【第一部完】ロクデナシ黙示録 ~夕立市最悪の三日間~ 作:松山リョウ
【ミツル】
「黒猫を見た?」
放課後、通学バッグを背負ったところで、ミツルはクラスメイトの有田と後藤に話しかけられた。野球部に所属している有田と後藤の坊主頭が並んでいる様はなかなか滑稽であり、少し威圧感があった。
「いや、俺は見てねえんだけど、見たって奴が多いんだよ。お前が下田のやつを保健室に送ろうとしてたろう? そんとき先導するように黒猫が前を歩いてたって。お前、気付かなかったのか?」
それで生徒がざわついていたのか。しかし体育館を出る前に黒猫を見た覚えはなかった。
「体育館を出るときは知らねぇけど、シモっちを保健室に送った後に廊下で見たよ」
「マジで!?」
「どうなった? 消えたのかよ?」
二人の坊主頭が近づいてくる。
ミツルはあったことを話そうと口を開きかけて、途中で止める。
どう言ったものだろうか。あの出来事が本当だったとは思えない。今のところ体に特に変化はないし、夢だったような気がしないでもなかった。もしそうならまた倒れていたことになる。こうまで続くと入院させられるのではないかとミツルは心配していた。
またミツルは噂が暴走することも恐れていた。去年のこっくりさんの時のように学級問題に発展してほしくない。呪い事は、もうまっぴらだ。
そういう理由もあり、ミツルは話を伏せておくことにした。
「消えたっていうか、逃げて行ったよ。窓から」
坊主二人組ががくりと肩を落とす。
「んだよそれで終わりかよ。使えねぇな」
後藤が天を仰ぎながら言った。
ミツルは顔をしかめて不快感を顕わにする。そんな言い方はないだろう。ミツルは小馬鹿にしたように笑う。
「どうしてお前らはそんなこと気にしてんだよ。今どき怪談なんて、幼稚なことに踊らされてんのか?」
後藤はミツルの敵意を感じたのか、ミツルに劣らず顔をしかめたが、有田のほうは何も気付いてない様子で話してきた。
「だって一組の小倉まで見たって言うんだぜ? あの堅物がよぉ。なにかいろんなことが起きてるしよ。こんな祭り踊らにゃ損損だぜ」
有田は「それによ~」と続ける。
「お前、以前にも見たんだろ? 黒猫」
「え?」
「惚けたって無駄だぜ? 中山から聞いたんだ。お前が居もしない猫を見たってよぉ」
ミツルは教室を見渡すと、窓際で俊介がこちらにゴメンと手を合わせていた。
「理科室のときもお前、ぶっ倒れてたもんなぁ。目ぇこんなにしてよぉ」
後藤が上を向いて白目を露出させる。口を半開きにし、体をひくつかせる。有田は腹を抱えて笑っていたが、ミツルはちっともおもしろくなかった。
ミツルにはなんとなくわかってきた。この二人は怪談話なんてどうでもいい。ミツルをからかいたいだけなのだ。そつなく学校生活を送っているミツルの姿は、彼ら二人にとっては目障りだったのだろう。イイカッコウシイメ。
ミツルは背中を向けて歩きだした。
「とにかくおれは知らねぇよ」
後ろから「なんでえアイツ」という声が聞こえたが、ミツルは無視して足早に教室を出た。
*
「悪かったって。ちょっと口が滑っちまってよ」
俊介が後ろから駆け寄ってきた。ミツルはちらりと顔だけ振り返っただけで足は止めない。
「別に俊に怒っちゃいねぇけどさ。いい加減終わらねぇかな。怪談話なんて」
俊介はミツルの横に並ぶ。
「だけどミツル、後藤に対してあの言いようはまずいんじゃねえの? 気に食わない奴認定されてるぜ、お前」
後藤はクラスのなかでも一番の悪ガキだった。やれ中学生からカツアゲしただの、やれ煙草を吸っただの、悪事を挙げようとすると枚挙に遑がない。先日も髪を露骨に染めてきて、生徒指導の教師をかんかんに怒らせていた。
同級生でいち早く非行に走り、同じく非行に走った者で集団を作っていた。大人しい同級生からは恐れられている存在だ。
ミツルとて怖かった。ただだからといって一方的にからかわれるのは嫌なのだ。
「あんまり露骨な態度は取るなよ? なんかあったって助けてやれねえぜ?」
俊介が足元の石を蹴りながら言う。ミツルの前に石が転がる。
「わかってるよ」
ミツルは同じように石を前に蹴りだした。
石はころころとコンクリートを転がった後、大きな革靴にぶつかった。
とぅるるるるるるん。
ミツルが顔を上げるよりも前に、古風な電話の音が耳に届いた。
とぅるるるるるるん。
行く手を阻むように、道路の中央に黒人の大男が立っていた。白色の中折れ帽を目ぶかに被っており、その下の灰色の瞳が影に浮かび上がっていた。鼠色のロングコートはその巨体を覆い隠し、日の陽光を背中から一心に浴びながら、しかしその男の周りだけ澱んで濁って見えた。
とぅるるるるるるん。
微動だにしない男に、ついにコール音は黙り込んだ。
「すみません」
微笑むことにも労力がかかりそうな、アーチ状にひん曲がった口元が動く。
丁寧な物言いの大男は、猜疑に満ちた暗い瞳でミツルを捉えていた。
「お話を伺いたいのですが」
【ミツル】
「いやなに、道に迷ってしまいましてね。知人のやっている店に行きたいのですが、行き方を教えてくれませんか」
大男は気だるげに、胸ポケットから折り畳まれた地図を取り出した。
ミツルと俊介は顔を見合わせ、黙り込む。その様子を見て、大男はピシャリと自分の額を地図で叩いた。
「これは失礼。最近の子どもたちはさすが教育が行き届いていますね。確かに俺のような大男が急に話しかけてきたら警戒するのは当然だ」
大男は地図をしまい、帽子を取ってみせた。薄い眉、窪んだ眼窩。礼儀正しく笑顔を見せてくれたはいいが、人を安心させる柔和さはかけらもなかった。
ただ、いくら見知らぬ男とはいえ、紳士的に話された以上あまり無碍に扱いすぎるのはよくないかもしれない。
ミツルの隣にいた俊介も同意見な様子で、警戒しながらも会話を試みた。
「……どこ行きたいんすか。目的地まで着いていくことはできないっすけど、方向を指差すぐらいならできますよ」
「なんと聡明な子どもたちだ。未来は明るい」
大男はミツルに向けて、張り付いた笑顔をさらに深くする。
「行きたいのは
月の影? ミツルは聞いたこともない言葉に想像を巡らせる。茶店か、アミューズメントパークだろうか。
俊介は知っているだろうか。ミツルは右隣に視線を移す。
俊介の立っていた場所に、のっぺらぼうの黒い影が揺らめいていた。
ミツルは短く悲鳴をあげて後ずさる。
「なるほど、特に干渉せずとも影に入れるということは、やはりお前は
感情をなくした瞳で、大男がミツルを見下ろしている。
周囲を見渡す。なにも変わっていないように見える。犬の吠える声も、車の走行音も聞こえる。ただ人の姿だけが消え、歩行者の代わりに道を歩くのは、蝋燭の火のように揺れ動く影だけだった。
「安心しろ。月の影の内部では現実世界よりも少し時間の流れが遅い。少しいなくなっただけでは騒ぎにはならんだろうさ」
大男がミツルに右手を伸ばしてくる。太く、大きな手のひらが近づいてくる。
「次に気になるのは―—」
ピシッ。
亀裂の入る音がした。昼間にも聞いた音だ。今度ははっきりとわかった。空間そのものに蜘蛛の巣のように無数の亀裂が入り、砕け散った。身を引き裂きそうな破片がミツルに降り注ぎ、思わず目を閉じる。
「――ミツル?」
目を開けると、消えていた俊が現われた。驚いたようにこちらをみている。
「……俊?」
「ああ、いや、ビビった。なんか一瞬お前が消えた気がして……」
「すばらしい。
大男が感嘆の声を上げる。いつの間にか左手を掲げている。
大男は左手を掲げたまま、左後方に向かって大声を張り上げた。
「おい、いいのか? ここでやり合うとすべて巻き込むことになるぞ。今、この場所では、
大男が首を捻る方向にはマンションがあった。三階にいた洗濯物を干している主婦が険しい目でこちらを見つめている。怪しい男が中学生ふたりに話しかけているのだから、怪しんで当然だろう。
しかし、大男はその女性に話しかけているわけではなさそうだ。
「あの……?」
「いや失礼。ワイヤレスイヤホンで話していましてね。目的地もわかったのでもう結構です。ありがとうございました」
大男は中折れ帽を被り直して、「ではまた」とミツルに視線を送る。寒気が全身を走る。
立ち去る大男は、左手の動きがぎこちない。なんだろう、もやがかかって見えないが、紐のようなものが巻き付いているような……。
「おい行こうぜ、ミツル」
俊介はその場からすぐに離れたいようで、ミツルの腕を引っ張った。
「なんか、やばかったよな、あいつ。母ちゃんに言っといたほうがいいかな。不審者っぽいのがいたって」
ミツルは曖昧に頷くことしかできなかった。
*
ミツルがその場を立ち去った数分後に、下校途中の複数名の生徒が悲鳴を上げる事案が発生した。たまたま付近を通りかかった主婦が、生徒たちの証言を聞いている。
顔につぎはぎだらけの大男が現われて、ぱっと姿を消してしまった、と。