【第一部完】ロクデナシ黙示録 ~夕立市最悪の三日間~   作:松山リョウ

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第12話 一つ目の怪談 騒ぐ理科室

【ミツル】

 午後一時半。ミツルは第一校舎の角にある理科室で授業を受けていた。自分の体がやけに体が火照っているのを感じた。昼食過ぎでだるさも感じていた。

 

 

 教壇の前に立って実験器具の説明をしているのは加賀という教師だった。眼鏡をかけ、小太りなその風貌から甲高い声が発せられている。生徒が白けているところを見るとどうやらまたおやじギャグを言ったらしい。ミツルは加賀のことは嫌いではなかったが、このギャグだけはいただない。

 

 ミツルの目の前には六本の試験官と三つのビーカー、スポイトが並んでいた。ビーカーの中には塩酸、水酸化ナトリウム、食塩水が入っている。水溶液と金属の反応を見るものだ。ミツルは喉の渇きを覚えながら、スポイトのゴムの部分をふにふにと触っていた。

 

 

 うう。

 

 

 声が聞こえた。誰かが苦しんでいるような声。ミツルは音のした窓際の方を振り返った。長机を共にする安藤麻衣と目が合った。急に振り向いたミツルに訝しげな視線を向けてくる。安藤の隣では井上康太が机に下手な落書きをしていた。二人とも気付いた様子はない。

 

 ミツルは教壇に向き直りながら、今度は隣を盗み見る。上村沙織が机に向かい忙しなくなにかを書いていた。授業内容をメモしているのかと一瞬思ったが、なんのことはない。小さな紙の切れ端を隣の机に回していた。要は文通だ。ツマンナイ、ウゼー、クソオヤジ。そんな内容を友人と会話しているのだろう。

 

 とにかく上村も唸り声に反応する様子はない。気のせいだったのだろうか。ミツルは改めて教師の話を聞こうと姿勢を正す。

 

 

 

 うううぅ。

 

 

 

 思わず机から身を仰け反らせる。ミツルは勢い余って椅子から転げ落ちてしまった。

 

 

 自分の背中に誰かがいた感覚があった。

 

 

 猿轡をされた男。いや、女か? ミツルの頭にとっさに思い浮かんだのがそれだった。胸の動悸が治まってから辺りを見渡す。

 

 

 すぐ隣で上村が小馬鹿にするような笑みを浮かべている。大丈夫かと尋ねるその声も人を労わるというよりは珍動物を発見したような弾んだ声色だった。

 

 クラス全体がざわつくなか、ミツルは椅子周りを入念に探った。昼に当番が掃除をさぼったのか、灰色の埃が机の下に溜まっていた。男どころか、ネズミ一匹いた痕跡すらない。

 

 ミツルが目をぱちくりさせていると、ぽんと肩を叩かれた。顔を上げると加賀の顔がすぐ横にあった。

 

「なんだぁ? 寝ぼけているのかぁ、赤戸?」

 

 クラスがまた沸き上がる。ミツルもつられて口元だけ笑ってみせる。だが頭の中ではまだ気持ちを整理できずにいた。

 

 ミツルが椅子に座りなおしたのを確認してから加賀が授業を再開する。どんな夢を見ていたのと井上と上村がしつこく尋ねてくるが、苦笑してその場をしのいだ。

 

 その後、各机に鉄とアルミが配られた。それらがそれぞれの試験官の中に入れられる。加賀の話ではこれからビーカーに入れられた水溶液をスポイトで移していくらしい。水溶液は薄めてはいるが劇薬なので十分に気をつけること、体についた場合は大量の水で洗い流すことなどを加賀が説明している。

 

 ミツルはぼうっとしながら試験官を見つめていた。さっきの感覚は一体なんだったのだろうか。また寝不足の影響かなと考える。ここ最近はどうも夜に気分が高まってしまってなかなか寝付けずにいた。

 

 ふと横に目をやると上村が隣の机の今岡とこそこそ話していた。

 

 ミツルは、上村の首筋をただぼんやりと見つめていた。

 

 白い首筋。彼女は髪をポニーテールにしており、その黒い髪との対比で肌の白さがより一層際立っていた。

 

 

 

 喉が異様に渇いていた。

 

 

 

 急に意識が遠のくのをミツルは感じた。無意識に机を掴んだ手に力は入らず、そのまま椅子から転がり落ちた。

 

 

 さすがに一授業間中に二度も倒れれば笑いごとでは済まされない。ミツルが頭を押さえながら起き上ると、加賀が大きな声で呼びかけていた。大丈夫か、声は聞こえるか。そのようなことを言っているようだ。ミツルは俯きながらも小さく頷く。

 

 ミツルは授業を再開させようと椅子に寄り掛かるが、加賀がその手を掴む。加賀の動かされるままにしていると、ふわりと体が浮く感覚があった。

 

「先生が保健室から帰ってくるまで静かにしているように。学級委員は頼んだぞ」

 

 先生の声が耳元に聞こえる。どうやら背負われているらしい。

 

 平時なら「恥ずかしい」だとか「みんなに迷惑をかけて申し訳ない」だとかを考えるところだが、このときのミツルは頗る疲れていた。一人でぐっすり眠りたい。

 

 ドアの開閉する音がする。ドアが閉められた瞬間、皆の騒ぐ声が大きくなった。

 

「熱はないか、赤戸」

 

 加賀が話しかけてくる。熱はあるか。言葉を理解するのにも時間がかかる。

 

 そういえば少し熱っぽい気がする。ミツルは「少し」と答えた。自分の声が随分遠くに聞こえる。

 

「そうか。保健室で容態が安定したら今日は帰ってぐっすり寝た方がいい。斎藤先生には伝えておくからな」

 

 加賀が担任の先生の名を告げる。ミツルは吐く息と一緒に「はい」と答えた。

 

 体全体に響く規則正しい揺れ。暖かな背中。その感覚は旅行帰りの車の中に似ていた。

 

 加賀がまだ何か話しかけていたが、ミツルはもう瞼を閉じていた。すぐになにも考えられなくなる。

 

 ミツルはその後、保健室で二時間ほど眠り、迎えに来た母親に体を揺さぶられるまで目を覚まさなかった。

 

 

 

 

 *

 

 

 

 だからこそ、ミツルは知らなかった。

 

 

 

 ミツルが保健室で眠っている間に、理科室で突然ビーカー類が割れ、棚にあった化学薬品が教室に飛散したことを。

 

 

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