【第一部完】ロクデナシ黙示録 ~夕立市最悪の三日間~ 作:松山リョウ
【犬っころ】
俺が目を覚ますとどこか薄暗い場所に縛られていた。ご丁寧に、銀製の鎖で。道理で寝心地が最悪なわけだ。銀の冷たさは俺の肌には毒だ。
辺りを見渡すと錆びた鉄骨や砂利の山があった。古びたショベルカーも放置されている。どこかの工事現場か。長らく工事は進んでいないのか、半ばゴミ捨て場と化しているようで、家電や間抜け面の狸の陶器が捨てられている。廃墟のような景色は夕日によく映えていた。
肝心の赤髪の女はどこに行ったのかと探してみるが見当たらない。
あの女はなにがしたいんだ? 俺やクローイのように鏡会に派遣された様子ではないし、かといって管理局側でもないらしい。交戦していたところをみるとあのミイラ男の仲間ってわけでもあるまい。
だがガキンチョの家に乗り込んできたってことはあのガキの重要性を知る者だろう。ガキをどうしたいのかわからないが、俺を攫った以上穏便に話合いで解決してくれるようなタイプじゃなさそうだ。面倒だな。青魂影への対処なら出来なくはないが、如何せん今の縛られた状況を打破しなくては話にならない。
俺は肌を刺す銀の痛みに耐えながら、どうにか鎖を千切れないかもがいてみる。だが子犬の力ではどうにもならねえ。俺が諦めて大人しく待機しようと居直ったときだ。
古びたショベルカーの扉が開いた。中から頭を押さえながら赤髪の女が出てくる。あんなところにいたのか。
赤髪の女は眠たそうに目を瞬かせる。包帯で巻かれた右腕が痛いのか、ショベルカーから降りる衝撃で顔をしかめた。そこでようやく俺がいることを思い出したようで、こちらに向かってきた。
「おはよう、ワンちゃん。目覚めがいいのね」
俺を見下ろしながら赤髪の女がいかにも億劫そうに挨拶をしてくる。
「ああ、
「遠慮しておくわ。それより右腕を折られるのも悪くないわよ。
「……遠慮しとくよ」
女は腰ポケットからナイフを取り出した。黒い刀身で背の部分がのこぎり状になっている。絵に描いたようなサバイバルナイフだ。そのナイフを俺に突きつけ、女がその場にしゃがみ込む。
「あなたに質問があるのよ」
へえ、脅しかよ。
「舐められたもんだな。俺に対して拷問を試みるとは。いっとくがこんな鎖程度で俺を縛ることができていると思っている時点で――」
俺が言い終わらぬうちにナイフが俺の左耳を突き刺した。悲鳴を上げるよりも先にナイフが横に走る。左耳の尖った部分が切り落とされて地面に転がる。
「~っ! ってめえ! 拷問なら先に質問するとか手順があるだろうが!」
俺は滴る血が目に入らないように左目を閉じる。女はナイフに付いた血を振り払いながら答える。
「勘違いしないで 私は拷問するなんて言っていないわ。これからあなたに行われるのは質問と暴行よ。別に暴行によって質問内容を引きだそうなんて思っていないし、質問に答えたからといって暴行を終えるなんてこれっぽっちも考えていないわ」
女はサバイバルナイフを仕舞う代わりに、二十センチはありそうな細長い針を取り出した。
「右と左はどちらがお好き?」
「なあ、もっと建設的な会話をしようぜ。あのガキンチョの様子を知りたいんじゃないのか?」
「左目は瞼が邪魔ね」
「待て待て待て待て! 素性もわからねえ相手に殺されるのは勘弁だぜ!? お前さんが名のある奴なら俺も安心して死ねるんだがな! 聞いてんのか!?」
右の眼球までほんの数ミリというところで針が止まる。針をどかして女が眼球を覗きこむ。
「なにも聞いていないの?」
「ああん?」
「あの黒猫さんからよ」
「……ああ、クローイか? 残念ながらすぐに別行動になったんでね。なんにも聞いちゃいねえ。聞かれたくないことでもあったのか? 安心しろ、その歳で熊のぬいぐるみがないと眠れねぇって秘密があっても俺は受け入れて――」
女が俺の首元を引っ掴んで地面に組み伏せた。口に砂利が入る。
「あの黒猫さんには遠く及ばないけれどね、心音を聞けば私だって嘘を吐いているかどうかくらいはわかるわ。もし嘘を吐いたら――」
首元を膝で押さえ込んだうえで、針を俺に見えるように右目の前に持ってくる。
「――これを根元まで刺すわ」
「刺すってどこに?」
「一つしかないでしょう?」
「まさかケツの穴にブチ込むってんじゃねえだろうな」
「……その発想はなかったわ。いい案ね」
「待て待て待て待て待て! 本当だ、クローイからはなにも聞いちゃいねえ! お前はすぐに消えちまったから知らねえかもだがな、あの後は逃げるのも大変で――おい、ケツを向かせるんじゃあねえ! 本当だ、信じてくれ!」
俺は必死に擦れた叫びを飛ばす。後ろの様子は見えねえが針がケツの穴からほんの数ミリのところで止められているのを感じる。嫌な汗が噴き出してきていた。
女の表情は見えないが、考え込んでいるらしい。そのまま首元を抑えつけたままじっとしている。
しばらくして首元から膝をどかした。俺は何度も咳き込む。
「よく考えたら犬の心音じゃ嘘かどうかなんてわからないわね」
「……そいつぁいいや、嘘つき放題ってわけだな。……冗談だよ、針を掲げんな」
女は俺の鎖に手を掛けた。ガチャガチャと音を鳴らして揺らしている。なされるがままにしていると、鎖が外された。俺は地面に立たされ、女は鎖を後ろに放る。
「……どういうつもりだ?」
「元々あなたに当たっても仕方がないとは思っていたのだけれどね。右腕が痛いのよ。この後、病院で痛み止めをくすねる予定だけど、あなたを痛めつけていたほうが痛みを忘れられそうな気がして」
しれっと無茶苦茶なことを言っているのを理解してんのか、この女。
「……でも駄目ね。そのチワワ形態じゃ暴行する気もおきないわ」
「そうかい。じゃあもう帰ってもいいか? 普通、チワワは飼い主に無断で散歩したりしないもんでね」
「そういうわけにもいかないわ」
女は胸ポケットから小さな薬袋を取り出す。
「これがなにかわかる?」
女は仏頂面のままその袋を小さく振る。もちろんわかる。というか元々俺のもんだ。クローイから渡された元の姿に戻れる薬。あれさえ飲めれば、目の前のクソアマを瞬殺してやれるんだがな。
「私は仕事柄薬の類には詳しくてね。これがどういうものかも知っている。だからこれを『はいどうぞ』と返すわけにはいかないわ。これを飲まれたら、あなたに負けてしまうかもしれないもの」
「かもじゃねえ。
「ならなおさらよ。ルガール、質問に答えてちょうだい」
女は右腕をさすりながら尋ねてきた。
「あなたはお坊ちゃまに危害を加える側なの?」
「……はあ?」
お坊ちゃまぁ?
「お坊ちゃまってまさかあのガキンチョのことか?」
「……ええ、そうよ。ミツルという少年のこと」
女は心なしか動揺したように視線を揺れ動かす。気にはなるが、それに突っ込むと逆に俺がケツに突っ込まれることになりそうだったので、話を続ける。
「わからねぇってのが正直な答えだな。俺は予言に謳われた異変を止めに来たんだ。あの少年がその異変そのもので、あの少年を消さねえと異変が止められねえってんなら、危害を加えるどころじゃすまねえことをするかもな」
「予言……ねえ。あのきな臭いヴェルナーが描いた絵のことでしょう?」
女は口元に手を当てて考える素振りを見せる。
いよいよコイツの行動原理がわからねえ。やはり鏡会や管理局の差し金ではないようだ。それどころか予言すら重要ではない口ぶりだ。ガキンチョのことをいきなりお坊ちゃまなんて、さも少年と知り合いかのような呼び方をしているが、ガキやその母親に直接会わない辺りどの程度の関係なのかさっぱりだ。
やがて女が手を下ろす。
「ルガール。あなたには忠犬になってもらうわ」
本当に訳がわからねえ。なんなんだコイツは。
「私はおぼ――ミツルという少年のそばに常にいるわけにはいかないの。私の『防覚膜』はそれほど精度が高くないから、隠密にはこの子の力を借りることになる」
女が指をぱちりと鳴らす。青い炎と共に、かぼちゃ頭の亡霊が現れた。世界に嘆いているのか、うううと唸り声を上げている。女がそのかぼちゃ頭を優しく撫でる。
「でも使うと体力の消費が激しくてね。一日中ずっと使うわけにはいかないの」
確か青魂影の侵入に成功した者は、その後例外なく昏倒状態になると聞いたことがある。さっきコイツがショベルカーの中で俺を放っぽりだして寝ていたのも、青魂影に入りすぎたせいか。
「だからあなたには少年を見守ってもらいたい。別に今までとそう変わらないわ。家に居る間、気を張ってくれればいい。今日のように誰かに侵入されることのないように、もっと強力な結界を張っておくことね。外にいる間は、私がどうにかできるから」
じろりとこちらを見つめてくる。亡霊はふわふわと宙を彷徨っている。
「言われなくてもそれくらいやるさ。ってなわけで返せよ、その錠剤」
俺が顔を突き出す。が、女は動かない。薬袋を右手に持ったままだ。
「おいおい、それがねえと守れねぇかもしれねぇぜ? お前さんの言うところのお坊ちゃまをよ」
「最後に一つ」
女が自分の首元をすっと撫でる。
「あなたが眠っている間に首輪に爆弾を仕掛けさせてもらった。私がスイッチを押せば爆発する。もちろん、無理に外そうとしてもね」
俺は前足で首元に触る。ミツルの付けてくれた首輪の裏側に冷たい金属物を確認できた。
「今のお坊ちゃまに危害を加えたら
異様に冷たい目。だが先ほどまでより幾分生気が漲っているように感じた。コイツの本来の生き方はこうなのだろう。死に触れてこそ生きられるタチなのだ。
ふっと張りつめた空気が緩む。
「仲良くしましょう、ルガール」
形式だけの笑顔を投げてくる。こいつが笑った顔は初めて見た。なんとまあ笑顔が似合わねえ女だ。
女が三歩下がってから「ジャック」と亡霊の名前を呼ぶ。亡霊が寄り添ったあと、薬袋を宙に投げた。
俺がそれを目で追った一瞬の隙に青い炎が女を包む。逃げる気だ。
「待て! まだ聞きたいことが――」
ボウッと青い炎が消える。次の瞬間には女の姿も気配も消えていた。
俺はその場に立ちつくした後、とぼとぼと薬を拾いに行く。薬を口でくわえようとしたとき、ひらりと近くに折りたたまれた紙が落ちていた。
俺は後ろに最大限の注意を払いつつ、その紙を広げる。短くこう書かれていた。
メイファ。それが私の名前。
「いや、聞きたいのは
俺は辺りを見渡す。日が随分と傾いてきた。そろそろ鴉がガラガラ声で鳴きながら巣に帰っていくころだろう。
「ここ……どこだよ……」
ああ、欠けた左耳が痛い。