【第一部完】ロクデナシ黙示録 ~夕立市最悪の三日間~ 作:松山リョウ
【ミツル】
「伝統ある本校で、このような事態はあってはなりません。まして去年、くだらない呪いごとで散々注意したにもかかわらず、こんなことは! いいか、君たちは子どもだから許されると思っているのかもしれませんが……」
生徒指導の教師の話が続く。ミツルはそろそろ床の木目で迷路遊びをするのにも飽きてきていた。
午後三時十分。下級生は本来なら下校している時間だ。体育館に集められた生徒たちは体育座りで文句も言えず下を向いていた。
ミツルはあくびを噛み殺す。そもそもこういう緊急集会というものは一部の生徒にしか関連がない事項を取り扱うことがほとんどで、大多数の生徒は関係もない話に長々と付き合わされるのだ。校舎でガムの銀紙が捨てられていただけで一時間拘束されたこともあった。クラスの生徒が集会後にあれは絶対体育教師の小田が捨てた物だと影で主張していたのをミツルは覚えていた。
今回の件が一部の生徒が起こし問題だという証拠があるならまだ我慢できる。連帯責任という制度も生徒をまとめるうえでは必要なこともあるだろう。だが今回の場合、そもそも問題の所在がはっきりしていない。必ずしも犯人はユノチューの生徒と決まったわけではないのに、先ほどから聞いていると教師陣はうちの生徒が犯人だと決めつけているように話していた。
ここにいる数百人の生徒全員に全く非がない可能性もあるのに、こうして長時間座らされている。ミツルはどうにも納得できなかった。
真面目に聞く気も起きずにぼうっとしていたので、背中を突然つつかれたときは大層驚いた。話を聞いていないのがバレたのかと後ろを振り向く。
後ろに座る下田大輔が顔面蒼白で口を押さえていた。
「え、どうしたの?」
「気持ち悪い……」
そんなことを言われても困る。ミツルは辺りを見渡して脇に控えている教師に向かって小さく手を振る。加賀がいち早く気づいたが、少し遅れて反応した担任教師の斎藤がさっと動いた。もう五十近いおばさんだがこういうときの行動の早さにはいつも驚かされていた。
斎藤が姿勢を低くしたままミツルの元に駆けつけた。
「どうしたの?」
「下田君が気分が悪いって」
斎藤が下田の方を見た瞬間に、ミツルは妙案を思い付く。
「下田君を保健室に連れて行きます」
斎藤がちらりとこちらを見る。
「あなたが連れていく必要はないわよ。そういうのは保健委員に――」
「わざわざ保健委員を動かすのは、真剣に集会の話を聞いている人たちの邪魔になります。大丈夫っすよ、俺が責任を持って連れて行くんで」
ミツルは心にもないことを言う。真剣に聞いている人なんていないだろうけどな。
「……それじゃあお願いしようかね。下田君、立てる?」
下田が小さく頷く。ミツルはその肩を支えながら一緒に立ち上がる。周囲の注目を集めながらミツルたちはゆっくりと出入り口を目指す。こうして仕事をすんなり任せられるのも普段から真面目な態度で生活しているミツルへの信頼からくるものだった。
途中本来こういう仕事を引き受ける保健委員の柏木美和の前を通る。柏木が立ち上がりかけるのをミツルは首を振って制す。柏木は、「私も抜け出したいんだけど」と息遣いと共に小さく話す。
ミツルは苦笑いしながら柏木に向かって小さく手を振る。しかし周囲の教師陣の目に気付いてすぐに前を向いて歩く。
出入り口から出る直前、会場がざわついた。首を少し回すと、こちらを指差している生徒の姿も見えた。やはり教師の話をまともに聞いている者はいないようだった。
ざわつきを静めようと生徒指導の教師が声を荒げるのを聞きながら、ミツルは体育館を後にした。
*
「いや、さっきは本当に気分悪かったんですって」
下田が丸丸とした指を振りながら保健室の先生に言い訳をしている。下田は体育館を出て数歩で「気分が良くなった」とのたまい、保健室に来ても元気いっぱいの言動をしていた。
保健室の先生は手元の温度計を見てから、ミツルを振り返る。
「お疲れ様。君は帰りなさい。あと担任の先生に伝えてくれる? 下田君は健康そのもので集会をサボりたかっただけみたいですって」
下田は「いやいや、違いますって。ミツル、まじで止めろよ」と身振り手振りを交えて元気いっぱいに言ってくる。ミツルは分かりましたと簡潔に伝え、保健室から出る。
ミツル~と嘆きの混じった叫びを聞きながら、ミツルは扉を閉めた。
サボりたかったのは僕も同じだよ、シモっち。ミツルはくすりと笑ってから廊下を歩きだす。
*
無音の階段を歩く。誰もいないのは新鮮だった。廊下はもちろん、この上の階の教室には人っ子一人いないはずだ。ミツルはいつもの学校のちょっとした非日常空間にわくわくしていた。
階段を登り切り、二階に出る。左手側の突き当たりを曲れば、体育館に続く連絡通路に出る。用事も終わった。当然そちらに歩を進めようとする。
りん。
鈴の音が聞こえてきた。ミツルは後ろを振り返る。
廊下の中央に黒猫が立っていた。黄色い目でこちらをじっと見つめてくる。首に赤いスカーフのようなものを巻いて、尻尾に鈴を付けている。
「お前、あん時の……?」
一週間ほど前、下校途中に見た猫に似ていた。ここまで綺麗な黒猫はそうそう見かけられるものではない。ただスカーフの色や瞳の色が違うような気もする。
ただ、ミツルはその日の出来事を忘れていたことになによりも困惑していた。ミツルにとっては非日常な出来事だっただけに何故今まで忘れていたのか疑問に思った。
黒猫は尻尾を揺らしてこちらに背を向ける。静かな廊下に鈴の音が響きわたる。そのまま黒猫は、ときおり尻尾を揺らしてりんと音を鳴らしながら遠ざかっていく。
ミツルは一度体育館へと続く廊下を振り返ったあと、黒猫の数メートル後ろをついていくことにした。どうせ集会はまだ終わらないだろう。普段真面目に過ごしているんだ、少しはサボってもいいじゃないか。
りんりんと鈴を鳴らしながら黒猫は歩いていく。ミツルの方を振り返ることはしなかったが、耳をぴんと立ててこちらの様子を窺っているような印象を受けた。黙ってついて行くのもおかしな感じがしたため、ミツルは黒猫に話しかけた。
「どこ行くんだ?」
りん。黒猫は尻尾を右に揺らす。
「お前もあれか? 怪談話の登場人物か?」
りん。黒猫は尻尾を左に揺らす。
「『透明の猫』だったっけ? 詳しい話は聞いていないんだよな。お前は知ってんの?」
りん。黒猫は再び尻尾を右に揺らす。
ミツルは所在なさげに窓から運動場を見下ろす。日の光に当てられて、運動場の砂が黄色く輝いていた。当然ながら人はいない。
りんりん。
鈴の音が続けて二回鳴った。ミツルは振り返る。
黒猫が突き辺りの教室に入るところだった。ミツルはその後を追う。
教室に入る前に上に取り付けられているプレートを確認する。家庭科室。裁縫のような細かい作業が苦手なミツルにとってはあまりいい思い出のない教室だった。
ミツルは黙って一人校舎をうろついていることに対する罪悪感と高揚する気持ちを混ぜっ返しながら教室をガララと音を立てて開いた。
教室もしんと静まり返っていた。教室には備え付けられた四人掛けの木製の机とその周りを囲む四角い椅子があった。後方の棚には裁縫セットやミシンが並べられている。
しかし、小さな違和感があった。中央の机に一つ、椅子が机の上に乗せられたままなのだ。掃除の際に椅子を机の上に置いてから下を箒で掃くのは理科室等と同じだ。しかし掃除が終わったら椅子を下に降ろさないといけないはずだ。
ミツルは辺りを見渡す。黒猫の姿は見当たらない。これが『透明の猫』というものなのだろうか。不思議な出来事だが怖くはない。
ミツルは「猫~」と呼びかけながら中央の机に近づく。
ミツルは机に辿り着く。椅子を持ちあげて下に降ろす。満足そうに両手を払ってから、机の上を凝視する。
椅子の置かれていた場所に何か落書きされていた。綺麗な円の内側に細かい文字が書かれている。
ミツルは顔を近づける。白く光っているようにも見える。これは一体――。
次の瞬間、落書きの光が一層強くなった。円陣が宙に浮かび、天井を覆いつくすように展開する。円の内側をなぞる二重の数式が逆巻いて回る。ミツルはその紫色の光に思わず顔を伏せる。
「ごめんよ、少年」
ミツルの耳に、愁いを帯び少女の声が届く。
「きれいさっぱり忘れてもらおう」