう思わずにはいられないわ。
志貴クンはとてもイイ友達に恵まれてるのね。もっとも今更それを羨ましいなどとは、思わないけど。
「……ところで、あの、先輩?何ですかその含み笑い?」
「あ、いえいえ。遠野くんと
「――――――」
「――――――は?」
……………この女、今、なんて言った?
志貴クンが笑ってるのは別にいい。どうせあと二週間足らずの命なんだから、彼が今を楽しめてるんならそれに越したことはない。
だけど、わたしも――――――わたしも、笑っているですって?
なんで?こうして談笑しているのはただの演技。目の前のコイツと同じように、ただそれっぽい話題で適当に盛り上がってる感じを装っているだけ。
「……そうですね。確かにちょっと楽しかったし、俺から見ても先輩だけじゃなくノエルさんも会話を楽しんでるみたいで良かったです」
「――――――」
……なんで、キミまでそんなコトを言うの?
わたしがこんな、くだらない雑談を楽しいと、思っている?こんなつまらない普遍的な日常会話を、本心から楽しんでいて笑っている?
あれだけ日常を蹂躙されておきながら?
あれだけ日常から地獄に晒されておきながら?
あれだけ何時死ぬとも分からない、普通の日常とは対極の環境で13年間も生き足掻いておきながら?
あれだけ日常への切望を自ら突き放し、切り離しておきながら?
あれだけ、あれだけ日常を楽しむという人間的な『余分』を燃やし尽くして、復讐の狂気に身も心も
「それに俺自身、あんまり中庭に出た事がなかったから……あ、でも前にもこんな事があったような気が。先輩とあった時でしたっけ?」
こんな―――こんな、何でもない会話で―――寄りによってわたしの全てを奪い尽くした悪魔と、次の悪魔になる哀れなガキとの雑談を、笑って楽しんでいるの?
「ええ、こんな楽しいと思える出来事ならたくさんありましたよ。きっと、それはもう数え切れないぐらい」
何かが沸々と熱を帯びて競り上がってくる。自然と握り拳を作る。
これは―――あ、ダメだ。一旦、深呼吸しないと。今は、冷静に……ならないといけないわ。
「……ん?どうしました、ノエルさん?」
抑えろ、抑えろ、抑えろ、抑えろ、抑えろ、抑えろ、抑えろ、抑えろ。
「―――いや、言われてみれば、確かに……私もこんなに心から笑えたのって、本当に久しぶりだなぁって」
抑えろ、抑えろ、抑えろ、抑えろ、抑えろ、抑えろ、抑えろ、抑えろ、抑えろ、抑えろ、抑えろ、抑えろ、抑えろ、抑えろ、抑えろ、抑えろ、抑えろ、抑えろ、抑えろ、抑えろ、抑えろ、抑えろ、抑えろ、抑えろ、抑えろ、抑えろ、抑えろ、抑えろ、抑えろ、抑えろ、抑えろ、抑えろ、抑えろ、抑えろ、抑えろ、抑えろ、抑えろ、抑えろ、抑えろ、抑えろ、抑えろ、抑えろ…………!!!!
「本当に久しぶり、って……それは良かったですけど、今まではそうじゃなかったんですか? 何かこう、辛い事でも?」
「ふふ、辛いというほどの事でもないんだけど、まあちょっと色々とあってね。打ち明けてもつまらない話になるだけだから、志貴クンは気にする事じゃないわよ。ね、シエルさん?」
「………それは……ええ、そうですね。わたしからも言いますが、遠野くんは知らなくてもいい事です」
「そ。
「えっと、はい。わかりました……」
うんうん、この子が素直で良かったわ。少しでも反抗されると本当にガマンが利かなかったかも!
「じゃあ、私も先に抜けるから。
◆――――――――――――――――――――――――――――――――――◆
「――――――クソがァッッッ!!!!!」
憤怒、苛立ち、悔しさ、不快感。それらを振り上げた拳と共にコンクリの壁にぶつけて粉々に陥没させる。
砂埃の立ち込める中、抑えの利かない激情に息を荒げて歯を食いしばってしまう。爪が皮膚に食い込んで、握り拳から血が滴るぐらいに力を入れてしまう。
昼休みの直後、学校から離れて人気のない廃工場跡に移動した。
こうして怒りを発散する場所を選ぶだけの理性はあったのが細やかな幸いではあった。こんな事をしておいて自分で言うのも何だが、私は欲望を抑えるのが下手クソだけど我慢強さにおいては人一倍忍耐があると自負している。
そうでなきゃ13年間も復讐の決定的な機会を待ち続けてなんかいられないし、その為に死ぬような目に自分から進んで挑む事もしていない。
が、それはそれとして―――
「私―――私が、楽しんで笑っていただと……!?ふざけんじゃないわよあのクソアマっ!!
なんで、どうして!あんなコトをわざわざ口にしやがった!なんで彼だけじゃなく
いえ、それ以上にムカつくのは――――――なんで私は、その言葉に納得してしまっているのよ……っっ!!!」
身を焼く衝動のままに、目の前の瓦礫を思いきり蹴り飛ばす。
あの女の余計な発言もそうだが、それに対して心の何処かで認めてしまっている自分自身の存在そのものが憎たらしくて仕方がない。
私は―――あの何でもない日常会話を、心から楽しんでいた。掛け値なしに、心地よく無自覚に笑っていたんだわ。
それが許せない。腹ただしい。だってそれは、人間的な余分がまだ私に残っている事の何よりの証左なんだから。
私は復讐者だ。復讐に身も心も人生も捧げて、復讐にのみ快楽を見出す狂人だ。私という狂人にとっての生き甲斐は復讐であって日常に身を置いて人並みに楽しむ事なんかじゃない。
そんなのは復讐者として半端な生き方だ。その行き着く果てがどうなるかは『記憶』で散々観てきたでしょう?
人間的な余分を棄てきれずにズルズルと引き摺り続け、ヒトを超越した怪物にも復讐者にも振り切れずにただ妥協に妥協を重ねて生きた結果、大嫌いな吸血鬼の力に溺れてゴミクズ同然に消された愚か者。
散々ロアを絶対に殺すと口うるさく言っておきながら寄りによって『恋』などという人間的な自己欲求に目覚め、あろう事か13年前の誓いよりほんの一時芽吹いただけのそちらを優先しやがった裏切り者。
私はこんなバカ共とは違う。そう言いたいのに、そう在るべきなのに、自分がこの束の間の日常を演技ではなく本心で楽しんでいる事を受け入れてしまっている。
こんなのは私じゃない。わたしは、ワタシは、こんな人間としての余分は持っちゃいけない。だから燃やした。十四の石によってヒトを辞めたと同時にそうした
「なのに、まだこんなものが私の中にあったの?まだ焼き払えずにズルズル引き摺ってたっていうの?
信じられない――――――こんなの、信じたくない!!認めたくなんか、ない………!!」
視界が滲む。怒りと悔しさで、目の前がよく見えない。頬を伝う感触がする。
足が、手が、震えている。これ以上ないほどムカついて仕方がないのに、力が上手く入らない。
小さな嗚咽が自然と漏れ出す。あ、そっか。私、いま、泣いちゃってるんだ。
『ここまで何もかもを代償として棄てておいて、ここまで復讐の道に振り切っておいて、未だに人間として当たり前の感性を残してしまっている半端者』――――――その事実を自覚した事があんまりにも残酷すぎて、もう泣かずにはいられなくなっているのね。
「………しっかり、しなさいよ。なにガキみたいにみっともなく泣いてんの。
日常を楽しんでいたから何?それを自覚したからどうしたっての?どんなに残酷な目に合おうと復讐は最期までやり抜く。それは今も変わらないでしょう?」
滲む視界を拭い、必死こいて自分に言い聞かせる。壁に八つ当たりしようが悔しさのあまりに泣こうが現実は変わらない。
そう、寧ろ……こんな時だからこそ、少しでも前向きに考えていくべきよ。代行者ノエル。
このタイミングで自分の今の在り方を知れたのは幸運と捉えるべきかしらね。ならそれを自覚した上で、復讐者として更に突き進んでいけばいい。
逆に考えようじゃないの。これだけ人間としての余分を切り棄てていながらまだこうして残ってるって言うんなら―――いっそ、その程度の余分は受け入れてしまえばいいんだ。
そういう余分があるからこそ、私は父の名の下に弱き人々を護る代行者としてやっていけている。
そういう余分があるからこそ、私は自分の弱さを正しく理解できる。
そういう余分があるからこそ、私は弱き人々の目線に立って接する事ができるし、彼らを護る事を優先して物事を考えられる。
そういう余分があるからこそ、私は
そういう余分があるからこそ、私は―――志貴クン、そしてシエルの油断を突ける。突く事ができる。
「は、はは―――ふふふっ。うふふ、うふふふふ。なぁんだ、そう考えればこの余分も存外悪くはないか。
結局のところは利用すればいいのよ。このちっぽけな余分を燃やし尽くすのではなく最大限に活かす。それでいいというワケなのね」
ああ、そう解釈したら急に涙が引っ込んだわ。怒りも鎮んで段々と落ち着いてきた。
途端に、今の今までブチ切れていた自分が滑稽で阿保らしく思えてくる。ま、こういうのは恐らくこれからも何度だって繰り返していくのでしょうね。生きていれば癇癪起こしてからの落ち着きを取り戻す事だって幾らでもあるんだしさ。
要は気持ちと価値観の整理と折り合いね。それさえ上手にコントロールできていれば、私みたいに狂ってるようなヤツでもそれなりに長く正気を保っていられるし、他者とのコミュニケーションもやっていける。
なら、それが出来ている私はまだ『記憶』の
「ふぅ―――良かった。だったら私はまだまだ代行者として、復讐者としてやっていけるわ。
よし、これでやっと頭を冷やせたから急いで学校に戻りましょっか!」
まだやれる。まだその余地が十二分にある。その事実を今一度明確に確認できただけでも僥倖に値するわ。
―――じゃあ、この後もしっかりと頑張っていこうじゃない!
◆――――――――――――――――――――――――――――――――――◆
その後、『記憶』の
そして彼がそのまま遠野邸に帰ったのを遠目で確認し、後からシエルともこの日の彼の様子をお互いに軽く確認し合い、この日の監視活動は終わった。
「さーて、今日で遠野志貴への本格接触から三日目だけど……『記憶』での流れも考慮するなら、あの子に変異が生じるまで少なくとも後一週間は待たなきゃいけないでしょうね。
しばらくは露骨な異変は全く起きないものとして認識しておいて問題ないかしら」
監視活動三日目。『記憶』を除く限り、確かこの日の彼はいつも通りに登校するものの、五時限目に古文の授業を受けてる時に唐突な貧血を起こして途中早退に及ぶ。
そして午後二時辺りに唐突に隣町のマンションまで移動し、その後にただならない様子で何時間と雨の降る公園に座っていたところを監視していたシエルに保護される――――――という経緯の報告をシエルから聞き及んでいたらしいわね。
……改めて文字に起こしてみるとどういう事?何で急に隣町のマンションまで寄り道したの?何で公園でずーっと死んだように座ってたの?寄り道してから公園に移動するまでに一体何があったの?
推測……は、立たない事もない。が、あまりにも確定的な情報が少なすぎるので漠然としたものしか浮かばない。
ってかこれをシエルから聞かされた
まあ、アイツの事だから質問されたところで黙秘か適当な理由ではぐらかしてくるでしょうけど。
「で、『記憶』の
そりゃそうか。そのまま放置したっていいのにわざわざメンタルケアのために自室に連れ込むんだもの。まさかと疑うのも無理ないわ。
で、そっから紆余曲折あってあの裏切りに繋がるんだからホント最悪よねえ。……馬鹿がよ」
もっとも私はそうはさせない。これでも代行者としてのアイツは一応ながら
お互いに非人間の怪物という認識を持ちながらも、6年間ずーっとシエルとは同郷の好みとしても私なりに親睦を深めてきた。だから私は私で今のシエルは代行者として私との誓いを尊重してくれると信じてはいる。
よってそこはいい。なので今日も『記憶』に沿って行動するとしようかしらね。
「とりあえず今日はシエルの報告をゆっくりと待つ事。そして、その後で『記憶』のような無様を晒さないように用意周到・臨機応変に対応しながら行動する。今はこれでいいわね」
それにしてもこうして『記憶』を持っているのは、私にとって本当にこれ以上ないほどの
地獄そのものな人生を現在進行形で送っているという前提に目を瞑れば、未来に起こる事に前もって対処できるんだから便利なんてものじゃないわ。
無論、私が対処するほどそれ故の想定外の事だって多少は起こり得るでしょうけど、その可能性を差し引いてもこの『記憶』には凄く助けられる。
もっとも、この『記憶』に頼れるのも後10日ほど。『記憶』の中の
だからこそ、まだ先の事象が予測できるこの段階で存分に活用させてもらうわ。そしてその果てで、今度こそ
―――そう意気込んで行動を始めてから早くも数時間。適当に昼食を済ませてから屋上で様子を見ていると、志貴クンが校門から出ていくのを確認した。
咄嗟に時間を確認すると昼の12時半を過ぎている。『記憶』の通りならこの後に隣町のホテルマンションまで移動し出す筈。
様子を見に尾行する、という選択肢も浮かびはしたけど変に干渉して未来が大きく変わるなんて恐れもあるので自重する事を判断。
このままずっと屋上で待つのも暇だったので、六限目に合わせる形で授業を適当に過ごした。
「……こうしてただの学生として授業を過ごすってのも、もう何百年も前の事にすら思えてくるわね」
奪われた日常。その中には当然ながら中学時代の思い出もあった。
今となってはその
認めるのはまあ複雑だけど、これもまた私が束の間の日常を楽しんでいる事の表れなんでしょうね。
そんな感傷に浸っている内に授業も終わり、いつも通りに放課後の時間になったので再び屋上へと移動。何時でも報告を受け取れるように待機する事とした。
途中から雨がざあざあと降って来たけど、それも予測していたので問題ない。持参した傘をさして屋上からの景色を堪能する。
「にしても……ここにこうして何度も足を運んでいる辺り、私も何だかんだでここが気に入っているのかもね。
――――――あ、着信だ」
誰にも邪魔されず、自分だけの静寂に浸れる屋上という環境への細やかな執着。
それを微かに自覚したところで懐のスマホから着信音が鳴り出す。シエルからの呼び出しだ。という事は途方に暮れてる志貴クンを保護したのかしら?
……だけど随分と遅い着信ね。もう夕方になってるってのに。
「もしもしシエル?どうかした?」
『はい、ノエル。遠野志貴の動向ですが、彼は――――――放心している様子で公園のベンチに座っていた後、自分の足でそのまま遠野邸の方へと帰宅していきました。
なぜ放心していたのかまでは分かりませんが、彼に何かしらの異常事態があったのは読み取れるのでそちらにも情報を共有しに掛けた次第です。
とはいえ通話越しで長々と仔細を伝達するのも何ですし、あとでわたしのアパートで改めて詳しく話しましょう』
ああ、ほらやっぱり自力で帰宅し――――――え?
…………………………え?