【第一部完】ロクデナシ黙示録 ~夕立市最悪の三日間~   作:松山リョウ

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第32話 夜の学校

【ミツル】

「そうか。この犬じゃないのか」

 

 

 

 加賀が語尾を上げて尋ねる。ミツルは安堵しながら首を横に振る。よかった、とりあえずは。いや、よかったのか?

 

 ミツルは夕食前に加賀から連絡を受けた。理科室裏で白い子犬が倒れている、ミツルの子犬がいなくなっていると小耳に挟んだ、酷く弱っている状態なのだが見に来られないか、と。

 

 

 

「そもそも非常識じゃありません? 中学生をこんな時間に呼び出すなんて」

 

 有希が隣で腕を組みながら加賀に抗議する。加賀は両手を上げながら弁解する。

 

「いやいや、保護者の方と一緒に来ると思ったんだよ。まさか赤戸が一緒に来るとはなぁ。いや失礼、どっちも赤戸か」

 

 ふひゃひゃと甲高い声で笑う。有希は呆れたように首を振った。

 

 

 

 ミツルはしゃがみ込んで段ボールに入れられた子犬を撫でていた。丸く大きな眼に尖った耳。ぷるぷると震えているチワワだった。なるほど、ミツルの家の犬と特徴は合致するがこちらのほうが可愛らしい。チワワンコはチワワにしてはやたら目つきが悪いのだが、この犬はクリクリの過保護欲を惹きたてるような目をしていた。もし二匹を並べてどちらの犬を飼いますかと問われたら、余程の変人でないかぎり目の前の犬を選ぶだろう。

 

 ミツルたちのいる職員室にはほかに誰もいなかった。「今日はみんな早帰りなんだ」と加賀は語った。授業が終わってからも仕事があるのか。ミツルはそんな当たり前のことに驚いていた。

 

 ブーッ、ブーッとスマホのバイブ音が静かな校舎に響いた。ミツルが顔を上げると、有希がポケットから携帯を取り出し、画面を確認していた。

 

「お母さんからだ。ちょっと失礼します」

 

 有希が職員室から足早に出ていく。ミツルは立ち上がってそれを見送る。

 

 

 

「しかし赤戸の姉ちゃんも大きくなったな。一瞬誰かと思ったぞ」

 

 ミツルが振り向くと、加賀は窓際に立って校庭を眺めていた。

 

「しかしどこに行ったんだろうなあ。お前の家の犬は」

 

 ミツルは「さあ」と首を捻る。その辺をうろついているチワワンコの姿を思い浮かべていると、不意に疑問が出てきた。

 

 

 

「そういえば誰から――」

 

 

 

 ガシャン。

 

 

 

 ミツルは言葉を中断して振り返る。廊下の方で何かが落ちる音がした。目をパチクリさせた後、加賀の方を見る。加賀にも音は聞こえたようで怪訝そうな顔で廊下を見ている。

 

 すりガラス越しにぼんやりとした影が映っていた。

 

 ミツルは思わず一歩下がる。その窓ガラスに映った影はすぅーと滑るように廊下を進む。ヒタヒタと足音が聞こえてくる。

 

 その影が扉の前で立ち止まった。数拍の沈黙が訪れる。

 

 突然がらりと扉が開いた。

 

 

 

「……どうしたの? そんな顔して」

 

 有希が携帯電話片手に首を傾げていた。ミツルはふうと息を漏らす。

 

「姉ちゃんかよ。びっくりさせんな」

 

「いや、勝手にびっくりしてんのはアンタでしょ」

 

「いや、今のは驚いたぞ。演出がなかなか凝っていた……一体なにを落したんだ?」

 

「落とした?」

 

「ガシャンって音が響いていたじゃないか。あれはなんの音だ?」

 

 

 

「……()()()()()()()()?」

 

 

 

 有希は訝しげな顔をする。

 

「私はなにも落としていませんけど? そもそもそんな音なんて聞いていませんし」

 

 ミツルと加賀は再び顔を見合わせる。音自体は静かな校舎ではかなり響くものだったはずだ。有希にだけ聞こえていないというのはおかしい。電話に夢中で気付かなかったのだろうか?

 

 加賀が神妙な顔をして呟く。

 

「これは本当にあるのかもしれんな……」

 

「あるってなにがですか?」

 

 

 

「怪談話だよ」

 

 

 

 ミツルは息を呑む。有希がミツルのそばに歩み寄りながら尋ねる。

 

「ああ、みっちゃんが言っていたやつね。っていうか先生も知っていたんですね」

 

「教師の間でも問題視されているからな。あの噂にそって色々起こっているから」

 

 加賀も理科室での出来事の当事者だ。今回の噂に関しても生徒からいち早く情報を知ったようだ。

 

「『裏門の御札』と『騒ぐ理科室』は既に起こっているからな。ああ、今日『透明の猫』を見たと騒いでいる生徒もいたな」

 

 やはりあの黒猫を見た存在は少なからずいるらしい。

 

「やはりあの改築時の問題が……」

 

「なんの話ですか?」

 

「いや、大したことではないんだがな」

 

 そう言いつつも加賀は机に腰をかけて話し始めた。

 

「そこの体育館が最近改築されたのは知っているか?」

 

 ミツルは頷く。ミツルが入学したころに体育館と図書館が大規模な改築が行われていた。その間は簡易のプレハブ小屋のようなところに図書館が移され、室内の体育をする場合はすぐ近くの湯ノ石中学校の体育館を借りて行われていた。

 

「あの改築には老朽化もあるんだがな。実はもう一つ、お祓いのためとも聞いたことがある」

 

「お祓い?」

 

「なんでもあの体育館を建てる前はそこに小さな狸の石像があってな。何でもそこで一人女の子が自殺したらしい。そこで石像は別の場所に移して体育館を建てたんだ」

 

 ところが、と加賀は声を低くして続ける。

 

「十年ほど前、ここ夕立市で大きな地震があったんだ。ミツルたちはまだいなかった時だな。幸い甚大な被害というのは出なかったんだがな、そのときに白鷺寺の裏山の中腹に移していた狸の石像が土砂崩れで埋もれてしまったんだ。それからだ。体育館から夜な夜なすすり声が聞こえてくるようになったのは」

 

 ミツルはへぇと強がって笑おうとするが上手くいかない。

 

「時を同じくして体育館での事故が相次ぐようになった。捻挫や打撲程度ならまだいい。バレーのポールが突然倒れて骨折する者も現れた。不可解な事件の連続に遂に学校側は改築を進言するとこにしたらしい。表向きには地震に対する補強の強化としてね。保護者も子供たちの安全が守られるならと喜んで賛成していたよ。改築後は真夜中のすすり泣きも聞こえなくなったし、生徒の不可解な事故も無くなった。はずだったのだが……」

 

 加賀が身を乗り出す。

 

「先月、白鷺寺の裏山も改築が進んでな。土砂崩れがあった場所も掘り返されたらしい。そして見つかったんだ。()()()()()()()()()

 

 ミツルはごくりと唾を飲み込む。

 

「目を覚ました少女の霊は当てもなく彷徨っていた、そして見知ったこの湯ノ石中学校に戻ってきたのさ。やり場のない恨みをこの場所で晴らそうと――」

 

「はいはいそこまで」

 

 有希がパンパンと両手を打ちならしながら話を中断させる。

 

「あんまり怖い話はしないでくれます? みっちゃんが怖がるでしょう?」

 

「……は? 俺? 俺は全然怖くないけどな、こんな話」

 

「夜中にトイレについて来てとか言われてもついて行かないからね」

 

「言わねぇよ。いったいいくつの時の話だよ」

 

 ミツルは帰ったらすぐにトイレに駆け込むことを決意する。加賀はふひゃひゃと笑う。

 

「いやスマンスマン。ミツルがおもしろい反応するもんだから、ついな」

 

 有希が眉根を寄せる。

 

「教師が噂でおもしろがってどうするんですか。去年はこっくりさん騒動とかあったんでしょう?」

 

「ああ、あったあった。ああいうのは俺が子どもの頃にもあったからなぁ。赤戸も怖かったろう?」

 

「だから怖がってなんかないですって」

 

「噂によると校庭の砂場後ろの桜の下に死体が埋まっているらしいぞ。見てきたらどうだ?」

 

「姉ちゃん! 電話はなんだったんだよ?」

 

 ミツルは話題を強引に反らす。

 

「ああ、ウルフンちゃん、家に戻ってきたらしいよ!」

 

「え! チワワンコが!?」

 

「ウルフンちゃんが」

 

「そうか、とりあえず安心だ……チワワンコが見つかって」

 

 加賀もうんうんと頷く。

 

「一件落着だな。この犬はとりあえずここで預かっておこう。送ろうか?」

 

「いえ、母親が正門に迎えにくるらしいので」

 

「そうか。どれ、私も御挨拶しておこうかな」

 

 加賀が服の皺を伸ばし終わったところで三人は職員室を出た。廊下は薄暗く、静まり返っている。ミツルは余程有希に寄り添いたかったが、先ほどああ言ってしまった手前、二人の間にさりげなく入ることしかできなかった。そのまま校舎を出る。

 

「高校はどうだ? ちゃんと勉強しているのか?」

 

「やっていますよ。物理は本当に苦手ですけど」

 

 二人が談笑しているのにミツルは耳を傾ける。有希が二年生のときに担任教師だったようだ。ミツルは高校の物理で扱われるのであろう理解不能な単語の応酬に眩暈がし、左手の運動場をさりげなく見る。

 

「――なので小テストがきつくって……ミツル?」

 

 有希が振り返る。加賀も遅れてそれに続く。ミツルがいつの間にか後ろで立ち止まっていた。月明かりの下で、運動場の一点を凝視している。

 

 二人はミツルにつられてその方向を見る。

 

 

 

「……嘘」

 

 

 

 有希が呟く。彼女の目には、暗闇にぼんやりと輝く桜吹雪が映っていた。

 

 

 

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