【第一部完】ロクデナシ黙示録 ~夕立市最悪の三日間~ 作:松山リョウ
【犬っころ】
くそったれ、くそったれ、くそったれ! 俺は何度も頭の中で繰り返す。
この俺が逃げの一手だと? それもどうしようもねえ格上ならともかく、あんないけすかねぇ野郎から、犬っころだと馬鹿にされた奴から逃げの一手だと?
だがこうするしかねえ。こんな犬の姿じゃ奴に致命傷を与えるのは不可能だ。
そもそもリリスだ。あいつがいけねえ。俺は怒りの矛先をリリスへと向ける。
「あなたに施した変化法理は少し強めにしておきました。ひょんなところで姿が戻っても困りますし」
いいだろう。
「そんな顔しないでください。私が常にそばにいますから、緊急時にはすぐに解除してあげます」
まあよしとしよう。
問題なのはどっちも嘘だったってところだ。少し強め? 冗談じゃねえ。ガチガチに超難解な法理じゃあねえか。とてもじゃないが俺が自力で解けるような代物じゃねえ。常にそばにいる? 今頃あいつはロンドンでまったりティータイムにしゃれこんでいるところだろう。俺はフランケンシュタインの怪物に追われているってのに。
後ろからなにかが鈍く空を裂く音がする。俺は走りながら振り返る。
トラックだ。バルクトラックをブン投げて寄こしやがった。
俺は身を翻しそれを避ける。トラックが地面と激突する。激しい衝撃音が耳を怯ませる。トラックはそのまま横滑りしながら俺を巻きこもうとしてくる。
ジャンプして避けようとするも、ワンテンポ遅かった。俺はサイドガードに体を吹っ飛ばされる。そのままトラック共々マンションのエントランスにめり込んだ。
*
とぅるるるるるるん。
どこかから電話のベルの音が微かに聞こえた。
目を開ける。なにかの白い粉末と瓦礫の粉が舞っていた。パラパラと天井の一部が落ちてきている。
そうだ。トラックをブチ込まれたんだっけか。
目が霞む。鼻の奥が痛い。頭が痛い。脇腹が痛い。冷たい鉄が肌を溶かしている。
とぅるるるるるるん。
状況が理解できた。どうやら瓦礫とトラックの間に挟まれているらしい。俺は何とか体を動かそうとする。しかしもがいても体の下腹部を引っ張り出すことができない。いや、今の俺にはもがく力すらなかった。
とぅるるるるるるん。
電話の音がでかくなってくる。それに呼応するようにだんだんと感覚が鮮明になってくる。瓦礫が邪魔で確認はできないが、腹に鉄筋が突き刺さっているらしい。脇腹が鼓動に合わせてズキズキと痛む。
とぅるるるるるるん。
二進も三進も行かないので、俺は半ばやけになる。もうどうにでもなれだ。来るなら来い。
とぅるるるるるるん。
粉塵の中に影が見える。でかい。さらに巨体になっている。天井に届きそうな背丈。ドラム缶ほどありそうな腕。岩のように盛り上がった肩。どうやら俺を探しているようだ。
「ルガールよ、手持ちはいくらある?」
コール音を無視しながら、邪魔な瓦礫を片手でひょいと持ち上げている。
「変身したせいで一張羅のコートが台無しになった。まだ防膜も伸縮法理も施してなかったからな。この分だけでも弁償してくれないか」
影がぴたりと止まる。こちらを見つけたようだ。地面を揺らしながら歩いてくる。
「金はいい。金はすべてに平等だ。俺とお前では見ての通り実力差があるわけだが、お前が億万長者ならここから助かる方法がある」
ズウン。
その姿をようやく見ることができた。
傷だらけの怪物。赤みが増した褐色の体躯の至る所に縫い目が走っている。顔は角ばっていて、口の両端が裂けており、顎骨まで伸びていた。首元にボルトが刺さっている。
「それが真の姿ってわけか」
奴は俺を押しつぶしていたトラックをゆっくりと持ち上げ、脇にどかす。その拍子に俺も下腹部を貫いていた鉄筋から解放される。
とはいえボロボロだ。俺はビシャリと地面に落ちる。
なんて様だ。手足を震わせながら立ち上がろうとする。
「あまり無理はしないほうがいい。見せてみろ」
奴はようやく立ち上がった俺をひっくり返すと、傷をじっくりと観察する。
オイオイ、拷問されるくらいなら舌を噛み切るぜ。
奴は、太い指で細い注射器を丁寧に準備する。腹に刺した後、ゆっくりと液体が押し出されていく。じゅうじゅうと音を立てて、傷口が高速再生されていく。
「……どういうつもりだ、てめぇ」
奴は医療セットをポケットにしまいながら話す。
「別段お前を助けたいわけじゃない。今すぐ死なれるのは困るから延命だけさせてもらう。取引ができるかもしれないからな」
「取引だぁ?」
大男は大きな瓦礫の上に腰をかける。
「お前がどういう立場なのかは知らんが、予言の実現を阻止しようと企んでいるんだろう。俺は予言を成立させるように雇い主から言われているところだ。金をもらっている以上、予言を阻止されると非常に困る」
「……」
「ただ俺は管理局に忠誠を誓っているわけじゃない。金さえあれば寝返ったっていい」
「へえ、いくらだよ」
「ドル換算で一千万」
俺の表情を読み取ったのか、大男が続ける。
「当然だろう。今回の依頼分の金だけじゃない。今後管理局から仕事がなくなり、報復を受ける可能性すらあるのだからな、これでも安いほうだ」
「アホくせぇ。俺が言えたもんじゃねぇけどよ、幻界側の住人がドル集めに執着するなんざ……矜持ってもんはねぇのか」
会話をして時間をかせぐ。もう少し、もう少しだけ幻力を回復したい。
「いかにも古臭い鏡会寄りの考え方だな。矜持なんざとっくの昔に犬に喰わせた。お前にも残しておけばよかったか?」
「いらねぇよ」
「まあそう言うな」
「誇りは金で買えると」
「力も、愛も、時間も、だ。ルガール」
大男が立ち上がる。
「時は金なり。時間稼ぎは終わったか? もっとほしいなら五千ドルでどうだ?」
「悪いがビタ一文も払わねぇ」
充分稼がせてもらった。
俺は『耐火の膜』を瞬時に自分にかける。
同時に大男の掌底が目の前に迫ってきた。俺はかろうじて身を反転させて避ける。奴の一撃は駐車場の柱をいとも簡単に破壊し、周囲に砂塵が舞った。
呪文を唱えた。
「『赫け』」
爪の先から火花が散る。俺の頭だとこの程度の法理しか出せねぇが十分だ。
次の瞬間、空気が爆発した。爆音と暴風が俺の体を外に吹き飛ばす。
本日何度目かの壁への激突の後、素早く立ち上がる。
粉塵爆発。
まさか俺がこんな卑怯で、手垢のついた技を使うことになるとは思わなかった。バルクトラックに入っていた粉が充満していたおかげで助かった。
奴さんもこの一撃では死なないだろう。
だがな。
一瞬空気が収縮する。煙がエントランスに吸いこまれる。
そして再び爆発が起こった。俺は身を丸めて防御態勢をとる。
今度は一瞬の炎ではない。黒煙を広げながら轟々と燃え続けている。
「トラックのガソリンは抜いておくべきだったな、名も知らねぇクソ野郎が」
俺は息を乱しながら呟く。
俺はマンションに背を向ける。とりあえず刺客は片付けた。もっとうじゃうじゃいたらお手上げだが、今日のところは生き延びれただけマシか。
俺はよたよたと歩く。ガキンチョのところに帰らなくては。今日はもう草臥れた。しかし、この傷、隠すことができるだろうか――。
「今のは痛かったぞ、ルガール」
後ろで奴の声がした。